アゼルの庵
「久しぶりですね殿下」
アゼルはベルサーレを無視する様にルディガーに声をかけた。
「他人行儀な態度はよせアゼル」
アゼルはわざとらしい仕草でベルサーレにたった今気づいたように視線を移した。
「わかりました、ところで御婦人同伴ですか?」
アゼル=メイシーはこのクエスタの宗家の娘が苦手だ、気さくで気取らない性格は良いとして、魔術師は恐れられ敬意を払われるべき存在だがこの娘にはその敬意がまったくなかった、アゼルは自分自身への敬意など求めなかったが精霊術に対する畏敬の念の無さは容認できない。
「お久しぶりアゼル!!」
ベルサーレはアゼルの気持ちも知らず笑顔で声をかける。
「もしや貴女はクエスタのベルサーレ嬢ではないですか?ずいぶんと背も伸びたようですね」
この時彼女が『しまった』と言った感じの顔をしたがルディガーは気が付かない。
「貴方達がここに来ると言うことは何か大事が起きたという事ですね、ここではなんですから中で話しましょう」
アゼルは二人を小屋の中に案内する事にした、二人の落ち着いた態度から緊急に対応しなければならない問題では無いと判断したのだ、だがそれは驚愕で覆される事になる。
二人が側を通った時にアゼルが顔をしかめ鼻を押さえたのを彼女は目ざとく見つけた、その視線に気がついたアゼルは少し慌てた。
「貴方達はまるで火事場から出てきた様な匂いがしますよ、昨夜の轟音と関係ありそうですね」
何か他にいいたげだがアゼルは賢明にも声に出さない。
「とりあえず荷物をそこにおろして、これに座ってください」
二人は奨められるまま三本足の丸椅子に腰を降した。
「俺たちは召喚精霊と戦ったのだ」
アゼルが何か持て成そうと腰を上げかけた時ルディガーが口を開いた。
「まさかグリンプフィエルの猟犬と戦ったと!?」
アゼルの表情は良く生き延びられたものだと語っていた。
「お二人とも戦って良く生き残れたものですね」
「それがアイツの名前だったのか、なぜグリンプフィエルの猟犬だと解ったの?」
ベルサーレはあの戦いを思い返す。
「ベルサーレ嬢、グスタフの切り札がグリンプフィエルの猟犬なのですよ、他に強力な追跡型の高位精霊を召喚できる術師いません」
アゼルはしばらく考え込んでいたが。
「まずはお二人の怪我の治療を、その後に温泉で汚れを流して着替えていただきます、その後ゆっくり話を伺いましょう、まず殿下の平服がボロボロで血の跡が残っています、まず治療を」
「わかった」
アゼルは上着を脱ぎ始めたルディガーを観察して居るベルサーレに内心呆れた。
「私が縫った傷がずいぶんと早く綺麗になっていますわ」
ルディガーは何かの聞き違いだろうかと訝しみ、澄まし顔のベルサーレの表情から感情を読み取ろうとした。
ベルサーレが指さした背中の刀傷は軽いものだったが、まるで二週間程経ったかのような状態だった。
「この傷は彼女が縫ったのですね、いつ頃ですか?」
「えっ?ああ、一昨日の夕方だ」
ルディガーはのんびりと答えるが、アゼルは信じられないとばかりに首を横に振る。
「回復が速いですね有り得ないぐらいに」
「では鞭の様な打ち身と肩と脇腹の傷は?」
「それはグリンプフィエルの猟犬とやらと昨晩戦った時にできた傷だ」
「こちらは精霊術で治療します」
アゼルが手をかざした時、ルディガーとベルサーレは微かだが不思議な力を感じた。
「これはあの化物と戦った時と同じですわ」
ルディガーは彼女の奇妙な言葉使いに断じて聞き違いではなかったと確信した。
「んっ?そうだな、確かに同じだ」
「やはりお二人共力を感じられるのですね、貴女は精霊力に感性が無かったはずですが?」
アゼルはベルサーレを胡散臭げに眺める。
しばらくルディガーの背中に手をかざしていたが静かに手を引く。
「これで終わりです」
「見た感じ変わりませんわね?」
ベルサーレが身を乗り出して傷跡を確認する、アゼルはベルの無知さに内心怒りながらも冷静に教え正すように説明してやる。
「自然治癒力を高めているのです、直ぐ傷が塞がるわけではありません、全治一ヶ月の怪我が数日で治ると言ったところでしょうか」
「それでも非常に大きな事だぞ、ベル」
「ところで貴女は怪我はありませんか?」
「大きな怪我は有りませんわ、それにお嫁に行く前に人に肌なんて見せられませんもの」
