窮愁に呑まれる、思慕の情2
「お食事に立ち会うだけでいいんですか?」
穂摘によって次の日曜日に呼び出された夏堀は、とある飲食店の半個室でぐったりと座っている彼にそう問いかける。
その女子高生の雇い主はと言うと、自分の真横でちょこんと座っている彼女を半眼で眺めながら、昼間から疲れた顔で頷いた。
「あまり二人きりで会いたくない相手なんだよ」
「はあ……毎度の事ながら大変なんですね、お仕事」
「収入を考えたら楽過ぎるくらいなんだけどね、それでも精神的にかかってくる事は変わらない」
特に、人の死が関わっているような件の場合は。
今回、穂摘の住む県まで足を運んだ更科は、土地勘が無い為に落ち合う店を指定された側だ。
昼食時である予定の時間から少し過ぎた頃、二人の前に彼女は現れた。
短い丈の黒いフードジャケットに大きく胸元の空いたキャミソール。
いかにもティーンな夏堀の服装とは違い、スタイリッシュでありながらも色気が出ていた。
けれど以前同様に顔色は悪く、あまり寝ていないのか目の下の隈が隠し切れていない。
更科は初めてであろう店内をきょろ、と見渡しながら、店員に案内された先で久しぶりに見る顔を発見し、その歩みを早めて寄って来る。
しかし穂摘の隣に居る夏堀を確認してから、更科の表情は曇った。
「隣の子、誰?」
他人への警戒心が強い更科が、真っ先に問い質す。
「僕の助手で、夏堀と言う。話を聞くだけだから気にしないでくれ」
「……中学生が助手、って事はその子は何か特殊な力を持っていたりとか?」
「僕と大して変わらない程度に、ね」
穂摘は妖精が見えて、夏堀は極一部の妖精が見える。
嘘は言っていない。
中学生と言われてしまった上に否定すらして貰えなかった夏堀だが、数ヶ月前まで中学生だった事もあってかその点に反論する気は無いようで、軽く会釈をするだけで大人しく口を噤んでいた。
更科も席に着き、軽く飲み物だけ注文してから、穂摘は彼女の目を真剣に見つめる。
その視線に応えるように、更科も用件を切り出し始めた。
「私の恩人の死の詳細を教えて欲しい」
相も変わらず単刀直入な流れ。
だがもう既に一度経験した事であり、戸惑うでもなく穂摘は少しずつ切り崩していく事にする。
「教えて欲しい? よく分からないけど、何か気になる現象が裏にあったって事だろうか」
「……と言うか、その死因の解決に穂摘さんが関与しているはずなんだけど。大型客船の連続死、と言えば分かるかな」
「な、」
それは、穂摘が夏堀と出会う前に受けた依頼だった。
夏堀はきょとんとしているが、驚いた穂摘の反応で彼が理解したと取り、更科は続けた。
「その人はその連続死で最初に死んだ男性クルーで、私にとって大事な人だった。けれど彼は死に、恩も返せないまま終わっちゃってさ。連続死は穂摘さんが止めたようだけど、彼が死ぬ道理が私には分からないしこのままじゃ納得出来ない。それを……知りたい」
穂摘はインターネット上で依頼を受けている事もあり、解決した事案は穂摘自身が宣伝せずとも勝手に話が流れていく事が多い。
いわゆる口コミ、で。
だから彼女がその情報を手に入れている事自体に疑問は無かった。
穂摘がここで驚いたのはその部分ではなく、よりにもよって疑問を残したままの事件をここで彼女に掘り返された事に驚いたのだ。
しかし更科の今回の依頼は、藪蛇に足を突っ込むようなもの。
素直に受けられるわけが無い。
「気持ちは分かる。実はあの事件の真相は未だ分かってなくてね。僕も合間を縫って調べているところだ。けれど、依頼されて動くような内容でも無いんだ。だってそうだろう、現時点で直接的な被害者は居ないんだから……」
「遺族や友人、知人がそれで納得するとでも?」
「それは……」
「犯人が死んだからって解決するわけじゃない。大事な人が死ななくちゃいけなかった理由を知る事も出来ないだなんて……胸糞悪いまま生き続けろってか」
流石にこれに関してはぐぅの音も出なくなってしまった穂摘。
鋭い剣幕の依頼人に圧倒されている穂摘を横目に、おろおろするだけの夏堀はこのタイミングで届いた飲み物を律儀に皆の手元に動かす。
