あの月が落ちてくる。
今日は世界最期の日だ。
一ヶ月前、世界的大ニュースだったと思う。
あの青空にうっすらと見えるあの月が地球に落ちてくるらしい。
人類が火星に移住するなんて話はほんのり出ていたけれど
まだ可能ではなく人類はあと死を待つだけとなった。
どこかの有名な政治家は本当は火星に住めるのに黙っているだけ
なんてフェイクニュースも有名動画サイトに投稿されている。
私は世界が終わるなんて実感もわかないまま非日常がスタートした。
世の中は荒れに荒れているようで殺人事件も窃盗のニュースも
速報では伝えきれないほどおこっている。
どうせみんな死ぬならと好きなことを好きなだけしてしまおう
そういうスタンスってやつなんだと思う
お店もほとんどシャッターが降りて、学校も閉鎖して
家で過ごすもの外で暴れるもの好き勝手生きている
でもこれは今までと変わらないようにも思える
転がったままのゴミも、その辺で暴言を吐き散らしている人も
デモをおこしてどこかの政治家を批判するあの人達も
たまたま私の目にはいらなかっただけで世界のどこかには存在していた。
ただ少しそれが増えただけ。
世界が終わるなんて恐怖する人もいる。
私はその一人にはなれなかった。実感がわかないのだ。
いつも通り朝がきていつも通りの夜がくる。
少し変わったことと言えば月が大きく見えることくらい
少しずつ近づいてきているらしい。
このまま地球に月が落ちてきたら人類は滅亡するだろう。
地球が滅亡して人類がいなくなったら広すぎるこの宇宙に
私たちの遺体が漂流することになるんだろうか
それもまたいいのかもしれない
いつかブラックホールに飲み込まれてパスタみたいに伸ばされて
人ではない姿になってどこかに流されるのかもしれない
そこに意識は存在しないかもしれないけれど。
土手から見えるあの月はまだ落ちるには少しだけ時間がある。
風はどこかぬるくて気持ち悪い。
これも月が近づいてきている影響なのかそれとも季節柄なのか
なんでもかんでも月のせいにして考えてしまう。
「おっす」
ゆるかに手を振りながらこちらに向かってきたのは親友の藍だった。
風に乱された髪の毛を整えながら私の横に立って柵に寄り掛かった。
残りの日を家族と過ごすことなんて世間的に綺麗な結末を迎える気もない私たちは親友同士で過ごすことにした。
お互いの両親は兄弟をつれて祖母や祖父の家で寝泊まりをして過ごすらしい。
それに着いていくこともしないで私たちはここ地元にのこった。
実感わかないね、なんて笑いながらなんでもない日を過ごすつもりだ。
黙って隣にいるだけで満足な関係。別に特別会話なんてしなくても
こうして隣にいるだけで心地が良い。
そんな親友に出会えたことが自分にとってはこの人生で最高だったんだと思う。
この世界が終わったとしても次どこかの世界で出会えるんだとしたら家族でもなく兄弟でもなく私は藍にまた出会いたい
最期まで一緒にいれたらきっと最初に出会えるんじゃないだろうかとそんな運命的なことを考えている。
「とりあえずご飯でももらいにいく?」
「いいね賛成」
コンビニに人はいない。たまにあまりものがあってそれを無断で拝借していくそんな非日常を楽しんでいた。
土手に転がる小石を靴の裏で擦りながら足を進めた。
もう見慣れた光景だけど土手から見える川には時々人が流れていた。
この世界が終わるなら自分から終わらせることを選んだ人たちだろう
そんな光景にも嫌にも目が慣れてしまった。
警察も救急車も消防車も稼働しない。そんな世の中になった。
夏も終わって秋にささしかかるこの季節の風はぬるい。
涼しいとも言えず暑いとも言えないけれどじめじめとした湿気で
ほのかに汗をじんわりと滲ませる。
長袖のシャツを少しだけ捲って体の熱を逃した。
少し前を歩く藍の歩幅は私よりも広く少しだけ差がついていた。
この光景も中学のころから変わっていない
少し前を歩く藍の背中をあのころから見つめていた。
私はこの景色が嫌いじゃなかった。
ぴたりと足をとめるとすぐに藍がふりかえる。
私はこの光景が好きだ。
どうした?と優しく微笑みながら振り返る藍のこの表情と
青空が照らす藍の背中、少しだけ眩しいこの光景が好きで
わざと足を止めてしまうのは中学からの癖だ。
