第七話(2):人間と竜と虎
第六話(2)の続きです。こちらを読みますか?
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目の前の魔物ーーヘルタイガーに対し、抜剣しながら掛かってこいとは言ったが、現在進行形で理鷲に対処方法が無いことには変わりなかった。
『グルルルル……』
一方のヘルタイガーはタイミングを見計らっているのか、中々飛び掛かろうとはしない。
リュークハルトはリュークハルトで、今は見守ることにしたのか、理鷲とヘルタイガーの居る位置から、近すぎず遠すぎずの位置にいた。おそらく、自衛とすぐに助けに入れるように、ということだろう。
子竜は子竜で、どこか近くにいるのか、どこかへ行ったのかは分からないが、姿が見えない。
(さて、どうする?)
魔法も剣もまともに使えない。
そんな状態で、この遭遇は喜ばしくはない。ないのだが、実戦経験という点から行けば、ちょうどいい相手なのではないのだろうか。難易度が高いだけで。
『グルルル……グワァッ!!』
先に仕掛けたのは、ヘルタイガーだった。
「っ、」
今度はリュークハルトの助け無しに、間一髪で避けた理鷲だが、その勢いのまま、ヘルタイガーの爪に向かって、剣を振るう。
「さすが、相手を瀕死に追い込むだけの強度があるってことか」
そして、一度や二度程度では、いくら爪を狙っても、破壊することは不可能ということも分かった。
とはいえ、爪だけに集中しての連撃は危ない。奴には爪だけではなく、強力な牙もあるのだから。
(やっぱ、こいつ相手に手を抜けないかな)
かちゃり、と剣を構え直す。
相棒なら、最低数の手数でどうにかなるのだろうが、それは主に相棒の能力などに頼っている状態だ。ーーいや、頼ってもいいのだが、後でリュークハルトに説明するのも面倒くさい。
それなら、今ある剣と本来の実力で戦った方が、良いのでは無いのだろうか。
「ーー虎の毛皮や血肉、牙や爪って、もし売ったら、どのくらいの儲けになるんだろうね?」
口ではそう言いながらも、ヘルタイガーが金の生る木だと思っているような目ではなく、冷たいーー何が何でも敵を倒そうとする目で、ヘルタイガーを見る理鷲。
ヘルタイガーにしてみれば、子供を守るための行動ゆえに仕方ないのだが、理鷲たちからすれば、よく分からないまま襲われたのだから、仮に正当防衛を訴えても勝てるだろうが、ヘルタイガーからしたら、理不尽極まりないのだろう。
ーーでも、そんな理不尽でも、子供を守ろうとするヘルタイガーに、少しの羨ましさが無いわけではないが。
そんな戦意喪失したように見えた理鷲に、ヘルタイガーは唸りながらも、その場から動こうとしない。
こちらが隠していても、相手は本能的に察しているのだろう。
ーーさあ、どうする?
理鷲もすぐに動けるような体勢のまま、動かずに様子を見る。
どちらかが何らかの行動を起こせば、それを合図に再戦開始である。
だからーー
『きゅああああぁぁぁぁーーーーっ!!』
『キシャァァァァッ!!』
子竜が声を上げて乱入してこようと、それすらも合図となる。
切りかかってきたヘルタイガーを剣で受け止め、甲高い音を立てながら、鋭い爪と剣により激しい応酬が繰り返される。
「させっ、かよっ!」
剣を上に振り上げ、同じく爪を上へと返されたヘルタイガーが驚いている隙に、理鷲ががら空きになっていた腹部に蹴りを入れる。
『キャウン!』
ごろごろとヘルタイガーが転がっていく。
「お前はっ、邪魔!」
『きゅあっ!?』
まさか自分にも攻撃されるとは思っていなかっただろう、ヘルタイガーに追撃しようとしていた子竜に、理鷲は“火球”を放ち、その行動を封じる。
それにどんな目的があろうと、今の子竜の行為は邪魔にしかならない。
大人のヘルタイガーと子供のドラゴン。いくら生物ヒエラルキーの上位に居るドラゴンとはいえ、まだ子供である以上、大人である他の生物に勝てるとは思えない。
