第十一話 赤い鼓動
廊下は、月明かりだけが頼りだった。
白い光は迷いなく進む。
城の奥へ。人の気配がない方へ。
こんな場所、昼間に来たことはない。
石壁はひんやりとしていて、足音がやけに響く。
――こっち。
精霊は、階段を降りていった。
空気が変わる。
湿り気を帯びた、重たい静寂。
やがて、重い扉の前で光が止まった。
古い紋様が刻まれている。
見たことのない文字が、淡く浮かび上がっていた。
光が、すっと扉に触れる。
ぎい、と低い音を立てて、ゆっくり開いた。
中は、円形の空間だった。
中央に、台座。
その上に――
玉。
手のひらにすっぽり収まるほどの、小さな球体。
透明に近い。
けれど内部で、赤い光がゆらりと揺れている。
鼓動のように。
どこかで見た色。
ヴァルガが結界を直していたときの、あの赤。
胸の奥が、ざわ、と鳴る。
精霊は、その玉の周りをゆっくり回った。
そして――
俺を見るみたいに、ふわりと揺れる。
「……これ、なんだ?」
自然と足が前に出る。
なぜか分からない。
でも、触れなきゃいけない気がした。
手を伸ばす。
指先が、あと少しで届く――
その瞬間。
玉の内部の赤が、強く脈打った。
どくん。
胸の奥と、同じタイミングで。
熱が、腕を伝いかける。
精霊の光が、ぱっと明るくなる。
まるで、喜んだみたいに。
「……っ」
もう少しで、触れる。
あと、指一本分。
「触るな!!」
怒号が、空間を震わせた。
次の瞬間、強い力で腕を引かれる。
「っ!」
体が後ろへ引き戻される。
振り向くと、血相を変えたヴァルガが立っていた。
息が荒い。
赤い瞳が、怒りと――それ以上の何かで揺れている。
「なぜここにきた?」
低い声。だが、震えていた。
「俺は、精霊に呼ばれて……」
俺は呆然と玉を見る。
「……これ、なんなんだ?」
「俺に、反応したみたいだ……」
「……気のせいだ」
その瞬間、レオンの声がよぎる。
“お前が傷つく可能性があるなら、あいつは黙る”
「……お前は、いつも何か隠してる」
「俺が、それに近づかないように」
喉が掠れる。
「もしかして、これが、俺が役に立てることなのか……?」
「晴斗……」
「……教えてくれよ。知る権利くらい、あるだろ……」
縋るように見つめると、ヴァルガは目を固く閉じた。
やがて、観念したように息を吐く。
「これは……循環の宝珠だ」
空気が、ぴんと張りつめる。
「世界のマナを巡らせる核……」
その言葉と同時に、精霊の光が宝珠の上でゆらりと揺れた。
まるで、待っていたみたいに。
「核……?」
俺は台座の上の玉を見つめる。
「それで?」
ヴァルガは答えない。
視線を逸らす。
「……それが、どうして俺に反応した?」
沈黙。
精霊の光が、宝珠の上をくるりと回る。
「晴斗」
やわらかい声。
けれど、その奥に分厚い壁がある。
「戻ろう」
腕を引かれる。
「おい、説明になってないだろ」
「俺はこれ以上、何も言うつもりはない」
扉が閉じられる。
低く呪文が紡がれ、封印が強まる。
その音が、やけに冷たく響いた。
「なんだよ、それ」
笑いがこぼれそうになる。
でも、喉が引きつるだけだ。
「俺に反応したんだぞ?」
「俺の胸と、同じタイミングで脈打ったんだ」
それでも、ヴァルガは振り向かない。
「……お前には、関係ない」
その一言で、胸の奥が焼けた。
ずっと、何もできない自分を飲み込んできた。
それを──
「関係ない?」
声が震える。
「俺の体の中に精霊が入って」
「俺に反応して」
「それでも関係ないって?」
ヴァルガの拳が、ぎゅっと握られる。
「晴斗」
手を振り払う。
「ふざけるなよ」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
「守る守るって言うくせに、何も教えない」
「好きだって言うくせに、俺を蚊帳の外に置く」
「俺は、お前の“お人形”か?」
ヴァルガの目が、はっきりと見開かれる。
「……違う」
「じゃあ何だよ」
言い返してこないことが、余計に苛立ちを煽る。
「お前の役に立ちたいって、思っちゃだめなのか……?」
「危険でも、俺にできることなら、やってあげたいって」
胸を、どん、と叩く。
「そう思うのは、そんなに悪いことなのかよ」
ヴァルガの視線が揺れる。
迷いか、後悔か。
それとも、決意か。
その曖昧さが、腹立たしい。
「……じゃあ、いい」
吐き捨てる。
「レオンさんに聞く。スラ様にも」
夜中だけど、かまうもんか。
俺は踵を返す。
その瞬間、ヴァルガの腕が動いた。
思考が追いつくより先に、体が持ち上げられる。
視界が反転した。
「ちょっ……!」
肩に担がれる。
「降ろせ!」
本気で暴れた。
拳で背中を叩く。
「放せよ!」
廊下に響く足音がやけに大きい。
けれど、びくともしない。
「ヴァルガ!!」
***
部屋に戻され、ベッドに下ろされた。
その、丁寧な動作にも苛立ち、手を乱暴に払い除ける。
息が荒い。
怒りで、視界の端が白くなる。
「……晴斗、俺は、お前をまた閉じ込めはしない」
「……だったら、今のはなんだよ」
肩が震える。
「俺の意思関係なく、担いで運ぶのは問題ないのか?」
ヴァルガの表情が、わずかに歪む。
「俺は――」
「俺のこと、好きだって言ったよな」
言葉を被せる。
「俺も、好きだよ」
声が掠れる。
こんな時に、初めて口にしたと、気づいた。
「……それって、
対等じゃないのか?」
ヴァルガは答えない。
視線だけが、俺から逸れる。
「信じてくれてないなら、好きって言うなよ」
言った瞬間、自分の胸まで抉られた。
ヴァルガが、一歩だけ後ずさる。
「……どんなに言われても、これは譲らない」
その声は、王の声だった。
「探るな」
それだけ言って、背を向ける。
扉が閉まる音が、やけに乾いて響いた。
しばらく、動けなかった。
胸が、熱い。
怒りか、悔しさか、自分でも分からない。
「……ついさっきまで、仲良くしてたじゃん」
唇の感触も、まだ消えてない。
名前を呼ぶ優しい声が、残ってる。
「こんなつもりじゃ、なかったのに……」
拳を握る。
でも、胸の奥で、
あの赤がまだ、脈打っていた。




