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「ええっと……?」
「ああ、キセとレセディ嬢は初対面だったね」
「ああ、はい」
ウィリアムはすっと手のひらを令嬢の方へ向ける。
「彼女は私の婚約者であるレセディ・ラナ・フロレンシア・カリナン嬢だ」
『私の婚約者は今日も可憐だ。まぁ、いつも通り笑っていないが』
続いて令嬢――レセディへ向けて希星に手のひらを向けた。
「レセディ嬢、彼女が聖女であるキセ・センゴク嬢だよ。年もそれほど変わらないし、まだこの国に不慣れなキセを助けてやってくれ」
『レセディがキセの助けとなってくれたら、キセもきっと力強いだろう。レセディはこの国一番の模範的で優秀な高位貴族令嬢だから』
そしてついでのように希星の腕の中を一瞥してから「聖獣さまだよ」と付け加えた。
その聖獣さまは今、聖女の腕の中で窒息しそうなくらいに丸まっていてどこが顔なのか、見えているのはどこの部位なのかがわからない状態だ。
希星は片腕でホープを抱えたまま、こほんと軽く咳払いをする。
「初めまして、レセディさん。キセ・センゴクです。こっちは聖獣のホープ。よろしくお願いします」
ここでの挨拶の仕方は未だに勉強中だ。平民相手や男性相手ならここで握手でもすればいいようだが、女性――それも貴族相手だとただスカートを抓んで礼をすればいいのか判断に迷う。
サンタマリア侯爵夫人はなんと言っていただろうか、と考えながら、希星はホープを抱えていない方の手でスカートを抓んだ。
カーテシーの所作は未だ侯爵夫人に合格点を貰えていないのが余計に不安な気持ちを煽った。
しかしレセディは特に気にする様子もなく、こちらが圧倒されるほどに型通りの所作で美しい礼を取る。
「お初にお目にかかります。カリナン公爵が一女、レセディにございます。聖女さま、並びに聖獣さまにはご機嫌麗しゅう存じます」
『まぁ、とても可愛らしいお方。御目は黒檀のようで、御髪はまるで夜を写し取ったよう。御髪が肩までの短さなのは、聖女さまの御国では普通のことなのかしら』
彼女が少し頭を傾けると、白くて長い銀髪が注がれたミルクのように肩から滑り落ちる。腰まであるそれは一部を頭の後ろで結ってまとめられていて、周囲を宝石で作られた花で飾られているのが見えた。
色白の肌を隙間なく覆うのはハイネックでバッスルの入ったエンパイアラインドレス。パステル調の薄青の生地を基調に、ところどころに金色の刺繍が入っていて豪奢ながらも派手にならない塩梅が素晴らしい。
そして一番目を引くのはその瞳。白いまつ毛に縁取られたのは大粒のダイヤモンドを思わせる透明感のある薄蒼の双眸。
この上なく美しいとしか言いようのない女性像を具体化したような姿の少女だ。
ただしその表情は乏しく、まるで人形のように頬も口元もぴくりとも動かない。
今まで希星は、ウィリアムの妹姫がとんでもなく可愛らしく美しい造形の人形のようだと思っていたが、レセディもまた美しい中に可愛らしさも感じさせる姿をしていた。
同じ全体的に白っぽい姿と言ってもレセディとホープでは随分と印象が違う。
(……ホープ、もう少しちゃんとブラッシングとかしてあげた方がいいかな)
当の聖獣は希星の腕の中で知らぬ間に舟を漕いでいた。多分、飽きたのだろう。
役に立たないホープをそっとベンチに置いて、レセディの手を取って握手をする。恐る恐る触れた細く形のいい指先には薄紅色のネイルが施されており、ほんのりと温かかった。
(この国の顔面偏差値たっか……)
希星も可愛い部類に入るのだが、あまり自覚はないようだ。
「なにか困ったことがございましたら、遠慮なく頼ってくださいませ」
『サンタマリア侯爵夫人からは良い教え子ができたと伺っておりますから、私の出番などないかもしれないけれど……』
「心強いです。もしものときは、よろしくお願いしますね」
手を離すと、頃合いを見計らったようにウィリアムが懐中時計を取り出して見る。……首を傾げて止まっていることを思い出し、なにもなかったかのようにまた時計を懐に戻していた。
「レセディ嬢、申し訳ないが、お茶会の仕切り直しはまた今度で構わないかな。そろそろ執務に戻らないと」
『次に会えるのは……ひと月後になるか。もう少し時間が取れたらいいのだけど』
「はい。殿下、お忙しい中、お時間を作っていただきありがとうございました」
『次はひと月後……殿下はお忙しい方なのだから、ワガママを言ってはいけないわ。でも、もし殿下がまだ学園に通っていらしたら、学園でも少しは御姿を拝見するくらいはできたかしら』
レセディは表情を変えないまま礼をする。
目を伏せるレセディを、ウィリアムはなんともいえない顔で見ていた。
「……では、お先に失礼するよ」
『レセディは顔色ひとつ変えないな。やはり私との婚約は乗り気ではないのだろうか』
え、と希星は思わずウィリアムをまじまじと見上げた。
彼は特に気付いた様子もなく、いつも通りの笑顔のまま軽く手を振って庭園を出ていく。
それを見送って、レセディとアレクサンドルは楽な姿勢に戻る。
「レセディちゃん、ごめんなさいね。ウィルったら、時計が止まってたの気付かなかったみたいで」
『いつもならそんなこと事前に気付くでしょうに、どうしたのかしらね』
お手上げ、というジェスチャーをしながらアレクサンドルは首を振る。
確かに少し、完璧王太子のウィリアムにしてはらしくないミスだと希星も感じていた。
アレクサンドルの言葉に、レセディはゆるく首を振る。
「いいえ、殿下はお忙しい方ですから」
『殿下は私といるといつも少し困ったような顔をされる……やっぱり、私が未来の王太子妃に相応しくないから……?』
おっと? 口には出さないように、希星は手で口を塞ぐ。
「……私もそろそろお暇させていただきます。キセさま、アレクサンドルさま、失礼いたします」
『そういえば……どうして殿下はキセさまと一緒に居られたのかしら……。い、いえ、ダメよ、レセディ。そんな詮索のようなことを考えるなんて』
心の中でのレセディの声は少し震えているような気がした。
それでも彼女は表情ひとつ変えずにスカートを抓み、綺麗なカーテシーを披露する。
『……でも……少し……キセさまが羨ましいな……。殿下と共に過ごせる時間があって……』
そんな心の声をおくびにも出さず、レセディは姿勢を正したまま優雅に歩いて庭園を出ていった。
希星の横でアレクサンドルが深いため息を吐く。




