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前世の記憶を取り戻した私はモラハラ婚約者に反撃する

作者: 早島りんご
掲載日:2026/06/25

「お前は俺がいないと何もできないんだから」


 死の淵に立ってなお、婚約者が私をあざ笑う声が聞こえる気がする。

 婚約者はずっと私を下に見ていた。私を自分より劣った存在だと決めつけ、少しでも気が立てば舌打ちし、私の交友関係など意味のないものだとバッサリ切り捨てるように言い続けた。


 そんな生活が何年も続いた。

 もう限界だ。


 私ってなんだろう。私らしさってなんだろう。

 自分で自分を見失った結果、もうこれ以上生きていくのが嫌になってしまった。


 だから、私は死ぬことにした。


 世間で劇薬だと言われている薬を、こっそりと何種類か買い集めた。

 親の目を盗んでこれらを準備するのは、王立学園の生徒である私には大変骨の折れる作業だった。

 集めた劇薬たちを混ぜて、一気に喉の奥へと流し込む。


 まるで炎で焼き尽くすかのような強い刺激が鼻の奥を襲う。それから、信じられないような苦さが舌をビリビリと痺れさせた。


 喉の奥を伝う劇薬たちが腹に落ちきる前に、心臓はバクバクと暴れだし、全身から血の気が引くような感覚が私を襲った。

 喉を通り過ぎた劇薬は、次第に腹の中で渦を巻くように暴れだし、全身から冷や汗が吹き出す。


 苦しい。苦しい。

 でも、婚約者のエリーアスに蔑まれ続けた日々に比べたらずっとマシ。

 やっとあの苦しい日々が終わる——と安堵しかけたその時。


 ふいに、私の知らない世界の映像が頭の中を駆け巡りだした。


 黒い襟のジャケットに、裾が膝上でまっすぐに切りそろえられたスカート。

 私を叱責する、年かさの男。頭を下げ続ける自分。


 高い塔のような建物の中に帰りつき、ドアを開けたところで倒れ込む。

 私の意識はそこで途切れる。


 ——これはもしや、私の前世の記憶じゃない⁉


 そうだ、思い出した。

 私は、前世でブラック企業に勤めていた。毎日繰り返される叱責、日付を跨いでも終わらない業務量。なんとかタクシーで自宅マンションに帰り着いた私は、玄関で倒れ込むようにしてそのまま気を失った。おそらく、そのままそこで死んだのだ。


 その後、この世界に転生したのだろう。

 私はユーリヒ侯爵家の長女として生を受け、ビアンカという名前をつけられた。

 しかし両親は私に興味がない。彼らの興味は長男である弟に一心に注がれているのだ。


 私はエリーアス・ゲルデルン侯爵令息と婚約した上で、王立学園で学生生活を送っていた。18歳の私は、卒業が近い。

 けれど、卒業したらエリーアスの元へ嫁ぎ、今以上に苦しい生活が待っているのは明白だった。

 そうなる前に命を断とうとしたタイミングで、前世を思い出したのだ。


 エリーアスから受けた屈辱の日々……これって、前世で言うところのモラハラってやつじゃない? 私がモラハラに甘んじる理由なんてなくない? 私の気が弱く、要領が悪いのが原因だと思ってたけど、そうじゃない。悪いのは明らかにモラハラをしてくるエリーアスだ!


 私はぐるぐると視界が回る中、トイレに駆け込んだ。そこで、便器を抱えて盛大にえづく。飲み込んだ劇薬たちを全て吐き出すのだ。


 全てを思い出した今、ここで死んでたまるか!

 モラハラに屈してたまるか!


 前世も今世もモラハラに苦しめられたのは不運だったと思う。でも、まだやり直せるはず!


 私は薬を少し吐き出したあと、這うようにしてベッドサイドまで移動し、そこに置いてあったベルを鳴らした。

 その音を聞きつけたメイドが扉の向こうから呼びかけてくる。


 私は息も絶え絶えに言う。


「お医者様を呼んで頂戴。間違えて、薬をたくさん飲んでしまったの。でも私は……ここで死ぬ訳にはいかないから」



 あの後、私は三日三晩苦しんだ。

 高熱と嘔吐を繰り返し、死の淵をさまよった。


 けれど、絶対に生きてエリーアスに反撃すると決めた私は、自分の生を諦めなかった。


 医者からはどうしてこんな劇薬を何種類も飲んだのかと問い詰められたが、「体調不良に自力で対処しようとした」という言い訳で押し通した。

 幸い、私に興味のない親は私を問い詰めることもなく、私は療養に専念できた。


 この国にはモラハラという概念はない。周辺諸国と比べると私が住む国での女性の立場は弱く、パートナーからの身体的暴力は許されないが、言葉の暴力や人格否定などを咎める人はいない。


 だからこそエリーアスも増長したのだろうが、前世の記憶を取り戻した今、これ以上彼の横暴を許す訳にはいかない。前世の上司に散々モラハラされた分も含めて、絶対に仕返ししてやる!


