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第一話

最近誰かによく見られている気がする。視線を感じて振り返るが、誰もいない。こんなことをもう、かれこれもう何十回と繰り返している。身の危険を感じる。殺されるかもしれないと、考えてしまう。そんな飛躍した考えに陥ってしまうのはひとえに、俺の両親が殺されてしまったらしいからだ。

らしいというのは、俺は覚えていないのだ。物心つく前に二人は家に侵入してきた強盗に惨殺されたのだと、今俺が一緒に住んでいる母方の祖父母に教えてもらった。だから俺の中で、両親は写真の中でしか存在していない。

そんな世間がこぞって興味を持ちそうなセンセーショナルな事件は、報道されることも新聞に載ることもなかった。犯人が逮捕されたという話も聞いていない。

「俺さぁ、最近誰かに尾けられている気がするんだよ」

 放課後に、あまり重く捉えられても困るから、軽い感じで部活に行く準備をしているクラスの友達に相談してみた。だが、

「誰がお前なんかにストーキングしようと思うんだよ。ハイリスクローリターンじゃねーか」

「し、辛辣ぅー。もっと言葉を選んでくれ。倉本にはわからないだろうが、人には心ってものがあるんだから」 

 そんなくだらないものに発展したこの話の着地点を探っていると、先生から声をかけられた。

「悪いんだけど、このノート職員室まで運んでくれない?週番の二人がどっちもいないの」

 先生はすでに両手がふさがっており、机にはこの授業中に回収されたこのクラス全員分のノートが山積みになっていた。

「うぃーす」

 こんな感じで誰かにお願い事をされることは多い。流石に、面倒事を押し付けてきているようなものはキッパリと断るが、困っているのが伝わったら、できるだけ手助けするようにしている。それは祖父母の教育の賜物なのだろう。

「ありがとうねー。内申点あげておくよ」

 そんな嘘か本当かわからないような発言に、愛想笑いで返して、職員室、さらには部活をやっていないためそのまま学校を出て、帰路につく。学校の中では感じなかった視線が、再び俺の体に突き刺さる。

「ただいまー」

「おかえり」

 家に到着すると、ちょうど廊下に出ていた祖母がいた。その足元には十キロの米袋が置かれていた。

「米運ぶんでしょ?俺がやるよ」

「ありがとう」

 米櫃に米を入れた後に自室に戻って、着替えをする。そのときに何か違和感を覚えた。

「あ、やべ。スマホない。教室に忘れたか?」

いつもは制服のポケットに入っているため、着替える前にベッドの上に置く、無意識下の行動がなかった故の違和感だった。学校はここから歩いて二十分くらいかかるが、スマホがないと何かと不便な世の中だ。取りに行こう。自転車があればよいのだが、運悪く先週パンクしてしまったため徒歩で行くしかない。

 祖父母に事情を伝えて、家を出る。

地価が安かったためか、生徒にも教員にも優しくない山道を通って、学校に向かった。

予想通りに机の上にスマホがあった。それをさっと拾ってすぐさま教室を出る。同じ道を通り、帰路につく。その途中で黒猫が山の方から姿を現した。

「おー、ねこー。こっち来―い」

 しゃがんで手招くと野生では珍しく素直にこちらに寄ってきた。

「お前美形だな。絶対猫界でモテモテだろ」

首を掻いてやっても、反応がなかった。動画で見た時は、こうすると大半の猫は気持ちよさそうに目をつぶっていたのに、この猫は例外のようだ。ただ、抵抗は見せないようで安心していた、しかし、やっぱり野生は野生だ。急に俺の右手の甲をひっかくと満足そうにまた山の中に帰っていった。

「いってー。血出てるじゃねーか。まあ、でも、すぐに治るからいいか」

 立ち上がって、前を向くと街頭で照らされていた道が急に暗転した。電気が切れたわけではない。後ろから大きな影が、それを覆ったからだ。

 俺は咄嗟に振り向いて絶句した。そこにはまるで昔の怖い話で出てくるような、気味が悪く巨大な化け物がこちらを見てほくそ笑んでいた。前身は水色で、目は大きく一つだけ。頭には角が一本。

 俺は目の前の光景を信じられなかった。だけど恐怖は感じているようで腰が抜けて動けなかった。直感で分かった。ここで死ぬのだと。

 化け物が手を伸ばして、俺の体を簡単に掴んで持ち上げた。上半身に痛みが走って、これは夢ではないのだと伝えてくる。青色の舌をのぞかせながら、口を開けた。食われると思った瞬間に、重力に逆らっていた俺の体はその法則にしたがった。

