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黄昏の世界

ベルサーレの意識が微睡(まどろみ)から醒めた時、不愉快な感触の柔らかい草地の上に仰向けに倒れている事に気がつく。

まぶたを開くと黄昏の様に薄暗い空が見える、分厚い雲と霧が立ち込め陽は見えない。


「ここはどこだ?」

ノロノロと立ち上がると、小高い丘の上に立っている事に気づく。


眼下には起伏にとんだ草原がどこまでも広がっている、草原は灰色がかった緑色で見ているだけで気分を落ち込ませた、そのなだらかな丘の連なりの遥か彼方に険しい岩山が連なる大山脈を遠望できた、その山脈を見ていると軽い目眩に襲われる、距離感が巧くつかめない思わず目を逸した。


草原には小さな森が点在していたが、奇妙な樹木があちこちに生えていた。

その景色には確かに見覚えがあった、思い出したくもない神隠しの時に見た黄昏の世界に似ていた、そして地平線の大きな森の中から尖塔が頭を覗かせている。


「ここは神隠しの時に来たところだ!!」

ベルサーレの声から焦りと動揺が隠せない、かつて彼女が追放された原因となった神隠し事件の時に迷い込んだ黄昏の世界そのものだ。

そしてアマリア魔術学院の探検中に見つけた輝く鏡の部屋で起きた出来事を思い出した。


一体何が起きた?コッキーはどこだ!?


慌てて周囲を見渡した、彼女のいる場所から300メートル近く離れた丘の中腹に小柄な少女がうつ伏せに倒れていた、ベルは急いでコッキーの元に向って走った。

その時ベルは奇妙な影に気がつく、丘のなだらかな草地の上を影の様な物が這いずる様にコッキーに向ってゆく。

いやな予感を感じ力を解放をする、膨大な力の奔流が体に流れ込んだ、普段とは比較にならない程の高揚感と力を得る、瞬時に距離を詰めコッキーの呼吸と脈を素早く確認する。


「生きている」

ホッとしたが、ゆるゆると近づいて来る影を一瞥、コッキーを連れて逃げるべきか、相手の強さや性質を把握すべきか一瞬躊躇(チュウチョ)する、そしてコッキーを連れて逃げる事を選択した。


