第九話:リズフェリアの友人と恋人
「お前は誰だ?」
目の前の少年に、理鷲は問い詰められていた。
「他の奴らはともかく、俺の目は誤魔化せないぞ」
そう告げる彼に、理鷲はどうしたものかと思案するために、今朝ーーというか先程までの流れを思い出してみることにした。
☆★☆
理鷲がリズフェリアとして学校に向かう最初の朝は、隣にリトノールが居たこともあり、フォローしてもらうだけじゃなく、話し相手もしていた。
「ほら、見えてきた。あれが俺たちの通う学校ーーセントレール魔術・魔法学校だよ」
シルフィリア家周辺の街に住む人たちだけではなく、少しずつ増えていく人通りの多さに理鷲が驚いていれば、彼女の正面に座っているリトノールが声を掛ける。
「大きいですね」
「初等部からの一貫校だからね。それなりに広いから、迷わないように気をつけなよ」
「高等部生の大半は大丈夫だけど、迷う人は迷うから」と付け加えるリトノールが、不安を誘う。
「大丈夫ですよ。教室とか、必要となる場所以外は避けますから」
先に降りていたリトノールの手を借り、馬車から降りながら、理鷲はそう返す。
「まあ、そのつもりなら良いけど、冗談抜きに好奇心だけで行動しないようにね」
それが今回最後の注意なのだろう、そう口にしたリトノールと横に並びながら、理鷲は歩いていく。
「ああ、そうだ。リトノー……」
「リフィー!」
リトノールに話し掛けようとしていた理鷲の言葉は遮られる。
「え?」
「わー、リフィだー」
いきなり背後からくっついてきた金髪の少女に理鷲が戸惑っていれば、リトノールからリズフェリアの友人だと、こっそり教えられる。
「えっと……」
「ごめんね、エレナさん。リフィが事故に遭ったのは聞いているとは思うんだけど、その際に頭を打ったみたいでさ。君たちのことは一時的に忘れてるみたいなんだ」
友人だと言われても、まだ名前と顔を一致させていない理鷲が戸惑いの表情を浮かべていれば、リトノールがそうフォローする。
「え……」
「俺のことも、この前やっと思い出せたぐらいだから、少しの間は大変だろうけど、自己紹介とリフィのサポートをお願いしても良いかな?」
笑みを浮かべてそう告げるリトノールに、若干の恐ろしさを抱き、そのことに軽く引きつつも、深い事情を知らないとはいえ、サポートしてくれる同性の子が居るのなら、と理鷲は口を開かずに状況を見守る。
「分かりました。リフィのお世話、お引き受けします」
「必要なのはサポートであって、お世話じゃないんだけどね」
そんなリトノールの突っ込みを無視して、彼女ーーエレナがくるりと身体を反転させ、理鷲に目を向ける。
「エレナ・グランチェスカです。リフィとは同じクラスだから、案内してあげるね」
にっこりと笑みを浮かべてそう名乗るエレナに、理鷲も笑みを浮かべる。
その後、昇降口でリトノールと別れた後は、エレナに先導してもらいつつ、教室とリズフェリアの席にまで向かう。
(うーん……もしかして、今日一日はこの状態なのか)
とりあえず、授業も受けてみるが、内容的にも元の世界とそんなに変わることもなく、理鷲としては得意分野(文系)ということもあり、そんなに難しくは感じなかった。
「リフィ~。久々の授業、どうだった?」
「とりあえず、板書に慣れないと駄目だと思ったよ。復帰一日目から、あの量の板書をすることになるとは思わなかったからさ」
「あー、あの先生。時々変なこと書くからねぇ」
変なこと? と思いつつ、理鷲としては「また新しい子が来た」と話に加わってきたショートカットの子に目を向ける。
「その様子じゃ、私のことも忘れてるみたいだね」
「すみません……」
どこか悲しそうな顔をするその子に、理鷲は謝罪する。
本当は記憶が無いんじゃなく、別人であることが申し訳なさすぎて、今すぐにでも話したいところだがーーリズフェリアの友人である彼女たちを疑うつもりはないが、どこから話が漏れるか分からない。
(異世界の知識とか神様との連絡手段がある時点で、私の存在自体が色々とヤバいしね)
理鷲が思わず溜め息を吐けば、友人二人は顔を見合わせる。
「何で、私は忘れたんでしょうか」
(何で、お嬢様は戻ってこないのかな)
言葉と内心の思いは違うが、ニュアンス的にはほぼ一緒だ。
「ーーリフィ?」
そんな時だ。最初の休み時間ーーつまり、一限目と二限目の間に別のクラスでありながら、この教室まで来た彼が声を掛けてきたのは。
(彼はーー)
一体、どんな人だろうかーーと、何かを見極めるかのように、ぱちりと理鷲は瞬きする。
ここに来て、男子からの接触である。それも、別のクラスの。
「……」
「……」
だが、様子がおかしい。
(……ああ、これは……)
もしかしたらーー勘付かれたか。
「少し、話がある。ただ、場所を変えたいんだが」
「それは分かったけど、そろそろ時間だから、次の休み時間で良いかな?」
理鷲がそっと時計を示せば、彼女の言葉通り、もうすぐ休み時間は終わろうとしていた。
