第二話:シルフィリア家で事情説明
「やっと、見えた……」
自身を召喚した青年ーー神様により、この地へ落とされてから早くも二日が経っていた。
☆★☆
さて、気持ちを切り替えたはいいが、元々現代っ子である理鷲は、歩けど歩けど木木木な風景と徐々に暗くなる空に対し、早くもサバイバル生活を余儀なくされていた。
最初こそは自らを召喚した神様を恨んだが、引き受けたのは自分だと暗示を掛けながら、五感を頼りに川を探す。
最低でも水だけはどうにかしたかった上に、運が良ければ、街に行けるんじゃないの? 的な考えだったのだがーー
「考えが甘かったか」
理鷲の腹が空腹を訴える。
川は見つけたものの、水が飲み水として活きるのかは、神が与えた知識で理解していた。理解していたのだがーー所詮、知識は知識である。実践などしたことがない理鷲にはどうにもできないし、見分けることもできない。
(そもそも、持ち物がなぁ……)
理鷲は手持ちの道具を確認する。
現在着ている服とその服のポケットに入っていたシャープペンシルと四色ボールペン、手帳に携帯電話。神様と会う前から持っていた鞄の中には、財布やペンケース、ノートに……鞄の奥の方を見た理鷲は、そっと鞄を閉めた。
「こんなんで、サバイバル生活できるか!」
そして、バシッ、と何かを地面に叩きつけるような動作をしてみるも、後で感じてきたのは虚しさだけである。
(最低でも、ナイフぐらいあればなぁ)
それなら木の実や果物を取ったり、魚を捌いたり出来るのだが、そんなものを持っているわけがない。
そもそも、持つことができるのは限られた者のみであり、持っていたら持っていたで、銃刀法違反で捕まるに決まってる。
まあ、理鷲の場合は他の理由もあって、持っていないのだが。
「さて、これからどうするか……」
今居る場所は、自分がよく知る故郷ではなく、異世界であり、見知らぬ生物も存在する。
(その見知らぬ生物に対する対応も考えないと……)
襲われて人生終了なんて、理鷲は望まない。
だが、対応する手段がないのも、また事実。
どうしようか、と唸る理鷲だが、そこでふと気づく。
「火もいるじゃん……」
完璧に詰んだ、と溜め息を吐く理鷲だが、考えるのだけは止めなかった。
もし考えるのを止めたりすれば、その先に待っているのは、『死』だけだ。
「っ、」
自身の死ぬ姿を一瞬でも想像し、身体を震わせながらも、そのイメージを思考から追い出すと、どうすればいいのか、自分の持つ知識をフル活用して、理鷲は必死に考えた。
そして、辿り着いた考えはーー
「街か町を、目指すしかない」
その一択だった。
以降、ただそれだけが目的で街(または町)を目指し、森の中を歩き回った。
夜もほとんど眠らず、魔物に気づかれないように出来るだけ気配を消しながら、街(または町)を目指した。
その結果、冒頭に繋がることになるのだが。
「ここが……」
空腹に睡眠不足や栄養失調などが原因で倒れそうになるのを耐え、何とか森を抜けると、少しずつ見えてきた白亜の壁を見上げながら歩く。
ーー何で、こんな森の近くに屋敷があるの?
もはやそんな疑問すら抱くこともなく、この白亜の建物が目的の場所なのだと、神様から与えられた知識は理鷲にそう告げる。
「後は、入り口……」
長い壁沿いに、足を必死に動かして歩きながら、理鷲は出入り口を探す。
そして、壁の角を曲がればーー
「……っつ!」
理鷲は思わず息を飲んだ。
そこにあったのは、ビルなどが立ち並ぶ元の世界では、もうお目に掛かることすら出来なさそうな、大きな門と長く感じた壁と同じ、白亜の建物である。
そして、庭に植えられていた色とりどりの花々が、建物を引き立てながらも、まるで、森の隣にあることすらを忘れさせるような雰囲気を放っている。
「凄い……」
だから、思わずそう洩らした理鷲は悪くない。
でも、理鷲は油断していた。
「え……?」
傾く目の前の光景に、理鷲は何が起こったのか、すぐには分からなかったが、しばらくしてから、自分が倒れたのだと理解する。
おそらく、目的地に着いたということと、目の前の光景に気が緩んでいたのだろう。
だが、今の理鷲に、今までの疲れが出てきたせいか、起き上がるための体力はない。
(せめて、助けてくれる人が、優しい人だといいなぁ)
完全に目を閉じるその時まで、理鷲はこれから出会う人たちがそうだといいな、と思うのだった。
☆★☆
パタン、とドアの閉まる音がする。
