想いは茂みで、魔と戯れる3
それから、カメラと現地へのバスのチケットが届くまでの間、穂摘は上北……ではなく黒崎優理佳と報酬について揉める事になる。
別に必要以上に報酬を求めているわけでは無いが、安くいい様に扱われるのは腑に落ちない。
表情の見えない電話越しでのやり取りであったが、相手がどんな顔をして金銭交渉をしているのか想像しただけで穂摘は彼女が嫌いになりそうであった。
直接会ったのは一度だけだが、あの何食わぬ笑顔が電波の先にあり、その顔がこの酷い金額を提示して来ているのかと思えば無理も無いだろう。
……と、ここまでの穂摘の苦悩から分かる通り、黒崎が提示した金額は相当の額であった。
悪い意味で。
普段穂摘達が受けている「業界格安」の値段でも、退治である場合は最低百万以上。
黒崎の会社ならば、前金込みでその二、三倍はあってもおかしくない。
それにも拘わらず、穂摘達に今回最初分け前として提示された金額は十万ぽっきりだったのだ。
毎度アリアが斬って終わるだけの仕事とは言え、相場を考えると穂摘が食い下がるのも当然の額である。
せめて倍額にして貰い、今回はあくまで「以前の借りを返す」としてその金額で了承したが、次は絶対に断ると穂摘は強く心に決めた。
「限界まで切り詰める企業体質を体現したような女だった……」
「お疲れ様です、穂摘さん」
週末に、届いたバスのチケットを使って穂摘達は目的地に向かう。
この数日の間の苦労、と言う名の愚痴を聞いて、いつもよりも少しだけ華やかな服装をした夏堀が労った。
特に穂摘は服装指定をしなかったが、本人にも色気が無い自覚はあったようでその点を服でカバーしようと努力したのだろう。
だが、肩や胸元が見えていようともミニスカートであろうとも、彼女の色気はやはり皆無に等しかった。
小学生がどんなに着飾っても子供っぽさは払拭出来ないような例が穂摘の脳裏に思い浮かぶ。
ちなみに夏堀は一応高校生なので、その例はとても失礼に違いない。
高校生ならばまだ学生服のほうがいいような気がしたが、妖精には日本の制服萌え文化が通じなさそうなのでそれは提案しないでおく。
一方、耳を隠す為に帽子を深く被ったアリアは、相変わらずと言うかいつも通りシンプルなTシャツにジーパンのラフな格好だ。
露出度の高くなった夏堀の隣で、その籠手を隠す為のドルマンタイプのカーディガンを軽く羽織っていて、トレードマークに近い黒ローブは着ていないがそれ以外は普段通り。
普段通り……目立つ。
THE変質者な黒ローブを着ても、着ていなくても、アリアはやはり目立つのであった。
被害者が複数出ていると言う事はその森の近辺には観光地があると思っていいはずだ。
それを裏付けるかのように行きの道中であるバスの中は、八割がた席が埋まっているだけに気まずい事この上無い。
席割りはアリアを窓際に押しやって、目的地に着くまでは夏堀が体を張って彼女を隠すようにしていた。
そして上北の言う通り、昼過ぎに出発してから三時間程度で現地に着く。
少し入れば山菜などが取れるようなコースに入れる、人の道が出来た森。
バスを降り、人気の無い事を確認したアリアが羽織っていたカーディガンの袖を軽く巻くってから口を開いた。
「私の匂いがついていては、ツバキは囮として使えないかも知れぬ」
「ああ、分かってる」
そこで穂摘がバッグから取り出したるは、スプレー式の無香消臭剤。
目を見開いた夏堀に、容赦無く穂摘が吹き付けていく。
人類の発明品の登場によって為す術も無く消えていく妖精の匂い。
「焼肉屋さんとかで確かに吹き付けますけど! 何か凄く嫌です!」
「人間の消臭剤は本当に凄いな! 一気に私の匂いが薄れたぞっ」
