第三十四話
花道円香がCAUを出発した直後に時間は巻き戻る。
ボクは車の中で日本刀を綺麗に拭く。
日本の刀は美しい。まるで美術品のような光沢を放ちながらも、その機能性も備えており、そこに日本のサムライ魂を感じ取ることができる。
しかしながら最近では、日本人は自らの歴史に興味がない人が多いようだ。とてつもなく昔から存在し続け、独自の伝統を築いてきたというのに、もったいない。
刀に反射した自分の顔を見る。見るからに欧州の人間だとわかる、日本人とはかけ離れた顔立ちだ。別にイングランドが嫌いなわけではない。それどころか、他のヨーロッパ諸国よりもあらゆる面で優れていると自負している。自国を嫌う人などそういない。
しかし、それよりもボクには日本という国が魅力的に映った。干渉され過ぎずに、礼儀を重んじる文化。さらには治安も良くて、娯楽も充実している。何より、ご飯が美味しい。
ただ、熱量は足りない部分がある。一定の分野においては、十分なほどであるが、国民の大半が関心を持つ事柄がないのだ。三人いたら一人は違う方向を向いている、そんな気がする。
だが、そんなのは個人の自由であって、瑣末なことだ。逆にそれくらいしか、ボクには日本の欠点は見当たらない。
磨き終わった刀を鞘にしまうと、ちょうど到着した。
車を降りると、人の気配がせずに静かな空気に肌が晒される。そうだ、日本にはもう一つだけ、イングランドと比べて嫌なところがあった。
それは、夏は暑いのに冬は寒いということだ。四季がはっきりしていると言ったら、それまでだが、その差が激しくて体を壊してしまうことも多々あった。
今も十月とは思えないほどに、じめったく蒸し暑い。ボクは袖を捲って、警戒しながら歩を進める。
初めての一人での討伐だが、そこには緊張も不安も全くない。CAUの試験の方がよほど緊張した。
コレティスはすぐに見つかった。黄には見合わず、その大きさはゆうに五メートルは超えているだろう。横幅も相当大きい。その姿形も今まで見てきたものの中で一番人間とかけ離れており、腕もなければ顔もなかった。唯一の共通点は足があることと毛があることであろうか。その毛も長く、全身を覆っており、動くたびに微かに揺れている。
「随分と気持ち悪いデスネ」
生理的に受け付けないコレティスに、ボクは刀の先端を向ける。そして、そのまま切り付けるも毛が散乱しただけで、手応えはなかった。
「おかしいデスネ。切れ味はバツグンのはずなのデスガ」
シラもふんだんに込めたのに、どうしてでショウカ。もしかしたら刀の攻撃が効かナイ?それだとしたら、だいぶ困りマシタネ。
コレティスは攻撃手段がないのか、一切反撃してこなかった。それは好都合と、ボクは本当に刀が通じないのか確かめるために、何度も日本刀を振るった。しかし、先ほどと同様にただ毛が空中に舞うだけで、ダメージはなさそうだ。
「どうしまショウカ。応援を呼びまショウカ。でも、まだなにか手段があるかもデス」
横に切り付けるのは駄目デシタ。ならば、突いてみるのはどうでショウカ。
その考えに至って、コレティスに勢いよく刀を突き刺す。すると、青の血がそこから吹き出してきた。
ようやく見つけた攻撃方法に気を緩めた瞬間に、コレティスは急にこちらに向かって倒れかかってきた。かなりの巨体なため、大きな影で上空が覆われる。
一旦、日本刀をコレティスに刺したまま諦めて、避難に徹した。それが功を奏して、なんとか潰されることなく難を逃れた。
激しい振動と共に、ビルが倒壊したかのような音が鳴り響く。それもほんの一寸先でそれが起こったため、その迫力は段違いであった。