 体調が回復した私は、王立学園の制服に袖を通す。

 袖がヒラヒラと長いジャケットに、スカートは足首の近くまである独特なデザインだ。

 私はメイドに首元のリボンをきゅっと結んでもらい、鏡の前に立つ。


 鏡の前に立つのは、サラサラとした栗色の髪が美しい少女だ。

 可愛らしい顔立ちではあるが、目がつぶらで、鼻も口も小さい。気が強そうなタイプには見えない。モラハラ野郎からすれば、恰好の餌食のような見た目にも見える。


 どうせなら、派手な顔立ちに縦ロールヘアの悪役令嬢スタイルの方が良かった。

 しかし、そんなことを言ったってしょうがない。

 私は自分に与えられたカードで戦うしかないのだ。



「おや、ビアンカ。やっと学園に出て来られたのか? 卒業前の貴重な時期に何日も休むだなんて、本当に愚図だな」


 エリーアスは私の姿を見るなりつかつかと歩み寄り、私にしか聞こえない声量で嫌味をかましてきた。

 婚約者なら、せめてパートナーの体調を気遣う一言でも言ったらどうなの⁉


 私がイライラしている横で、エリーアスはすれ違う同級生たちににこやかに挨拶を返している。彼は私に対しては非常に横暴だが、それ以外の人に対してはムチャクチャ愛想が良い。だから、他の人にエリーアスのモラハラを訴えても、きっと信じてもらえないだろう。


 いつもならエリーアスの嫌味に対してうつむくかビクビクするかの二択だが、今日の私は違う。


「あら、エリーアス。パートナーの体調を気遣う一言すら出てこないなんて、あなたのほうがよっぽど頭の回転の鈍った愚図だわ」


 私が強い言葉で言い返すと思わなかったのだろう。エリーアスは目を丸くして口をパクパクさせている。


「私は卒業研究も終えて、とっくに提出してるもの。体調不良で少しくらい休んだって全く影響ないわ。それに引き換え、あなたはまだ卒業研究が提出できてないんじゃなくて? このままじゃ卒業取り消しになったら、侯爵家の名に傷がつくわよ。王立学園を卒業できない侯爵令息なんて前代未聞よ」


 エリーアスの顔が、怒りでみるみる赤く染まる。


「ビアンカ! お前どうしたんだ⁉ 淑女らしい従順さはどうした? 従順なところだけがお前のいいところじゃないのか⁉」


「あら、従順さ以外にもいいところなんていくらでもあるわ。成績だって優秀だし、先生からの覚えもいい。家柄だって申し分ないし、顔だって可愛いし。それに引き換え、あなたは私を罵ることしか能がないじゃない」


「ふざけるな! 俺は侯爵令息だ。お前じゃなくても、嫁に来たがる娘など掃いて捨てる程いるんだぞ! 俺にそんな態度を取っていいと思っているのか⁉ だいたい、お前の両親はお前に興味などないし、お前には友達もいない。俺がいなくなったら、お前の周りには誰もいなくなるんだぞ!」


 友達がほとんどいないのは、エリーアスが私の友人関係を厳しく制限したせいだ。

 派手な見た目の子、成績があまり良くない子、家柄が私より格下の子は全てふさわしくないと交流を辞めるように言われたのだ。


 それに従った以前の私は本当にバカだったと思う。

 けれど、友達なんて今から作っても遅くない。

 両親が私に興味がないのは仕方ないが、私だって侯爵令嬢だ。家柄は悪くないし、まだ若い私にはいくらでも嫁ぎ先があるはずだ。最悪、年の離れたおじさんに嫁いでもいいと思っている——モラハラしなければね!


「お前がそんな反抗的な態度を取るなら、俺にも考えがある! もう卒業式のエスコートはしてやらないからな! そうだ、俺の友人のカーヤは父上がご病気で卒業式に来れないと言っていたな。よし、彼女のエスコート役を俺がやってやろう」


 何が友人のカーヤだ。お前の浮気相手だろう! 知ってるんだからね!