どうやら妖精の臭いは本当に「臭い」らしい。
水で消えてしまうくらいなのだから、犬くらいならばそれを嗅ぐ事が出来るのか。
鼻を夏堀に向けて満足そうに確かめているアリアはさておいて、穂摘は口頭で夏堀に向けて再確認するように伝える。
「今回は夏堀さんに囮になって貰う関係で、僕とアリアは少し離れた位置から見守る事になる。対象が現れた場合はすぐにアリアが対処をするはずだが、万が一の場合は何よりも自分を優先してくれ」
真剣な声色で話す穂摘を見て、夏堀は黙って頷いた。
ただ今回の襲われる内容は、身の危険には違いないが少し方向性が違う。
すぐに事が済むものでも無い為、アリアの対処が間に合わない可能性は低い。
ぴちん、と頬を自ら叩いて奮起する夏堀。
「行って来ます」と言い残し、彼女は踏み均されて草の少なくなった道を進んで行った。
見送っていた穂摘とアリアも、彼女が見えなくなる直前くらいで動き始める。
「これくらい離れれば気付かれないのか?」
歩みを進めながら穂摘が問うと、
「そんなわけが無かろう。近づけば私達の気配は間違いなく勘付かれる」
「意味が無いじゃないか」
「だからこれを使うのだ」
そう言ってアリアは、ばっと右手を振るった。
すると、何も無い所から取り出されたのは普段アリアが身に着けている黒いローブであった。
彼女はそれを穂摘に軽く羽織らせてから、穂摘の横に潜り込んで共にローブの中に入る。
問答無用で接近された穂摘は勿論驚く。
が、理由も把握出来ているだけに抵抗はしない。
「このローブはもしかして、気配を消すみたいな力があるのか」
「この中は私の作る『空間』だ。臭いや気配ならば遮る事が出来る。勿論、これで妖精相手に不可視になるわけでは無いがな」
今まで度々アリアの位置が察知出来なくなっていたのはこのローブの性質が要因だったらしい。
穂摘との至近距離を気にした風も無く、アリアは夏堀の後を着けて行った。
密着しているには違いないが、こうも意識されていないと男の心情としては暑いはずなのに頭から腹の底まで冷えていく。
ただこれだと穂摘はアリアが自由に動く障害になっている状態でもあり、すぐにそれに気がついて渋い顔をする。
この様な状態で、夏堀が襲われた際にすぐ駆けつける事が出来るのか。
今回は事情が事情だけに気に掛かる。
「もし妖精の騎士を見つけたら、僕は適当に放っていいからな」
「当然だ!」
「だよな……」
元気良く帰って来た返事に、それは杞憂であると再確認させられたのであった。
一方、夏堀は一人で何となく山道を歩き続けていた。
木漏れ日は弱く、もうしばらくで日も落ちることだろう。
そう言えば緑の歯を目撃してしまったのもこれくらいの時間帯だった、と彼女は初めて見た化け物の存在を思い返す。
髪から肌、歯までもが苔色の醜い老婆。
相手から接触して来ようとするのならば、今回の妖精は見る事が出来るのだろうか。
見えるとすれば、それはどんなに恐ろしい容姿をしているのか。
悲鳴をあげるまではいいとしても失神などしないようにしなくては、と夏堀は心を強く持った。
そしてふと、ただ歩き続けるのも不審か、と指示もされていないのに山菜を採るふりをしてみる。
ちなみに夏堀は山菜など見分けられず、採ったワラビっぽい何かを荷物に入れるわけでもなく手でもてあそばせるだけで、これでは逆に「何をしに来たのだ」状態の山ガールだった。
それどころか服装は露出部分が多く、山を舐めきっているとしか思えない似非山ガールなのだが……
自分の後ろから見守っているはずのアリア達の気配が感じられずに不安を覚えているものの、彼女達が自分に気付ける程度の気配を感じさせていては意味が無い事も分かっているので、それを言い聞かせるように夏堀は脳内で復唱する。