「危なかったデス。深淵薄氷デシタ」
意味はあっているでショウカ?日本語は難しいデス。
コレティスはどうやっているのか、起き上がって再び大きな影を作り出した。刀は無事、というか倒れ込んだことでさらに体の奥に深く刺しこまれたようで、もう柄の部分しか見えていない。
警戒しながらも、刀を引き抜く。刀で止められていた青い血が堰を切ったように溢れ出てくる。
上身と呼ばれる刃の部分に付着した青い血を、刀を振ることでいくらか落とす。綺麗に吹きたい気持ちを抑えて、再びコレティスに刀を突き刺す。
一体、どのくらいの時間がかかるのでショウカ?骨が折れそうデス。
そう思った矢先、コレティスの大きくて悲痛な叫びが耳をつんざく。その後、今度は力尽きたように倒れて、その体を灰に変えていった。
「口、あったのデスネ」
そんな率直な感想が口から漏れながらも、それをさせた原因がわからない以上、気を引き締める。ただ、その原因はすぐに見つかった。
「うーん、やっぱりワシのツタは流石の威力じゃな」
そこには両腕がクネクネと常に動いているツタでできており、目ん玉には花が咲いている若そうな体躯の男性がいた。
「色々と情報量が多いデスネ」
人間離れしている姿に、若そうな体と声なのに一人称と語尾が老人のようであるという、すぐには処理できない要素で埋め尽くされている。
味方、ではなさそうデスネ。ただ、敵でショウカ?
「アナタは誰デスカ?」
そう声をかけると、その男は初めてボクの存在に気付いたようで少し驚いた様子を見せる。
「おったのか。気づかんかったわ。最近の若造は存在感が薄いのう」
若造の見た目で若造に文句を垂れるなんて、かなり不思議な光景デスネ。これは忘れられない瞬間デス。
「こちらの質問に答えてくだサイ。アナタは誰デスカ?」
「おー悪かったのう。だが、ワシに名前はないんじゃよ。ただ、周りからは蔦爺と呼ばれておる。ワシも気に入っておるから、ぜひそなたもその名で呼んでおくれ」
蔦爺……。まんまデスネ。
「何をしに来たのデスカ?コレティスを倒しにきたのデス?」
「少し違うのう。ワシは体がなまらないように運動しにきたのじゃ。結果的にコレティスを倒しただけで、目的は運動じゃ。そして、まだワシは動き足りない。どうじゃ、そなたが相手になってくれんかのう?」
殺気は感じないデスが、どうにも少し嫌な予感がシマスネ。ここは素直にいきマショウ。
「ボクは遠慮しておきマス。コレティスは探せばまだいるデショウからそこを当たってくだサイ」
「ほっ、ほっ、ほっ。最近の若造はやる気も足りないときたか。これは教育しないとなぁ。ほれ、かかってきなされ」
この人、話聞いてマシタか?ボク、断ったはずなのデスガ。
「ほれ、早よしなされ。でないと、ワシから行くぞ」
もう、逃げられる様子ではないようデスネ。全く、面倒なものに会ってしまいマシタ。神様は、ボクにまともな人を会わせてはくれないよう
デスネ。
思わず天を仰ぐ。
日本の神様は、ボクをいじめるのが好きデスネ。ただ、今はボクに勝利を与えてくだサイ。
「ほぉー、神にでも祈っておるのか。一体そなたはなんの神に祈っておるのじゃ?」
「日本にはたくさんの神様がいると知っていマス。この空の上にもいマス。だから、その神様に祈っているのデス」
そう答えると、蔦爺は軽快に笑い始めた。何かおかしなことを言ったでショウカ?
「そなたはまだ日本のことをわかっておらぬようじゃな。ひとつ、いいことを教えてやろう」
蔦爺の纏う雰囲気が一変した。若者にものを教えるときはこのような感じなのでショウカ?
