想いは茂みで、魔と戯れる2
翌日。
その日の晩も穂摘はいつもの様にアリアと夕食を食べ、届いた多数の依頼の仕分けに取り掛かる。
一通りの仕分けを終えてから、穂摘の携帯電話が震えた。
画面に映し出された名前は「上北優」。
すぐに受話する穂摘。
「もしもし」
『よぉ、ちょっと受けて欲しい依頼があるんだ』
「構わないけど、もし出来るなら山沿いがいい」
『はっ?』
いきなり自分の都合を言葉足らずに押し付けてくる穂摘に、上北が呆気に取られた様な声を上げる。
アリアは穂摘の横で笑いを噛み殺しながら、そっと耳当て帽子を脱いで穂摘の側で聞き耳を立て始めた。
『お、お前に断る権利なんて無ぇんだよ!』
「断るつもりなんて無いさ。出来たら山に赴くような依頼を回して欲しいって言うだけで」
『選ぶ権利も無ぇ! いいから黙って俺の話を聞け!!』
上北の怒声に穂摘は携帯電話のスピーカー部分から耳を離し、面倒なのでオンフックに切り替えて話を聞く姿勢を整える。
『……あー良かったな。幸い今回そっちに回したい依頼は山だよ。お前んとこから三時間程度で着く山奥、森の中だ』
「妖精が住み着くのは森などが多いからな。わざわざ私に回すような案件ならば、街中の家屋に住み着くような大人しい妖精では無いだろう」
『何だ、アリァガッドリャフもそこに居るのか』
「うむ」
『なら話は早い。今回のターゲットは恐らく妖精の騎士の一種だ。俺じゃあ誘き出せそうに無い』
「妖精の騎士か……私も無理だと思うのだが」
『この前連れてた子供を使えよ。どう見てもアレはまだ処女だろ』
何だか不穏な会話をし始めるアリアと上北に、穂摘の心拍数が上がる。
処女? 何を言っているんだ。
いや、本当は分かりたくはないが穂摘は分かってしまっていた。
この話の流れはどう考えても、夏堀椿を餌にしてその妖精を誘き出そうと言うものだ。
しかもおそらく……処女でなければ釣れない妖精。
この二人が自分達では無理だと言うのは、人間ではなく妖精だから無理なのか。
それとも既に非処女だから無理なのか。
複雑な心境に、穂摘の眼鏡の奥ではその瞼が細められる。
そんな彼をよそに、上北の提案に憤慨するのはアリア。
「何を言う! ツバキをそんな目に遭わせられるものか!」
『護ってやればいいだけの話だろ、先、輩』
「むぅ……それは、そうなのだが、いくらなんでも私の差し金でも無い妖精に襲わせるなど」
『自分の差し金で襲わせるのはアリなのかよ』
「それはその、最低限のあ、安全は保障出来るではないか……」
過去にやってしまった自分の行いを微妙に肯定しつつも、心の奥底では悔いているのか、しどろもどろになりながらアリアが答える。
『拒否する権利は無いぜ、この前の貸しがあるからな。別に囮を使う必要は無い、退治出来るなら何でも。あ、今回もちゃんと証拠は寄越せよ。エシルとバスのチケットは手配しておくから』
問答無用で上北が言いたい事を言い、電話を切られそうな雰囲気になったところを引き止めたのは穂摘。
「エシル?」
バスのチケットと並ぶような単語とは思えないのだが、何を指しての言葉なのか。
上北はたまに日本語では無い言葉を使うのでその類かと思ったのだが、
『やべ……』
「何がどうやばいんだよ」
上北のハスキーな声が震え、電話越しながらも彼女の焦りが伝わって来る。
穂摘には理解出来ず、問いかけの答えも返って来ないまま沈黙が続き、呆れ顔でアリアがそれを破った。
「エシルとは私達の言葉でカメラと言うのだよ、アラタ」
「ああ、そうなのか」
『そ、そういう事だ! 誤解すんなよ!? じゃあな!』
そう言って上北は一方的に電話を切った。
きっと後日カメラとチケットが送りつけられて来るのだろう。
電話が切れた後に、アリアがまず先程の会話の訂正をする。
「すまぬ、先程の説明は嘘だ。ラウファーダが哀れだったので誤魔化してやったに過ぎぬ」
「嘘? どれが?」
「カメラの事だ」
「……えーっと」
「エシルとはカメラの事では無い。先日のカメラの中に居た妖精の固有名なのだ。知らないふりをしてやるといい」
「そういう事か、分かったよ」
上北の口の軽さに他人事ながらも心配になりつつ、穂摘は次の心配事を聞く為にアリアの目を見る。
「……会話の端々からある程度は推測出来たんだが、やる気なのか?」
それは、今回の仕事の件。
「気が乗らぬ。だが致し方あるまい。既に妖精の騎士だと分かっているのなら、何人か被害者が居るのは確実だ。捨て置けぬよ」
「被害者ってその……」
