第十七話
平野が土手に到着しても、男の姿はなかった。車どころか人すらいないこの場所に風が吹いて、平野の髪が靡き、草花が揺れる。
「後ろ」
そう平野がぼそりと言った瞬間に、平野の背後に男が現れた。
「よくお気づきになりましたね。気配を消すのが私の専売特許なのですが、自信を無くしまいます」
「いや、私もここまでの間合いに入られたのは初めて。もし斬られでもしてたら、怪我していたかも」
ゆっくりと平野は振り返る。二人の距離はおおよそ五メートルほどであった。
挑発し合うようにお互いが薄ら笑いを浮かべて、見つめ合う。一発触発の空気が漂う険悪なこの空間を打ち破ったのは、先に目を瞑って軽く首を振った男であった。
「あなたと今ここでやり合う気はありません。私は平和主義者なので、血で血を洗う凄惨な争いは好みません」
「そう、良かった。私もこの後まだ仕事があるから疲れるのは避けたかったの」
平野は一歩距離を空けて、わざとらしく脱力した様子を見せた。
「あなたに来てもらったのは、交渉をしたかったからです」
「やだ」
「まだ何も申していませんよ」
「だいたい何を言いたいかはわかる。高平蒼真を引き渡せ、そういう類のものでしょ?」
「ご明察。そちらが素直に引き渡してくれれば、無益な戦争を起こさずとも済みます」
「無益?何を言っているの?そっちが蒼真くんを奪えたら、確実に利益になるし、こちらは大きな損害を被る。それのどこが無益だっていうの?」
「これは失礼しました。おっしゃる通りです。ただ、先ほども申したように人が大勢死んでしまう事態はなるべく避けたいのが、私の本音です。もう一度考え直してくれませんか?」
「やだ」
男は平野の即答に思わずと言ったように、小さく笑い声を漏らした。
「承知しました。しかしながら、そうなりますとこちらは全力で高平蒼真を奪いに行きます。あなた方が受ける被害は多大なものとなるでしょう」
「いいよ、それで。こっちは全力で蒼真くんを死守する。たとえ私の命に代えてでも」
決意の漲るその発言に、男は僅かに顔をこわばらせた。その一方で、平野の顔は相変わらず涼しいままであった。
「話はそれだけ?私もあまりゆっくりしていられないんだよね」
「ええ、以上です。貴重な時間をありがとうございました」
こうして、戦いの火蓋はこの二人の間で密かに切られた。
「なあー、久我山―。お前って弓使うんだよな?なのになんで訓練で一回も使わないんだ?」
俺の質問に、何を今更というような表情で久我山は、腕を組んだ。
「弓は近接戦には滅法弱い。だから、ある程度の体術を会得した後じゃないと意味がない。これは遠距離武器を使う人には、その武器の練度を増すことよりも優先すべき重要なことだ」
「ほー、なるほど」
「ほら二人とも!サボってないで、再開するよ!」
遠くで、花道が大きく手を振って休憩の終わりを告げた。俺と久我山はその花道へ近づく。
五人全員が集まったことを確認した平野さんは、手を叩いた。
「それじゃあ、これから模擬戦ね。スティーブンは日本刀の、円香ちゃんは薙刀の模造刀を使ってね。それと、勝敗が決まるからといって相手に大怪我を負わせるようじゃ、まだまだ半人前。シラの量をコントロールできてこその一人前。それを意識するように。それしゃあ、くじ引いて」
第一回戦、藤井和泉vs久我山亮
「久我山―!藤井に勝ったら弓の練習しろよー!」
「藤井―!弓使いに負けたら引退しろー!」
高平が俺に、花道が藤井にそれぞれやじを飛ばす。俺は鬱陶しく感じながらも、目の前にいる相手を見据える。
俺らの中で、近接最強は間違いなく藤井だ。鍛えられた体躯から放たれる重い攻撃と、素早い動きが合わさっている。もう一人で黄を討伐できるのではないか。
「フレー!フレー!くーがーやーま!フレフレ久我山!フレフレ久我山!」
「お前うるせぇー!集中させろ!」
俺は無視できずに、思わず反応してしまう。乱れた集中を再度、高めるために細く長く息を吐く。
「藤井―!筋肉が元気ないぞー!筋肉に大丈夫か訊かなくていいのー?」