なんでもないよといってまた足を進める。
昔から特別二人の仲で会話はなかった。今日なにがあったとか
そんなことを話すこともなかった。
ただ家が近くて帰り道いっしょになるからといってはじまった関係だった。
それがこんなにも長く続く関係になるとはあの頃の私は考えしなかった。
ふと藍が足が止めたので視線を前に戻すと見慣れたコンビニ
なにも言わずに中にはいるけどやっぱり漁られた後のようでなにもない
バックヤードにまで無断ではいっていく藍についていく
抵抗とかはもうなかった。
最初のほうは少しだけあった抵抗も人間は繰り返していけば慣れるというものだ。
「見て、ラッキーじゃない?」
と言って藍の指さす方向には未開封のポテチがあった。うすしお味。
「ラッキーじゃん食べよ」
ガサガサと音を立てて二人で食べれるように開けて
転がっていたパイプ椅子を二人分広げてポテチを食べる
乾いた口の中に少し張り付くけど舌で剥がしながら食べていく
パリパリと小さな音が二人分バックヤードに響く
さすがにカップ麺とかはないねなんて話しながら回りを見渡す
ねずみも食べ物を探しているのか転がっている段ボールをかじっていた。
私も藍もポテチは好きじゃないけれどあと数日間生き残るためにはなんでもいいから口にいれるしかない。
世界が終わるまで私たちは終われない。
したいことがあるわけでもない、しなきゃいけないことがあるわけでもない
ただなんとなく生きてきたけど、終わるまでは生きていたかった。
空になったポテチの袋を床に捨てるとふぅと息をついて座りなおす。
「したいことある?」
「なんもないねぇ」
「ですよねー」
けらけらと笑う藍はくしゃくしゃと私の頭を撫でた
これも藍の癖だ。
少しだけ藍より小さい私の頭を藍は無造作に悪いく言えば雑に撫でることがある。
別に嫌いじゃないしむしろ好きだから私は目をつむって笑って受け入れる。
行くところない私たちは今日はここを寝床にしようと床を軽くはたいて段ボールを床に敷いて寝転がった。
「月が落ちてきたら痛いのかな」
どんくらい痛いかななんて笑う藍を横目に見ながら笑った。
想像できないねなんて笑った。
私たちもうすぐ死ぬかもしれないのにこんなに笑ってられるの無敵じゃんねなんて冗談も交えて。
ポケットから出した携帯でラジオを流す。
どこのラジオも月が落ちてくる話でもちきりだ。
この状況でもラジオを続けられるなんてすごいなとは思うけれど
有名動画サイトではいまだに動画を投稿し続けるやつもいる
きっとみんなそれが好きで死ぬまでやっているのかもしれない
インターネットの海に残しておけば
もし人類が滅亡したとてどこかの惑星で存在する人類がいたとして
それを拾ってくれるのかもしれない。そんなとこだろうか
宇宙のこともほかの惑星のこともわからないけれど。
月の影響なのか陽が落ちるのは少し早くなったような気がする。
携帯の右端には16時が示されいるけれど外はほんのり暗くなっていた。
太陽が月を照らすこともなくなって月はただ地球を暗く影を差すだけの存在になっているからなのか。
「今どのくらい近づいてきてるんだろう」
「見に行く?」
とちらりと藍のほうをみると「いいね」と口角をあげてから
体をがばっと勢いをつけて起こした。
手を差し出されてその手を握って私も起き上がる。
離そうと手のちからを緩めると藍は私の手を握ったまま歩きはじめた。
その藍の手は震えてもいない、汗も滲んでいない。
恐怖なんてものはないんだろう。
外にでると空の半分を覆いつくすような月の姿に息をのんだ。
本当に落ちてくるんだ。
はじめて実感したような気がした。
外には誰もいない。今まではたくさんいたのにその月に恐怖したのか人っ子一人いない。
それに気をよくしたのか藍は私の手を握ったまま大きくジャンプした。
「見ろ!こんなにも月が大きい!一生見れないぞ!」
そんな風にはしゃぐ藍の姿は地球が終わるその日の姿には見えない。
ただ月が見れたことに喜ぶ宇宙飛行士、いや子供のほうがいいだろうか。
「ただ月に兎はいなさそうだね」
なんて残念そうな表情もみせる。
月の模様がそういう風に見えるんだよとは返事したけれど
私の視線は月にうばわれたままだった。
月の模様がこんなにもはっきり見えることなんてこの先ないだろうなとぼんやりと考えていた。