「女として襲われた、と言う事だ。妖精の騎士は元を辿れば人間であった妖精。特に人間の生娘を好む」
想像通りの答えに、更に穂摘の表情が引きつった。
と言うかいくらなんでも夏堀が囮の役割を了承するかどうかも不確かである。
女子高生になりたての彼女にそんな役目を負わせるのも心苦しい。
どうしたものか。
自分が女装でもするか。
いや、騙せる気がしない。
大体において処女と非処女を見分けられるようなとんでもない妖精が、男女を見間違えるはずが無いだろう。
頭を抱えた穂摘に、先程までよりも少しトーンが明るくなったアリアの声が降ってきた。
「アラタ、ツバキに金の指輪を与えてやってくれぬか」
「金の、指輪……?」
「うむ、左の小指がいい。それさえあれば、妖精の騎士から身を護れる可能性は高くなる。勿論、誘き出した上で、な」
「分かった。用意しよう」
とは言え、用意するにしてもまずは夏堀の承諾を得てからになるのだが……
次の日。
穂摘は夏堀にメールをした。
勿論、小指のサイズを聞く為だ。
だがその返答は「わっ、分かりませんよ! 測ったことないですし!」と言うもの。
返事が来たところですぐに電話を掛けて昨晩の事を伝えると、電話越しでも分かるほどいつも通りのわちゃわちゃしたリアクションをこなした後、彼女は承諾してくれた。
『その指輪があれば大丈夫だってアリアさんが言ったなら構いません』
自力でストーカーを探そうとしていた事があるくらいだ、元々肝は据わっているほうなのかも知れない。
夏堀のその強さに甘えさせて貰おうとした時だった。
穂摘の耳に、明るく、それでいて有無を言わせない声色が届く。
『時給はいつもより多めですよね!』
……彼女は本当にどこまでも強かだった。
定時で仕事を切り上げた穂摘は、今日はレストランのアルバイトが無いと言う夏堀を呼び出して、先日の大型商業施設……ではなくそれよりも小さめ、市内では中型に値する商業施設に行く。
そこにテナントとして入っていたジュエリーショップに、放っておくと施設内を自由に歩き出しそうな夏堀を問答無用で連れて行き、指のサイズを測らせる。
戸惑いながらもリングゲージに右の小指を通そうとする夏堀に、穂摘が思い出した事を一つ伝えた。
「左」
「えっ?」
「アリアが、左と指定していた気がする」
「そうなんですか? 左のピンキーリングって恋人募集中みたいな意味だったと思うんですけれど」
「君が募集する分には問題無いんじゃないか?」
我ながら失礼な切り返しだと穂摘は思っていたのだが、夏堀はと言うとむしろ納得した様でその表情は穏やかだ。
「それもそうかも知れません……実際募集したいところですし」
「最近の子供はマセてるなぁ」
「私一応女子高生ですから! 夏休みまでに彼氏を作れるかどうかが第一関門なんですよ!」
「それは知らなかった……」
だが、彼氏を作るにしても夏堀は見るからに「そういうタイプ」では無いように穂摘には思えてならなかった。
と言うのも彼女は完全に、女ではなく女の子。
可愛いには可愛いが、男が告白して付き合いたいようなそういう雰囲気は持ち合わせていないのである。
直球を放つならそう、盛り時の男子学生が押し倒したくなる色気が無い。
大人視点ではその魅力が倍増するはずの「学生服」を夏堀は今も着ているが、どこまでも可愛らしいだけの女の子であり、そういう気分を誘わない。
妖精の騎士は処女ならばこんな子供でも問題無いのか、と今回の囮作戦に穂摘が疑問を抱き始めたところで、幼さを残す少女の声によって現実に引き戻される。
「穂摘さん、金ならどれを選んでもいいんですか?」
「多分」
「ピンクゴールドは駄目ですか?」
「それで君の身が安全かどうかは保障出来ない」
「ピンキーリングで普通のゴールドなんてほとんど無いですよ」
夏堀がぶぅ、と唇を尖らせるのでそこでようやく穂摘もショーケースの中を覗いた。
前情報を仕入れて指輪の種類が多い店を選んだだけあって、ピンキーリングのみならずファランジリングなどもそれなりの数が置いてあり、ぱっと見た感じでは品揃えは豊富である。
だが確かに金のピンキーリングはホワイトやイエローなどのカラーゴールドが大半で、普通のゴールドとなると選択肢は一気に減っている。
それどころか、その条件で絞ると一つしかこの店には無かった。
「別に山の中でたった一日着けるだけなんだから、それでいいよ」
「穂摘さんが選んだそれがピンキーリングの中で一番高いんですけれど、分かってます?」