目を向ければ、どこか心配そうな、壮年の男性がこちらを見ていた。
「どうだい? 調子は」
「まだ目が覚めないみたい。お医者様の話だと、睡眠不足や栄養失調が原因らしいけど」
男性の問いに、話し掛けられた女性は、男性同様に心配そうな表情でベッドに横たわる少女に目を向ける。
未だに目覚めない少女は、雇っていた専属の庭師によって、門の前に倒れていたところを発見された。
すぐに医者を手配し、診てもらえば、結果は栄養失調と睡眠不足のようで、目が覚めたら、少しずつでもいいから食べさせるようにと言われたので、粥なども用意してある。
「この子に間違いないんだろうな」
「多分、ね。だって、そっくりなんだもん」
あの子にも。
あの二人にも。
女性はどこか愛おしむかのような目を、少女に向ける。
「それでも、さ。聞いてはいたんだけど、さ」
女性は顔を歪ませる。
神様の話ーー神託があったからとかなんて、二人には関係ない。
この子には、この子の人生があるはずなのに、自分たちの都合だけで、彼女の人生を歪めてしまったのかもしれない。
それが、気がかりなのだ。
「とりあえず、この子が起きたら、何も言わずに話を聞いてあげよう。まずは、それからだ」
男性の言葉に、女性は小さく頷くのだった。
☆★☆
そっと目を開ければ、眩しいながらも、室内へ射し込んでいた日の光が視界に入る。
何とか起き上がれば、額にあったのか、布が落ちる。
「ここは……」
どこなのだろうか、と目を細めながら、窓の外を見る。
「……ああ、そうだった」
思い出したのと同時に、
(異世界に来たんだった)
と、ぼんやりとした頭で、神様とのやり取りなどを思い出せば、理鷲は溜め息を吐いた。
最初から倒れていては、この先が心配になってくる。
とりあえず、倒れてどのぐらい経ったのか、気になるところだが、今のうちに把握できることは把握しておこうと、部屋の中を見回す。
「……」
誰かの私室だったのか、先程まで眠っていたベッドに、勉強机にも見える机。本棚には様々な種類の本が入っており、試しに一冊手に取り、ぱらぱらと理鷲が目を通せば、神様の言う通り、この世界の字は読めるらしい。
本を置き、鍵を外して、窓を開けてみれば、風が室内へと入り込む。
「あら、気がついた?」
「っ、」
ドアが開く音とともに姿を見せた女性に、理鷲は思わず身構える。
先程起きたばかりなので、身体が思うように動いてくれるのかどうかは分からないが、目の前の女性ぐらいなら容易いか? と理鷲は勘ぐる。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ? ……ってまあ、そう言っても、警戒心って、すぐに消せるようなものじゃないから、今はまだ“安心して”とは言わないけどね」
(この人ーー……)
ーー強い。
笑みを浮かべる女性に、理鷲の中で警戒レベルが上がる。
「まずは自己紹介ね。私はミリアーヌ・シルフィリア。リズフェリアの母です。娘の件も貴女が我が家へ来ることも、神様から聞いてます」
「神様から……」
確かに、神様は話は通してあるとは言ってはいたが、本当だったのか、と理鷲は何とも言えない顔をする。
そんな女性ーーミリアーヌも、「それでも、やっぱり、疑っちゃうわよねぇ」と困ったような笑みを浮かべる。
「それでね、起きたばかりで申し訳ないんだけど、とりあえず、場所を移しましょうか」
☆★☆
さて、ミリアーヌの申し出により部屋を移り、理鷲は応接間のような場所に居た。
もちろん、ここまで案内したミリアーヌの隣には彼女の夫である男性が座り、机を挟んで理鷲と対面していた。
そんな三人の間には、さしあたり客人である理鷲へのもてなしなのか、紅茶と焼き菓子が置いてある。
「それでは、改めまして。リズフェリアの母、ミリアーヌ・シルフィリアです。こっちにいるのが、リズフェリアの父親にして我が旦那様のーー」
「クラウディオ・シルフィリアだ」
よろしく、とクラウディオに告げられ、理鷲は戸惑いながらも頭を下げるだけだった。
二人がどういう人物なのか、理鷲にとっては未だに分からないため、内心で警戒しつつ、二人が助けてくれたのは事実だと理解しながらも失礼が無いようにすることが、今の彼女にとって、それが精一杯だった。
「……鷺ノ宮理鷲です」
さすがに、相手に名乗らせておきながら、こちらも名乗らないのは失礼かと思い、理鷲も自ら名乗る。
「うん、よろしくね。理鷲ちゃん」
そう返すミリアーヌに、
(うん……?)
