踏み躙られた蹄に、女が嗤う6
メイヴカンパニーの助力もあり、事件自体は問題無く隠蔽される。
隠蔽と言うと問題があるような気がしないでも無いが、人間の仕業では無い以上彼らが法によって裁かれる事は無く、そして既に存在は消滅させられているのだから、隠蔽こそが最善なのだ。
本来表には出てこない部署によって解決された今回の事件。
被害者の遺体がどういう風に処理されて遺族の元へと帰ったのかなど、詳しい事は穂摘には知る由も無い。
だが少なくとも表向きでは、彼らは『山で滑落死』と言う事になっており、それは穂摘と更科の耳にも届いていた。
「勝手なものさ。人を疑っておいて何の謝罪も無いままなんだ、警察は」
事件が解決してから最初の週末。
そう文句を言うのは更科だった。
相変わらず悪い目つきで自室にあるウォールシェルフをぼんやりと眺めて、高そうな器に注がれた宝石の色のような茶を啜っている。
警察側からは説明されないであろう真実を伝えに来た穂摘は、ここで相手の求める相槌を適当に打つべきか悩んだが最終的に黙って話を聞く事を選んだ。
しばしの沈黙の後、また更科の声が響く。
「何はともあれ、ありがとう。報酬は現金で用意してある。遠慮無く持って行ってよ」
犯人は妖精として片がついた。
その犯人もアリアが斬り、仲間の仇は取れた。
失った者達はもう戻らないのだから、更科からすればこれ以上望む事は無いのだろう。
話はあっさりと、それで終わった。
行きよりも少し重くなった荷物にやや不安を感じつつ、穂摘は帰りの電車を待っていた。
結果報告は長々としなくてはいけないかと思っていたが、更科の飲み込みは早く、穂摘は逆に拍子抜けしている。
夏堀のように実際に妖精を見たわけではなく耳で聞いていただけなのだから半信半疑なところがあっても不思議では無いのだが、依頼をしてくる時点で依頼主は比較的そのテの話を信じる類である事は確かなので、彼女もそうだったと言う事だろう。
隣県から戻って来た後、持ったままでは不安の残る大金を銀行に預け、寄り道する事も無く帰宅する。
何も無ければアリアの下着を買いに行きたかったこの週末だが今週はそんな時間など取れずに終わり、あっという間に日は暮れ、雨の降りそうな気配と共に毎晩の訪問者であるアリアが穂摘の部屋を訪ねてきた。
更に今夜の彼女にはツレが居た。
「……いらっしゃい」
もはや「何故君がここに居る」と聞く気も起こらなかった穂摘。
夏堀は聞かれなかった事が逆に引っ掛かったようで、自らその理由を述べる。
「アリアさんが一緒に行こうって呼んでくれて、でも多分穂摘さんの許可を貰ってないと思ったんで最初は断ったんです……けれど無理でした。アリアさんって凄い力なんですもん」
「夏堀さんには以前きちんと伝えたし、その上でまた僕の困る事をしようとするとは思えないからね。そんな事だろうと思ったからもう何も聞かなかったんだ」
「凄いですね、穂摘さん。普通はそれでも聞きますよ」
「色々と諦めているんだよ」
何とも悲しい話である。
女子高生を部屋に上げるだなんてとんでもない、と拒絶していた穂摘だったが、一度上げてしまえばその後の抵抗は然程無い。
先日同様に段取りよく食器を出し始めたところで、夏堀が手に持っていたビニール袋をキッチンにどさりと置いた。
もしかして食材か、と穂摘が察すると、予想通りの言葉と予想外の提案が夏堀からなされる。
「突然お邪魔して申し訳ないと思ったんで、今夜は材料買って来ました。私が作りますよ」
「そうなのだ、いつも鍋じゃあ飽きるだろうとツバキが気を利かせてくれてな!」
「……え、う」
他人に自分の台所に立たれると言うのは結構気になるものだ。
遠慮無く棚を開け始める夏堀に対し、文句を言いたいが言うべきでも無い、と穂摘の中で葛藤が始まった。
落ち着かなくてキッチン横に立ったままの穂摘を尻目に、夏堀は自分で持ち込んだ食材をあっという間に調理してしまう。
高校生に成り立てで既にアルバイトをしている事から、金銭的に余裕が無い家庭、つまり親の手伝いなども強制的にさせられている可能性は十分ある。
三十分程度で、穂摘家の夕食にかなり久しぶりに鍋以外の料理が上がった。
アリアが目を輝かせて問う。