「日本の旧暦ではのう、十月には全国の神が出雲大社に集まる故に、神無月と呼ばれておる。つまり、そなたの言うこの空の上にいた神は今、出雲大社におる。それを踏まえてもう一度訊く」
蔦爺は一呼吸置いて、静かに言った。
「一体そなたはなんの神に祈っておるのじゃ?」
どう答えるべきか悩む隙もないくらいに、すぐさま蔦が伸びてきた。不意の攻撃であったが、なんとか反応して、二本の蔦を斬る。しかし、すぐに復活してまたも伸びてくる。
斬っても斬っても無限に再生するためキリがない。避けたとしても、後ろから再び攻撃される。ひたすらに体力だけが奪われていく。
このままではジリ貧デスネ……。
意を決して、少しのダメージ覚悟で近づいていく。徐々に捌ききれなくなり、ところどころから流血する。そんな中でようやく刀の攻撃範囲内に入った。
蔦爺は後ろに下がる気はないらしく、一歩も動かない。体に向かって一振りする瞬間、左右一本ずつから伸びていた蔦が、右に一本だけとなった。そして、そのままその一本の蔦で刀が弾かれた。
一本にすることによって、硬度が増したようデスネ……!
蔦は刀と同等かそれ以上に硬くなっており、さながら金属同士でのぶつかり合いのようである。
「このままじゃ、そなたの体力が底尽きるぞ」
「ソチラは余裕そうデスネ……!」
蔦爺の言う通り、この均衡状態が続けば続くほど不利になるのはこちらの方だ。つまり、何かこの状況を打破する策が必要である。
そう思った直後であった。
蔦が刀に絡まり、思うように動かすことができなくなった。日本刀を操る主導権が失われてしまったのだ。
すぐさま刀は諦めて肉弾戦に持ち込もうと、すかさず腹に手刀をお見舞いしようとしたが、いつの間にか現れた左の蔦に阻まれてしまった。
「そなたは手数が少ないようじゃな。もうお手上げかのう?」
何も言えない。それが答えであった。ボクは刀がなければ何もできない。
「ほれ、返してやるぞ。一方的な展開ほどつまらないものはないからのう」
その言葉通り、蔦爺は本当に目の前に刀を放り投げた。それは屈辱以外の何者でもなかった。
負けが確定していたところから一転、相手の嘲とも取れる行為によって、再び刀を握る権利を得られたが、それは自身の名誉を冒涜されているように感じ、はらわたが煮え繰り返るくらいの怒りを覚えた。
この刀を敵の前で握ったとき、自分の中にあるプライドが崩れてしまう。敵の情けを甘んじて受け入れることはできない、
「もう戦う気を無くしてしまったかのう?」
その問いには答えることなく、ただずっと蔦爺を睨みつける。
「わからんのう。なぜその目ができて、刀を拾わないんじゃ?まだ戦う力は残されているじゃろ?」
唇を強く噛む。顎に血が伝うのを感じる。自分の何もできない哀れさと、敵のこちらの自尊心など全く考えていないような行動に対する怒気で頭がどうにかなってしまいそうだ。
「蔦爺、戦闘中のとこ悪いが一旦、戻るぞ」
どこからか全身にナイフが刺さった女が現れた。その姿に気味の悪さと恐怖を覚える。
「そうかい。ちょうどよかったわい。ワシもそろそろ帰ろうと思っておったところじゃ」
「良いのか、殺さなくて」
こちらに目を合わせる女。目にすら刺さっているナイフが日に照らされて、光を反射する。
「良い良い。興醒めして、殺す気も無くなってしまったわい」
その言葉を最後に、その二体は姿をくらませた。
「あああああああああああ!!!!!」
地面を思いっきり殴る。しかし、地面は凹むこともひび割れることもなく、ただ拳に痛みを与えてくるだけであった。
転がっている日本刀を拾う。一度敵の手に落ちたこの刀が自分の手元にあるという現状に、心が黒く染まる。
強くならなくてはいけない。情けも慈悲も、もう受け取りはしない。
必ず、この雪辱を果たす。それまで、ただひたすらに強くなる。
そう心に決めて、刀を鞘にしまった。