更科は自分の手元に寄せられたコップの縁を人差し指と親指でつまむようになぞり、心を落ち着けるように一旦瞳を閉じてから、また開いた後に話を再開させた。
「死ななきゃいけなかった理由を知りたい、それだけの依頼なのさ。でもこれはきっと貴方しか出来ない仕事だと私は踏んでいる」
少なからずとも穂摘を信用している、そう言うように語尾はやわらげて。
「何故、そう思うんだ?」
「勘」
勘。
あてにならないものが出てきたようだが、決してそれは「理由無きもの」では無い。
ただその感覚を言葉に出来ないから勘と表現するだけであって、勘が働く要因は必ず存在している。
実際に穂摘はあの連続死の事件に一番近い請負人であり、あれが妖精の仕業であった以上、彼とアリア以上の適任者は居ないだろう。
「経費はいくらかかったって構わない。調査結果が真実かどうかはあくまで私が判断するから。私が納得出来る理由なら証拠が無くても……嘘でも、構わないよ」
「え?」
「勿論、穂摘さんが嘘を吐くとは思ってないから言える事なんだけどね」
あの事件の最初の被害者であるクルーには妻が居たはずだが、更科は一体彼の何なのか。
その死を納得したくて自分の心を宥める為の理由を求めているように見える彼女の想いは、傍目に見てもとても深いものだった。
前回同様にこの更科翔と言う人物の人間関係には疑問を抱かされる。
けれどそこを穂摘は掘り下げない。
他人が話さない私事は不必要に踏み込まない。
依頼人に対しても、アリアに対しても。
それは、穂摘自身が自分の事を踏み込まれたくない状態で生きて来たからこそなのかも知れなかった。
自分の分のドリンクを飲み終え、更科は伝票を持って立ち上がる。
「じゃあ私はこれから港に寄って来るから、何か分かったら連絡よろしく」
「港……って言うのは」
「彼は既婚者だったし、流石に見知らぬ女が国外に足を運んで墓参りしに行くわけにもいかないからね。ちょっと海に花を手向けに行くだけ」
既に穂摘達に背中を見せ、摘んだ伝票をひらひらと揺らしながら更科は去って行った。
そこで本当に立ち会うだけで黙りっきりだった夏堀が大きく息を吐き、隣で難しい顔をしている穂摘にぽつりと呟く。
「不倫でもしてたんですかねぇ」
「直球だなぁ」
歯に衣着せずに更科の事情をまとめようとする夏堀に、正直な反応をする穂摘。
不倫をしていたなら「恩人」と言う表現はあまり出てくるものでは無い。
そこは夏堀の考えすぎだとは思うが、ほんのりと恋心くらいはあったのかも知れないな、と穂摘は自分の中で結論付けた。
夏堀はストローに吸い付き、ふっとその唇を離しては宙を見上げ、続いて今日の感想を述べる。
「何て言うか……さっぱりしてそうに見えるのに、中身はそうじゃない、みたいな印象を受けました」
「君もそう思うかい?」
「はい。私が言うのもあれですけれど、個人的にこういう非現実な依頼をしようと思って、それを本当に実行しちゃうような時って、もう既に心の中はいっぱいいっぱいですからね」
「そう、だろうね……」
思うまでなら、タダだ。
思うまでなら、簡単に出来る事だ。
だが、実際に足を踏み出すのはどんな事であろうともそれなりに敷居が存在し、ましてや穂摘が受け付けているような超常現象を「信じて」「金を出して依頼する」事は生半可な気持ちでは出来ないだろう。
企業などがそれを依頼してくるからには、もうどうしようも無い、目を逸らせない現象がそこにあるはずだが、個人の場合は単純に「気のせい」の壁を乗り越えるのが難しい。
夏堀はまだ、気のせいでは片付けられないモノを見てしまったからと言う理由があるが、更科はそうでは無いのに簡単に「こちら側」に来てしまっている。
妖精の存在を見て、知り得ている穂摘だからこそ、そこにある事実が怖かった。
見てもいない妖精を完全に信じて疑わない彼女の、心の在り方が。
ああ言うタイプは、宗教のような形の無い偶像までも妄信してしまいそうだ。
そしてそれはつまり、彼女が「現実を見たくない」人間なのだ、と言う事。