「まずは安全な場所でコッキーを起こそう」

コッキーを両腕に抱えベルは丘を駆け下る、だがコッキーの重さを感じなかった、軽く跳ぶだけで10メール近く前に進んだ。

妖しい影と十分な距離を取れたと判断し立ち止まる、そこでコッキーを草地に寝かせ揺さぶったり顔を軽く叩く。


「コッキー起きて」

「うーん・・・」

彼女はいたずら心を起こして、軽くコッキーをくすぐった。


「やっ!?やめるのです!!」

「起きたね?」

コッキーも目を覚まして周囲をみまわした。


「ベルさん、ここは一体どこです?」

コッキーは黄昏時の様な薄暗い空を見上げる。


「よく知らないけど、たぶんアゼルが言っていた幽界とか言う世界だと思う」

「私達どうなったのです?」

「アマリア魔術学院の地下にあった鑑の有った部屋を覚えている?」

「あの丸い光を見た時、気をうしなったのです」

「理由はわからないけど、あれのせいだ」


コッキーはふらふらと立ち上がると、唖然としながらも異様な風景を見渡している。

「ここはテレーゼではありませんね、私達は戻れるのでしょうか?」


「僕とルディはここに前に一度来ている」

「そうなのですか!?じゃあ帰れるのですか?」

「前と同じならね、あの森にある建物に行けば帰れるかもしれない」

彼女は地平線の彼方に見える森を指さす、だがこの距離であの大きさに見える建物だ、その巨大さを想像して寒気がしたがコッキーをわざわざ怖がらせる気はない。


「前もあそこに行ったのですか?」

「僕とルディは岩山の上の大神殿に行ったんだ、ここからだとあの建物ぐらいしか手がかりが無い」

「遠いですね・・・」

「でものんびりしていられない、前来た時には一日ぐらいここに居ただけなのに、戻ったら二ヶ月ぐらい経っていたんだ」

「それは大変です!!」

ベルサーレは地面に片膝を立ててかがみ込む。


「コッキー僕におぶさって」

コッキーは言われた通り大人しくベルの背中におぶさった、そしてコッキーの両足を脇に抱え込むと立ち上がる。

「しっかり掴まっていてね」


ベルサーレは建物の尖塔が頭を覗かせている遥か彼方の森に向って全力で走り始める、たちまち馬を遥かに越える速度に達する。


「ヒョェェェーーー」

黄昏の世界にコッキーの悲鳴が響き渡った。


「ベルさんなぜこんなに速く走れるのですか?」

「精霊の力だと思う、でもどうしてこうなったかはわからない」

ベルサーレはコッキーを背負ったまま疾走しながら周囲を冷静に観察していた、視力や感覚までもが異常なまでに鋭敏に研ぎ澄まされていた。

草原にまばらに生えている灌木は僅かに滑る様に移動していた、それどころか石や岩や丘自体が何か柔らかい物質でできているかのように、ゆっくりと変形し移動して行く。

更にそれらの物体の影が気まぐれに変形し歪みながら踊る、時々影が視界の端を掠めたが、影は地面の上を移動しているが影の本体はどこにも見えないのだ。

幸いなことにまだコッキーはそれに気がついていない。


やがて眼前に川が見えてくる、タールの様に真っ黒な水が流れていた、直感的に危険と判断し幅にして10メートル以上もある川を一気に飛び越える。

川の上を越えた時ベルは奇妙な脱力感を感じた、何か音がしたが後ろを振り返る事もなく森に向って走り続けた。

コッキーはベルの背中に必死にしがみつくだけで精一杯だ、周囲の風景を観察する余裕など無い、ただ耳を切る風の音に聞き入る。

その風の音の中に奇妙な何かを感じた、たまに風切り音が人の声のように聞こえるのだ、始めは何かの勘違いなのかも知れないと思った、だが意識する程それは人の声のように聞こえ出す。


『・・・・コッキー・・・・』


風がコッキーの名前を呼んでいる、そんな気がした。


「ベルさん、今何か聞こえましたか?」

彼女はコッキーの背中からの呼びかけに気づき速度を緩める。

「どうかした?」

「今誰かに呼ばれた様な気がしました」

ゆっくりと立ち止まる、そして耳を澄ました。

「何も聞こえないよ、でも周りの物や音に気を取られないで、あまり深く考えると気がおかしくなるよ?」

この時コッキーは見てしまった、自分の影が勝手に動き回っているのを、それは間抜けで動物じみた動きだった、ベルの影にまとわりつきベルの影のポケットを漁っていた。


「影は見ないほうがいい」

ベルサーレの影がコッキーの影を振り払う、そして奇妙な踊りを始める、道化じみていたが扇情的な卑猥な仕草だ。


コッキーは影達から思わず目を逸した。

その時大きな鳥の影がベル達を横切る、二人は思わず上空を見たが何もそこには居ない。


「急ぐよ、コッキー掴まっていて」

再び地平線の森に向って全速で走り始める。


再び風切音が聞こえ始める、それは先程よりも人の声を成していた、コッキーは思わずその声に耳を傾け聞き取ろうとする。

『・・・・アリア・・・・・・コッキー・・・・』


「お父さん!!お父さん!!!」

その力の無いおぼろげな声であっても、そこには懐かしい父の名残があった。


「ベルさん!お父さんが!!お父さんがいるのです!!!」

「コッキー、気を確かにここは幽界なんだ!!」

ベルサーレはそれにかまわず走り続ける。


コッキーは死者の魂が現世から幽界を通り霊界に向かうというアゼルの話を思い出していた。

「お父さんは幽界で迷子になっているのですか?酷すぎます!」

「今の僕たちにできる事は無い」

「ああ、お母さんはどこにいるのですか?」


彼女の背中でコッキーが泣いている、コッキーの涙を背中に感じた、それでも彼女は黄昏の大地をやすみ無く走り続ける。

風の声はコッキーを追いかける様に悲しげに何時までも聞こていた。



「ベルさんにはお父さんの声は聞こえないのですか?」

「僕には何も聞こえないんだ、コッキーだけにしか聞こえていない」

「そうでしたか・・」


ベルサーレは徐々に速度を落とすと、風の声が遠ざかる。


二人は森に近づいていた、森の中の建物の途方もない巨大さに畏怖を感じる、それは巨大な古めかしい様式の大神殿で、エスタニア大陸で最大の建造物の10倍を越える高さがある。

ベルサーレはその巨大な建造物を作った者達の知性と力に怖れを感じた。

そこでコッキーを下ろしてやった。


「お疲れさまコッキー」

その言葉にコッキーは驚き彼女をまじまじと見る、彼女は汗一つかかずまったく疲れている様に見えない、ベルは人間よりもこの世界に近い存在なのではないか、コッキーは初めて怖ろしいと感じた。


「顔色が悪いよ大丈夫?」

「大丈夫ですベルさん・・大きな神殿ですね」

コッキーの声は僅かに震えていた。


森には名も知れぬ大樹が生い茂っていた、どこか見慣れた、それでいて初めて見るような大樹だった。

二人の頭に名前が浮かんだ瞬間にその名前が消えてしまう、そんな大樹だ。


「いやな感じな森だね」

ベルサーレは眉をひそめた。



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