「これは何と言う料理なのだ?」
「アリアさんはお野菜がいいって言っていたので、サラダうどんと茄子の煮浸しと南瓜の揚げ焼きです」
「……肉が、無い」
「アリアさんが嫌がったんですよ」
そう、穂摘がいつも夕食に鍋ばかり作っているのは、穂摘とアリアの食の好みが全く違うからである。
アリアは肉をほぼ食べてくれない、そして穂摘は肉が食べたい。
更に不満が穂摘の中から湧き出るが、穂摘は決して野菜が嫌いと言うわけでも無いのでこの場は諦めて食卓に着く事にした。
作って貰って文句を言うのはナンセンスだ。
いつも食べている鍋とは真逆で夏らしいメニューだなと思いつつ、全員で食前の挨拶をした後に箸を取る。
他人の台所と言う事もあってか特殊な調味料を必要としないシンプルな料理ばかりだが、基本を押さえているようで純粋に美味しいと穂摘には思えた。
アリアは喜びを言葉に表して食べていたが穂摘は特にその感想を夏堀に伝える事は無く、けれど残さずに平らげられた皿を見て、調理した女子高生は嬉しそうに微笑んでいた。
食後の腹も落ち着いたところで、雨が窓を叩く音が聞こえ始める。
夏堀は特にそれを気にした様子も無く、きっと傘は持って来てあるのだろう。
雨音をBGM代わりにして皆が卓を囲み、気を抜いている中、話を切り出したのはアリア。
「吸血妖精から聞いた事をお前達に伝えようと思っていたのだ」
「用も無いのに夏堀さんを無理矢理連れて来るとは思えないからな。そんな事だろうと思っていたよ」
「え、そうなんですか!?」
驚く夏堀にその辺りの補足はする事無く、アリアは自分の話したい事を進める。
「結論から言って、吸血妖精は比較的最近あの地に連れて来られたらしい」
「以前から居たなら以前からあの地域で被害が出ていてもおかしくないもんな」
「その通り。そして、それ以前に土を見たのはどうやら別の山だったそうなのだ」
「山って、随分またざっくりな」
日本は山が多いと言うのに、その情報だけで探すにはまだ無理があった。
「しかし少なくともこの島国において、人里を探す必要は無くなったと言うわけなのだ」
「山、ですか……何度もお出かけしたと思うんですけれど、うーん」
これらの情報を考慮すると、夏堀がその目的の石に触れた事があるのも山での可能性が出てくる。
その石が動いていなければ、の話だが。
記憶を掘り返している夏堀の仕草を見て、彼女がここで考え込む理由が見つからない穂摘が一瞬だけ訝しげに眼鏡下の目を細めた。
「ああそういえば忘れておった。実はツバキは私の石と接触している可能性があるのだよ。だから考えて貰っておる」
「な、何だって?」
「って、えええ! アリアさんまだ伝えてくれていなかったんですか!?」
「すまんすまん」
あれを伝えていないと、夏堀の借金は残ったままだ。
夏堀的には死活問題だ。
アリアはそこでようやく穂摘に、夏堀を拾い上げた理由の説明をする。
その裏で、どう画策していたのかも。
説明の最中、ついに穂摘はテーブルに肘をついて頭を抱えてしまっていたが、それに関して周囲が深く追求する事は無かった。
働く必要が本来無かった女子高生を働かせてしまっていた穂摘は、アリアの予想通りまず謝罪をする。
「夏堀さん……その、本当に申し訳ない」
心から悔やんでいるように、でも合わす顔も無い心境なのかも知れない。
彼は真っ直ぐと夏堀を見る事が出来ていない。
「いえ、大丈夫です。まだそんなにお仕事する前でしたし」
「借金は無いんだから今までの給料は普通に支払わせて貰うよ」
「あっ、それなんですけど」
そこで夏堀はこほん、と咳払いをしてから、
「折角なんでこのまま雇って貰ったら駄目ですか?」
「……基本的に仕事は無いよ?」
「時給は高いですし、ちょこっと用事を申し付けられるだけでも十分私にはメリットがありますから」
「確かにそうかも知れないけれど……」
借金さえなければ、穂摘の下で働く事はかなり美味しいアルバイトである。
穂摘とアリアとしても、迷惑を掛けた上に別途彼女に情報を求めるのは心苦しい。
このように一緒に居る機会を作り情報を共有し、その流れで彼女の心当たりを聞くほうが良さそうだった。
だが、それは今後もこの怪奇現象の傍に居ると言う事になる。