その花道の問いかけに、答えが返ってくることはなかった。
「ふふ、にぎやかしくていいね。二人とも準備はいい?」
平野さんの確認に俺と藤井は同時に構えて、大丈夫であることを伝える。
「制限時間は五分。負けた方は私の仕事部屋の掃除ね」
「え?それ聞いてないんですけど」
平野さんの唐突な提案に、俺は思わず戸惑いの声が出てしまった。しかし、平野さんは無反応で俺らがどう反応するかを楽しもうとしたわけではなく、本当にやって欲しいからそう言ったのだとわかった。
「それじゃあ、いくよ。よーい、はじめ!」
開始の合図と共に、互いに距離を詰めて、迷いなく右手を振るう。藤井相手に後手に回るのは悪手であると判断したからだ。
しかし、難なくそれを防がれて左からのフックに左手をあてがう。痺れるような感覚が左腕に走り、思わず顔を歪める。だが、すかさずカウンターで顔を狙うが、首を横に倒して躱された。と、同時に腹に蹴りを入れられて、後ろに吹っ飛んだ。一瞬息ができなくなった。
足に力を入れて、何とか膝をつくことなく立ったままでいられた。俺が飛ばされたことで生じた距離を藤井は詰めてくることはなかった。
痛む腹を意識の外から追い出して、藤井の一挙手一投足に反応できるように神経を尖らせる。
来た……!!
地を蹴った藤井が、一気に目の前に現れた。
右!
咄嗟に左手でそれを防ぐために、顔の前に掲げた瞬間に、視界から藤井が消えた。それと同時に足の裏が地面から離れ、その代わりに背中が地面についた。
藤井が顔の前で拳を寸止めして、ようやく足払いされたのだと理解した。世界が急にひっくり返ったのかと錯覚するほどの、綺麗なものだった。
「そこまで。和泉くんの勝ち」
俺は地面を殴って、清々しいほど一面に広がった青空を睨め付けた。
第二回戦、花道円香vsスティーブン・グッドウィン
グッドウィンの威圧感に驚きながらも、あたしは薙刀を両手で持って構える。薙刀の方が日本刀よりも圧倒的にリーチがあるはずなのに、あたしの身長が小さいのと、グッドウィンが百八十を超える長身のせいでそのアドバンテージの恩恵を享受できるか怪しい。せめて一五五センチは欲しかったよ神様。
「二人とも準備できた?」
「「はい」」
「それじゃあ、よーい、はじめ!」
一回戦と違い、互いに距離を詰めることはなく、最初の位置から互いで左にぐるぐると円を描くように回った。
下手に相手の間合いに入ることは、自殺行為だ。僅かながらあるリーチ差を無に帰すような愚行は犯さない。あたしは適切な距離を保つだけで、優位に立てる。逆を言えば、グッドウィンは確実に距離を詰めてくる。
そう思った矢先。グッドウィンは間合いを一気に詰めてきた。予想通りだったが、そのスピードは予想外だった。
防御に徹するしかなくなってしまい、反撃の機会を窺う余裕すらない。右に左に薙刀を振り回して、連撃を必死に捌く。金属でない模造刀のぶつかり合う音が何度も響き渡る。
グッドウィンは右利きだ。つまり左から右に刀を薙ぐ後は、体はガラ空きになる。そこを狙うしかない…!
何度も何度も冷や汗をかきながら、攻撃を防いでいると、だんだんとグッドウィン刀を振り回すスピードが落ちてきた。
来た、チャンス!!
あたしは相打ち覚悟で、腹を狙って刃先を振るった。それは見事に命中して、グッドウィンが小さく呻いてよろめいた。
いける!勝てる!チビがデカいやつに勝つ!下剋上だ!
続けて右から左に薙刀を振るった。しかし、今度は空を切ってしまった。
それを待っていたかのようにグッドウィンは容赦なく刀を横に切った。
グッドウィンに隙が生まれたように、私もその攻撃の後は体が無防備だということに、なぜ気づけなかったんだ。
「グアっ!」
無意識に口から漏れ出たその声とあたしが膝をつくのは、ほとんど同時だった。
「そこまで。勝者、スティーブン」
模造刀だから打撲であったが、本物であったらあたしの腹は確実に切られていた。その事実で悔しさが滲み出てくる。
あたしがもっと背が高くて、後ついでにスタイルも良ければ、勝っていたかもしれないのに……!