穂摘は心の隅で更科を気に掛けつつ、自分の腹の具合を確認して席を立った。
飲み物を飲まずに置いたままで帰るのか、と夏堀が彼を見上げたが、彼はそのままくるりと対面の席へ回って座り直す。
何の躊躇いも無い動作で穂摘がメニュー表を取った事で、座り直した意図を察した夏堀の目が輝いた。
「何か食べるんですか!」
「少なくとも僕は何か食べたい」
「お、おごりですか!」
「我儘言って付き合わせたのは僕のほうだから、何でもお好きに」
「わぁー!」
半個室だからと言う事もあって、穂摘は今日のところは夏堀と二人で食事をする事を気にはしていない。
再注文を終えたところで、ついでに、と目の前の女子高生にもう一つ仕事を頼む事にした。
軽く喉を潤してから、さり気なくその話題を切り出す。
「そういえば、夏堀さんは紅茶には詳しいのかな」
「え、紅茶ですか? 人並みには飲むと思いますけど……主にペットボトルで」
「それは微妙だ……」
穂摘は実は、紅茶には詳しくなかった。
なので、アリアの気に入る茶葉とポットを買える気がしなくて夏堀に聞いたのである。
更科にオススメの茶葉くらいをさらりと聞いておくべきだったか。
彼女に以前出された紅茶はとても美味しかったのに、依頼内容に驚かされて失念していた。
微妙だ、と言われてしまった夏堀は、何の事だか分からないまま、でも遠まわしに役立たずだと言われているのは分かるわけで。
まだ幼さの残る顔を膨れっ面にして、穂摘をじと目で見やる。
だが、そんな事を気にも留めていない穂摘は一人で考え事をしたまま、
「仕方無い、適当な店で店員に聞いたほうが早そうだ」
「何の事ですか、もー!」
一人で完結させたところに、夏堀が声を荒げた。
「アリアが紅茶のセット一式を欲しいと言い出してね。詳しいなら買ってきて貰おうと思ったんだよ」
「またアリアさん絡みのお買い物ですか……って言うか、アリアさんにもっと服買ってあげてくださいよ」
「え?」
「好きならもうちょっと見た目に気を遣ってあげてください。アリアさんにあんまり服のバリエが無いの、分かってるんですからね」
喉の深いところからせり上がって来た何かに堪え切れず、噴き出して咳き込むのは穂摘。
先程の更科の事同様に、穂摘の人間関係にまで色恋沙汰を組み込んでくる女子高生に、呆れずには居られない。
この年代の女の子は、相応に年を取って落ち着いた人間からしたなら非常に扱い辛い「人種」と言っていいだろう。
届いた食事を目の前にしてもまだ箸をつける気になれなくて、彼はそれよりも先に彼女のさり気ない断定を訂正する。
「僕がいつアリアを好きだなんて言った。服は確かにもう何着か買っておくべきなのは同意するけど」
「好きじゃないんですか!?」
「多分君が言っている意味での好きでは無いと思っているよ」
「多分って事は、自分でもちょっと気になってるんですね!」
「なっていたとしても、だ。その点を君と掘り下げる気は無い」
微妙に正直な穂摘の回答ゆえに、夏堀も流石にそれ以上は閉口してしまう。
だが、夏堀の指摘した部分は確かに穂摘の心に留まり、それを意識させた事は間違いなかった。
そして夏堀と別れ、帰りに茶葉専門店に寄ってアリアの要望に沿いそうな品を店員に見繕って貰っていた穂摘は、その近くの服飾関係の専門店に目を留める。
アリアに買ったのはTシャツが数枚にジーパンが一本、それに籠手を隠す為の羽織物が一着。
確かに少ないような気がする。
そういえば彼女の身の回りの世話は一日一食の食事しかしていなかったが、洗濯はどうしているのか。
服を買い与えただけで、結局それ以上の事は関与していなかった自分に気付く。
まずい、何でこんな事を考えてしまったのだろう。
穂摘はひたすら後悔をした。
住居の事に続いて、気が付いてしまった以上、目を背けられない問題がそこにあるパートⅡ。
本当ならアリアを妖精として扱ってきちんと距離を取りたいのに、彼女はどうしてあんなにも放っておけないのか。
出会った時から、ずっと――
