第二十八話
久我山からの反撃はなく、無事に平野さんの仕事部屋である局長室に到着した。
中にはよくドラマとかである少し横長の机と、その近くに座り心地の良さそうな椅子があり、そこに平野さんは座ってくつろいでいた。その他にも、黒一色の長いソファが対面に二つと茶色の低い机、そして場違いな冷蔵庫があった。冷蔵庫?
「よし、じゃあ二人ともそこに座って」
ソファに座ることを勧められて、俺らは横並びに座った。思ったよりも深く沈んで、体勢を崩しそうになった。
「スイカあるから食べながら、話してね。二人とも食べられるよね?」
「いや、俺は無理です」
俺は頷いただけなのに対して、久我山はそう言った。
「そっか。皆端くんといい、スイカ嫌いな人って結構いるんだ。美味しいのに」
平野さんは対面のソファに座って、スイカを食べた。俺もそれに釣られて一つ食べた。うん、うまい。これ多分、高いやつだ。
「それで、本題入ろうか。まず私と二人が別れた後から、おおまかにでいいからどんなことがあったのか教えて、亮くん」
あれー?なんで久我山を名指しなの?別に俺でも良くない?
「はい。わかりました」
それから、久我山は昨日あったことを語り出した。しかし、その中には鈴のような音が鳴ったことについては言及されなかった。
「そう、逃げ遅れた人がいたのね。それで半人間にやられて、瀕死になって苦しんでいたところを蒼真くんが楽にしてあげたってことね」
随分と気を遣われた遠回しな表現に、俺はどんな表情をすれば良いのかわからなかった。そんなことよりもだ、何故あの音について何も言わないんだ?久我山には聞こえなかったのか?
「なぁ、久我山。鈴の音って聞こえたか?」
痺れを切らして、話が一段落した時にそう訊いた。久我山は心底不思議そうな顔をして首を横に振った。
「そんなの鳴っていたか?俺は知らない。それよりもお前が、平野さんと別れる前に急に棒立ちになっていたのはなんだったんだ?あんなの格好の的になるぞ」
ちょうど良く俺がその状態になった原因の話になった。平野さんの様子を窺っても、鈴の音が聞こえてはいないようだった。しかし、絶対に幻聴ではない。今でもあの音色が思い出されるくらいには、記憶に残っている。それほどまでに不快な音だった。
「俺には鈴の音が聞こえたんすけど、それを聞いた瞬間に目の前に知らない映像が流れたんすよ」
「「知らない映像?」」
二人はハモったことすら気にしないくらいに、俺の話に興味を示した。久我山だけでなく、平野さんすらわからないあの音は一体なんなのだろうか。
「そうっす。どんな映像かは忘れてしまったんですけど、それで放心しちまって、棒立ちになってしまったんすよ」
「鈴の音……、知らない映像……」
平野さんは一人でにそう呟くと、口元を押さえて下を向いた。久我山は心当たりは全くないようで、考えても無駄だというように早々に興味を失ったようだ。
その一方で平野さんは、ゆっくりと顔を上げて、神妙な面持ちで言った。
「蒼真くんが突っ立ってボーッとしてたときに、私は初めて黒の存在に気づいたの。まるで急に現れたかのようだった」
それはつまり……
「鈴の音でコレティスが生み出されたってことですか?」
俺の考えを代弁するように、さっきまでどうでもいいというような態度だった久我山が言った。
平野さんはまだ続々にすぎないからであろう、その問いには答えずに保留にするように再び俯いて、考え始めた。
もしもその仮定が正しいのだとしたら、誰がなんのためにやっているというのだ。人を襲う醜い存在であるコレティスを生み出すメリットはなんだ?ソイツは俺らの敵なのか?