 地面に打ち付けられる直前に誰かに抱えられた。混乱する頭のままにつぶっていた眼を開けるとそこには整った顔立ちの女性がいた。

「大丈夫?怪我はない?」

「……え、あ、うん。どこもない」

「それは良かった。じゃあ。ちょっとここで待っててね。私がこいつを倒すから」

 お姉さんは優しく俺を地面に置いて、ゆっくりと化け物に近づいていく。そして小声で何か呟くと、下から剣が現れた。

 お姉さんはそれを握ると、人間ではありえないスピードでいつの間にか化け物の後ろに立っていた。そして再び剣を地面へ戻すと同時に、化け物の体は真っ二つになり、青い血をまき散らしながら倒れて、煙のようにその大きな体が空に消えていった。まるでゲームの世界。まるでアニメや漫画の世界。それが今、目の前で起きている。もう何が何だかわからなかった。

 返り血の一つも浴びていないお姉さんは優雅こちらに歩いてきた。

「混乱している様子だね。無理もないけど。どう、立てる?」

 差し伸べてくれた手を掴んで、震える体のままに立ち上がった。

「今からどこ行くつもりだったの?こんな夜遅くに」

「家に帰るところ。てか、まだこの時間は部活やってる人もいるから夜遅いってわけでもないよ。俺は部活やったことないけど」

「そうなんだ。じゃあ、私がそこまで護衛するよ。その間に今あったことを説明してあげる。まだ、手は握ったままの方がいいかな?」

 恥ずかしかったが、今は支えがないとまともに立ってはいられなかったため、羞恥心を捨てて頷いた。それを見たお姉さんは小さく笑って、俺の右手をなでた。

「綺麗な手だね。男の子とは思えない」

 急に手を重ねてきたことにびっくりして、手を離した。意外と、もう支えがなくとも立っていられるくらいには回復していたため、もう手を借りることはなかった。

「私は平野翼。君は?」

「高平蒼真!高校二年生!」

 手で二本指を立てて、笑顔で言った。

「蒼真くんか。いい名前だね。それじゃあ、早速だけど説明するよ。途中で質問したくなってもとりあえずは一通り聞いてね。その後に受け付けるから。私って話を遮られるのがあまり好きじゃないの。オッケー?」

 俺の顔を覗き込んで、確認してくる平野さんに俺は首を縦に振って了解の意を示す。あの不可解な出来事の真相が明かされるのを楽しみにしている自分がいた。

「まず、蒼真くんが見たあの怪物は総称としてコレティスと呼ばれるもので、普通は一般人の目に映ることはないの。ただ、生まれつき見える人やさっきの蒼真くんみたいに何かがトリガーになって見えるようになる人もいるの。そして、コレティスは自身が見えない人を襲うことはない。ただごくたまに意思を持って、人を殺そうとするのもいる。そこで殺された人はそのまま次の輪廻を天国で待つ人だけではなくて、コレティスと融合して半人間状態になって生き返る人もいるんだけど、さらに厄介なことに見た目は人間と差異がない。けれども、人とのつながりが大事な人間社会とは対照的に、基本的には人といることを避けることが多い。コレティスも半人間もその存在が秘匿されているだけで被害は広がり続けている。ひとまずはこのくらいかな。質問はある?」

 俺はこんなにも意味不明な話をされたのに不思議と冷静であった。抵抗もなく受け入れられたし、平野さんが嘘を言っているとも思わなかった。

「なんであんな化け物がこの世界にいるの?」

「その質問には答えられないかな。私たちもまだコレティスについてはほとんどわかっていない状態なの。さっきみたいに倒すと消えるし、生け捕りにするのも難しいから。最初の発生はエストニアで、そこから世界各地に広まっている、このぐらいしか現段階ではわからない」

「私たちってことは平野さんの他にも戦っている人は何人もいるの?」

「いっぱいいるよ。日本だけじゃなくて、アメリカにもイギリスにも中国にも。もちろん、エストニアにも」

「こんなことを一般人の俺が聞いて良かったの?俺今までそんな話聞いたことなかったから、極秘にされていたりするんじゃない?」

「………ちょっと話しすぎたかもね。まあ、大丈夫だよ。多分ね」

 冷や汗をかきながらどこか遠くを見ている平野さんの横で両手を頭の後ろで組む。さっきまで殺されそうになっていたことはすっかり忘れていた。いきなり現実離れした話を聞いた時に、パニックにならずに落ち着いていられるという自分の性分が顕現したのだ。

 静かな街中に一つの着信音が響いた。平野さんの携帯だ。

「もしもし。どうかした?」

 電話の相手に発している声は、俺と会話する時と違って、ちょっと低くてカッコよかった。

 電話している途中に一度だけ、平野さんは意味ありげにこちらをチラリと見た。俺は嫌な予感がした。

「蒼真くんの家の近くに春の木公園ってある?」

「うん、あるけど、どうして……」

 平野さんは携帯をしまって、俺にゆっくりと告げた。

「たった今、君の祖父母が何者かによって殺されました」

 俺はすぐにはその言葉の意味を理解できなかった。


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