 エリーアスはヒートアップしすぎて周りが見えていないのか、それなりに大きな声で喋っていた。何事かと周囲の人たちが私達をジロジロと見ている。

 それに気づいたエリーアスはコホンと咳ばらいをすると、私の耳元に口を近づけた。


「覚えておけよ」


 彼はそれだけ言い残すと、どこかへ去って行ってしまった。

 愛しのカーヤたんに慰めてもらうのかもしれない。


 遠ざかっていくエリーアスの後ろ姿を見ながら、私は自分の心臓がバクバクしていることに気付いた。

 前世でも今世でも初めてモラハラ相手に言い返したのだ。


 言いたいことを言ってスッキリした半面、逆上されるのではないかと怖かったのも事実。掌にはうっすらと汗が滲んでいる。

 

「お、お見事だったよ」


 そう言って声をかけてきたのは、留学生のセレスタンだ。

 いつも前髪が長くて、目元をすっぽりと覆い隠している。


 わざわざ留学してくるくらいだから良家のお坊ちゃんなんだろうが、気弱で大人しいため、あまりみんなから相手にされていない。

 けれど、同じ気弱仲間の私とは気が合い、卒業研究の情報交換などを通じて親しくなった。


 エリーアス的には取るに足らない存在らしく、セレスタンとの交流は制限されることはなかった。


「セレスタン、ごきげんよう。恥ずかしいところを見せてしまったわね」


「いやいや、普段大人しい君があそこまで言い返す様子はまさに痛快だったよ。エリーアスはなんていうか、君に対しては辛辣すぎるところがあったし」


「あら、気づいてたの?」


 エリーアスは異常に外面が良いため、私以外からの評価は高いのかと思っていた。


「うん。それに僕に対しても結構冷たかったからさ。彼、パッと見は愛想が良いけど、自分より格下と認定した人間のことはあからさまに見下してる感じだったよ。意外とそう思ってる同級生は多いんじゃないかな」


 そうなのか。私だけがエリーアスの本性に気付いて苦しんでいるのかと思っていた。もしかすると、もっと早くに助けを求めていたら、私は自殺未遂などしなくて済んだのかもしれない。


「ところで、卒業パーティのエスコートのことなんだけど」


「ああ、エリーアスはカーヤをエスコートするらしいわね。公式の場で堂々と浮気相手と腕を組むなんて、笑っちゃうわ」


 女子学生のエスコートは在校生の異性か、婚約者、もしくは男性親族と決まっている。

 けれど父が私をエスコートしてくれるとは思えないし、他にエスコートを頼めそうな男子学生はいない。私は一人寂しく卒業パーティに出るしかないだろう。


「もし、ビアンカさえ良ければ、僕にエスコートさせてもらえないかな」


「セレスタンが⁉」


 思わぬ申し出に、私は素っ頓狂な声をあげた。


「うん。じ、実は、前からビアンカのことをいいなって思ってたんだけど、エリーアスの手前、おおっぴらにアピールすることもできなかったんだ。でもエリーアスがカーヤをエスコートするなら、僕に思い出作りをさせると思って、僕に君をエスコートさせてくれないだろうか」


 長い前髪から、セレスタンの漆黒の瞳がのぞく。

 意外とくっきりとした目は、まっすぐに私をとらえている。その真摯さに、思わず胸が高鳴る。


「思い出作りだなんて……セレスタンがエスコートしてくれるのなら、私からお願いしたいくらいよ。あなたほど話があって、誠実で素晴らしい友人はいないもの」


 私が微笑むと、セレスタンはぽっと頬を染めた。

 セレスタンに好意を持たれてるなんて知らなかったよー!

 エリーアスのモラハラに気がいきすぎて、周りの好意なんて考えたこともなかった。


「それに私、近いうちにエリーアスとの婚約は解消しようと思っているの。もうこれ以上彼のモラハラには付き合えないもの。だから誰がエスコートしてくれても問題ないわ」


 すると、セレスタンの目が驚きに見開かれたあと、その瞳に情熱の炎が灯った。熱っぽい視線が私に注がれる。


「エリーアスあとの婚約が正式に解消されたら、是非教えてほしい。そして、僕に君への想いを伝えるチャンスを与えてほしい」



 それから数週間が経ち、卒業パーティの当日になった。

 私は両親に散々嫌味を言われながらも、無事にエリーアスとの婚約を解消した。

 たとえ生涯未婚になったとしても、ヨボヨボの爺さんに嫁ぐことになったとしても、一生をモラハラ野郎と過ごすよりは絶対にマシだ。


 パーティ会場には正装に身を包んだ卒業生たちが続々と到着する。

 カップルは皆、揃いのコサージュを胸に飾り、最高の一夜に向けて顔を紅潮させている。


 私はエスコートを申し出てくれたセレスタンに手を引かれ、会場となったホールの扉をくぐる。

 会場の中は色とりどりの生花で飾られ、着飾った卒業生たちが顔を綻ばせてパーティの開始を心待ちにしている。そこはまるでお伽噺に出てくる舞踏会のような華やかさがあった。


