第十八話 帰らない選択
窓から差し込む光が眩しい。
うっすらと目を開けると、目の前にヴァルガの顔。
静かに寝息を立てている。
裸の肩に銀色の髪の毛が溢れていた。
ヴァルガを認識した途端、顔に血が上った。
昨日の、あれは──
思い出して枕に突っ伏す。
意味不明な小さな叫び声が、枕に塞がれ消えていく。
……最後までは、してない。多分
正直、男同士で最後ってよくわからない。
でも、ヴァルガは俺のこと、すごく労ってた。
キスは激しいのに、触れる手は優しくて。
甘くて、愛しくて、少し苦しい時間。
今度は、枕の下に頭を挟んだ。
は、恥ずかしい……
前まで、男同士なんてありえないって思ってたのが信じられない。
でも、きっと。
挟まれた枕の間から、ちらりとヴァルガを見る。
「こいつだから、なんだよな……」
腕を伸ばし、顔にかかる銀色の髪の毛をそっと掴んで払う。
起きないかと気にしつつ、顔に触れた。
彫りの深い顔立ち、長いまつ毛。
そして形の良い唇。
唇に指で触れ、柔らかい感触にどきりとする。
この唇で、何度も愛してると囁かれた。
言われたことも、自分で使ったこともない。
「あ、い……」
何度か、口に出そうとする。
でもなぜか喉が詰まって言葉が続かない。
やっぱり、慣れてないからダメだ。
息をついて、ヴァルガから手を離す。
その瞬間、大きな手が俺の手を、ぎゅっと掴んだ。
見ると、赤い瞳が蕩けながら微笑んでいた。
「おはよう、晴斗」
寝起きの気だるさで、声が少し掠れていた。
それが妙に色っぽい。
俺は思わずそっぽを向く。
「お、おはよう」
背けた体ごと抱きすくめられた。
「体調は大丈夫か?」
心配そうな優しい声音に、喉から変な音が出そうになる。
「う、うん……平気……」
なんとか返事をする。
後ろで、空気が緩んだ気配がした。
「そうか。無理をさせたかと、少し不安だった」
ふう、と息を吐く。
首筋にかかるそれすら、甘く感じた。
「──それと」
ぐい、と背けた体を戻される。
「今、何を言おうとしていた?」
耳元で囁かれ、頬が熱くなった。
「な、なんでもない!」
「聞きたい。晴斗の口から……」
……こいつ、絶対わかってるな。
裸の背中を撫でられて、声が漏れそうになる。
その口を塞ぐようにキスされた。
最初は軽く、やがてどんどん深くなる。
ヴァルガの熱が昂まるのを感じて、慌てて胸を押した。
「ちょっと、待て!朝から、こんな……」
「気にしない。むしろ明るい方がいい」
「俺は気にする!」
朝飯持ってきてくれる魔族に見られたらどうするんだよ。
それに。
「今日は奏の様子を見に行かないと!」
奏、の言葉にヴァルガの手がぴたりと止まる。
「……同衾の後に、他の男の名前を語るとは」
手首を掴まれ、掌をぺろりと舐められる。
「……!」
唇が這い、指を甘く噛む。
思わず、情けない声が小さく漏れた。
伏せていた赤い瞳が、俺を見上げる。
「晴斗、妬かれたいのか?」
「ちがっ……」
昨夜も思った。
ヴァルガってこんな奴だったか?
