第11話 ルードの正体
◆笑顔の裏にあるもの――ルードの素顔◆
ルードと出会って、三日目の朝。
宿の窓を開けると、街の向こうに朝霧がたなびいていた。石畳を歩く人々の声、馬車の車輪の音、パン屋からただよう甘い香り。
「……なんだか、現実って感じ」
でもそれは、いつ壊れてもおかしくない、薄氷のような日常だった。
わたしはまだ、“リリス=ヴァレンタイン”として追われている。
ラ・ロシェ伯爵、ダンガー子爵、そしてあの魔導書――全部、ただ逃げているだけじゃどうにもならない。
だから、わたしは決めたのだ。
「……ルードのこと、調べよう」
あの人は優しい。でも、少しだけ“不自然”だった。
出会った時から、なんの疑いもなく助けてくれて、街の中でも妙に顔が利いて、しかも情報屋って肩書きのわりに、本当の仕事がよく見えない。
彼の笑顔の裏には、何かがある。そんな気がしてならなかった。
◇ ◇ ◇
ルードのことを調べるために、わたしは王都のギルドを訪れた。
「……“リリー”か。“ルードの知り合い”ってだけで無銭宿泊、食事まで回ってくるとはな。さすがだぜ、あいつ」
カウンターにいた女性職員が、苦笑まじりに言った。
「ルードさんって、ここで情報屋やってるんですよね?」
「うーん、情報屋……っていうか、“ギルド特別枠”って感じ。あいつ、本当はいろんな顔を持っててさ」
「いろんな顔?」
「うん。冒険者でもあるし、商会の顧問もしてるし、王都の治安局とも繋がってるらしいし……とにかく、正体がはっきりしないのよね」
職員さんは、軽く肩をすくめた。
「でも、あいつがいれば確実に“物事が動く”って噂されてるの。ある意味、王都で一番危ない男よ」
――危ない、男。
どきん、と心臓が鳴った。
わたしが信じかけていた人は、本当に味方だったのか? それとも――。
◇ ◇ ◇
その夜。
わたしはルードがいつも通っているという裏通りの酒場に足を運んだ。
「お嬢さん、こんなところにひとりで来ちゃダメだよ」
カウンターの中から声をかけてきたのは、いかにも場慣れした中年のバーテン。
「ルードさんって、よく来るんですよね?」
「ああ、あいつなら……さっきまで奥にいたな。何人かと話してたよ。何か揉めてる感じだったけどな」
「揉めてる?」
わたしは言葉を飲み込んだ。
そのとき、奥の扉が開いて、ルードがひとりで出てきた。
いつもの笑顔じゃなかった。
険しい目つき、誰かを睨みつけるような、冷たい表情。
でも、わたしの姿に気づくと――ぱっと、いつもの柔らかい笑顔に戻った。
「リリー! どうしたの、こんなとこで?」
「……会いに来たの。ルードさんに、聞きたいことがあって」
「んー、聞きたいこと? なんでもどうぞ」
「あなた、本当は……何者なの?」
ルードの笑顔が、ぴたりと止まる。
酒場の喧騒が、一瞬だけ遠くなる。
「……どうして、そう思ったのかな?」
「偶然、ギルドの人に聞いたの。“正体がわからない男”だって」
ルードは小さく息をついて、カウンターの椅子に腰を下ろした。
「隠すつもりはなかったけど……話せば長くなるよ」
「それでも、聞きたい」
わたしの目をまっすぐ見て、ルードは頷いた。
「……僕は、ルード=フェリエ。だけど、それは“表の顔”さ。裏では王都の治安局と連携して、魔導犯罪者の摘発や、貴族の裏取引の調査をしてる」
「……スパイ、ってこと?」
「そう言ってもいいね」
「……どうして、わたしを助けたの?」
ルードの目が、ふと曇る。
「君が……ただの貴族じゃないって、最初から分かってた。魔力の波動も、動きも、何かを“背負ってる”って目だったから」
「でも……それなら、近づいて利用しようとしてたんじゃ……」
「違う!」
その声は、少し強くて、わたしはびくりと肩を震わせた。
「……ごめん。でも、本当に違うんだ」
ルードは、ゆっくりと続けた。
「僕は君に興味を持った。ただの悪役令嬢じゃない。君は、誰かの“筋書き”を壊そうとしてる。だから、助けたかった」
「筋書き……?」
「この世界には、“運命”を決めようとする力がある。それが何なのか、まだ僕にも分からない。でも、リリー。君なら、それを壊せる」
わたしは、息をのんだ。
彼の言葉が、胸の奥に刺さる。
「……じゃあ、わたしは……これからどうすればいい?」
「君が信じた道を進めばいい。でも、そのときは僕も協力する。君がもし、もう一度戦うなら」
「戦うよ。伯爵からも、過去の自分からも逃げない。……だから、ルード。お願い、わたしのそばにいて」
「もちろん」
そのときの笑顔は、今までで一番、まっすぐだった。
◇ ◇ ◇
夜の王都に、月の光が差し込む。
わたしの隣には、剣を持った情報屋――いや、“裏の顔を持つ男”がいる。
だけどそれでも、わたしは怖くない。
新しい出会いは、まだ続いている。
この世界で生きる“わたし”の物語は、ようやく今、本当の意味で始まったばかりなのだから。