場合によっては死を伴う可能性のある存在の傍に。
借金は無いのに、金を稼ぐと言う理由だけでこの仕事を続けるのはいかがなものか。
アリアが居るならば、穂摘も夏堀も危険は最小限に抑えられるとは思うが……
悩む穂摘に、アリアが後押しをする。
「ツバキが心配か? 大丈夫だ。私の匂いが日ごろからついている者は、加害者になる事はあっても被害者になる事はそう無い。先日の緑の歯は私の差し金だからな」
「何だそのマーキングみたいな言い様……」
「事実、マーキングだぞアラタ。弱き者は強き者を避けて通る。身を守りたいのなら当然の事よ……ところでアラタ」
「ん?」
「今回の依頼人への嫌疑は晴れたのだったな?」
「ああ、そうだけど」
「そうか……人間の理は度し難いものだ」
渋い顔をしながら、アリアはおもむろにテレビのリモコンを手に取ると電源を点けてチャンネルを回している。
雨音に邪魔されてよく聞こえぬテレビの音量を、少しだけ大きくして。
まだ納得のいかない事でもあるのか、それを頭から追い出したいのかのようにバラエティ番組を出すと、そのまま楽しくなさそうに見つめていた。
普段の彼女ならばそれは存分に楽しんで観るはずのものなのだが。
「今回の件は確かに面倒だったと僕も思う。妖精が犯人である以上、普通の部署の捜査では本当の犯人は捕まえられないんだから」
「そうですよね、見えないのに干渉はされるって、何だか凄く理不尽さを感じます」
「正確には、干渉しようとしてくる時には見えているんだけどね」
「あ、そっか」
害を為す際には見えている、と言う点ではそういえば幽霊のイメージもどちらかと言えば似たようなものだな、と思いながら穂摘が飲み物でも出そうと席を立った時である。
穂摘の中にある情報とは矛盾する言葉が、アリアの口から紡がれた。
「実行犯が妖精では、その先の犯人には繋げられない……認識が薄い存在をこうも上手く使われると、恐ろしく感じるものだな」
穂摘同様に夏堀も彼女の言葉がよく分からなかったようで、ごく自然に問い返す。
「どういう事です?」
実行犯が妖精?
その先の犯人?
立ち上がったのにそこから動けなくなった穂摘を見て、アリアは夏堀ではなく彼の目を見て言い放った。
「言ったであろう。吸血妖精は元々あの地に居たのでは無い、と。更に本来は森で対象を待ち受ける類の妖精だ。根付いていたのは森だったにも拘わらず男達は公園で襲われたのだとすれば、あの者達の性質を知った上で何者かが介入したとしか思えぬ」
「どんな性質だったんですか、今回退治した妖精さんって」
ほとんど蚊帳の外だった夏堀は、小首を傾げてその根本部分を尋ねた。
「簡単に言うと、男を誘惑してその相手を襲うのだ」
「って事は、引っ掛かるのは男性なんですね。しかも多分、穂摘さんとは違うタイプの!」
「うむ、そうなるぞ」
女性である夏堀にとっては害の無い妖精なせいか、然程怖がる様子も見せずにアリアと話す彼女。
穂摘の場合は、男性であるからその妖精の真実に戦慄を覚え……ているわけでは無かった。
アリアの放った事実は、今回の『妖精による事件』が、ただ妖精の害だったわけでは無い事を示している。
妖精を使う誰かが、そこに居た事を。
では、誰がそんな事をしたのか。
妖精が憑いている物は多種多様だが、その一見すると呪いでも掛かっているかのような『妖精憑きのアイテム』を購入などで手元に寄せ、被害者達が襲われる事を望んだ誰かが居る事になる。
いや、その誰かが妖精達とは会話が出来ないとすれば、今回の被害者は本来のターゲットでは無かったのかも知れない為、真犯人を探す事はかなり困難だ。
元々妖精が憑いていたアイテムを購入した人間を割り出せば可能だが、穂摘には流石にその様な伝手は無い。
ただ……妖精が憑いている物は質の高いアンティーク品が多く、少なくとも多少なり金銭に余裕のある人間の可能性が高いのだが。
机に手をついたまま微動だにしなくなっている穂摘に気付いた夏堀が、彼の顔を見る。
「穂摘さん?」
「ツバキ、気にしなくていい」
アリアは全てを解った上で、こう一言、告げた。
「アラタは今、人の闇に打ち震えているところなのだ」
【第三話 踏み躙られた蹄に、女が嗤う 完】