この前、俺からキスした時は、顔を真っ赤にしてたのに。
今はあまりにも、色気が──
「安心しろ。いつだって妬いてる。
お前に触れる者、全員八つ裂きにしたい」
ぎらりと瞳が光った。
魔王らしい言葉を初めて聞いた気がする。
俺は手を振り解き、冷や汗を流しながら弁明した。
「奏はいちおう、幼馴染だし!怪我してたから、心配で……」
ヴァルガは不快そうに鼻を鳴らす。
「気に入らないが、腐っても勇者。簡単には死なん」
「でも……」
声が萎む。
確かに──
ヴァルガは面白くないだろうな。
俺だって、逆の立場だったら多分、妬く。
それでも、奏は。
「……あいつは、仲間なんだ。元の世界から来た、唯一の」
何もかも、常識を超えるこの異世界で、元の世界を感じさせる唯一の存在。
実際、再会した時、すごくほっとした。
自分が、どれだけ気を張り詰めて生きていたのか、その時になって初めて気づいた。
「……頼むよ、ヴァルガ」
黙って見つめていたヴァルガは、ぽつりと呟く。
「元の、世界……」
赤い瞳が一瞬揺れた。
その表情が、やけに気になった。
尋ねようとして、口を開きかける。
でも、なぜか言葉が続かない。
そんな俺に気づかず、やがてヴァルガは深く息をついた。
「……俺も、お前と同じ世界に生まれたかった」
悲しそうに笑う顔に、胸が痛んだ。
「ヴァルガ……」
何か言う前に、ヴァルガは首を横に振る。
「……わかった」
「行ってくるといい。俺もついて行きたいが」
「あの様子だと、俺が行くと話にならないだろう」
「ついでに、説得も。アレが暴れなければ、牢に入れるつもりもない」
首を傾けて、皮肉げに笑った。
銀の髪がさらりと落ちる。
きっと、我慢してくれてる。
俺のために。
「ありがとう、ヴァルガ……」
ヴァルガの手にそっと触れると、温かい指先がぎゅっと握り返してきた。
***
牢屋に来たのは初めてだった。
イメージだと、臭くて汚い場所。
でも魔王城の牢屋は、薄暗いだけで、汚くも臭くもない。
サイのような姿の牢番に、最奥の牢まで案内される。
通路に掲げられた松明の明かりで、二人分の影が長く伸びている。
コツ、コツ、と石畳を歩く音が反響した。
「勇者は暴れたので、捕まえるのが大変でした」
「……みんな怪我しなかったか?」
「ええ、最終的には魔法で眠らされました」
「眠っても聖剣を離さなかったので、そのまま」
牢番はため息をつきながら、こめかみを掻いた。
「しかし番様、本当にお一人で?」
「……大丈夫。昔からの知り合いだから」
「何かあれば、すぐお呼びください。あの勇者は少々不安ですので……」
そう言って身震いする。
そして彼は踵を返し、入口の方へ戻っていった。
その姿を見送ってから、牢の前に立つ。
寝台に横たわる奏の姿が見えた。
衣服の隙間から見える体には包帯が巻かれている。
応急処置はされているらしい。
それを見て、ほっと息をついた。
「奏」
呼びかけると、ぴくりと体が跳ねる。
「晴斗……!?」
薄暗い牢の奥から、目を凝らすようにこちらを見る。
やがて、戸惑った声が落ちた。
「……なんで……?」
ふらり、とこちらへ歩いてくる影。
ガシャン。
格子に手をかけた瞬間、金属の音が派手に響いた。
「晴斗……?」
牢の外の松明の明かりが、奏の顔を照らす。
その瞳は、戸惑いと驚きに満ちていた。
「どうし、たんだ……?それ……」
「あ、これ?」
髪の毛のことだと思った。
冗談っぽく返そうとした、その時――
奏の表情が強張った。
「……お前」
格子を掴む手に力がこもる。
「生命力が……」
「え?」
奏は信じられないものを見るように、俺を見つめた。
「薄い……」
松明の光の中で、瞳が揺れている。
「こんな短期間に、どうして……」
「生命力?」
心当たりは当然、ある。
でも、なぜそれが奏にわかるんだろう。
見た目は少し痩せたくらいなのに。
勇者、だからか?
