第二十二話
神崎はもう一年以上はこの部で練習を続けているのにも関わらず、ずっと楽しそうだった。的に当たれば喜んで、外れれば悔しそうにしていた。それが過去の俺の姿と重なって見えて、だけど楽しむ心を忘れていないことが眩しくて、羨ましかった。
神崎の筋は良かった。正しいフォームが定着してきたら、メキメキと実力をつけていった。最初にセンスがないと言った俺はやはり、人に教える才能はないのだと自覚した。
「今度の地区大会の個人の部で優勝したら、一つ聞いて欲しいお願いがあるんだけど」
「優勝か。できるのか?」
「できるって!私を信じて!」
神崎は胸を叩いて、目を合わせてきた。
「それで、お願いって何だ?」
「私のことを由良って呼んで欲しいの。それから、久我山くんのことを亮って呼ばせて欲しいの」
俺は驚いて、思考が止まったがそれも一瞬のことだった。
「どこが一つだ。さりげなく二つ言ってるじゃねえか」
「あは、バレたかー!それで、いいの?」
「まあ、そのくらいならいいぞ」
神崎は嬉しそうに両手を上に上げて、全身で喜びを表現した。騒がしい人は苦手だと思っていたが、神崎にはそんな感情を持ったことは最初の出会い以外にはなかった。それは俺の中で神崎が特別だったからなのだろうか。
大会当日。神崎はいつもと変わらない調子で、順調だった。そして、結果は準優勝であった。ちなみに俺が優勝であった。
「やべー、久我山くんも出るのすっかり忘れてたー!」
「そうだったのか。俺に勝つ宣言をしたのだとばかり思っていた」
「こんな短期間じゃ無理だって。でも、二位だったから良し!お願いが叶わなかったのが心残りだけどね」
俺はこの数ヶ月間の間で久しぶりに弓道をやっているときに楽しいと感じていた。いや、正確には神崎と一緒に練習しているときに楽しいと感じていた。もう二度と、そんなふうに思うことはないと、決めつけていた俺に、弓道が面白いものだと思い出させてくれた神崎。これはそのことに対する俺からのささやかなるお返しだ。
「取り敢えず、もう時間も遅いから帰るぞ、由良」
「え?」
俺は無性に恥ずかしくなって、顔を合わせずにその場を後にした。背中越しに由良が慌てて追いかけてくるのがわかる。
「いいの?私は二位だったのに」
「俺がいなかったら優勝できていたからな。実質、優勝みたいなものだ」
「ふふ、そうだね」
俺らは横並びになって、帰路に着く。
「ありがとね、亮」
俺らの関係性は名前を呼び合うようになってからも、変化はなかった。俺は由良に教えるし、由良はそれを吸収して精進する。そんな日が続いて、気がつけば学年が一つ上がっていた。
「私ももうすぐで引退かー。受験やだな」
「大学でも続けるのか?」
「当然よ!私はもう完全に弓道の虜よ!」
地区大会の後の県大会で由良は、一回戦負けであった。たった数ヶ月で上達するのは限度があるから、当たり前と言えば当たり前だったけど、由良はそれに満足はしなかった。それに安堵したことは由良には伝えなかった。
俺自身も上達を実感していた。人に教えることで、改めて自分でもできているか確認をしつつ、練習を行なったおかげであろう。それが結果として実を結んだのか、全国大会で三位になった。相変わらず優勝はできなかったが、以前と違って、それを誇らしく思った。父には報告だけはしておいた。当然に大した反応を示さなかった。
そして、由良にとって高校生最後の大会が差し迫っていた。
「由良はどうして、俺に教えてもらおうとしたんだ?」
今までなぜそれを訊かなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。最後の大会ということで、俺にも思うところがあるのかもしれない。
由良はどこか遠くを見て、それに答えた。
「妹がね、病気がちなんだ」
思ってもみなかった方向に話が展開されそうなことに、動揺を隠せなかった。由良はそんな俺に構うことなく、話を続けた。
「入退院を繰り返す不安定な体でね、私が亮に話しかけた時よりも少し前に、また入院したんだけど、結構深刻なものなんだ。何か私にできることはないかって考えたときに、姉の活躍を知れば少しは元気になるんじゃないかなって、そう思ったんだ」
俺は何も言葉を返せなかった。
由良は妹のために弓道を続けている。自分のためでなく、妹のためにだ。それなのに腐らずに努力を重ね、実際にかなりの腕前となった。
俺とは違う。目的が他人のためなのに、由良はいつまでも楽しそうに弓道をしているのだ。
「それなら、次の大会で結果を残さないとな」
「うん、そうだね」
由良は立ち上がって、伸びをした。
「さっ、練習しよ!」
「ああ、そうだな」
俺も立ち上がって、伸びをした。




