第12話 リリスの正体がバレる
◆暴かれる素顔――偽りの名の下で◆
王都ルメリアの朝は、いつもにぎやかだ。
露店の声、鐘の音、焼き菓子の甘い匂い。人々の笑い声が石畳を駆け、今日という一日が始まったことを知らせてくれる。
でも――その平和の中で、わたしの心だけはざわついていた。
「……なんで、こんなに視線を感じるの?」
ギルドの近くの小道を歩いているだけなのに、妙に人の目が刺さる。振り返ると、急に目をそらす人。ひそひそと耳打ちする商人たち。
「まさか……」
不安が胸を締めつける。
ルードに言われた言葉が、頭の中をよぎった。
――“君の過去は、もう王都に届き始めてる”――
わたしは今、リリス=ヴァレンタインとしてこの世界に存在している。ラ・ロシェ伯爵のもとから逃げ出した悪役令嬢。魔導書を持ち出し、禁術を使い、貴族社会の秩序を乱した“危険人物”。
それが、今にも街中に広まりそうな気がして――
「リリーさん!」
背後から、元気な声が聞こえた。
慌てて振り返ると、小柄な少女が走ってきた。ギルドでたまに顔を合わせる受付の子、ノアだ。
「ルードさんが呼んでます! すぐ来てくださいって!」
「えっ、なにかあったの?」
ノアは不安げに口をつぐんで、目を伏せた。
「……貴族の調査官がギルドに来ました。今、“ヴァレンタイン家の娘”を探してるって……!」
(来た――!)
まるで心臓を掴まれたみたいに、冷たいものが背筋を走る。
「……分かった。すぐ行く」
わたしは足を止めず、駆け出した。ギルドの建物が見える。その前に、人だかり――
「騎士がいる……!」
青いマントを羽織った数人の騎士たちが、ギルド前で張り込みをしていた。中央に立つ、金髪の若い男が目に入る。
「……ハーグ=ユトレヒト?」
まさか、こんなところで彼が出てくるなんて――ヴァレンタイン家を裏切り、多大なる損害を出させた男である。
そして、ラ・ロシェ家と繋がってる可能性もある。
「見つけたぞ、リリス=ヴァレンタイン!」
――終わった。
人々がどよめいた。噂が一気に広がる。街の空気が、がらりと変わる。
「ちが……わたしは……」
否定しようとしたその時――
「この者に指一本でも触れたら、法の下で“即時裁定”を求める。覚悟はいいか?」
その声は、鋭くて、冷たくて――
でも、安心するほど頼もしかった。
「ルード……!」
建物の影から現れたルードは、普段の笑顔とはまるで違う顔をしていた。
琥珀の瞳が、ハーグを真っすぐ見つめる。
「お前が彼女を“リリス”と呼んで追い詰めるなら、逆に証明しろ。何を根拠に“本人”だと言い切れる?」
「顔と魔力波形、それに――これは機密情報だが、ラ・ロシェ家から通報が来ている。逃亡犯だと」
「ふん。貴族の言葉がそのまま証拠になるのか? この王都で?」
ルードの言葉に、騎士たちがざわめいた。
「魔導書を持ち出した件なら、証拠が必要だ。“彼女が犯人である”という明確な魔力痕跡が残っていない限り、この場で拘束するのは違法になる」
「だが……!」
「……じゃあ、こうしよう」
ルードはくいっと指を上げて言った。
「正式な魔力鑑定を行う。三日後、王都の魔導研究院で。君の主張が正しければ、その場で僕が手を引こう。だが、それまでは彼女に指一本触れさせない」
ハーグは悔しそうに唇を噛んだが、法を重んじる騎士として、それ以上の強行はできない。
「……いいだろう。三日後だ。逃げても無駄だぞ、“リリス”」
吐き捨てるように言い残し、彼は騎士たちを連れて去っていった。
人々の視線は冷たくも、興味深そうで、わたしの背を刺した。
◇ ◇ ◇
その日の夜、ルードと宿の屋上にいた。
月が高く、風が静かに吹いていた。
「……本当に、わたしのこと、守ってくれたんだね」
「もちろん。だって、僕は“リリー”を知ってる。過去がどうだろうと、今の君は……俺の仲間だ」
「……ありがとう」
その言葉は、重く、深く、わたしの胸に染み込んでいった。
でも――三日後。運命が、決まる。
それまでに、わたしは決断しなきゃいけない。
逃げるか、立ち向かうか。
「グリモア。封印魔法の準備、できてる?」
《完了。だが、“真実”を暴く鍵は君自身の中にある》
「うん。やるよ。リリス=ヴァレンタインとして、じゃない。わたし、“稲村菜々”として、ここに立つ」
月を見上げて、そっと誓った。