格子を掴んでいた手が離れ、俺の腕を掴んだ。
「なんで、こんな……あいつに何をされた?」
「あいつって、ヴァルガのことか?……ちがう。俺が選んだんだ」
「どうせ騙されてる……やっぱり洗脳か……」
独り言のように呟く奏に、かちんときた。
「お前いい加減、人の話を聞けよ」
声が震えないように、一呼吸置いて口を開く。
奏になんて思われるか、考えると怖かった。
でも、言わないと。
誤魔化してたら、ずっと理解してもらえない。
「……俺はヴァルガが、好きなんだ」
その言葉に、奏の瞳は見開かれる。
気にしない。
俺の気持ち、ちゃんと伝えないと。
「生命力が減ったっていうのも、それはあいつのために俺が選んで決めたことだ」
奏の目をまっすぐ見つめた。
「お前に口出されることじゃない」
奏の瞳が揺れた。
何かを飲み込んだような顔で口を開く。
「……それが洗脳じゃなくても」
「こんなの、見過ごせる訳ないだろ」
奏がつらそうに俺を見つめる。
いや、見つめているようで、俺じゃない何かを見ていた。
「もしかしたら、リヴェルトの司祭様なら、治せるかも……」
掴む腕に力がこもる。
「やっぱり、逃げよう。晴斗」
振り解こうとしても、びくともしない。
「嫌だ。俺は行かない」
「もう決めたんだ。あいつのそばを離れないって」
「……え?」
見開いた目が歪んだ。
「それって、どういうこと?」
「リヴェルトでは、魔王を倒せば元の世界に帰れるって聞いたよ」
「晴斗は──」
「まさか、帰らない気なの?」
今まで、考えてなかったわけじゃない。
それでも、帰る方法もわからないまま、ずっと曖昧にしていた。
漠然と、ヴァルガと離れないって決めていただけで。
でも今、口に出そうとしたら──
「……帰らない」
自然と、言葉が溢れた。
考えられなかった。
あいつを置いて、元の世界に帰るなんて。
奏は呆然として、俺を見ていた。
やがて、震える声で呟く。
「……そんなの」
「そんなの、認めない……」
掴んだ腕に、さらに力がこもる。
痛みで小さく呻いた。
「離せ……! 奏!」
片方の手で奏の手を外そうとした。
でも、つねっても、殴っても、弛まない。
がむしゃらに暴れて、なんとか振り解こうとする。
格子が揺れ、派手な音を立てた。
「絶対離さない……二人で帰るんだ。一緒に……!」
「奏……」
奏のこんな顔、見たことがなかった。
鬼気迫る、必死の目。
いつも穏やかで、にこにこと笑う奴だったのに。
その時、石畳を蹴る音が響いた。
騒ぎを聞きつけた牢番が、長い槍を手に足早にやってくる。
「番様!!」
牢に向けて槍が突き出された。
奏は俺から手を離し、即座に槍の穂先をかわして掴む。
しばらく槍の押し合いが続く。
しかし、奏がぐいと槍を引き上げ、牢番が格子にぶつかって大きな音を立てた。
その瞬間──
奏は格子の隙間から腕を伸ばし、首を締め上げた。
「ぐっ……」
牢番が低く呻く。
細い腕が、サイの太い首に食い込んでいる。
牢番の顔には血管が浮き上がり、みるみる赤く染まっていった。
どこからあんな力が出るんだ……
早業の展開に呆然としている俺の前で、奏は片手で腰の聖剣を抜いた。
格子の隙間に聖剣を差し込み、牢番めがけて突き刺す──
「やめろ!」
はっとして叫んだ。
「鍵を奪う。邪魔するな、晴斗」
「殺すな! お前、怪我、治療してもらっただろ?」
「それに、この牢番が……お前に何かしたのかよ!?」
奏は答えない。
ただ、目の前の相手を睨みつけている。
本気の目だった。
一瞬でも気を抜いたら、こいつは本当にやる。
こめかみから汗が伝った。
握った拳に爪が食い込んでいる。
「殺したら……ほんとうにやったら」
「……絶交だからな!!」
牢に怒鳴り声が反響する。
昔、俺が奏に、本気でキレた時に使った言葉。
それはまだ、有効だったらしい。
その言葉に、奏は俺を見て、ぐっと息を詰めた。
「……晴斗」
呟いて、やがて舌打ちした。
聖剣をくるりと持ち変え、柄で牢番の頭を殴りつける。
ずるりと落ちる巨体。
奏はそこから鍵を探し出し、内側から器用に鍵を回す。
ぎぃ、と扉が開き、奏が出てきた。
「晴斗、行こう」
「行かないって言ってるだろ。帰りたいなら一人で帰れよ」
奏と離れるのは、つらい。
でも、何も理解してくれないなら仕方ない。
動かない俺を見て、奏は無理やり腕を掴み引っ張って行こうとする。
それを全力で抵抗した。
やがて、奏は眉間に皺を寄せ、深く息を吐く。
「……仕方ない」
何かが振り上げられる音がした。
次の瞬間、後頭部に強い衝撃が走る。
気づいた時には、地面に伏せていた。
「……う、あ……」
奏は俺を覗き込んでいる。
その表情はひどく辛そうだった。
「ごめん、晴斗。強行突破する」
薄れゆく意識の中で、体を抱き上げられる。
「や、だ……」
閉じていく目を必死にこじ開けながら、かすれた声を絞り出した。
「ヴァ……ル……」
その呟きは、誰のもとにも届かなかった。