と、どこか違和感を感じ、理鷲は内心首を傾げた。
「さて、互いの紹介が終わったところで、本題に入ろう」
クラウディオの言葉に、ふざけることすら許されなさそうな空気がその場を覆う。
「ミリアーヌが言ったとは思うが、俺たちは神様から大体のことは聞いている」
リズフェリアが護衛も無しに森に入ったことや、それを偶然にも神様が見ていたこと。
命の危険に曝されたリズフェリアを助けたものの、彼女の魂を行方不明にさせてしまったこと。
そして、リズフェリアの代わりとして、異世界から酷似した少女ーー理鷲を喚んだこと。
「……」
「こちら側としては、君を家族や友人たちから引き離してしまい、申し訳ないと思っている」
クラウディオが頭を下げる。
「もちろん、貴女の意志次第では、神様の依頼を破棄してもらっても構わないから。だって元々、貴女は別の世界の人だしね」
だが、もうすでに、あの空間で引き受けてしまった。
だから、理鷲は異世界であるこの地におり、目の前の二人とも話しているわけであり。
ーーもし仮に、神様の依頼を破棄して、家族や友人という大切な人たちの元へ帰れるのなら、その分岐点はどこなのだろうか?
おそらく、この瞬間も『神様の依頼を破棄する』という分岐点に入っているのだろう。
でなければ、ミリアーヌが「破棄しても構わない」なんて言うはずがない。
(引き受ける引き受けないに関しては、ここが最後の分岐点かな)
話は聞いてしまったが、止めるのなら今のうちなのだろう。
「……」
理鷲は小さく息を吐く。
「……一体、何者ですか。貴女は」
理鷲は静かに尋ねる。
嘘なのか本当なのかは分からないが(いや、どちらかといえば本当なのだろうが)、『リズフェリアの母親』という以外にも、何かあるはずだ。
その問いに、ミリアーヌは視線を机の上へと向ける。
「私はね、リズフェリアの母親よ。神様のミスで、抜け殻状態の娘を見ていることしかできない哀れな母親」
どこか諦観の雰囲気を放ちながらも、親でありながら何も出来ないミリアーヌは、悲しそうに俯きながら、自らの紅茶へと手を伸ばし、口を付ける。
「最初、貴女が身代わりとして来るって聞いたとき、少しあの子が気の毒になったの。貴女にあの子の居場所を取られてしまうんじゃないのか、って」
「それは……」
つまり、理鷲の行動次第では、本来リズフェリアのいるべき場所が理鷲のものになる可能性もあるということだ。
「でもね。あの子がーーリズフェリアが、私たち家族や友人といった仲間に忘れられるよりはマシかな、とも思えちゃって」
苦笑するミリアーヌに、クラウディオが無言で彼女の肩に手を置くが、視線もどこか不安そうである。
「だから、私は貴女の意志に任せることにしたんだよ。鷺ノ宮理鷲さん」
しっかりとした意志を示す眼差しを向けるミリアーヌに、理鷲は目を見開き、少しばかり顔を歪めた。
確かに自己紹介はしたが、やはり彼女に名前を呼ばれると違和感を感じる。
今居る場所は異世界であるはずなのに、名前の呼び方(のイントネーション)が、どうも元の世界と似ているような気がして仕方がない。
(いや、今気にするべきなのは……)
この先、どうするのか、である。
「私は……私には、彼女の代わりを務められるかどうか、分かりません」
魔法も剣も知識はあるが、その技術が無いので使えないのは事実だし、仮に使えたとしても、似ているという理由で選ばれた理鷲としては、引き受けた以上、出来る限り、リズフェリアが使用していた剣技や魔法を使いたい。
だがそのためには、理鷲の適性ーー使用魔法の属性などーーとリズフェリアの適性がどのくらい同じなのか、気になる所である。個々で適性は異なるので、適性次第ではいくら見た目が似ているからと、魔法や剣技で理鷲がリズフェリアの振りをするのは無理が出てくる。
「そうよね。見た目が似ているだけで、性格だって、貴女とリズフェリアは違うもの」
「……」
(でも、あの子も神様も、この子が適任だと思って、選んだのよね)
目を閉じ、そう思うミリアーヌだが、だからといって、目の前に居る理鷲に無理をさせるつもりもない。
肩に感じる温もりの主に目を向ければ、クラウディオが大丈夫だ、と言いたげに、ミリアーヌを見ていた。
理鷲は、といえば、冷めてしまった紅茶と焼き菓子に口を付け、無言で話の続きを待っている。途中で「あ、美味しい」と言っている当たり、どうやらお気に召したらしい。
「……お二人は、やっぱりリズフェリアお嬢様に目覚めてもらいたいんですよね?」
理鷲の問いに、二人は彼女に視線を向ける。
「まあ、そうだな」
クラウディオが頷く。
それを見た理鷲は、口を開く。
「では、私が神様から聞いたこと、この世界へ来てからの過ごし方をお話します」
理鷲は言う。
神様から話を聞いて、この家へ到着するに至るまでの経緯をーー