「金に糸目をつける気は無いさ」
「お金持ちですね……」
妖精退治の仕事では、その指輪の値段とは桁が違う報酬が入って来るのだから糸目をつける気も無くなるだろう。
その場にある物とサイズが合ったので現物をそのまま購入した二人は、他に寄り道をするでも無く帰り始める。
世間体を気にする穂摘は、女子高生に指輪を買っている現場を誰か知人に見られていないかと周囲を見回しながら歩いていて、夏堀がそんな彼を見上げながら問う。
「どうしてそんなに周囲を気にしているんですか? 前もそうだった気がするんですけれど」
「どうしてってそりゃあ僕はもういい年で、明らかに血が繋がっていない君と並んで歩くには気まずいんだ。知人に見つかって話が広まってみろ。面白おかしくいじられるのが目に見えている。しかも言い訳しようにも説明が難しい関係だしね、僕と夏堀さんは」
夏堀は人差し指をあごに当てて考え込んだ様子を見せ、そしてその末の結論を言い放った。
「穂摘さんって周囲を気にしなきゃいけないほど知人が居るんですか?」
「さらっと失礼な発言が飛び出してないかな。さっきの仕返しなら甘んじて受け入れるけど」
「仕返しなんてしませんよ。ほら、アリアさんと居るところ以外見た事無いなぁって」
「ああ、それは間違いない。アリアが来てから妖精退治が忙しくて、誘いを全部断ってるから付き合いは激減してるんだ」
穂摘はその能力故に、決して自分から積極的に人付き合いをする性格では無い。
ただ、誘われたものを無下に断るほど付き合いを拒絶していたわけでも無かった。
夏堀に関しては自衛しているだけであり、同性の知人とはそれなりに交流している。
ただしアリアが来てからはそれも途絶え、きっと穂摘は周囲から「彼女が出来た途端に付き合いの悪くなった男」として見られているのであろう。
「アリアさんの優先順位、面白いくらいに高いんですねぇ」
「ッッごふっ」
その一言で雇い主を動揺させた後、夏堀は先程購入したばかりのピンキーリングを箱から取り出し始めていた。
包装を丁寧に外して折り畳み、まるでそれを取っておくつもりかの様にポケットへ仕舞う。
その後、リングケースのかぽっという音が二人の間に響く。
「これが妖精の脅威から身を護ってくれるだなんて、不思議な感じです」
「……元々妖精の中には金属を怖がったりする存在も多く居るみたいだしね」
「アリアさんはむしろ金属がお友達みたいに見えますよ?」
「確かに」
妖精の伝承は数多いが、同じ存在を指していながらも内容が重ならない事が多々ある。
それは妖精に限らず、神、天使や悪魔と言った非現実的な存在全てに言える事なのだが。
見えないのだからあやふやになるのも分かるが、実際に見えて、対処する事になっている穂摘からすればその情報の錯綜ぶりは迷惑でしかない。
どの説を信じたらいいのか分からず、結局「実物」であるアリアに確認するしか無い現状。
「アリアは何の妖精なんだろうなぁ」
「そういえば以前、真名を明かしてくれないからよく知らないみたいな事言ってましたね」
穂摘の答えを求めているようで求めていない呟きに、彼の表情をひょいと覗き込むような仕草で夏堀が見上げ、言う。
「上北さん、でしたっけ。あの人が呼んでいたのは本当の名前じゃないんですか?」
「ああ。あれはアリアの通り名だよ」
エシルと言うカメラの中の妖精の件で上北が慌てたように、妖精はその固有名をあまり人間に明かしたがらない。
アリァガッドリャフと言う名前は通称であり、彼女には別の名前がきちんとある。
人間に呼ばせない、本当の名が。
「となると、アリアさんが上北さんの事を呼んでいた名前も、通称でしょうか」
「おそらく。妖精の真名は誓約などの際に使う……人間で言う実印や運転免許証みたいなものなんだ。人間に明かしたらトラブルの元になるからね、斬るつもりも無い相手の本当の名前を軽々しく口にするとは思えない」
仲間の名前をさらっと口にした間抜けな妖精も、居るには居るのだが。
「なるほど~」
穂摘の説明に納得した女子高生の指に、金色の細い指輪が光る。
これが単なる魔除けの意味合いなのであれば囮として意味が無くなる為、そうでは無いはずの装飾品。
夏堀を心配していたアリアの案なのだから心配は無用だと思ってはいるが……
「当日、頼むから付け忘れたなんて事は言わないでくれよ」
その胸中を隠すように軽口を叩いた穂摘に、雇われの身の少女は左手を右手で優しく包むように胸元に寄せ、にっこりと笑って頷いた。