「わあ。ドレスを着た同級生の令嬢たちが、みんなお姫様みたいだわ。なんて美しいのかしら」


 私が感嘆の溜息を漏らすと、セレスタンがくすりと笑った。


「そうだね。でも、その中でもビアンカが一番美しいよ。見てごらん、みんな君に釘づけだ」


 そう言われて辺りを見回すと、なるほど、皆の視線が一気にこちらへと注がれているのが分かる。

 セレスタンはその視線の先に私がいると思っているようだが、私は違うと思う。皆が見ているのは、長ったらしい前髪を上げてきりりとした目をあらわにしているセレスタンだ。


 普段は前髪に隠れて彼の顔は暗い印象だが、実はかなり整っているのだ。

 形の良い眉に、意思の強そうなくっきりとした目元。鼻筋が通り、唇は少し薄い。その辺の令嬢にも劣らない程にきめ細かい白肌に、黒い髪がよく映えている。


「みんなセレスタンに夢中なのよ。ホラ、あの辺の令嬢なんてあなたを見て顔を赤らめてるわ」


「ふふ、まさか。皆ビアンカの美しさを再確認してるんだよ。その水色のドレスもよく似合うし、ゆるく結い上げた髪の下からのぞく細い首なんて、最高に色っぽい。どこを見ても溜息が出るほどの美しさだ」


 セレスタンは顔色を変えずに誉め言葉を並べまくる。まるで豪雨のように降り注ぐ甘い言葉の数々に、私は恥ずかしさで思わず手で顔を覆いたくなる。


 でも、絶対に顔を隠したりはしない。うつむいたりもしない。弱々しく見えるようなしぐさはしないと決めている。

 だって私は今日、エリーアスに最後の復讐をし、モラハラと決別するのだから。


 すると、「ビアンカ」と背後から不機嫌な声が聞こえてきた。

 そちらに振り向くと、そこにはカーヤと腕を絡ませたエリーアスが立っている。


「ビアンカ、随分と派手なドレスを着ているんだな。はしたない」


 私の水色のドレスに目をやったエリーアスは吐き捨てるように言った。彼は婚約中、私が華美な服装をするのを好まなかった。まるでエリーアスの影であるかのように、黒や茶色の服ばかりを勧められた。

 でも、もう私は彼の婚約者じゃない。


「あら、エリーアス様、ごきげんよう。もう私たちは婚約を解消したのですから、親し気に呼び捨てで呼ぶのは辞めて頂きたいですわ」


 エリーアスが小さく舌打ちするのが聞こえた。

 その横で、カーヤは野暮ったいシルエットの紺色のドレスに身を包んでいる。本来の彼女なら明るい色のふんわりとしたドレスを好むだろうが、今はエリーアスのモラハラに毒されかけているのかもしれない。


「ビアンカ嬢、君をエスコートしているのは誰だ? お前をエスコートするようなもの好きがいたのか? まさか金を積んで雇った役者か?」


 エリーアスがいぶかしげな目を向ける。目の前にいるのがセレスタンだと分からないらしい。

 まさかエスコート役を金で雇う訳ないじゃない、と反論しかかったところで、ホールの前方に設けられた台の上に学園長が立った。

 パーティの始まりの合図だ。


 学園長の姿に気付いた者からおしゃべりをやめ、ホールの中は自然と静かになる。


「えー、今から卒業パーティを始めるが、その前にひとつ残念なお知らせがある」


 学園長の突然の言葉に、会場内がにわかにざわめく。


「本来は120名が卒業する予定だったが、あー、卒業研究に不正を行った者がいる。よって、卒業生は119名になり、今から名を呼ぶ不正を行った学生は卒業を取り消すこととする」


 会場内のざわめきが一層大きくなる。


「卒業が取り消しになる者は——エリーアス・ゲルデルン」


「なんだって⁉」


 名を呼ばれたエリーアスが大声をあげた。


「俺が不正などする訳がない! 何かの間違いだ!」


「あー、ゲルデルンは卒業研究に必要な資料を捏造していたという報告が他の学生よりもたらされた。学園の方で独自に調査したところ、さきほど裏付けが取れた。よって、ゲルデルンの卒業を取り消す。ゲルデルンはただちに会場から退出し、のちほど教員室まで詳しい話を聞きにくるように」


