第十五話 隠された理由
淡い光が、絶え間なく脈打っていた。
ヴァルガの周囲を囲む数人の治癒術者が、同時に魔法陣を展開している。床に刻まれた紋様が淡く輝き、その中心で横たわる身体を包み込む。
傷口は、ゆっくりと閉じかけては、また滲む。
血は止まりきらない。
術者の一人が顔色を失い、膝をついた。
すぐに別の者が代わる。交代は無言で行われ、誰も焦った声を出さない。
ただ、魔力だけが削られていく。
晴斗は、部屋の隅に立ったまま、動けずにいた。
近づけば邪魔になる。
触れれば術が乱れる。
それは分かってたけど、それでも視線だけが離れない。
ヴァルガの胸がわずかに上下してるのを、何度も確認する。
まだ、生きている。
なのに、ひどく遠かった。
術者の一人が、低く息を吐いた。光が一瞬、弱まる。すぐに別の光が重なる。
魔法は続いている。
続いているのに、部屋の空気は重いままだ。
喉の奥が、うまく動かない。
息を吸っているはずなのに、胸が苦しい。
気づかないまま、握りしめていた拳が白くなっていた。
やがて、背後から静かな足音がした。
「晴斗様」
リリスの声は、ひどく穏やかだった。
「今は、術者たちに任せるしかありませんわ」
晴斗は返事をしない。
ただ、ヴァルガを見ている。
近づいてきた気配がした。
横に立たれたことは分かる。
それでも、目を逸らせない。
リリスは、しばらく何も言わなかった。
ただ、晴斗の横顔を、痛ましげに見つめる。
その視線の重さに、ようやく晴斗は瞬きをした。
視界が、滲む。
「……少し、休みましょう」
晴斗の肩に、そっと手が触れる。
「晴斗様が倒れたら、魔王様も悲しまれますわ」
強くはない。
けれど、抗えない。
一歩、後ろへ下がる。
もう一度、ヴァルガを見た。
光に包まれたまま、固く目を閉ざしている。
胸が、ぎゅっと縮む。
晴斗は、何も言わずに部屋を出た。
扉が静かに閉まる。
光が遮られ、廊下の薄暗さが視界に落ちる。
中からは、淡い魔法の光だけが隙間からわずかに漏れていた。
「……ヴァルガは」
声を絞り出す。掠れて音が乱れ、うまく続かない。
スラ様が静かに口を開いた。
「……マナを失いすぎています。勇者との戦いで、ただでさえ減っていたマナをさらに消耗しました」
「それに、あの聖剣……あれは人間が作った、魔王を倒すための武器です」
「魔王様にとっては、呪具のようなもの」
「……だから、傷が塞がらないんですか」
問いかける声は、かすかに震えていた。
リリスの手が、ゆっくりと背中をさする。
それでも体の震えは止まらなかった。
「時間はかかりますが、徐々に治りますわ」
安心させるようにリリスは言葉を重ねる。
けれど、晴斗の胸の奥は重く沈んだままだった。
どれくらい、時間がかかるんだろう。
女に変身したことで消耗したマナだって、まだ回復しきっていない。
聖剣の傷が癒えるのは、一体いつになるんだろう。
「リリス、スラ様」
声に振り向くと、廊下の奥からレオンが足早にやってくるのが見えた。
「ヴァルガはどうだ?」
リリスは苛立たしげに息を吐いた。
「変わらず。術師が足りない」
「あとで補充しておく。城の外にも伝令を出そう」
短く言いながら、レオンの視線が晴斗へ向いた。
「晴斗」
「奏様はとりあえず、牢に収容された。かなり手こずったらしいがな」
そこでレオンが足を止める。
そして、晴斗の顔を見てわずかに眉をひそめた。
「……泣いていたのか」
頬に触れた指が、そっと涙を拭う。
そのときになって、晴斗はようやく気づいた。
涙が、襟元まで濡らしていた。
「あ……」
言葉がうまく出ない。
レオンの目元が、ふっと暗く陰る。
「無理もない。……番だものな」
レオンはしばらく晴斗を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「部屋まで、俺が送ろう」
***
晴斗の部屋の前で、レオンが足を止めた。
