踏み躙られた蹄に、女が嗤う3
食事が済み、アリアと夏堀は前置き通り二人揃って帰された。
「もう夜も遅い。家まで送って行ってやろう」
穂摘の住むマンションの前で別れようとした時、アリアがそんな事を言う。
今の彼女は右腕に黒いローブを掛ける事で籠手を隠しているが、他の衣服は人間のTシャツにジーパン、そして長耳を隠す帽子。
人間に可視させている状態だ。
その状態ではむしろ夏堀よりもアリアのほうが異性に狙われやすいと夏堀は伝えたのだが、
「狙われたところで私に手出しが出来る一般人などおらぬよ」
「それもそうですね。じゃあ、お願いします」
そうして、二人は夜道を並んで歩いた。
しばらくは話題も無く、緩やかに流れる景色に視線をやっていたが、ふと、アリアが口を開く。
「……私は、ツバキが好きだ」
「えっ? ななな何で急に思いの丈を打ち明ける流れになったんですか!?」
同性で異種族とは言え、こうして人間と同じような格好をしてしまえば、アリアの美しさは目を惹く。
夏には違和感のある耳当て帽子さえなければ、更に魅力的な事だろう。
何度か見た彼女の裸体の記憶が、しなりとした物腰で気持ちを伝えて来る目の前の存在と重なり、夏堀は必要以上に意識して慌てた。
けれど、
「……だから私は、お主にきちんと打ち明けようと思う」
唐突に告白された夏堀だったが、どうやらそれは「夏堀を気に入り、心を許した」と言う意味だったようだ。
まだ穂摘からはアリアの服に関する事しか仕事をさせられていない、信頼も信用もされていない自分が少しだけ二人に近づけるような気がして……夏堀は真剣に耳を傾ける。
気付けば、二人の足は止まっていた。
「私とアラタの付き合いは短い。一ヶ月程前に私がアラタに接触し、頼み事をしたのが始まりだ」
「頼み事、ですか?」
「そうだ。私はこの日本に、ある物を探しに来たのだ。アラタの母親が持っていたはずの、一つの石をな」
「石……ですか」
アリアは人間ではない、妖精だ。
きっとただの石では無いのだろう。
そう夏堀が予想した通りの説明を、アリアが続ける。
「その石は、妖精に限らず動植物など様々な生命に影響を及ぼす、命の源と言ってもいい」
「何だか凄い石なんですね……」
「ああ。その石の情報を探す為に、アラタと私はこうやって妖精退治の依頼を受けて回っているのだ」
「妖精退治とその石の情報は、繋がるものなんですか?」
「石は良くも悪くも妖精にとっては影響が強い。その石に影響を受けた妖精が人間に害を為す可能性が高くなるからだ」
「ははぁ……」
金にならない夏堀からの依頼にもきちんと耳を傾けていたのは、それが理由だったのか。
不思議な石。
それを持っていた穂摘の母。
そしてそれを探し求めるアリア。
そこで、夏堀は「穂摘自身の目的」が不透明な事に引っ掛かった。
妖精であるアリアがその石を探すまでは分かるが、穂摘がそれに手を貸している理由は何なのか。
金の為……にしては、金への執着が彼は弱い。
この話を聞いて「金はついでなのだろう」と思えるほどに。
「あの、穂摘さんがそれを手伝っている理由は何なんでしょう?」
「アラタか? ああ……一言で言うなら、贖罪、では無いだろうか」
一言で言われてしまって、想像は膨らむものの確かな事は掴めない夏堀。
アリアもそれを察し、付け加えた。
「きっと母親の代わりに私に償っているのだよ、アラタは。妙に私の面倒見が良いしな」
「そ、それは思いました! 何においても不本意そうな感じなのに、それでもご飯食べさせてあげていたりっ」
「その石はアラタの母親が私から盗んだ物なのでな。つまり、あやつは私に多少食って掛かる事はあっても、基本は頭が上がらないのだ」
夏堀の脳内で、ようやくカチリと何かがハマった感覚がする。
親しいようで親しくない、親しくなりきれない二人。
そこには、必要以上に親しくなれない前提があったからなのだ。
穂摘の母親と言うくらいなのだから、その人も妖精が見えるのだろう。
その人が不思議な石の力を知って、アリアから盗んだ。
それを穂摘が代わりに返そうとしている。
彼らの事情に触れた夏堀は、自然と自分の胸を撫で下ろしていた。
そうだったんですね。
そう言いたいけれど、そう思い過ぎて言葉が出ない。
