公国の精霊召喚師
エルニア公国公都アウデンリートの中心に大公家の居城アウデンリート城が聳える、その巨大な城郭は徐々に夜の帳に包まれつつある。
警備が夜番に交代し城の要所に篝火が灯されはじめたころ、城の東端の一角を占める古臭い装飾に飾り立てられた古塔がその炎の照り返しで不気味な貌を見せはじめた、城中で最古の建築と言われるこの塔は公国の魔導庁に割り当てられている。
だがその魔導庁はちょっとした混乱に陥っていた、通常業務を終えた昼番の役人達が帰宅しようと気をゆるめ談笑しながら夜番に引き継ぎを行っていたところに、宰相のギスランが魔導庁の執務室を先触れもなく訪れたからだ。
ギスランは弛んだ風紀に不機嫌に変わる、長官が急用で外出していた為に代理の責任者を呼び出して叱責する。
「弛んでおるぞ?今何が起きているのかわかっておるのか?」
魔導庁は浮世離れした空気の部署とはいえ、ルディガー公子の反逆事件で何時もとは違う緊張した空気に包まれてはいたのだ、だがそれも長く続かずに今や平常状態に戻りつつあった。
「ははっ、申し訳ありません、部署員全員に訓示いたします!!」
責任者は震え上がる。
「今はそれどころではない、グスタフ=ヴェーゼマンを呼び出せ特別室を使う」
「申し訳ありません、グスタフは現在塔から外出しておりまして・・」
ギスランは唖然としてから激怒した、呆れてから怒りだすまでの間が妙に長かった。
「たわけが!!あの男を何の為に飼っていると思っているのだ、このような非常の時の為だぞ!塔の内部に待機させておかんか」
責任者は更に頭を垂れるとグスタフを至急呼び戻す様に命令を出す、数人の役人たちが飛び出るように執務室から走り出ていった。
ギスランはこめかみに手の平を当てる。
「この弛みはエルニア全体の問題でもあるな」
それは小さな苦い呟きだ。
「特別室で待たせてもらうぞ、速やかにグスタフを連れてこい、お前にもそれ相応の責任を取らせるからな良いな!?」
塔の責任者を一瞥するとギスランは若い役人に特別室に誘導されていった。
ところで当の本人であるグスタフ=ヴェーゼマンは城の内壁の内側に与えられた自宅にいた、本当は城外で酒でも飲みたかったのだが、この状況でそこまでやる度胸は無い、あまり仲が良いとも言えない妻と出来の悪い息子と娘しかいなかったが、それでもグスタフにとって家族だ。
召喚術師として強力な精霊を呼び出せる能力を買われ高待遇を与えられているが、その召喚は多くの犠牲をグスタフに強いるものだ、だが何事も起きなければ希少な召喚術師として負担の軽い日常業務をこなしながら長生きできる可能性もある、豊かな生活を保証されたまま逃げ切れる可能性もあったのだ、公国にしてもそんな事態は起きないほうが良いので何も起きなくとも咎められたりしない。
だが今まさにその事態が起きつつある事はわかっている、他の魔術士達は日々言われた事をこなすだけで、自らの研究にしか関心が無い者が多い、グスタフの高待遇に文句も付けないかわりに、死んだとしても大して気にしない連中なのは良くわかっていた、だから一時的に塔から逃げ出したのだ。
むしろ魔導庁の術士以外の者の中にグスタフの高待遇をやっかむ者が多い、彼らは召喚術士が希少な理由を理解していなかった。
そんな下級貴族の邸宅並みに立派なグスタフ=ヴェーゼマンの自宅で彼は家族に当たり散らした。
「ルディガーめ!!」
妻が呆れたようにとがめる。
「殿下を呼び捨てにして大丈夫なのかい?」
「奴は謀反人だ呼び捨てで十分だろ!?」
「それで何を気鬱して八つ当たりしてんだよ?殿下が謀反を起こしたとしてあんたに何の関係があるんだい?」
今度はグスタフが呆れる番だ。
「お前は俺たちがなぜこんな立派な家に住めると思っているんだ?」
「それはあんたが珍しい召喚術師として大公様のお役に立っているからじゃないのかね?」