ーーまあ、そんな二匹の間に居る人間の理鷲が、一番危ないのだが。
「今更だけど、ここまでにしよう。君はその子を連れて帰れ。親なんだろう?」
『……グルル』
「もし、次攻撃したら、その子の前で死ぬことになるぞ?」
軽く剣を振り、納剣した理鷲にもう攻撃の意志が無いと判断したのか、ヘルタイガーの唸り声も小さくなっていき、子供の首根っこを掴むと、足早に茂みの中へと消えていく。
そんな彼らを見送り、理鷲も一息吐くと、自身に近付いてきた存在に目を向ける。
「瀕死になるっつーたのに、このお人好しめが」
「そうは言いますが、これでも必死だったんですよ」
木々の合間から姿を見せたリュークハルトに、理鷲はそう返す。
自分の死ぬ瞬間が、何度脳裏を過ぎったことか。
「それにしても……」
リュークハルトが目を向けたのは、尻尾をゆらゆらと揺らしながら、何も無かったかのように、こちらを見つめる子竜。
何となく「褒めて褒めて」と言っているようにも見えるが、理鷲もリュークハルトも自分から声を掛けたりはしない。
「あれだけはっきりと『邪魔』と言われた上に、魔法を放たれたっつーのに、ピンピンしてる上に、威嚇すら無いとは……よっぽど気に入られたんだな」
そう言いつつ、呆れた目からニヤリと笑みを浮かべたリュークハルトに、理鷲はムッとする。
「気に入られてません。それに、魔法をぶつけられて喜ぶとか、そんな性癖の持ち主、私は願い下げです」
遠回しに聞こえつつも、はっきりと否定する理鷲に、リュークハルトは「だな。俺もだ」と同意する。特殊性癖の持ち主など、面倒でしかない。
「だが、どうする。このまま放置するわけにも行かないぞ」
「……」
理鷲が子竜に目を向ければ、子竜はぱちりと爬虫類のような目を瞬きする。
「もし仮に、あそこまで連れて行ったとしても、メリットよりデメリットしか無いぞ?」
何かを確認するかのようなリュークハルトの言葉に、理鷲は目を閉じ、溜め息を長めに吐く。
「連れ帰るのに許可を出したようなものですから、リュークハルトさんも共犯ですよ」
「勝手に言ってろ。今更一匹ぐらい居候が増えたところで……いや、ドラゴンが増えるとなると、食費が嵩むか」
ようやく丸く収まり掛けたと思えば、現実問題が二人を襲う。
理鷲一人なら、保存食などでやりくりすれば問題ないのだが、相手が子供とはいえドラゴンだと、必要となる量はかなり増えることとなる。特に子供であることから、成長するためのエネルギーは必要となるため、=食料も相応に必要となってくる。
時折、森を出ることがあるリュークハルトの財布を逼迫する程にーーともなれば、出す結論はただ一つ。
「ここに放置するか、遭遇した場所に返してきなさい」
「うん、分かった」
『きゅあっ!?』
リュークハルトの言葉に、ただの居候である理鷲が逆らえるわけもないのであっさりと従えば、明らかに許可が降りそうな空気だったのが一変したことに、子竜が驚いたような声を上げる。
もし仮に、ここで理鷲がリュークハルトに反論したとしても、ドラゴンなんて元の世界に居なかったために、彼女にしてみれば、エサ等をどうすればいいのかなんて分かるはずがない。
「だって、ドラゴンの世話どころか、爬虫類の世話自体、したことがありませんし」
架空の存在だから憧れなども抱けるが、それが現実となれば話は別であり、そもそも理鷲のような年齢の女子で、見ることは出来ても(積極的に)世話までしようと思う女子は少ないのではないのだろうか。
「爬虫類って……」
『きゅあっ!』
「言いたいことは分かるし、間違ってるとも言うつもりはないが、ドラゴンは見た目が爬虫類なだけで、完全な爬虫類ではないのだが」と言いたげなリュークハルトに対し、その場に可愛らしい声が響き渡る。
「……」
「……」
空気が読めない奴だとは思っていない。寧ろ、読んだ上で声を発したのなら、(子供だけど)ドラゴンにしては将来有望というべきか、不安だというべきか。
