依頼
【主要登場人物】
黒木大輝
天才生物学者。1人旅を趣味とする。異性に興味がない。美術と独身生活を愛する孤独な男。
野村たけし
ウイルス学者。新種ウイルスを発見し、歴史に名を残すことを夢見ている。
フェルディナンド・アイビ
フィリピン人少女。元気のある優しい美人のため、学校ではアイドル的存在。
山岸薫子
野村の助手。自分の問題は自分で解決するべきと考えており、誰にも心が開けない。
山岸百合
薫子の妹。姉とは反対で誰にでも心が開ける。
カルロ・アリギエーリ
イタリア古美術収集家。黒木と面識がある。
ジョン・ハドソン
傭兵部隊総隊長。老人だが、強靭な肉体を持つベトナム戦争経験者。ベトナム戦争での影響か、アジア人を恐れている。
ロシュ
武装傭兵部隊隊長。戦争経験者だが、どの戦争経験者かは言わない。
シャルトラン
武装傭兵部隊少尉。
マクシミリア神父
フィリピン教会の神父。ヨーロッパ人。元エクソシスト。
彼ははっと周りを見渡した。そこは殺風景の平地だった。地面には、大勢の兵士の死体が転がっていた。兵士と言っても、明らかに古代の兵士だ。彼は兵士の鎧と盾を見た。ローマ兵だった。
黒木大輝は、はっと目を覚ました。頭がぼんやりしたまま、ベッドから降りた。
「…夢か…」
大輝は頭を働かせようと頬を叩いた。電話が鳴っていた。
「えっと…もしもし?」
「クロキタイキトオハナシガシタイ」片言の日本語だ。訛りからしてイタリア人かな?
「イタリア語で大丈夫です」とりあえず日本語で言ってみた。
すると、向こうはイタリア語で何かを言った。大輝は頭の中で訳した。こいつは確か、黒木大輝に用があると言ったな。
「私がそうです」イタリア語で答えた。
「やあ大輝君。君に話がある」やけに馴れ馴れしい人だな。
「失礼ですが、どなたですか?」
「おっと、名前は名乗らないとな。私はカルロ・アリギエーリ」
カルロ?どっかで聞いた名だな…
「君に助けられた男だ」
そう言えば、この前バスの中で突然倒れた老人が居たな。俺がすぐに緊急措置を取ったおかげで一命は取り留めたけどな…
「えっと、何の用ですか?礼なら要りませんから」
「実は私は来週フィリピンに行くことにした」
「それはそれは、おめでたい」
「そこで是非にと君に同行してもらいたい」
耳を疑った。「同行?失礼ですが、話がまったく掴めません」
「君は優秀な生物学者だと、君の同僚が言っていたぞ」
「確かに生物学は得意分野ですが、あくまで生物学であって、医療技術ではありません」
「同じことだ」
「いいえ、まったく違います」
しばらく沈黙が続いた。
「では、もしフィリピンで古代遺跡が見つかったと言ったら、君はどうする?」
黒木の血が騒いだ。古代遺跡だって?」
「本当ですか…?」興奮を押さえた声で聞いた。
「ああ。つい最近、フィリピンに滞在中の私の執事が、フィリピンで遺跡を発見したと」
「それで?」
「私は古美術などに興味があってな。話によると君は美術や遺跡などを愛する男だと聞く」
黒木は完全に負けた。「あなたの勝ちだ。同行させてください」
その返事に向こうは満足した。
「来週だ。自家用機でフィリピンに行く。集合場所は、ジュネーヴ」
「ニューヨーク州のジュネーヴですか?」
「スイスのジュネーヴだ」
「なら、そちらに行くのにかなり時間が掛かりますね」
「なぜ?」
「日本とヨーロッパは遠いんですよ?」
「君はイタリアに滞在中だと聞いたが」
そうだった。あの悪夢のせいで自分は日本にいると思っていた。
「では、来週ジュネーヴに行けばいいんですね?」
「詳しい場所はファックスで送る」
「では」
「いい夜を」
電話が切れた。
黒木は眠れないときの特効薬――湯気が立つココアを味を楽しむようにゆっくりと口に注いだ。
彼の両親は大富豪であったため、世界各地に別荘を建てている。イタリアも例外ではない。
彼の部屋は生物学の博物館のようだと、両親にからかわれた記憶がある。動物図鑑、人体模型、小型動植物の標本、ウイルスレポートなどが、部屋に飾ってある。
黒木は木製の椅子に腰をかけ、ココアのぬくもりを味わった。
彼は昔から図抜けた美男子とまでは行かないが、同級生や同僚が、理知的と評する魅力があった。
豊かな黒い髪、好奇心に満ちた鋭い瞳、人の心をつかむ、渋い深い声、運動選手並みの肉体、大人びた顔。同じ研究所に勤める女性研究員たちからは、かなりの人気と人望があった。
学生の頃は謎の少年扱いされ、好奇心の目を向けられた。知識が豊富で勉強ができ、なおかつ運動神経も良かったことからか、バレンタインデーには山のようなチョコを貰った。どの教科の発表でも手を抜かず、コンピューター・グラフィックなどで分かりやすく説明するため、いつも発表の時は生徒からも教師からも期待されたものだ。
黒木は鏡で自分を見つめた。昔から何も変わっていないな。唯一変わったことは、面白みが減ったことだ…
幼少の頃から、あらゆるものに興味が出たら、図書館やインターネットでよく調べたものだ。独自の調査書を作ったこともある。生物学と美術と宗教は特に興味があった。生物学者になったのも、興味があったからだ。何百種類もの細菌やウイルスを調べるのは楽しかったな。
だが、年をとるごとに、段々と面白みが減った。今ではウイルスと美術以外には何も興味がない。
昔は良かった。昔は世界は未知のパンドラボックスだったな…
よく同僚達に言われたものだ。
「お前に<愛>はないのか?」
そのたびに決まって答える。
「俺は3つのものを愛してる」
黒木が人生で愛の対象になっているもの――――生物学、美術、独身生活。
最後の独身生活は、黒木にとって自由そのものだった。何にも縛られることなく、世界を旅したり、好きなだけ眠ったり、好きなだけ食べたり、好きなだけ勉強したり、好きなだけ遊べたりする。
独身生活はいい。まさに神が、俺に与えてくれた最愛の生活だ。
1匹のシュパード犬が舌を出しながら黒木の所にやって来た。
おっと、もう2つ愛するものがあったな。愛犬のサム、そして、エヴァンゲリオン。
ファックスが受信した。紙がゆっくりと出てきた。
「完璧な予定だ。来週から忙しくなるぞ」
ファックスには地図が載っていた。