第十六話 循環の宝珠
重い扉の前で、俺は足を止めた。
見覚えのある紋様が、石に深く刻まれている。
前にここへ来たときと同じだ。
「……ここだ」
背後でレオンが言う。
「本来ならここは、魔王以外立ち入り禁止の場所だ」
俺は小さく頷いた。
この扉の向こうに、あの玉がある。
ヴァルガが、決して近づくなと隠したもの。
循環の宝珠。
胸の奥が、どく、と鳴る。
俺は扉に手をかけたが、びくともしない。
「……どうしよう、開かない」
思わず呟く。
レオンは後ろで腕を組んだまま、静かに見ていた。
「魔王の封印だ。普通は開かん」
普通は。
その言葉が胸に引っかかった。
そのときだった。
ふわり、と。
薄暗い廊下の空気の中に、淡い光が灯る。
俺は思わず振り向いた。
小さな光の粒。
「……あれは」
あの時も、宝珠の部屋まで俺を導いた精霊だ。
ゆっくりと俺の前へ漂ってくる。
そして、扉の紋様の前で止まった。
小さく揺れると、扉の紋様が淡く光を帯びた。
石の奥から、低い音が響く。
封じられていた扉が、わずかに動いた。
レオンが小さく息を吐く。
「……なるほどな」
精霊の光が、くるりと一度回る。
まるでやっと来た、とでも言うみたいに。
扉が、ゆっくりと開き、冷たい空気が流れ出る。
円形の空間。
中央の台座の上に、小さな玉が置いてあった。
透明な球体の奥で、赤い光が揺れている。
台座へ一歩近づく。
すると、宝珠の赤が強く瞬いた。
どくん。
胸の奥と、同じタイミングで。
俺は、玉にそっと手を伸ばした。
熱が、腕を伝う。
俺は、宝珠から目を離せなかった。
背後から肩に手が置かれた。
振り向くと、すぐ後ろにレオンの顔がある。
「何を──」
レオンは宝珠を見たまま話す。
「何が起こるかわからない」
「倒れないように、支えといてやる」
ごくりと唾を飲んだ。
指先が、玉に触れる。
冷たい。
そう思ったのは、ほんの一瞬だった。
次の瞬間、内側から熱が広がる。
どくん。
胸の奥が、大きく鳴った。
赤い光が、強く脈打つ。
宝珠の中の光が、まるで生き物みたいに揺れた。
精霊の光が、ふわりと集まってくる。
一つ、二つ。
気づけば、いくつもの淡い光が宝珠の周りを漂っていた。
「……っ」
腕を伝って、何かが流れ込んでくる。
熱い。
でも、痛くはない。
ただ、胸の奥が強く引き寄せられる。
どくん。
また、同じ鼓動。
宝珠の赤い光と、完全に重なる。
背後でレオンが低く言った。
「……共鳴している」
肩を支える手が、わずかに力を強める。
「そのまま離すな」
俺は、宝珠を見つめた。
赤い光が、静かに脈打っている。
「……これ、どうしたらいいんだろう」
レオンは静かに言った。
「願ってみろ。宝珠は、望みに応える」
俺は目を閉じた。
ヴァルガの顔が浮かぶ。
血に濡れたあの姿を。
胸が苦しい。
早く、俺を見て、笑いかけて欲しい。
じゃないと、俺──
「……助けたい」
声に嗚咽が混じる。
「ヴァルガを……助けたいっ……」
その瞬間だった。
宝珠の赤が、強く弾けた。
光が、溢れる。
腕から全身へ、熱が一気に駆け抜けた。
「っ……!」
膝が、崩れかける。
だが、背後の手がそれを支えた。
「よくやった」
レオンの低い声が、すぐ耳元で響く。
「これでヴァルガはもう大丈夫だ」
宝珠の赤い光は、なおも強く脈打っていた。
まるで、何かを送り出すみたいに。
「ヴァルガのところに、行かなきゃ……」
立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らなかった。
意識がどんどん遠のいていく。
「ヴァルガ……」
そのまま、意識は闇に落ちた。
***
ヴァルガの瞳が、はっと開いた。
胸が大きく上下する。
空気を、深く吸い込んだ。
次の瞬間、上体を起こす。
「魔王様!」
術者の一人が叫んだ。
「ご無事で!」
「リリス様に報告を!」
周囲が一斉に慌ただしく動き出す。
椅子が引かれる音、足音、誰かが廊下へ駆けていく気配。
だが、ヴァルガはそれを聞いていなかった。
自分の手を見つめている。
その指を、ゆっくりと開く。
その掌に、赤い光がわずかに残っていた。
マナの残滓。
淡く、脈打つような色。
ヴァルガの表情が凍りつく。
失われていたはずの力が、体に戻っている。
「……晴斗」
かすれた声が漏れる。
「……そんな……」
ベッドから立ち上がろうとして、ぐらりとふらついた。
術者の一人が慌てて言う。
「魔王様、まだ傷が――」
脇腹に手を当てる。
さっきまで裂けていたその場所は、もう致命傷の気配がない。
「……どこだ」
低い声だった。
呼吸がわずかに乱れている。
「晴斗は――どこにいる……!」




