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「あ、いた!」
希星とウィリアムは揃って声がした方を見る。
薔薇のアーチをくぐって足早にやってきたのはアレクサンドル・クリスマリア・ドライト。今日は学園のときよりもラフな白いシャツが陽光に眩しいスタイルだ。少々首元や袖口がフリルでうるさい感じもするが。
ウィリアムの前まで来て立ち止まると、アレクサンドルはウェーブのかかったくすんだ金色の前髪を掻き上げるようにして額に手を当てた。
「アンタねぇ、いつまで遊んでるのよ。婚約者ちゃんならとっくの昔に登城して、アンタのこと待ってたっていうのに」
『信じらんない。なにをのん気に花なんて見てるのかしら』
「アレクサンドル、どうして君が私を探しているんだい?」
『今日もアレクサンドルは芝居がかった動きをするなぁ』
「サンドラって呼んでって言ってるでしょ! ……じゃなくて。ってあら、キセちゃんも一緒だったのね」
『この兄弟は何度言っても聞かないわね。……あらやだ、キセちゃんじゃない。怖い顔してなかったわよね、アタシ』
「サンドラさん、こんにちは。わたしもさっき、王太子さまに会ったんですよ」
アレクサンドルは頬に手を当てて眉間のシワをなかったかのように、にこりと希星に微笑みかける。
上がっていた眉尻もいつものようにすとんと落ちた。
しかし表情が落ち着いたのは一瞬で、次の瞬間には両腕を組んでウィリアムを睨めつける。若干、アレクサンドルの方が背が高いので、ウィリアムは少しだけ上目遣いで彼を見た。
「アンタがあんまりにも遅いから、アタシが代わりに婚約者ちゃんのお茶の相手してたのよ。でも呼んだ側であるアンタがいないのはあんまりだから、探しに来たの。お茶なんてもうとっくに冷めちゃったわ」
『いくら定期的なレセディちゃんとの顔合わせの時間だっていったって、こんなに盛大に遅刻するなんて! 表情も変えずに大人しく待ってるレセディちゃんが可哀想だわ』
「そうだったんだね。レセディ嬢にも、アレクサンドルにも悪いことをした」
『おや、お茶会の時間は三時だと聞いていたはず』
「……今の時間はもう四時半よ」
『この顔……時間を間違えてたか、今が何時かわかってないやつね』
「…………四時半?」
『四時半……』
ウィリアムは懐から時計を取り出し、見下ろす。そしてひくりと頬が小さく引き攣ったのが見えた。
アレクサンドルはわざとらしいくらいに大きなため息を吐く。
希星はそっと目を逸らした。
あの完璧王子さまが時間を間違えるとは。
「……すまない。時計が狂っていたようだ」
『いつ止まっていたんだろう。あとで調整してもらわなければ』
「アンタなら時計を見なくてもだいたいの時間はわかってるでしょうに。なんで今日に限ってそういうことするのよ」
『あーあ、レセディちゃんが可哀想。どうフォローしてやったらいいのかしらねぇ』
あの完璧王子さまが心なしか項垂れて反省している犬のように見える。アレクサンドルはそれを叱る飼い主といったところか。
そう考えてしまって希星は二人に視線を戻し、すぐにまた目を逸らした。まじまじと見るのも失礼だし、なによりその想像のせいで吹き出しそうになってしまったので。
頬の内側の肉を軽く噛んで耐えていると、再び薔薇のアーチをくぐってやってくる者たちの姿が見えた。
「王太子でも失敗するっポねぇ。……誰か来たポプ」
「あ、護衛騎士の人」
先にやってきたのは蝋のような灰色の髪をした若い男性騎士。そして続くのが侍女を連れたどこかの令嬢――白い銀髪が印象的な、まるで絵本から飛び出してきたお姫さまのような少女だ。
騎士の方は希星も何度か顔を合わせたことがある。ウィリアムの専属護衛騎士のジェフリート・カルセドムだ。
先日の眼鏡ことロバート・フッカー・ベリルと同じように前髪を上げているが、ジェフリートは後ろ髪が長く、うなじで結って垂らしている。
「殿下!」
『ご無事……の、ようだな。よかった。なにか問題でもあったのかと』
「やぁ、ジェフ。探させてすまないね」
『心配させてしまったようだね。あとでお詫びにこっそり食べられるクッキーでも差し入れさせておこう』
ジェフリートはなにか言いたげに口を引き結んだが、すぐに表情を落ち着けて頭を下げた。
そして横にずれ、背後の令嬢にまた頭を下げる。
令嬢は一歩前に出て、ウィリアムの正面に立つ。
「ああ、申し訳ない、レセディ嬢。随分と待たせてしまっていたようだね」
『怒って……いるだろうか。いや、怒っているだろうな。なにせ少なくとも一時間以上は待たせてしまっていたのだから』
表面上は少し眉を下げただけのいつもの笑顔を貼り付けたウィリアムの心の声が、僅かに震えているような気がした。
希星は視線だけウィリアムを見、すぐに令嬢へ戻した。
ホープがなにか言い出すとそれにツッコミを入れたくなってしまうのがわかっていたので、腕に抱えた白い毛玉に少し力を入れて黙らせておく。
令嬢は丁寧で美しい所作でドレスのスカートを抓み、最高礼を取る。
「殿下はお忙しいお方ですから、どうぞお気になさらないでくださいませ」
『よかった……お身体が悪くなったわけではなさそう』
「いや、しかし悪いのは私だ。なにか詫びをしなければならないな。……先日、レセディ嬢が話していた城下に新しくできたという店のジェラートを取り寄せようか」
『テオも言っていたし、きっと人気のものだろう。レセディ嬢は甘いものも好きだったはず』
「本当に、お気にならさず。ですが、そうですね……次のお茶会のときにでも、頂いてよろしいでしょうか」
『殿下が私の話を覚えてくださっていたなんて。流石に一緒に行きたい、なんて言えませんね。でも一緒に味わいたいと思うのは……許される、でしょうか』
令嬢の白い頬がうっすらと桃色に染まる。
希星はあらあらまぁまぁと声を出さず、にやけそうになる顔を引き締めてすまし顔を作った。我慢するために少々腕に力が入ってホープをより強く抱え込んだが、そちらにまで気が回っていないので希星は気付いていない。
ホープは小さくくぐもった悲鳴を上げたが誰に気付かれることもなかった。
ウィリアムはジェフリートに耳打ちするように指示を出し、それを聞いたジェフリートは静かに頭を下げて足早に庭園を去っていった。
令嬢の背後に静かに控えていた侍女も気付いたら姿を消している。薔薇のアーチの向こうに城のものとは違うお仕着せのスカートが見えたので、離れたところに控えているようだ。
よく見ればいつの間にか他の王太子付きの使用人や護衛騎士も庭園を出てすぐのところで控えているらしい。
希星が視線を戻すと、いくつかの目がこちらを見ていることに気付いた。