グスタフは吐き捨てる様に応じる。
「それだけでこんな家に住めるか!?万が一の時に大物の精霊召喚をさせる為に飼われているんだ」
「・・・それは危険な事なのかい?アンタ」
多少心配げに問いかけてくる、グスタフは内心それに少し苦笑する、そういった事はあまり家族に話して来なかったからだ。
「命がけの術になる、成功しても死ぬかも知れないし、失敗したらこの生活も終わりだ」
「謀反人を討つためにアンタがお勤めを果たさなければならないって事かい!?」
「だいたいは当たりだ、そういう事なんだよ」
「じぁあ、アンタが失敗したらここに居られなくなるって言うのかい!?」
貴族の様な生活が終わるかも知れない恐怖で妻は震え上がる。
俺が死ぬ可能性も無いわけじゃあないぞ、グスタフは心の中でそっと付け加えた。
突然家の表が騒がしくなり、魔導庁の役人達がグスタフを呼び出しに来たことを告げた。
ついにこの時がきてしまったか・・・
グスタフ=ヴェーゼマンはもう覚悟を決めるしか無かった。
ギスラン=ルマニクは特別会議室で、塔に戻ってきたグスタフを前にしていた。
「なぜ塔の中で待機しておらぬ!?」
グスタフは予め用意しておいた言い訳を述べる。
「申し訳ありません、例の召喚は極めて危険故に万が一を考えまして、家族に最後の別れをして来ました」
半分嘘であったがまったく嘘と言うわけではない。
ギスランは僅かに表情を動かしたが、城の内壁から外に出ていなかったのでこれ以上追求する気はなかった。
「おまえもわかっていると思うが、反逆罪に問われているルディガー殿下の国外逃亡を防ぐ為、お前に追討を命じる可能性がある」
正式な命令書がテーブルの上に置かれている。
「これにはまだ俺のサインが無い、だがいつでも法的効力を発揮する、お前は俺がサインをしてすぐに術を行える様に事前準備を進めるのだ、明日のだいたいこの時間には最終的な決断が下されるはずだ、それまでに必要な物を総て揃えさせろいくら金がかかってもな、詳しい事は魔導庁の長官と相談しろ、空振りに終わってもお前に非は問わぬ、その時はその命令書を破り捨てるまでだ」
グスタフ=ヴェーゼマンはただ頭を下げて命令を受けるしかなかった。
ルディガー達が狩猟小屋で眠りについた頃、バーレムの森にほど近いマイア村のクラスタ家の館の居間で壮年の男がくつろいでいた、部屋の灯りはランプ1つだけで薄暗く部屋の隅は暗闇に溶け込んでいる。
男は元公国騎士爵ブラス=デラ=クラスタでベルサーレの父親だ、齢42歳で中肉中背で鍛えられた優れた戦士でその頬には特徴的な古傷が一筋走っている。
髪は短く切り揃えられ髪の色は灰色だが元は濃いブラウンだろう、ベルサーレと同じ薄い青い瞳が印象に残る。
そして面影はベルサーレにどこか似ていた、若い頃は女に持てたと酒の席で自慢するが、整った顔立ちなのでまったくの嘘ではないだろう、ベルサーレの黒い髪は母親のアナベル譲りだが、ブラスの悪友は『若い頃のアナベルは良く笑う美しくとても可愛らしい女性だった』と悔しそうに評したものだ。
ベルサーレの顔と瞳は父譲り、細身でしなやかな体と黒い長い髪は母譲だ。
公都の騒動もまだここまで届いていない、2年前の公子ルディガーと娘のベルサーレの神隠し事件で八つ当たり気味に責任を問われ騎士爵と大公家狩猟管理人の公務を剥奪され、どうしても公国中枢の情勢を掴むのが遅れる。
その居間の窓ガラスが規則的な音を立てた、その規則性のある音からブラスは誰が鳴らしているのか直ぐに悟る。
「アマンダか?」
それに若い女性の声が答える。
「ブラス叔父様、おじゃまします」
「どうしたんだ?」
窓が軋む音がして部屋の中に夜の外気が吹き込んでくる、すぐに闇の中から外套を羽織った長身の影が音もなく現れた、ブラスは彼女を一瞥し彼女の表情から何か尋常ではないものを感じとる。
