夕焼けとアクリル絵の具
鼻をつくシンナーの匂いと、微かに甘い制汗スプレーの香りが混ざり合っている。
放課後の2年A組の教室は、文化祭特有の、あの浮足立った熱気に満ちていた。
「おいレン、そっちの塗装終わったか?」 「ああ、完璧だ。見ろよこの哀愁漂う表情」
窓から差し込む西日が、舞い上がる埃をオレンジ色に染めている。 教室の隅で、俺――藤丸レンは、筆を置いて作業台の上の「それ」を指差した。
厚紙と樹脂で固め、アクリル絵の具で丁寧に陰影をつけた『道化師の仮面』だ。 右目からは青い涙が、左の口角は裂けんばかりに吊り上がっている。
「うわ、なんかリアルで怖いな。お前、こういう暗い役似合いすぎだろ」
苦笑しながら覗き込んできたのは、俺の親友、天王寺カイトだ。 サッカー部で鍛えた長身に、整った顔立ち。
西日を浴びた金髪が、まるで発光しているかのように輝いて見える。 クラスの中心人物にして、誰もが認める「主人公」みたいな男。
俺の手元にあるのが不気味な道化師の仮面なら、こいつの手にあるのは段ボールで作った金色の『勇者の剣』だ。
「うるせえな。主役が目立つためには、悪役が必要なんだよ」
「はいはい。頼りにしてるよ、名脇役」
カイトは屈託なく笑って、俺の肩をバンと叩く。 その手は温かく、迷いがない。
教室の中央では、委員長の西園寺レイカが「男子! 手が止まってるわよ!」と声を張り上げ、
ギャルグループの古城エレナたちが「えー、レイカちん厳しー」とスマホをいじりながら茶化している。
窓際では、園芸部の橘エマが花瓶のガーベラの水を替えている。水滴が光を弾いてきらめく。
ありふれた、平和な日常。 こんな時間が、明日も明後日も、当たり前に続くと思っていた。
――キィン。
不意に、鼓膜を針で刺すような、鋭い高音が脳裏に響いた。
「……え?」
誰かが声を上げた瞬間。 教室の床板から、見たこともない幾何学模様の光が噴き出した。
机がガタガタと震え、窓ガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが入る。
「きゃあああっ!?」 「な、なんだ!? 地震か!?」 「違う、床が……光ってる!?」
柔道部の熊田ダイゴが慌てて近くの女子を庇い、佐伯トオルが眼鏡を押さえて状況を分析しようとするが、
光は容赦なく視界を白く塗り潰していく。 オレンジ色の夕焼けが、冷たい白光に飲み込まれる。
「カイト! レン!」 「くそっ、離れるなレン!」
カイトが俺の手を掴もうと、必死に手を伸ばしてくる。 俺も反射的に手を伸ばした。 その指先が触れ合う寸前――。
世界が、反転した。