結局何着か適当に服を買って、荷物が増えた穂摘は足早に帰宅した。
まだ日が暮れる前で、アリアがやってくるには少し時間が空いている。
試しに、と買ってきたティーポットで紅茶を淹れ、冷えた部屋の中でその熱さを飲み下しながらテレビの電源を何気なしに入れる。
面白くも何とも無い、土曜の夕方の番組表。
辛うじて一つだけニュースを報道しているチャンネルがあったのでそこをそのまま観る事にした。
だが、しばらくして事故のニュースになったところだった。
彼は画面越しに「とんでもないもの」を目の当たりにしてしまう。
ティーカップを唇へと運んでいた手が、止まる。
穂摘は画面に釘付けになり、そのニュースが終わったところで取り出したのは携帯電話。
電話をかけた先は、上北優。
二回のコールで受話された。
『何だよ、何か用か?』
「今、テレビを観ていたんだけど……妖精が映っていたから思わず」
『はぁー!? そんな事でかけてくんなよ! そんなに俺の声が聞きたいのか! カラオケ行くか!?』
「いや行かない。悪いね、唐突だとは分かっているんだけど……僕は今まで、テレビ越しにまで妖精を見た事が無かったものでつい」
『……あ』
そこで上北は穂摘の言いたい事に気が付いたようで、方向性のおかしな悪態を吐くのを止める。
代わりに、
『前にユリカが教えたと思うが、日本の事件に妖精が関わってる事ってのが多くなってきたのはここ数年の話だ。たまには映る事もある。けどな、特殊な撮影方法でないとお前達人間が写真や映像に妖精を確認する事は出来ない。何故なら、普通の撮影方法には人間の目に対して妖精を見せる術が備わってないからだ』
「って事は僕は勿論、黒崎さんも普段はテレビ越しに妖精を見る事は出来ないのか?」
『見ようがないだろうがよ。でもお前は今、見えたって言ったな。どの番組だ』
「ニュース。土砂崩れの事故現場周辺の映像だよ。二人が生き埋めになったって言う……見えたのは小さくて発光してるやつだった。見間違いにしては妙にきちんと人の形を取っていたから、妖精だろうと」
『ふん……イットの一種か? 分かった、事実確認しておいてやる。あとあれだ』
深く溜め息を吐いた後、上北は少し強めの声色で穂摘に告げた。
『この業界に本気で骨を埋める気が無いんなら、アリァガッドリャフから離れたほうがいいぜ』
「……それはどういう意味で」
『もし本当に見えてなかったものが見え始めてきたのならな。お前が妖精に寄って来てんだよ。分かるか?』
「アリアと居る事で、僕が妖精に近い存在になって来ている、と?」
『そういう事だ。要はな、取り憑かれてんだお前。言ってしまえばユリカも同じだ。俺に取り憑かれてる。そして俺の力に中てられる。だからどんどん見えるものが増えていく』
上北の説明に、穂摘は携帯電話を持つ手が震え始めているのが自分で分かった。
『ユリカも流石にまだ、テレビ越しに妖精を視認なんて出来ねーんじゃねーかな。目で直接見るのとワケが違うからよ。お前はいつから妖精が見えてた?』
「物心ついた時からだから、多分、生まれた時からずっと」
『生まれた時から? じゃあ元々妖精の因子があるのか……にしたって、いくらなんでも今は力が落ちているアリァガッドリャフ程度の影響でそこまでなるものかぁ?』
ふぅむ、と考え込むように呻く上北。
その間が穂摘にはとても長い時間に思えていた。
乾いた喉で唾を飲み、うまく落ちずに詰まる感覚が残る。
『ま、探し物とやらが終わって一般社会で上手く馴染めそうになかったら、きっとユリカが雇ってくれるから安心しろよ』
「ありがとう……」
電話を切り、冷め切った紅茶に手を伸ばす。
動悸は激しく、身体は熱いのに、腕は粟立ち、背筋が凍っている。
取り憑かれている、と言われてしまった。
そのままの意味では無いと思うのだが、妙に惹かれてしまっている自分が居るせいで、そんな事を言われてはこの感情を彼女の力のせいにしてしまいそうになる。
穂摘は口に含んだ紅茶を億劫ながらも飲み下し、そのままもう片方の手で彼女の為に買った服の紙袋にそっと触れた。