彼女はアマンダ=エステーべでブラスの遠縁にあたる娘だ、美しい赤毛の大柄な娘で、色白でエメラルド色の美しい瞳をしていた。
非常に激しく厳格な気性だが、普段はそれを侍女の仮面で押し隠していた、いい加減な処のあるルディガーのお目付け役だ。
ブラスは彼女から叔父と呼ばれたが、正確にはブラスの叔母が嫁いだエステーべ家の孫娘にあたる、ベルサーレにとっても遠縁の親戚と言うわけだ。
彼女はブラスの失爵後に公都の情報をクラスタ家に定期的にもたらしてくれていた、もともと彼女をルディガーの侍女に推挙したのもブラスだ。
だが北方民族の血を引いている彼女は、侍女服より戦士の魂を英雄の座に導く戦乙女の武装の方がよほど似合っている。
「お詫びと御報告を申し上げに参りました」
「改まってどうした!?何か大きな変事が起きたようだな、まずそこに座りなさい」
アマンダは数歩前に進み出て外套を脱ぐ、その下は城の侍女服のままだった。
ブラスはそれを見て驚愕した、それは着替える間もなく城から普通では無い方法で出てきた事を意味している、城門は外套を羽織ろうと侍女服を着用したままの者を通す事など無い、厳しく管理されている。
薄暗いランプの灯りに照らされた彼女の顔は僅かに強張り、その真っ直ぐな眉が釣り眼気味の目のラインをこと更に強調している。
「時間がありませんのでこのまま手短にお話します」
アマンダはルディガーの反逆事件とその経緯を簡単に説明した、敵ばかりの城内で密偵紛いの事をやりながらルディガーの謀殺計画を察知しルディガーを城から脱出させたが、ルディガーを支持する人々に変事を速やかに知らせるべく殿下から命を受けた事を説明した。
そして反逆は免罪であると自分の判断を付け加えた。
「私は殿下のお供をしたかったのですが・・・」
ブラスは半ば放心状態だったが意を決した様子だ。
「そして殿下は今どこにおられるのだ?」
「殿下はエドナ山塊におられるアゼル様の所を目指すとおっしゃりました、アゼル様と合流できれば我らとの連絡も精霊通信で取り易くなります」
「あのアゼルか!?思い出したぞ魔術師とは心強いが・・・ルディガー殿下はエルニアに必要な御方だ」
「申し訳ありません、叔父様もそうお考えと甘えていた処がありました」
「アマンダ、お前が何をしようとしまいと、ルディガー殿下に対する謀略からお前も逃れられん」
「はいエステーべ家はルディガー殿下派と思われてきました、私がルディガー殿下の乳母兄妹でもありますから」
「二年前のふざけた裁定を思えば、我らクラスタ家も無事では済むまい」
「しかしお前を殿下の側に薦めて正解だったな、良くやってくれた」
ブラスの言葉にアマンダは微笑んだ。
「ありがとうございます、殿下ならば必ず切り抜けると信じております」
宰相の直属部隊がルディガーを追って全滅した事、ルディガーがブラスの娘のベルサーレと合流している事、宰相が切札を使おうとしている事も二人はまだ知らない。
「今はエステーべ家の方がまずいな、早く行ってやりなさい」
アマンダの表情が曇る。
「申し訳ありません叔父様」
「我らもかねての予定通り動く」
「叔父様!?予定通りとは?」
「我が一族もルディガー殿下に近いからな、このような事になる可能性は考えて用意してある、もう忠義の心も大分すり減っていた、我らも暫くは身を隠すさ」
「叔父様・・・」
「一刻も早くエステーべに行け、今は殿下が切り抜ける事を信じよう、殿下がお戻りになった時にお役に立つ為に生き残る事を考えるんだ、エリセオにも伝えてくれ『お前の娘を推挙して良かった』とな」
「はい!お言葉に甘えます叔父様もご無事で」
アマンダは再び微笑むと、軽く頭を下げ外套を羽織り静かに部屋の隅の闇の中に退っていった、やがて窓枠を踏む僅かな音とともに気配が消える。
しばらくすると一騎の蹄の音が屋敷から遠ざかっていった。