「ほら、入れ」
レオンが扉を開け、背中を押す。
ふらつく足で部屋に入った。
もつれて倒れそうになる体を、レオンが支える。
「大丈夫か?」
答える気力もなかった。
レオンは肩を貸し、ベッドに横たえる。
「晴斗、少しでいいから休め」
眠れるわけがなかった。
目を閉じることもできない。
「……人間が、ここまで番に反応するとは」
レオンが一人呟く。晴斗の耳には届かない。
「なあ、晴斗」
「魔族の番への想いは強い。だが普通、相手が魔族でなければ番には反応しない」
「お前は、違うんだな」
「……そんなの、知らない」
言いながら腕で目元を覆った。
「ヴァルガだから……あいつだから、心配なんだ」
レオンは黙ったまま──
やがて何かを決意したような顔で口を開いた。
「ヴァルガを、助けたいか?」
その一言にびくりと反応する。
「……方法が、あるのか?」
レオンはすぐには答えなかった。
ベッドの端に腰を下ろし、静かに目を閉じる。
しばらくして、ゆっくりと口を開いた。
「本当は、ヴァルガに止められている。晴斗には決して口にするなと」
閉じていた瞳が、ゆっくりと開く。
「だが、お前は魔王の番だ」
「そして、転移者でもある。お前には聞く権利がある」
「転移者っていうのが、関係あるのか?」
レオンの視線が、まっすぐ晴斗を捉えた。
「循環の宝珠」
聞き覚えのある言葉に、はっとする。
その様子を見て、レオンがわずかに笑った。
「名前くらいは聞いたことがあったか」
「……でも、何も。ヴァルガは教えてくれなかった」
レオンは肩をすくめる。
「循環の宝珠は、マナを生む。望めば、荒れた大地すら甦らせる」
「この世界は荒れ果てている。循環の宝珠さえ使えば、世界は救われるんだ」
リヴェルトでも、土地が痩せ、貧困の原因になっていた。
あの小さな玉に、そんな力があるのか。
そんなものが、俺と反応したのは、どうしてなんだろう。
「そして望めば、誰かの失ったマナも満ちる」
その言葉を聞いた瞬間、体が大きく揺れた。
「それ……」
勢いよく身を起こし、レオンの肩を掴む。
「使おう、今すぐ! 俺、置いてあるとこ知ってる!」
レオンは抵抗もせず、ただ俺を見下ろした。
「宝珠は簡単には使えない」
「使えるのは転移者のみだ」
それを聞いた瞬間、頭の中の霧が一気に晴れた気がした。
そういうことだったのか。
だったら、俺が、ヴァルガを助けられる。
胸の奥に、強い確信が灯った。
「じゃあ、俺が……!」
レオンは静かに口を開く。
「代償がある」
その声は、先ほどまでと変わらない落ち着いたものだった。
「使用するには、転移者の生命力を捧げる」
生命力。
その言葉を聞いても、いまいち実感が湧かなかった。
「それって、もしかして……死ぬのか?」
口に出した途端、急に恐ろしくなる。
それは、正直怖い。
レオンは俺を見ると少し笑って、首を横に振った。
「何度も使えば確かに危険はある」
「だが、たった1人のマナを満たすぐらいなら大したことはないだろう」
「ヴァルガはお前に、髪の先ほども傷ついてほしくなかったんだ。だから隠してた」
「わかってやれ。番を見つけた魔族は、死に物狂いで番を守る」
それを聞いて、胸が苦しくなった。
やっぱりヴァルガは、俺のために隠してたんだ。
いつも、いつも、俺のことばかり優先する。
元の世界でも、選ばれたことのない俺を、一番だと言ってくれる。
止まりかけてた涙が、再び溢れそうになった。
「晴斗、お前が決めろ」
その声に顔を上げた。
「誰に言われるまでもなく、お前が選べ」
「使う」
間髪入れずに答える。
俺がまっすぐ見つめると、レオンは苦笑いした。
「…‥即答か」
俺が、ヴァルガを助ける。
助けたい。
俺はベッドから降りる。
その足取りは、もうふらついてはいない。
「行こう。宝珠のところに」
俺は扉へ向かった。
——その背中を、レオンは静かに見つめていた。