今さらそれを言うのか?などと言うルディガーの心の突っ込みは誰にも聞こえない、
ベルサーレの顔を穴が空くほど見ると極僅かに頬が震えている、それを見逃すルディガーではない。
それに苛ついたのか、アゼルが割り込む。
「殿下、大公妃が何かやらかしましたか?」
「実行したのはギスランだが、俺の謀反をでっち上げて逮捕謀殺を謀った、なんとか逃げることに成功したがな」
「そんな事だと思いましたが、そちらのベルサーレ嬢が協力したと言うわけですね」
「いや、偶然バーレムの森で行き合ったのだ、奇跡としか言いようがない」
「はい殿下をお助けできた偶然を神に感謝いたしております・・・もうだめ」
ベルサーレはクスクス笑いを押し殺している。
「駄目だなお前には令嬢はまったく似合わん」
アゼルは苦虫を噛んだような顔でベルサーレを睨む。
「やはり貴女は変わっていませんでしたか、それでも頑張ったと褒めてさしあげます、昔も言いましたが、貴方が令嬢らしく振る舞えるのはせいぜい3分が限界でしたね」
「ベル、あの話し方は気持ち悪すぎるぞ?」
「こんな非常事態に馬鹿な真似ができるようなら貴方達は何も心配はいらないですね」
二人の罵倒もベルサーレにはダメージは無いようだ。
そしてルディガーが詳しい経緯を話し始めた、それをベルサーレが補足する。
「彼らはグリンプフィエルの猟犬を使わなければならない状況に追い詰められ、精霊召喚した挙げ句に、猟犬が自爆したわけですね?」
「追い詰められたアイツが自爆した」
「おかげで殿下が生死不明になったのは都合が良いですよ」
「僕たちが生きているのに?」
「召喚精霊は命令を実行するか倒されると幽界に帰ります、ですが自爆では成功したか失敗したか不明のままになります、知能の高い精霊ならば、自分の判断で内部の精霊力を封じた自爆用の魔石を爆発させる事ができます」
「あれは自分の意思だったのか?」
ルディは最後に見た猟犬の赤い瞳を思いだした、そして異界の敵に僅かばかりの敬意を感じた。
「ところで先程から気になっていましたが、ベルサーレ嬢のバックパックの鞭の様な物はなんですか?」
「なんとかの猟犬の尻尾だよ」
「グリンプフィエルの猟犬の尾ですか?それは非常に珍しい、優れた魔術道具の素材になりますね、我々は精霊変性物質と呼んでいます」
「精霊変性物質とはなんだよ?」
「殿下の剣と同じですよ」
ルディガーは思わず壁に立てかけた大剣に目をやる。
アゼルは机の上の小さな木製の杖を手にする、杖の頭に宝石の様な石が埋め込まれている。
「魔術道具にはこの杖の様に精霊の力を蓄えてそれを利用する物があります、この杖には水の精霊力が封じてありこれ利用します。魔術道具のほとんどは力を蓄えるタイプの物ですが、希少ですが精霊変性物質から作られた道具があります、物質は精霊召喚の依代になる事で形状だけでなくその性質も大きく変化します、しかしこのような大きな精霊変性物質はまず手に入りません」
ベルサーレは大人しく話を聞いていた、昔なら混ぜ返して邪魔をしたはずだ、アゼルは不思議な何かを見るようにベルサーレの顔を観察する。
「なに?」
ベルの美しい青い瞳に見つめられたアゼルはつい顔を背けてしまった。
「えー、殿下の剣も魔剣で括られてしまっていますが、大昔に高位の精霊を剣そのものを依り代として召喚させ何かに利用したのでしょう、その剣に精霊力はありませんが、この世の物で無い物に作用する特性を持ちます、そして変性する前より運良く強靭になりました、普通の武器としても優秀なので戦士には使い勝手の良い魔術武具ですよ」
「もしや剣の精霊とかいるのだろうか?」
「幽界の精霊の中で物霊と分類される種族がいまして・・・」
アゼルは魔術師であるからかどうしても興味が精霊や魔術の話題にそれてしまう。
「いけない、これ以上は長くなるので、旅の垢を落としてからにしましょう、温泉は小屋を出て左側に少し進めば直ぐみつかります、私の導衣を貸しますので、しばらくそれで我慢してください、その間に食事の用意をします」
ルディガーもほっとしたよう微笑んだ。
「ベルから先に入ってくれ、お前も疲れただろ?ゆっくり寛いでこい」
「ありがとう御座います殿下」
ルディは不気味な物を見てしまったかのような顔で小屋から出てゆく彼女の後ろ姿を追った。