対する子竜は、じっと二人を見つめている。
ーーきっと、ここが人生で選択するべき一つであり、分かれ目。
今、子竜を同行させようとしても、手放したとしてもーーどちらの選択が良い方に傾くかなんて、未来がどうなるのかなんて分からない。
(まさに、ギャンブルだな)
一度取り下げたことを覆すためには、勇気が必要となる。
そして、実は子竜がこちらを試しに来ていようが、何の意図も無かろうが、理鷲とリュークハルトの意見がこの場の空気を破ることになるのは変わりない。
天を仰ぐ形で、目を閉じ、息を吐いた理鷲は目を開き、リュークハルトに目を向ける。
「リュークハルトさん」
「あ?」
「ふざけたこと言うなよ?」とでも言いたげに、リュークハルトは理鷲に視線を返す。
「この子に、場所だけ提供するというのは?」
食事は自分で採りに行かせ、寝る場所だけ提供する。
それなら、リュークハルトたちの財布を逼迫する心配もないし、何より、この森で好き放題させないために、シルフィリア家から森の管理を任されているリュークハルトの管理下に置ける。
「……」
リュークハルトとしては、一部とはいえ子竜を自らの管理下に置けるのは有り難いが、本音としてはぶっちゃけシルフィリア家に任せたい所ではある。
けどまあーー
「……場所だけ、な」
そんなリュークハルトの言葉に、子竜の目が輝き始める。
『きゅああああっ!!』
一緒に居られることがそんなに嬉しいのか、と内心ツッコミながらも、二人は呆れた目を子竜に向ける。
「とりあえず、この子の名前を決めましょうか。いつまでも『子竜』とか『ドラゴン』とか呼ぶわけにはいきませんし、名前付けて愛着を持っちゃえば、少しは可愛く見えるはずです」
「名前って言ってもなぁ……」
性別も分からないのに、名前も何も無いだろう。
それに、ドラゴンとはいえ、一生を左右するかもしれない名前なのだ。すぐさま浮かぶわけがない。
現に、理鷲も名前は何が良いのか、考えている。
「……」
『きゅ?』
右も左も分からない状態で、種族の違う『親』に育てられて、このドラゴンは本当に良いのだろうか。
そもそも自力で孵り、理鷲と遭遇できたから良かったものの、我が子同然な子竜を卵の時から、それなりの危険もある森に置いていくという、子竜の親であろうドラゴンの真意は何だったのか。
(しかも、翼付きということは、飛行可能系のドラゴン、か)
子供の竜は、親に翼があるのなら、同じように翼を持って生まれてくるという、親の特性を受け継いで生まれてくることが多い。
そして、幸か不幸か理鷲に付いてきてしまった子竜の背中にも翼があることから、親が飛行可能系のドラゴンであることは推測できる。
「……『アッシュ』、かな」
「『クローディア』だな」
互いにそう告げあったことで、「ん?」と顔を見合わせる。
「『アッシュ』にしません? 偶然とはいえ、私が見つけたわけですし」
「『クローディア』。オスかメスかも分からないのに、明らかにオスだと思わせるような名前を付けるんじゃねぇよ」
「そんなこと言ったら、リュークハルトさんの『クローディア』だって、女の子っぽいじゃないですか!」
「だが、たとえメスだったとしても、呼び方はオスの名前みたいに呼べるぞ? 『ディア』とかな」
ぐぬぬ、とどこか悔しそうにする理鷲に、リュークハルトが勝ったとばかりに口角を浮かべるがーー
「そんな言い争いしないで、いっそのこと間を取っちゃえば良いのに」
この場と森に似付かわしくない、女性の声が響く。
「ミリアーヌさん……?」
「何故ここに?」と言いたげに理鷲が驚きの目を向けた先には、足場が悪くて大変なはずなのに、いつもと変わらぬ笑みを浮かべるミリアーヌと、この状況に苦笑いするラルクレールが居た。
「それにしても、子供のドラゴンなぁ……」
子竜に目を向け、頭を抱えるラルクレールに、リュークハルトはリュークハルトで、「で?」と続きを促す。
