破滅との出会い
朝日が町を覆い始めていた。
黒木はあの花の研究をする気も無く、遺跡にも行きたい気分ではなかった。どこか人の居る場所をぶらぶらしたい気分だった。
そんな気分を解消するために、近くの町に出た。
そこは日本の大都会の様なビルやショッピングモールなんてなかった。が、人は沢山居た。元々フィリピンの町には何の期待も持っていなかった。しかしバナナは好きだ。
「腹が減ったな」
そう言って何を食べようか考えた。フィリピン料理なんて食べたことも見たことも無く、何があるか知らない。きっと炊いたごはんに切ったトマトでも載せてるんだろうな。
携帯電話の着信音がなった。不屈の名作『エクソシスト』で使われたあの不気味ながらも魅力のあるテーマ曲のメロディが流れている。
この着信音は知ってる。高校時代からの大親友の1人――相沢信也だな。確か今は防衛大学に居るのか?いや卒業したんだっけ?まあどうでもいい。どっちにしても彼が自衛隊に居るのは確かだ。
出ようとした。
その時、誰かにぶつかった。
「痛てッ!」と黒木。
「痛ッ!」とぶつかった人物。
黒木は立ち上がり、その人物を見た。
それは学校の制服を着た女子中学生だ。
それはフィリピン人のはずなのに、フィリピンではないような美人だった。スタイルもモデルのように良い。
周りに数字やら文字やらが沢山書いている紙が無数に散らばっている。
「ああ!宿題が!」
その少女は慌てて紙を集めた。黒木も紙集めを手伝った。
「大丈夫かい?」
黒木はそう言いながら紙を渡した。
「ありがとうございます」
少女は紙を受け取り、一礼して立ち上がった。
「いけない!もうこんな時間!学校に遅れちゃう!」
少女は慌てた顔をしていた。
学校――懐かしい。自分も遅刻を恐れて慌てて走って登校した時期があったな。
たまたまタクシーが近くを通ってきた。黒木はタクシーを止めた。
「ぶつかったお詫びに学校まで送っていくよ」
「えっ?いいです、タクシーって高いんじゃ……」
「そうか?遅刻するぞ?」
彼女も遅刻は避けたかったのだろう。お礼を言ってタクシーに乗った。黒木も乗った。料金を支払うためだ。ついでにどんな学校に通っているか見てみたい。
タクシーは僅か数分で学校に着いた。
やはり日本よりも感じが違うが、懐かしさを感じた。今はもうない青春期。思う存分楽しめなかったのは今でも後悔している。勉強より友人と遊んでおけばよかった。
少女は降りた。
「良かった!ギリギリ間に合った。このご恩忘れません」
「いや、ぶつかったせいで紙が何枚か無くなったろ?お詫びだ」
「あの、お名前は?」
「黒木大輝だ。君は」
「アイビです。フィルビナンド・アイビ」
黒木は彼女を見送り、再び町に戻った。
このとき2人は知る由も無かった。
この出会いが後に破滅を導くことを――――
黒木は再び研究所に戻った。前とは違い、日本人の数が増えた。全員科学者やら博士号を持つ者ばかりだ。
廊下の角で黒木はまた誰かとぶつかった。何かの皮肉だろうか。
「また痛っ!」
「痛っ!」
両者共々大げさに転んだ。
「いてて……あっ書類が!」
その女性は慌てて書類を集めた。今のも事故だが黒木にも責任はある。黒木は書類集めを手伝い、渡した。
「ありがとうございます」
その女性は立ち上がった。
それは白衣が似合う女性だった。ポニーテールに纏めた髪はしっとり滑らかっていうような感じだ。優しそうな顔立ちだ。母性と言うものを感じる。
「何やってるの?坂本さん」
「申し訳ございません!大澤博士!」
坂本と呼ばれた女性は立ち上がり、声の主に深々と頭を下げた。
黒木はその女性を見た。
その女性は美人だが、どこかミステリアスだ。
「その方は?」
「あ、いえ、角でぶつかった人です」
ミステリアスな女性は嫌らしい目で黒木を見つめた。
「ここに居ると言うことは野村さんが召集した科学者の1人かしら?」
どこか上から目線を感じさせる声質だった。黒木は少しむっとした。
「いや、ただのオタクだ」
「天才はたいていはオタクよ」
「20世紀に残る問題発言だな」
その女性はふーんとばかり頷いた。坂本が喋った。
「この方は大澤知冬博士です。私は助手の坂本京子」
坂本は知的を思わせる眼鏡を掛け直した。
黒木は床に落ちていた写真を拾った。そこには赤ん坊が映っていた。
「お子さん?」
坂本は誇らしそうな顔をした。
「娘です。今年で3歳くらいになるんだっけ?名前は真希」
「真希?」
「“真の希望”だっけ?夫が名づけたもので、由来はあまり知りません」
自分の娘の名前の由来が知らないなんて、珍しい親だな。もっとも真希という名前はいい名前だと黒木は思っていた。娘か、自分も子供は欲しいもんだ。いや、やはりいらないな。中学校で好きな子に振られて以来一生童貞を突き通すと硬く誓った。
「あなたも名乗ったら?」
大澤は挑発的な口調で言った。
「自分の名前を名乗るのも紳士的な行為でしょ」
「大澤博士、失礼ですよ!」
「いや、いいんだ」
黒木はため息つき、答えた。
「黒木大輝だ」
すると、2人が驚愕した。無理も無い。化学界に突然現れた大天才と言われてるんだ。数々の癌の治療法を見つけたんだ。まだ実用には至ってないが。
「医学界から姿を消したと思うと、こんな国にいたなんて」
「厳密に言えばつい前まではイタリアでピザを食ってた。うまいぞ」
フィリピンは嫌いではない。バナナがうまいからだ。
「それより、なぜこんなに研究者が集まってるんだ?」
「何も聞いてないんですか?」
「何を?」
「新種のウィルスが発見されたんです」
一瞬耳を疑ったが、瞬時に理解した。顕微鏡にセットしておいたあの花からウィルスを発見したのは他でもない黒木だからだ。他言無用だと約束し、野村に話したんだが、どうやら彼がばらしたんだな。
「誰からの連絡だ?」
「野村博士です」
裏切り者め……
「まあ、頑張って」
「何をおっしゃってるんですか?」
「ん?」
「この研究所と研究プロジェクトの最高責任者はあなたですよ」
「はい?!」
野村め、勝手に俺を責任者に……
「でも驚いたわ。責任者名が黒木博士になってたけど、実物がすぐにお目になれるなんて」
黒木はとにかく野村を殴りたい気分になった。
「じゃ、俺は研究室に」
そう言って野村が居るであろうレベル4の研究室に向かった。
案の定、野村は居た。
「野村博士!どういうことだ!」
野村はびくっとした。
「ウィルスを他人にばらしただけでなく、俺を勝手に責任者に!」
「おっ落ち着け、別に悪気があったわけじゃない」
「お前――」
「独断でいろんなことしてすまない。だが、俺たちだけでウィルス発見は不可能だ」
「そうだが――」
「それにウィルスの存在は公にしてない。世界中の研究機関はおろかフィリピン政府にも知らせてない」
「…」
黒木は近くの椅子に座った。
自分がウィルスを発見した時のことを思い出す。
それは2日前の夜だった。
あの花の雌蕊あたりを顕微鏡で見ていると、偶然にもどの科にも当てはまらない新種ウィルスを発見した。
その時の興奮を今も忘れてない。
「まあ、そうだな」
このとき黒木は知る由もなかった。
後にこのウィルスが引き起こす惨劇を――――