アリア達は居ないのではない、うまく隠れているのだ、と。
危ない役割を引き受けてしまったと言う自覚はあった。
けれど、全く知識の無い夏堀でもアリアが妖精として別格なのは分かる。
だから大丈夫。
この少し高かった指輪もあるのだから。
暗くなってきて活動を活発にし始めた小虫を払いながら、その指に填まっている物の輝きを確かめた。
役割が終わったら指輪は貰ってもいいのかな。
サイズの関係もあるし、無理に没収される事も無いよね。
そんな事を考えて一瞬夏堀の注意が削がれた時だった。
その次の一歩を踏み出した途端に、周囲の風景が変わった。
先程までの鬱蒼と茂った宵の森ではなく、見晴らしの良い野原になる。
美しい花々が咲き乱れるその頭上で、暮れの空は薄藍から紺青への綺麗なグラデーションを描いて夏堀の目の前に大きく広がっており、そこにぽつんと自分一人だけが取り残されたような何と言い様も無い不安感が彼女の胸を押し潰す。
こんなに広くて綺麗な自然の景色なのに、それが酷く恐ろしい。
何故ならそれは、これが「有り得ない」景色だからだ。
突然開けた視界に、脳が追い付かない。
太陽は沈み、空は薄暗いけれど、野原はまるで絵本の中に出てくるお姫様を包み込む花畑。
時間的に閉じ掛けているその花達は、おとぎの国に迷い込んだ少女を眠りに誘う。
いっしょに、ねむろう。
揺れる花が、そう言っている気がする。
しかしその美しい世界に迷い込んだ少女の手にはワラビに良く似た山菜が握られていて、眠れる少女になるには少し躊躇われた。
絵本として描いて貰うにはあまりにも滑稽だ。
「こ、ここは……」
花の匂いにくらくらしてきた頭で、それでもどうにか意識を保ち、自分の状況を把握するように声を絞り出す。
もしここが急に別の世界になってしまったのだとしたら、アリア達はきちんと来られるのだろうか。
震える肩を自分で抱き締め、広い周囲を見渡した。
そこで夏堀は、一つの影を見つけた。
野原の草花に腰まで隠れていて分かり難いが、どうも石か切り株かに腰を掛けていると思わしき人のような影。
この突然開けた空間に、誰かが居る。
と言う事は、この人影が妖精の騎士かも知れない。
夏堀はその人影から目を離さずに、警戒態勢を取った。
するとその者はゆっくりとその顔を夏堀の方へと向ける。
暗いが、その身に薄っすらと輝く鎧は金属。
金属が苦手な妖精、では無いらしい。
そして何よりも……夏堀は想像していたものとは違う妖精の姿に、思わず声をあげてしまっていた。
「い、イケメン!」
金髪碧眼、容姿端麗、すらりと整った目鼻立ちは西洋人のそれ。
緑の歯があんなに人間離れした外見をしていたのに、妖精の騎士は絶世の美男であった。
と言うか、この男が妖精の騎士で本当に間違いないのか。
いきなり周囲の景色が変わり、そこに居る鎧の男……とまで来たなら妖精の騎士以外に有り得ないだろう。
憶測でしか無いが、間違いなく。
第一声が褒め言葉だった夏堀に対し、その鎧の男は優しく微笑んだ。
褒められたからか、それとも夏堀を気に入ったのかは、定かでは無いが。
そしてすっと立ち上がり、彼は夏堀に低く響きつつも棘の無い柔らかな声色で言った。
「私の物になるか、金目の物を出すか、どちらがいい?」
本当にその妖精の口から紡がれた言葉なのか、夏堀は数秒戸惑い、固まる。
少しずつ脳がその内容に追いついてきて、彼女の足が一歩下がり、
「やっ……」
「や?」
「ヤクザだーーーーーー!!!!」
どんな見た目であろうとも、言っている事は恐喝に等しい。
印象そのままに夏堀は叫び、どちらの方角が元居た森かも分からない不思議な野原を猛ダッシュで駆け出した。
 




