ヒッポポ玉三郎はお怒りです 後日談 <後編> カバの妖精はクリーム色に光る
リディアムの住むアパートメントに到着すると、階段をあがる音に気づいたのか、すぐにリディアムが出てきて、驚いた顔をした。
「何で驚くの」
「いや、だってミンツが直々に運んでくるとは思わなくて」
「というか、何で注文したの。こんな夜おそくに」
「君の手料理が恋しくて、なんだか眠れなかったんだ」
ミンツはなぜかイラッとした。ちょっと気持ち悪いなとすら思った。深夜に宅配させておいて、なんだそれは。
「悪いけどパスティはないわ。品切れ。こんな真夜中に注文するあなたが悪いのよ、諦めて」
「そうか……いや、そんなことより」
リディアムは迫ってきた。
「ミンツ、済まなかった。やりなおさないか」
「は? やりなおしてください、じゃなくて?」
「やりなおしてください」
ミンツは再びイラッとした。
「今度こそきみを大事にする。話もちゃんと聞く。約束する」
「私はもう前みたいにあなたを大事にできない」
それでもいいと言うリディアムに返事をせず、ミンツは強引に家に押し入った。
「昔々、ルタルカ王宮の料理長でもあった偉大なるパイ職人メグレッタは言いました」
「はっ?」
部屋に入ったミンツは布の包みをといて、パイを取り出した。それは気取らない手持ちパイではなく、きちんと陶器の皿に入れて焼き上げた、正統派のパイだった。
「これ……俺の好物のミートパイだよな……俺のために焼いてきてくれたんだ……! ああ、やっぱりきみも……!」
抱きついてこようとするリディアムに手のひらを向けて、制止するミンツ。
「話を聞いて。偉大なるパイ職人メグレッタは言いました!」
「は、はい」
「パイ作りというのはとても手間暇がかかるものである。誰かのためにパイをつくるということは、それほどその人を愛しているということなのだ」
「……つまりどういうこと?」
「復縁する気はないわ」
「えっ、今の流れでそういう結論になるの?」
「でも、そうね、私たちって友だちとしてならうまくやれるんじゃない?」
本当のところ、ミンツも少しばかり寂しかったのかもしれない。
「友だちかあ……」
「嫌なら帰るけど。あとパイも持って帰る」
「うーん」
「じゃあ、帰るわ」
「ちょ、ちょっと待って。わかった、友だちな。そうか、そこからってことだな。これから新しい関係を二人で築いていくんだ、そうだよな?」
「まあ、そういうことね」
その後、リディアムがお茶を入れて、二人でパイを食べた。
パイはミートパイだとリディアムは思っていたが、実は違った。魚とキノコを詰めて焼いたパイだった。
「俺の好物のミートパイじゃないんだ……」
「こんな夜遅くにミートパイなんか食べたくないもの。胸焼けしちゃう」
「そ、そうだよな、深夜だし魚とかキノコとかのほうがヘルシーでいいよな! だってミンツは最近太ったみたいだし」
ミンツはイラッとした。
「体型について言うのやめてよ。あと言うほど太ってないから! 残業続きによる夜食のせいでちょっと増えただけだし、自分でもわかってるから言わないで」
リディアムはむっとして言い返した。
「いや、だけど、俺としては良かれと思って言ってあげたんだ。俺の転職先にいる女の子たちってみんな細くて綺麗でさ。やっぱり女として努力してる姿って魅力的だし、ミンツにも努力してほしいんだよ」
「……もう一度言うわね。体型について言うのをやめてほしいの。あと忘れてるかもしれないけど、ほかの女の子を褒める話も聞きたくない」
「でも、ミンツのために言ってあげてるのに。職場の女の子たちって本当に細くて綺麗で、見習ってほしいっていうか……」
「私はやめてほしい、あなたはやめたくない。じゃあ、私たちは離れるしかないわね。そういう結論にならない?」
「いや、それは困るって」
「何一つ反省してないじゃないの」
「いやいや、そんなことない。俺はちゃんと言ってくれればわかるから」
「どこが!? あのね、そもそも「言ってくれなきゃわからない」って人は、「言われたってわからない」なのよ。だって相手が見えてないから。自分のことしか見えてないから。「言ってくれたらわかる」は「言われなければ何をしてもいいと思ってる」の裏返しよ。相手を尊重する気がない」
「でも……」
「ああっ!? まだ言う?」
「済みませんでした……」
「何が」
「えっ?」
「何についてリディアムは謝罪したわけ?」
「いや、あの、えっと……いろいろと……」
正直なところ、なんでミンツが怒っているのかさっぱり理解していないリディアムだった。
真夜中に食べた魚とキノコのパイは、のちの二人にとって思い出深いものとなった。
お互い別のパートナーを見つけた後も、決して忘れることはなかった。
ミンツは男性に対しては優しく言っても無駄だと学び、蹴っ飛ばす勢いでガンガンに主張することを覚え、リディアムはどうやら女性が何か言っているときは聞かないとあとで大変なことになるらしいと漠然とうっすらとふんわりと認識した、そんな人生のターニングポイントとなったからだ。
「話し合いができない関係はだめよ」
「それはそうだろうな」
いろいろあったが、少なくとも一つは意見が一致した。
その夜、どこかでカバの叫び声がして、運河のほうがクリーム色に光ったが、深夜なこともあって誰も気づかなかった。
<おわり>
参考文献:
ジャネット・クラークソン『パイの歴史物語』(竹田円(訳))原書房,2013年
【後書き】
これまでに出てきた妖精と、あと何かの名前。
・エスメラルダ後藤 ヤギの妖精
・ヒッポポ玉三郎 カバの妖精
・サンパギータひとみ カラスの妖精
・??? 妖精よりずっと強い存在




