第5話 保健室が無限ループ ―存在しない少女―
「田中! しっかりしろ!」
ユウキは叫んだ。
田中の体は、もう50%しか見えていない。
ミカエラの指が高速で動く。画面に、冷たい英数字の羅列が浮かび上がった。
『個体データ検索: 名前: 田中 ...』
「データベースから消えてる!」
「今、解析中……ありました!存在データベースの再登録です!」
ユウキは端末を操作した。
「どうやって再登録するんだ!」
「バックアップから復元します! 『システム復元』メニューを開いて!」
ユウキが操作する間、田中の体は20%まで減っていた。
「お、おい......俺、消えるのか?」
田中の声も、小さくなっていく。
「消させるか! お前は俺の親友だぞ!」
ユウキは、バックアップデータを見つけた。
『個体バックアップ:
田中 (ID: 0x7F4A)
最終保存: 2分前
復元しますか? [YES] / [NO]』
「YES!」
光が田中を包んだ。空気が震え、光の粒がゆっくりと形を成していく。田中の体が元に戻り始めた。20%、40%、60%、80%、100%。
「......ん? あれ? 俺、大丈夫だ」
田中は自分の手を見て、安心した。
「ユウキ......ありがとう。お前、何をしたんだ?」
「いや、その......」
ミカエラが割って入った。
「貧血で倒れかけたんですよ。ユウキさんが、ツボを押して助けました」
「そうなのか?」
「ああ、そう......そうだよ」
田中は、ユウキの肩を叩いた。
「サンキュー! お前、意外と頼りになるな!」
「ははは......」
ユウキは苦笑いした。
「じゃあ、俺は部活行くわ! また明日!」
田中は元気に走っていった。
残されたユウキとミカエラ。
「はぁ......」
ユウキは、その場に座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
「なんとか......でも、怖かった」
ミカエラは優しく微笑んだ。
「でも、助けられました。ユウキさんのおかげです」
「ミカエラがいなかったら、無理だった」
二人は、しばらく沈黙した。
「......なんで田中に、あんなバグが?」
「分かりません。でも、田中さんの個体データを見たときに、気になることが......」
ミカエラは端末を操作した。
『個体情報: 田中
特殊属性: バグ親和性 98.7%
備考: システムエラーを引き寄せる特異体質』
「バグを引き寄せる......?」
「はい。稀に、そういう体質の人がいるんです」
ユウキは立ち上がった。
「じゃあ、これからも田中にバグが?」
「可能性はあります。見守る必要がありますね」
翌日。
ユウキが学校に着くと、保健室の前に人だかりができていた。
「何事だ?」
近づくと、生徒たちが騒いでいる。
「保健室から出られないんだって!」
「え、どういうこと?」
「中に入った人が、ずっと出てこれないらしい」
ユウキは、端末を確認した。
『バグ検出
場所: 保健室
レベル: 3.0
種類: 空間無限ループ
危険度: 高』
「レベル3......!」
ミカエラが駆けつけてきた。
「ユウキさん! 大変です!」
「知ってる。保健室のバグだろ?」
「はい! 今、5人が閉じ込められています!」
ユウキは、保健室の扉を見た。
普通の扉。
でも、中に入った人は、出てこれない。
「見に行こう」
ユウキとミカエラは、保健室に入った。
保健室の中。
5人の生徒が、困惑した顔で立っていた。
「あの......出られないんです」
一人の女子生徒が言った。
「扉から出ようとすると——」
彼女が扉に向かう。
そして、扉を開けて外に出ようとした瞬間——
一瞬、重力の向きが変わったような感覚。
気づくと、保健室の反対側にいた。
「え......?」
「ループしてるんだ」
ユウキが言った。
「出口が、入口に繋がってる」
ミカエラが端末でスキャンする。
『空間構造解析:
保健室の出口座標 = 保健室の入口座標
位相幾何学的エラー
脱出不可能な閉鎖空間』
「これは......複雑ですね」
その時、一人の女子生徒がユウキに話しかけてきた。
「あの......あなたたち、何か分かるんですか?」
ユウキは初めて、彼女をちゃんと見た。
黒髪のロングヘア。
クラスメイトの——神楽坂レイ。
「いや、その......」
レイは、じっとユウキの端末を見ていた。
「それ......普通のスマホじゃないですよね」
ユウキは驚いた。
「なんで......」
「画面に、変な文字が見えます。エラーコードみたいな」
ミカエラが割って入った。
「あなた......バグが見えるんですか?」
レイは静かに頷いた。
「はい。小さい頃から、たまに変なものが見えました。でも、誰も信じてくれなくて......」
ユウキとミカエラは顔を見合わせた。
「素質がある......?」
「いえ、違います」
ミカエラは、レイをスキャンした。そして画面に表示された情報を見て、凍りついた。
『個体情報: 神楽坂レイ — INVALID —
警告: 本来、この世界に存在してはならない個体』
一瞬、保健室の時計の音だけが響いた。誰も、すぐには言葉を出せなかった。
「まさか……」ミカエラの声が震えた。
「ユウキさん……」
ミカエラの声が震えた。
「彼女……NPCです」
「NPC? ゲームの?」
「はい。世界のプログラムに組み込まれたキャラクターです。でも......」
ミカエラは震える声で続けた。
「彼女は、削除予定のデータが自我を持ってしまった存在です」
「それって......」
「存在してはいけない、バグなんです」
ユウキは、複雑な気持ちだった。
レイは、バグ?
