第二十五話
平野が高平と久我山と別れたときに時間は巻き戻る。
平野はドラゴンのような皮膚と大きな爪を持った黒のコレティスと対峙する。そこには恐怖も怯臆も全くといっていいほど存在しない。それどころかひりつく空気を肌に受けて、まるで強敵と戦うことを喜びと感じているかのように口角を上げる。
地中から剣を取り出し、力感のない体勢で構える。
「ちなみに、会話はできる?」
「グアァァァ!!」
「無理か」
平野は目にも止まらぬ速さで距離を詰めて、その勢いのまま斬りつける。しかし、硬い鱗のようなものに阻まれてしまう。そして、長い爪で体を引き裂かれるのをギリギリのところで避けて、距離を取る。
「だいぶ硬いね。これは骨が折れそう」
言い終わるや否やコレティスは口から炎を吐く。平野はそれを颯爽と左前方に飛んでかわし、電柱を蹴って最度近づく。地面は炎によって爛れ、電柱はその形を崩して今にも折れそうになっている。
平野の剣とコレティスの爪が幾度となくぶつかり合う。平野は度々吐かれる炎を華麗によけながらも、攻撃を加えようと試みるがそれは叶わない。
しかし、隙をついて腹に蹴りを見舞うと十メートルほど吹っ飛んだ後にビルに激突してその勢いが死んだ。
(軽い……)
平野はそのゴツゴツとした強かな姿とは異なり、大きく吹き飛ばされたコレティスに疑問を持つ。蹴った感触も先ほどの電柱と比べて相当軽い。
「もしかしてさ、打撃にめっぽう弱い?って、訊いても意味ないか」
目の前に迫ってきたコレティスの爪を剣で弾きながら、倒す方法を考える。
いくら打撃を加えたところで、その鱗をどうにかしない限りは致命傷を与えることはできない。まずはあの鎧を崩さなくてはいけない。そのためにはやはり血技を使う必要があるが、剣に血をつける余裕はない。
だがそれは自分で自分の体を傷つけて、血を出す場合だ。
平野は軽く口の端を釣り上げる。それと同時に鉤爪が平野の体を浅く抉った。空中に鮮血が舞う中で、平野は痛がるそぶりも見せることなく冷静に剣にそれを付着させる。
平野が以前、高平と皆端の前で披露した血技『月桂樹』は事前に負わせた傷から月桂樹の蕾を発現させ、体からその養分を根こそぎ奪い取るとり干からびさせてからとどめを刺すというものだ。
しかし、今回に至っては傷を負わせることはできていない。つまり、『月桂樹』を使うことはできない。だが、平野にはもう一つ誰にも見せたことがない血技があった。その存在を認知しているのは人すらたった一人のものだ。
「黑薔薇」
そう告げると、平野の剣を持っている手とは反対の左手と、コレティスの左手に黒い薔薇が咲いた。平野はその薔薇が咲いた左手に、躊躇いなく剣を突き刺した。
赤い血が宙に舞う一方でコレティスの左手の鱗にヒビが入る。
「これじゃあ足りないか」
血が出た左手で右肩に触れると、薔薇はそこに移った。それはコレティスも同様で、それに警戒を抱いたコレティスは慌てるように、突進してくるが一歩遅かった。
平野は剣を左手に持ち替えて、右肩の薔薇が咲いた部分に再び剣を刺した。すると、今度は鱗が完全に音を立てて、砕けていった。そこから青色の血が噴き出し、平野の両腕にかかった。
(熱い……)
血の付着したところから煙が出て、皮膚は赤く爛れている。
平野はそれに構うことなく、コレティスの素早い攻撃を捌いていく。だが、平野とて、自身の体の二か所に深く剣を突き刺したダメージは大きい。徐々に反応が鈍くなり、遂には胸から腹にかけてのひっかきをもろに受けてしまった。
シラで防げたとはいえ、黒の破壊力はそれをも凌駕し、そこから大量の血が流れる。コレティスはこの好機とばかりに、さらに追い打ちをかける。
平野はそれらを下がりつつも、剣でそれらを防ぎ、先ほど平野が蹴った俺かかった電柱を再度蹴る。すると、電柱はそこで切断されて平野とコレティスの間に倒れた。
平野はさらに後方に飛び、空中で静かに言った。
「月桂樹」
黑薔薇によって鱗が削られて、血が出た部分から黄色い月桂樹の蕾が咲いた。そして一瞬のうちに赤へとその色を変えた蕾は体全体に広がり、花が咲いた。赤い花弁が宙に舞う。そして、それらがだんだんと地面に落ちていき、視界が赤一色から戻っていく。
そこに現れたのは体から養分を抜かれ、しわしわとなったコレティス………ではなかった。そこにはいくらかその体格が細くなったコレティスがいただけであった。
「これも耐えちゃうのか………」
平野は思わずといった様子でそう口からこぼす。そこにはこの戦いが始める前に笑みを浮かべていた平野の姿はもうなかった。
自分で剣を突き刺した右肩を押さえる。今なお血が溢れんばかりに流れている。
『月桂樹』は負わせた傷一つにつき一回しか使えない。そして、黑薔薇を使う気力も体力もなかった。
平野は細く長く息を吐く。その姿はボロボロでそれを見たコレティスは勝ちを確信したのかゆっくりと歩いて近づいてくる。その顔にはなんの表情もない。それが普通だと思っていたが、前に高平たちから聞いた嗤ったコレティスもいたということから、例外は存在すると知ったのだ。
「仕方……ないか……」
平野はそう呟いて、目を瞑り、全身から力を逃して脱力した。
客観的に見れば、平野は勝負を投げて、死を受け入れたかのようだった。だが、平野翼の頭の中には死という言葉は存在していなかった。
「終焉葬血の技 ディオネア」
そう呟いた刹那、コレティスの足元から大きな食虫植物であるディオネアが現れ、その足に齧り付き、あの硬かった鱗で覆われた足がいとも容易く引きちぎられた。
青い血で地面が覆われる。両足のなくなったコレティスは無様にも地を這うしかできない。
これで決着かと思われた。だが、コレティスは最後の悪あがきとでもいうように、両の手のひらに自身の血をつける。
そして、その手を払って血を平野の前に飛ばす。その後平野に向かって、到底今の弱った体では届かないのにも関わらず、火を吐いた。すると、まるでガソリンでも撒かれたかのように、業火が血を伝って平野に一直線に向かって行った。
「月桂樹」
その炎が届く前にパックリと食いちぎられた体の断面から、蕾が芽吹き花が咲き、それが散ると同時に黒い灰となってその姿は世界の塵となった。
平野の目の前でマジックのように唐突に火が消えた。
「はあー疲れた」
独りごちて、地面に寝転がり空を見上げる。憎たらしいほどの青空に釣られて穏やかな雰囲気になりながらも、平野は目を瞑って心身ともに憩った。