「なら、後で迎えに来る」
「お手数をお掛けします」
彼が戻っていくのを見送り、理鷲がエレナたちの表情を見れば、何やら微妙な表情をしていた。
「どうかした?」
「いや、彼にまであんな態度を取るものだから、いくら一時的とはいえ、記憶喪失の根は深そうだな、と」
後から来た子の台詞から、やっぱり彼もリズフェリアの関係者か、と理鷲は内心で思う。
(とりあえずーー)
通学途中の馬車内で渡された携帯用の通信できる水晶で、リトノールに状況を知らせておこう、と理鷲は水晶を起動させる。
彼がどんな話をしようとするのかは分からないが、保険ぐらいはあっても良いはずだ。
理鷲にしてみれば、何かあったとしてもエレナたちに傷は負わせたくはないし、現在この学校で頼れる相手ーー特に男子ではリトノールぐらいしかいないわけで。
『特に正体が分かるようなミスをしたつもりは無いんですが、何か早々にバレたみたいです。次の休み時間に話すことになりました』
これで、リトノールは状況確認も含めて、次の休み時間にはすっ飛んでくるはずだ。
☆★☆
『彼』は約束通り、次の休み時間に理鷲(が扮するリズフェリア)を迎えに来た。
「あ、本当に来たんですね」
「こっちから約束を取り付けたわけだしな。急用でもない限り、無視するわけにも行かないだろ」
それもそうかと思いつつ、そのまま別の空き教室へと二人は移動する。
「それで、話って何かな?」
「遠回しに聞くと、はぐらかされる可能性があるからな。単刀直入に聞く。ーーお前は誰だ?」
まあ、こうして冒頭に繋がるわけなのだが。
要するに、現時点で断定は出来ないが、理鷲を一目見ただけで、早々にリズフェリアではない偽物(仮)だと彼は見抜いたわけだが、彼女のためか周囲のためかは分からないが、それなりに気は使ってくれたらしく、別室に移動するのも終えたことだし、事情説明を求めてきたーーというのが、現在までの正しい状況なのだろう。
だが、どう説明すればいいのだろうか。
現在、近くや隣には理鷲の事情を知る、フォロー役でもあるリトノールがいない上に、この少年がどんな人物で、リズフェリアとどんな関係なのかは友人であるエレナたちに知られており、尚且つ「記憶喪失の根が深い」などと言わせる程の関係であることは容易に想像できるものの、現段階で理鷲本人にはっきりと断言できるはずもなく。
なので、少しばかり試してみることにした。
「そうみたいですね。でも、私は貴方がどんな人で、お嬢様とどんな関係なのかは分かりませんので、お話しすることはできません。もちろん、本当のことを言われても嘘を吐かれても、私には事実かどうかなんて分かりませんから、結局はお話しできませんが」
「なるほどな。お嬢様、か」
納得したように頷く少年に、「これを聞いて、どのような判断を下したのか」と、理鷲は彼を見つめる。
お嬢様であるリズフェリアとその代役である理鷲は魔法を使っているとはいえ、見た目が全体的に似ているため、よく見なければ判断は出来ない。
つまり、彼女との関係の真偽は後に回すとしても、彼はリズフェリアをよく見ていたことになる。
「リフィは今どこにいる」
「お答えできません。先程も言いましたが、貴方とお嬢様の関係が分からない以上、不用意に口を開くのは憚らせてもらいます」
綺麗なお辞儀だった。
どちらかといえば良いとこの方の出である理鷲は、一から叩き込む必要が無いぐらいに、リズフェリアの所作をほぼ完璧に再現していた。彼女の家族からOKを貰えるほどに。
「もし、貴方とお嬢様の関係がどのようなものなのか判明したら、お話しします」
知識があることも含め、呼び方などから、彼がリズフェリアとどのような関係なのかは予想できるが、理鷲には名前を知ってはいても、顔を知らないために判断ができない。
というのも、どういうわけか、与えられた膨大な情報量の中に埋もれてしまったらしく、だからこそ背後から引っ付いて来たエレナにも、戸惑うことしか出来なかったのだが。
「そうか。だが、それなら何故、休学扱いにしなかった? こうして現れなければ、俺に怪しまれずに済んだだろうが」
「そのことについては、否定するつもりはありません。でも、お嬢様の代役を引き受けた以上は、私は何があっても、その役目を全うするつもりです」
あの神様が彼女の魂を見つけるまでは、何としても彼女を演じなければならない。
だからこそ、正体を明かしても良い人には話すつもりでいる。そうしなければ、いつかボロが出てしまうから。
「なるほどな。それなりに覚悟は出来ているということか。いや、詰問するような真似をして悪かったな。もし、それで気を悪くしたなら済まない」
「いえ。悪いのはこちらですから。まあ、こちらとしても初日の、それもこんな早くに見破られるとは思っていませんでしたけど」
まさか、登校初日の朝から気付かれるとは予想外である。
「あいつのことは、よく見てるからな。だから、気づけた」