「嘘だ! そんなのありえない!」


 大声でわめくエリーアスのもとに、複数の教員が訪れる。

教員たちが並ぶ隙間から、エリーアスが私に視線を向ける。


「ビアンカ、お前か⁉ お前が裏切ったんだろ! 俺は不正などしていない! あの女が学園に嘘の報告をしたに違いない! 先生方、俺じゃない。悪いのはビアンカなんです。そうだ、きっと婚約解消の腹いせに嫌がらせを——」


しかし教員たちはエリーアスの話には耳を貸さず、がっちりとエリーアスの両脇を固めると、さっさと会場の外へと引っ張り出していった。

 そこにはポカンと口を開けるカーヤだけが残された。


 エリーアスの卒業研究における不正を密告したのは勿論、他でもない私だ。

 彼は「俺はお前と違って要領がいいからな」とドヤ顔で言い、卒業研究に必要な資料を集めることもなく、あたかも存在するかのように資料を捏造したのだ。


 ちなみに王立学園の卒業研究テーマは、国家防衛から貿易、宮廷マナーや国の歴史などなんでもアリだが、エリーアスは領地経営をテーマにしていた。その上で、ありもしない税収の記録や収穫量をでっちあげて偉そうに持論を並べていたのだ。そんなお粗末なもの、研究として認められなくて当然である。


 確かにエリーアスはそれなりに要領が良かったし、私が密告しなければ彼の不正はバレなかったかもしれない。けれど、婚約者でもないモラハラ野郎にかける情けはない。


 王立学園の卒業を取り消されたとなれば、名門のゲルデルン家の汚点になる。彼の親はかなり厳格なので、今後のエリーアスは運が良ければ魔獣がうじゃうじゃいる極寒の辺境送り、最悪の場合は勘当だろう。エリーアスは兄弟が多いので、出来損ないが一人消えたところでゲルデルン家にはダメージがないのだ。

 学園長がコホン、と咳払いをした。


「さて、卒業生が全員揃ったところで、卒業生を代表してセレスタン・シャロンにスピーチをしてもらう。ちなみに彼がランス国からの留学生であることは皆知ってる通りだと思うが、実は彼はランス国の第三王子だ。本人の希望により、他の学生と同じように扱ってほしいとのことで、王族であることは伏せていた」


 会場のざわめきが一層大きくなる。


「成績優秀者でもあり、ランス国を代表する彼に、この学園での思い出について述べてもらおうと思う」


 セレスタンがニコリと微笑み、壇上へと向かう。

 皆の羨望の眼差しがセレスタンを追いかける。


 私がエリーアスとの婚約を解消したのち、セレスタンはエスコートを再度申し出るとともに自身の身分を明かした。

 上品な青年だと思っていたが、まさか王族だとは思わず私もびっくりした。


 けれど、王族だろうがなんだろうが、彼に対する人として尊敬する気持ちは変わらない。

 卒業パーティを数日後に控えた先日、学園の広い庭園を散歩中に彼は言った。


「君を婚約者としてランス国に迎えたいと思っている。僕はずっと王族としての自分に自信がなかった。でも、エリーアスに毅然と立ち向かう君を見ていたら、僕にもまだまだやれることがあるんじゃないかって思ったんだ。今までは君への恋心を秘めるのみだった。でも、君のような聡明で毅然とした態度を取れる人こそ、僕の国が求める人材であり——そして、君のような女性と生涯を共にできたらと思うんだ」


 セレスタンは緊張で時々声を上ずらせながら、けれど私の目をまっすぐに見て言った。

 ずっと友人だったから分かる。彼なら自分の生涯をかけて支える価値のある人だ。きっと、私の人格を否定したりしないし、見下したりもしない。


 万が一彼がそういう風になってしまっても、今の私なら大丈夫。

 もうモラハラには負けない。自分を蔑む全ての存在に屈しない。


 セレスタンが壇上へ上る。今から彼が述べる学園の思い出に、私との思い出も少しは登場するだろうか。

 私にとっての学園生活は、エリーアスによるモラハラに毒された日々だった。


 でも今からの人生は違う。

 自分で自分の価値を信じて、私らしい日々を歩むのだ。


 セレスタンは壇上から私にニッコリと微笑むと、ゆったりとした口調で卒業スピーチを述べ始めた。


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