黙ってしまった夏堀に対し、説明をし終えたはずのアリアはまだ何か言いたい事があるように表情を曇らせている。
数秒の間をおいて、金髪の妖精は拳を握り、その先を告げた。
それは……彼女にとっての本題だった。
「ツバキ。私は謝らなくてはいけない」
どういう事なのか。
先程までの話は随分と穂摘達の核心に触れる部分だったはずだ。
それを踏まえた上で夏堀に謝らなければいけない事。
そんなもの、夏堀自身には思い当たらない。
首を傾げながら、純粋に疑問の色を表情に浮かべる女子高生に、美しい妖精は言い難そうに述べる。
「ツバキを私達の事情に巻き込んだのは、私の独断なのだ」
「ま、巻き込んだ……ですか? でも私、自分から……」
「いや、違う。緑の歯は故意にツバキを狙ったのだ。狙わせたのは……私だ」
被害に遭った。
助けて貰った。
その料金返済の為に、夏堀は彼らの下で働いている。
けれど、それらが全てアリアによって仕組まれていたものだったとしたら。
それはとても酷い事では無いだろうか。
夏堀は、心の中で「酷い」と思った。
思ったのだが。
「続きを話してください」
夏堀はまだ「酷い」とは言わなかった。
何故なら、話を全部聞いていないからだ。
何の理由も無しにそんな事をするはずが無い。
なら、その言葉の先にはそんな事をする理由が待っているはずである。
自然と俯いてしまっていたアリアは、夏堀の声掛けに顔を上げた。
詰られると思っていたのにそうでは無くて、驚いた顔を上げた。
まぁるく開かれた翠玉のような瞳が、女子高生を映す。
ショートカットが幼さを増長させて見せる夏堀の容姿だけれど、彼女は外見よりは大人びているのだろう。
アリアは、噤んでしまっていた唇を開く。
「私が、普通の人間には見えぬ事を知っているな?」
「はい、そう聞きました」
「大抵の妖精は、人間に姿を見せようとして初めて人間に見えるようになる。だが、そうしていないのに私の姿を見止めた者が居た。それが、ツバキだ」
自分がそんな存在だっただなんて。
夏堀はただ固唾を飲んで、信じ難い事実に聞き入る事しか出来なくなっていた。
アリアは夏堀の表情が不安で強張っている事に気付いたが、止める事無く説明を続ける。
「それから私は、緑の歯に頼んでツバキの様子を伺った。私の姿が見えてしまう以上、私は尾行がうまく出来ないからな。緑の歯にツバキを刺激して貰うよう頼んだのも私だ。大方予定通り、ツバキは一時的ながらも名の売れているアラタに依頼を寄越した。他の所に依頼をした所で金が無い時点で断られるのは目に見えていたし、最終的にはツバキはアラタに依頼せざるを得なかったのだよ」
「穂摘さんの所がすぐに出てきたって言うのもあるんですけれど、他のサイトの場合は大半が前金を提示していました。ほとんどは幽霊退治とかそういうサイトだったので、妖精とは違うかも知れませんけれど」
「前金を提示しないと冷やかしのような依頼が舞い込んで大変なのだ。私達は事情が事情であるが故に敢えて前金を無くし、アラタがその冷やかしを取り除く手間を引き受けてくれてはおるがな。ツバキが依頼をしようとしなかったとしても、その際は私が直接出向くつもりでツバキの通学路なども確認していた」
「……どういう事を裏でしていたのかは分かりました。でも何故そんな事を?」
理由を聞いたところで許せないかも知れないが、それでも聞きたい。
夏堀のしっかりとした口調の問いに、アリアは頷いてその眼差しを真っ直ぐ目の前の少女に向けた。
「本来私の姿が見えぬはずの人間が、私を見ている。そしてツバキは次に仕向けてみた緑の歯の通常時は見えなかった。と言う事は、ツバキはアラタとは違って妖精が見えるわけでは無く、私だけが見えると言う事。温泉の件でも再確認し、それは確信に変わった。その事実が、私は欲しかったのだ」
「その……事実……」
妖精の中でアリアだけが見える、夏堀の瞳。
その事実が一体何だと言うのか、まだ彼女は分からずに語尾を濁す。
「ツバキ……ツバキはきっと、過去に私の石と強い接触をしているはずなのだ。だからこそ、私だけが見えてしまっているのだと思う」
「そ、そういう事ですか!!」
ようやく夏堀にも理解が出来た。
妖精は勿論の事、動植物にも影響を及ぼすその石。
アリアの行動理由はそれなのだから、勿論夏堀に妖精をけしかけたのも根本の理由はそれだ。