「ん?」
「間を取るって言うのは?」
「ああ。『アッシュ』と『クローディア』。これを組み合わせて『アーク』。どうよ」
ふふん、と言いたげなミリアーヌに、リュークハルトは呆れた目を向け、ラルクレールは再度頭を抱える。
そして、理鷲はといえば、ドラゴンの子供に目を向けていた。
「どれがいい?」
『きゅあ?』
ダメ元で子竜に聞いてみたものの、よく分かってないのか、首を傾げられる。
「もう、三つで良いだろ。どの名前で呼んだとしても、ちゃんと反応するように躾れば良いんだから」
「……」
「……」
「……」
ラルクレールの言葉に、理鷲とリュークハルトは眉間に皺を寄せ、ミリアーヌは「あらあら」と言いたげに、口に手を当てている。
それがどんなに大変で、子竜を混乱させる可能性はあるにしろ、こうして子竜が会い、選んだ『親』候補は理鷲とリュークハルトなのだ。
「それじゃあ……」
だから、理鷲は片膝を着いて、子竜と目を合わせ、片手を差し出しながら告げる。
「これから、よろしくねーー『アークロディッシュ』」
上手いこと混ぜたであろう、理鷲が告げたその名前に、子竜ーーアークロディッシュが『きゅあ!』と声を上げる。
「まさかの、『アーク』どころか、フルシャッフルとは……」
「しかも、名付けたことによる契約まで完了しちゃうんだから、びっくりよねぇ。あ、でも、この森の生態系とか、大丈夫かしら?」
理鷲が告げた名前にラルクレールは顔を引きつらせ、彼女が差し出していた手に浮かび上がった紋章を見たミリアーヌは微笑む。
「いや、笑ってる場合じゃないだろ。どうすんだよ。あいつらにぃっ……!」
余計なことを口にしそうになったラルクレールの足を、ミリアーヌはこれでもかと踏みつける。
「ラ・ル・ク?」
「……悪い」
そんな二人を、リュークハルトは完全に疑いの眼差しで見ているが、理鷲は先程のミリアーヌの発言が気になった。
ーー契約者。
恐らく、一生の付き合いになるのだろうが、「もし自分が役目を終えて、故郷に帰った場合はどうなるんだろう?」と理鷲は考える。
『ドラゴン』という存在の有無を思うと、アークロディッシュはこちらの世界で生活する方が良いのだろうし、もし契約譲渡が出来るのなら、アークロディッシュのもう一人の親代わりとなったであろうリュークハルトに契約譲渡した方が、アークロディッシュのためだとも思えて。
それにーーたとえその考えが、理鷲個人の勝手な都合であることは理解していたとしても、『契約』というものが意味することも考える必要があって。
「大丈夫。そういう面倒くさいことの対応をするのが、私たち大人の役目だから」
理鷲が不安になっていることを察したのだろうミリアーヌが、言葉の中にさり気なくラルクレールとリュークハルトの両名も巻き込みつつ、理鷲の肩に軽く手を置いて、微笑みながら声を掛ける。
「だから、貴女は変な気を回さなくて大丈夫よ」
「ミリアーヌさん……」
ミリアーヌに手を引かれ、立ち上がった理鷲は、契約紋章がある手を握りしめ、拳を作る。
「分かりました。お任せします」
そうは言いながらも、ミリアーヌたちで無理なら、神様に連絡してどうにかしてもらおう、と理鷲は考える。
「なぁ、一つ思ったことを言って良いか?」
「ん? 何かな?」
唐突とも言えるタイミングで口を開いたリュークハルトに、ミリアーヌは彼に目を向ける。
「母子なのに、名前で呼ばれてるんだな」
あ、と言われて気付いたときには遅く、ミリアーヌがこの場に姿を見せたときから、理鷲は彼女を「ミリアーヌさん」と呼んでいた。ーー「お母さん」や「お母様」といった母親に対する呼び方ではなく。
「前にも聞いたとは思うが、そろそろ話してもらおうか」
ニヤリと笑みを浮かべるリュークハルトに、理鷲とミリアーヌ、ラルクレールはーーある意味では思いっ切りーー顔を引きつらせた。
第八話に続きます