「そうだったんてすか」
小さく微笑みながら言う彼に、理鷲も小さく微笑む。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな。俺はノーラス・ハーディストだ」
「あ、鷺ノ宮理鷲です」
互いに名乗れば、彼ーーノーラスが不思議そうにする。
「リズ……?」
「本名ですよ?」
見た目だけではなく、名前すらも少しばかり『リズフェリア』と似ているがために、理鷲は思わずそう告げる。
「リフィ!」
バンッ! と音を立てて、空き教室の扉が開かれる。
「……騒々しいですね。一体どうしたんですか、兄様」
「どうって……」
慌てて空き教室に入ってきたリトノールに、理鷲は目を向ける。
ちなみに、今の理鷲は若草色の髪に紺色の目というリズフェリアモードなので、リトノールが一瞬間違えそうになったのだが、すぐに目の前に居るのが理鷲だと思い出し、すぐに持ち直す。
「いや、それよりも……ノーラスも一緒だったんだな」
「ええ、まあ……」
男二人の視線が理鷲に向けられるが、何を言いたいのか分からない理鷲は首を傾げる。
「まあ、良い。お前らが一緒ってことは、もう話したのか?」
「偽物云々についてなら」
ノーラスの返答に、リトノールが顔を顰める。
「それ以外については?」
「ノーラスさんとお嬢様との関係性が分からないものですから、詳細については話していません」
「……だと思ったよ」
理鷲の返答に、リトノールは肩を竦める。
「あと、ノーラスになら詳細を話しても問題ないから。話しても良いとされている限定された人物の最後の一人であるーーリフィの婚約者だからな」
ああ、やっぱりか、と理鷲は思う。
「驚かないんだな」
「エレナさんたちの反応から、大体想像できていましたからね。ただの異性の友人なだけなら、ノーラスさんに対する私の反応に、困ったような顔はしないだろうし」
なるほど、と男二人は納得する。
「それにしても、リトさん。また凄い代役が来ましたね」
「言っとくが、変化させたのは色彩だけで、使用魔法や癖は全てこいつの努力に因るものだからな?」
「色彩だけって……」
「お前も知っているはずだが、リフィは双子や三つ子ってわけじゃないし、兄妹は俺だけだから」
リトノールの言葉を受け、じっとノーラスに見つめられた理鷲は恥ずかしそうにしながらも、首を傾げる。
「まあ、俺も最初に会ったときは驚いたけどな」
「あれで驚いていたんですか?」
「内心では、だよ」
いちいち言わせんな、と言いたそうなリトノールに、理鷲は苦笑する。
「ノーラス。詳細は追って教える。だから、彼女のフォローを頼みたい。学年が違う俺だと、行事とかで手が出せないときもあるから」
「分かりました」
リトノールの言葉に頷くノーラスを見て、どうやら話は纏まったらしいと理鷲は結論づける。
「ああ、そうだ。教室に戻ると話の内容を聞かれると思うので、エレナさんたちを誤魔化すためにも、話を合わせておきたいんですが」
「そうだな……」
ノーラスが考え始める。
「誤魔化せるとしたら、『二人で、久し振りのデートの予定を立てていた』ぐらいが無難か」
「リトノールさんについて聞かれたら、『何かを察して、病み上がりの妹を止めに行った』で良いですかね?」
「否定はしないが……」
シスコンみたいだな、という言葉をリトノールは続けず、理鷲とノーラスもそう思いはしても、口にはしなかった。
「それでは、休み時間もそろそろ終わりそうなので、教室に戻ります」
「ああ……ノーラス」
暗に理鷲を教室にまで連れて行ってくれ、というリトノールの指示に、ノーラスは頷く。
「ほら行くぞ」
「え? ノーラスさんも一緒なんですか?」
「迷わない自信があるなら、別に良いんだが」
「あと、リフィは俺を『ノーラスさん』とは呼ばない。基本的に呼び捨てか、『ラス』の二択だ」
リトノールの言う通り、今居る空き教室までの道順なんて、途中から覚えていないし、ノーラスはノーラスで理鷲の呼び方が気になったのだろう。そう教えてくる。
(ただでさえ短い名前を、さらに短くするとは……)
と思ったのは、秘密だ。
「それじゃあ、案内をお願い。ノーラス」
「……ああ」
まるで、この場に居るのが理鷲ではなく、リズフェリアであるかのような錯覚を受け、ノーラスの返事をするタイミングがやや遅れる。
そんなノーラスに、自身も経験があるためかリトノールも苦笑いする。
その後、見事に予想通り、エレナたちから質問された理鷲は最初から用意していた答えを言うことで、その場を乗り切ることとなる。
さらにーー
「わー! リズ、ちょっと来いー!!」
同学年故に、ノーラスが変な所へ入りそうになっていた理鷲を、慌てて連れ出したりすることなども増えることとなるのだが、その際うっかり『リズ』と何度か呼んでしまったことも無きにしも非ず。
そして、嘘で言ったデートを後日、本当にする羽目になったことは、完全に余談である。