その事実を確認する為に、いくつか試す必要があったのだろう。
「今も実物が在ったならもっと強い影響を受け続けているはずだ。だからツバキが持っているわけでは無い。だが、ツバキは確実に過去、その石の傍に……いや、直接触れているはずなのだ」
「と言われても思い当たる節が全く無いんですけど……」
と、そこまで夏堀は言ってから、置き去りにしていた件を思い出した。
訴えかけるようなアリアをきちんと見て、夏堀は言う。
「理由は分かりました。でも、やっぱりアリアさんのやった事は、いけない事だと思います」
少なくとも人間社会では咎められる事である。
妖精の善悪は人間のそれとは違うかも知れないが、それでも。
夏堀は人間で、人間社会しか知らない。
真っ直ぐ、人間の想いを、妖精に伝える。
「ちゃんと説明してくれたら、私は相談に乗ってたと思うんで。だからアリアさんは間違えた上に遠回りをしていた事になりますよね」
「そうだ……ツバキはそんな事をせずとも、きっと私の言葉を受け止める。故に私は自分の選択を後悔した。本当に済まない」
長い金髪をしな垂れさせ、深々と頭を下げるアリア。
夏堀の心が、しくり、と何かの感情を脳に伝達させたが、彼女はそれが何なのかは分からなかった。
それよりもまずはアリアの頭を上げさせる。
綺麗な翠色の瞳と目が合う。
「ちょっと怒ってますけど、まだそんなにこき使われているわけでも無いし、許してあげますよ」
「ツバキ……!」
「でもこれ、穂摘さんは知らないんですよね?」
「ああ、アラタは流石に、私がこの様な事をしていると素直に言えば怒るからな」
確かに彼は、駄目なものは駄目、ときちんと言いそうな性格だ。
伝えたらアリアは穂摘に叱られそうではある。
でも伝えて貰わないと夏堀の借金がそのままになってしまう。
自ら依頼をしたとは言え、仕組まれていたもので百万円の借金を背負うのは辛い。
どうしたらいいのだろう、と夏堀は顎に人差し指をあてて考え込んだ。
「どうした? ツバキ」
「いえ、借金を帳消しにして欲しいんですけれど、どうやって穂摘さんに伝えたらいいかなーって」
「ああ、そういう事か。アラタはツバキから金を貰う気は無い」
「え!?」
「アラタが無料でいいと言いそうだったところを、私がツバキを繋ぎ止める為に雇う話を持ち出したに過ぎぬ」
金銭への執着が薄いとは思っていたが、まさか彼が金を取る気すら無かったまでは思っておらず、驚愕する夏堀。
本当に彼らの目的はあくまで、金稼ぎではなく石探しなのだろう。
取れる所からは取っても、取れない所から毟る気は無いのだ。
「その辺りは私から言っておこう。根は小心者のアラタの事だ、後で子兎のようにぷるぷると震えながらツバキに謝罪するであろう」
「震わせるような事をしたのはアリアさんですよっ! でも事実を知ったらそうなるでしょうね、何となく想像出来ます……」
必要以上に他人と距離を置いている為に情が薄そうに見えるが、それと同時に彼は生真面目だ。
誠実な対応をしてくれるように夏堀は思う。
そこまで考えてから、足が止まっていた事に気がついた夏堀は再度歩き出した。
夜遅く、こんな場所で立ち話は危険である。
気付かぬうちに汗ばんでいた肌をシャツで夏堀が無理に拭うと、一緒に歩き出したアリアが言う。
「図々しい願いではあるが、何か思い当たる事があったら教えて欲しい」
申し訳無さそうなのに、その言葉には有無を言わせぬ力が篭っていた。
もしここで断ったらどうなるのだろうか。
断るつもりは無い夏堀だったが、違和感を感じた肌がぬるい風に吹かれて乾くように張った。
アリアが妖精を斬った事を、見えずとも会話で聞いていた温泉での出来事が、夏堀の脳裏によみがえる。
連れて来られてしまっただけ、と言う事情があったにも拘わらず容赦なく斬り捨てられた同胞。
そして、緑の歯と呼ばれる、夏堀を監視していた妖精も彼女は退治したはずなのだ。
演技か何かでその妖精はまだ生きているのか。
それとも……利用するだけして、斬り捨てたのか。
どちらの事件も、アリアの事が理解出来なくなりそうになる。
目の前の妖精は、こんなにも人間みたいに見えるのに。
穂摘が抱いていたアリアの印象と同様の事を、ようやく夏堀も感じ取り始めていた。
 