解決することのできない問いがずっと頭の中で渦を巻いてその存在を主張してくる。
「もしも、意図的に黒を発生させることができるのだとしたら、脅威どころの話じゃない………。大阪支部と本部に協力してもらわないと……。でも、そうしたら蒼真くんの存在がバレる……。どうするべきか……」
平野さんが小声でぶつぶつと呟く。俺の存在が秘匿されているのは知っている。俺もそれが混乱を招くのを防ぐためにも必要なことだと認識しているが、そんなことをしている場合ではないのかもしれない。
一般人を犠牲に俺を守るなど、CAUの目的とは真逆の行為だ。それだったら、大阪支部の人や本部から警戒されようと、命を狙われようとも厭わない。
俺の命と多くの人の命の価値を天秤にかけたらどちらに傾くなど、考えなくてもわかることだ。
「平野さん、協力を仰いだほうがいいっすよ」
平野さんは俺の目を見つめた後、ゆっくりと目を閉じた。かなりの葛藤が頭の中で行われているようだ。
「いや、待て。その鈴が使われるのがここら周辺だけとは限らない。もし多くの人を殺すためなのだとしたら、東京でも使用されるかもしれないしCAUの崩壊を望んでいるのだとしたら大阪でも利用される。そんな中でこっちだけ救援要請なんて出せるはずがない」
確かに、その通りだ。そんな単純なことに何故気がつかなかったんだ。相手の目的がわからない以上、こちらは動くことができない。後手に回ることしかできない、この状況に思わず歯軋りをした。
「いや、伝える。殺されるわけにはいかない」
ようやく結論に至った平野さんが力強く口にした。もう心に決めたようで、固い意志がそれだけで伝わった。
「でも、平野さん。久我山が今言ったように、他の場所でも──────」
「それはない」
なにか確信めいたものが滲み出たその声に、俺は耳を疑った。どうしてそう言い切れるのか皆目見当もつかなかった。
「どうしてですか!?まだ相手の狙いすらわからないんですよ!?」
珍しく興奮している久我山とは対照的に、平野さんは至って冷静であった。
「私は相手の狙いを知っているの。亮くんと更科ちゃんにはせっかく秘密にしてもらっていたのに、申し訳ないんだけど私はその相手に会えないかって打診されて、それに応えたの。そのときに少しだけ狙いを聞いた」
久我山は思い当たる節があったのか、大きく目を見開いた。俺だけはなんのことか分からずに、疑問符が浮かんでおり、完全に蚊帳の外だ。
「それで狙いはなんなんですか?」
久我山が緊張した様子で尋ねた。平野さんはゆっくりと口を開いた。
「相手の狙いは、私を抹消すること」
まるで他人事かのように、動じない平野さんは肝が座り過ぎている。
少なくとも久我山が知っているということは、最低でもその邂逅があったのは二日前だ。だとしたら、今日まで顔色ひとつ変えずにいつも通りの様子だった平野さんは、異常だ。自分の命が狙われていることを自覚しながら黒に立ち向かったのは、勇敢というよりかは無謀に等しい。
今この場にいることが奇跡のようなものだ。
「なんで平野さんの抹殺を狙っているんすか?」
「そこまでは聞いていないの。私は宣戦布告されたってことだね」
スイカを食べる平野さんからは恐怖も緊張も怒りも感じない。自分が負けることがないと自負しているからであろう。その自信が平野さんの強さの裏付けなのかもしれない。
「取り敢えず、増員要請は出すことにするよ。ただ、蒼真くんを疑うわけではないけど、その鈴の話とか、意のままにコレティスを出現させることができるっていうのは信憑性が欠けているから、その申請が通るかどうかはなんとも言えないかな。でも、もし通ったら大阪か東京から知らない人が来るだろうから、そのことは心得ていて」
「はい」「うす」
「よし、それじゃあ、終わり。ありがとうね二人とも。今話したことはみんなにも伝えておいて」
俺らは部屋を出て、改めて今話し合ったことを振り返った。現実味のない話であったが、否定しきることができないのが恐ろしい。平野さんを失ったCAUは大幅な戦力ダウンになることは必至である。それだけは防がなければいけない。
そのためには俺がもっと強くならなければいけない。
俺は右手を力いっぱい握りしめた。