でも、目の前にいるのは、普通の女の子だ。
「......今は、保健室のバグを優先しよう」
「はい......」
ユウキは、レイに話しかけた。
「神楽坂さん、協力してくれる?」
「私に、できることがあるんですか?」
「君にはバグが見える。それは、大きな助けになる」
レイの目が輝いた。
「本当ですか?」
「ああ。一緒に、みんなを助けよう」
レイは嬉しそうに頷いた。
「はい!」
ユウキ、ミカエラ、レイの三人は、保健室の構造を調べ始めた。
「レイさん、バグが見えたら教えてください」
「分かりました」
レイは、じっと部屋を見回した。
「あそこ......」
レイが指さした先には、保健室の出口の上に赤い光の線が見える。
「あれが、ループポイント?」
「たぶん......」
ユウキは端末でスキャンした。
『ループポイント確認
座標: (X:15.2, Y:2.8, Z:0.0)
接続先: (X:0.0, Y:0.0, Z:0.0)
出口が入口に直結しています』
「やっぱり。あそこを切断すれば——」
その時、保健の先生が入ってきた。
いや、正確には 保健の先生が、入ってきたはずなのに、また反対側から現れた。
「あれ......? また戻った?」
先生も、ループに巻き込まれている。
ミカエラは、先生をスキャンした。
『個体情報: 保健教諭
ステータス: NPC (自我なし)
動作: スクリプト通りの行動のみ』
「先生も、NPCです」
「え......」
レイの表情が、少し暗くなった。
「私も、あの先生と同じ......」
「いや、違う」
ユウキは言った。
「君には、意志がある。自分で考えて、行動できる」
「でも......」
「それが、どれだけすごいことか」
ミカエラが続けた。
「プログラムされた存在が、自我を持つなんて、奇跡なんです」
レイは、少し救われた顔をした。
「......ありがとうございます」
三人は、ループポイントの切断作戦を立てた。
「まず、ミカエラが空間座標を固定する」
「はい」
「その間に、俺がループポイントを切断」
「分かりました」
レイが手を上げた。
「私は、何をすれば?」
「レイさんは、バグが再発しないか見張ってください」
「はい!」
三人は、それぞれの位置についた。
「作戦開始!」
ミカエラが、両手を広げた。
『空間座標固定......実行中』
保健室全体が、淡い光に包まれた。
「今です、ユウキさん!」
ユウキは、端末で切断コマンドを実行した。
『ループポイント切断......処理中』
出口の上の赤い線が、少しずつ薄くなっていく。
「もう少し......!」
その時、レイが叫んだ。
「待ってください! 新しいバグが!」
保健室の窓に、青い線が現れた。
「窓にも、ループが!」
「くっ......バグが増殖してる!」
ミカエラが言った。
「このままでは、保健室全体が閉鎖空間に!」
ユウキは考えた。
一つずつ切断していたら、間に合わない。
なら——
「全部、同時に切断する!」
「でも、それは......」
ミカエラが心配そうに言った。
「負荷が大きすぎます。端末が壊れるかも」
「やるしかない!」
ユウキは、端末の設定を変更した。
『同時切断モード
警告: システムへの負荷が高いです
推奨: 使用しないでください
実行しますか? [YES] / [NO]』
「YES!」
端末が激しく振動した。熱を帯び、手のひらが焼けそうになる。
「ユウキさん!」
「大丈夫……!」
『ループポイント全削除──実行開始』
保健室の空気が、音を立てて崩れ始めた。
処理:95%……98%……99%……』
画面が白く点滅し、最後の数字が跳ね上がった。
『100%……完了!』
瞬間、保健室を覆っていた赤と青の線が一斉に霧散した。空気が震え、重力が戻る。
「やった……!」
次の瞬間、端末がピシッと音を立て、煙を上げた。
「あっ……壊れた……」
ユウキは端末を見下ろし、苦笑いした。でも、扉の向こうには現実の廊下が続いていた。
「出られる! 本当に出られる!」
生徒たちは歓声を上げ、次々と外へ出ていく。保健室には、ユウキ、ミカエラ、そしてレイの三人だけが残った。静かになった部屋で、ミカエラが口を開く。
「端末……大丈夫ですか?」
「……動かないな」
ユウキは、焦げたような匂いを感じながら苦笑した。
「ごめん。限界まで無理させた」
ミカエラは小さくため息をつくと、両手でユウキの端末を包み込んだ。
『修復プログラム起動
データ整合性チェック中……
修復完了。再起動します。』
端末が一度光を放ち、静かに復旧した。
「……直った!」
「もう、無茶しないでくださいね」
ミカエラの声には、叱るよりも心配の色が濃かった。ユウキは、少し照れくさそうに笑った。
その時、レイがぽつりと呟いた。
「……私、やっぱりバグなんですよね」
ユウキは振り向いた。レイの瞳は、どこか怯えと寂しさが混じっていた。
「神楽坂さん」
「はい」
「俺は、君がバグだとは思わない」
レイの目がわずかに揺れた。
「確かに、システム上はそうかもしれない。でも——」ユウキは、ゆっくりと言葉を選んだ。「君は考えてる。感じてる。笑って、悩んで……俺たちと同じように、生きてる」
ミカエラも頷いた。
「ユウキさんの言う通りです。あなたは"データ"じゃなく、"誰か"です」
レイの頬を、一筋の涙が伝った。その涙には、長い孤独の時間が滲んでいた。
「……ありがとうございます」
「これから……私も、協力してもいいですか?」
「もちろん!」
ユウキは手を差し出す。レイは少し迷い、でもすぐに笑って、その手を握った。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
保健室の窓から午後の光が差し込む。三人の影が、少しだけ重なった。
新しい仲間が加わった。それは、確かに世界を変える第一歩だった。