握ったままの手に熱を奪われながら月を見つめる。
月に見つめられているといったほうが正しいのかもしれない
落ちてくるまでにあと何分かかるんだろう、いや何秒なのか
それとも何時間なのか落ちてくる瞬間まで意識はあるんだろうか。
もうすぐそこまで死が迫っているというのに
きっとこの世界で死を実感せずに恐怖すらせずに
その月面の模様に感動して子供のようにはしゃいでいるのは
もしかしたら私たちだけなのかもしれない。
空気がはりつめるなか私たちだけがこんなにも笑顔でいる。
そうぼんやりと考えていた。
握ったままの手はあいかわらず離さないまま
その模様がなにに見えるだとか何に似ているだとか
普段車のはしる車道に二人で座り込んで指さして眺めていた。
冷たい地面の熱が下半身に伝わってくるのもかまわずに
私たちはひたすらにその空を眺め続けていた。
「なかなか落ちてこないね、今どのへんなんだろう」
空一面に広がるその月を眺めながらぼやく藍の表情からは
早く落ちてこいと言わんばかりだ。
別に死にたいくらい最悪な人生を送ってきたわけではない
ただこの楽しい瞬間に知らないうちに死にたいだけだろう。
「さぁ、あと何時間もかかるかもしれないよ」
「ちぇ、つまんないの。」
小石が背中にささるのもかまわずに藍は車道で寝ころび始めた。
それにひっぱられるように私も車道に背中を合わせる。
普段の日常ならこんなことできないだろうな
まっさきに車にひかれて天国行きだ。
「つまんないのなんていうけど、もしかしたらすぐそこまできてるかもしれないんだよ」
ゆるりと藍のほうへ体制をむけると藍もこちらを向いた
それはそれでよくねなんて言いただけな表情で。
「藍は死ぬの怖くないの?」
これは素朴で単純で基本的な疑問だ。
何度も繰り返すようだが、藍はそんなに苦痛な人生を送ってはいないと思う。それは私も同じであるけれど。
「怖くないよ。だって麻衣が隣にいるんだもん」
ふわりと小さく冷たい風が吹いて、私の上気した頬を撫でた。
なにそれ告白みたいなんて冗談でも言葉にだせるわけもなく
ただ「そっか」と小さく返事を返した。
私たちは仲良しの親友、どれだけ喧嘩をしてもこうして今
死ぬかもしれない瞬間まで隣にいる。
そうだ。私たちはこんなにも仲の良い親友なのだ。
「麻衣は死ぬのが怖いの?私は怖くないのに」
「怖くないよ。同じ理由だよ」
にかっと夏の麦わら帽子をかぶって不格好に笑う少年のように
歯をみせて笑った藍に私は自分の中の気持ちをどうにか抑えるようにごくりと息をのんだ。
藍は知らない。私が藍のことを親友だと思っていないということを。
藍は知らない。私たちは親友ではないということを。
私だけが知っている。私はとっくのむかしに藍に恋していたことを
それに親友という蓋をしてみて見ぬふりしていることを。藍は知らない。
握られたままの手の指を絡めて藍と視線をゆっくりと交えた。
「怖くないよ。藍が一緒にいてくれるから。最期まで」
小さく言葉をもらす私をゆっくりと抱きしめて頭を撫でる。
こんなことをしてくれるのもあと数分、数時間だけのこと。
明日なんてこない。わかっている。
できればどうか死ぬまでこのまま私の頭を撫でてほしい。
ゆっくりと目をつむってその手を受け入れる。
少しぼさついた髪の絡みをとるようにゆっくり髪の間を指がなぞる
時々頬にふれるその指に熱が頬にこもりそうになるのを
どうか冷たい風が吹いて冷ましてくれますようにと願うように目をつむる。
「睫毛」
そういって目のあたりと触る藍の指は私の頬とは対照的に冷たく
まつげについていた埃をやさしく払った。
少しだけ目をあけて視線だけを藍に向けると藍は私が今までにみたことのないような儚い表情でこちらを見ていた。
私の頬の熱と同じように熱のこもった視線が交わる。
「麻衣、来世も一緒にいようね。約束だよ」
嗚呼、これは親友としての約束だ。
「うん、約束。私たちまた出会おうね。そしてまた親友になろう」
自分から告白する勇気も、この関係を変える勇気もなにもない
私にはそんな度胸も根性も勇気も欠片もない。
私の言葉を受け入れるように藍は再度抱きしめる。
その瞬間、はじめて空から鈍い音がしはじめた。
「はじまったね」
ぎゅ、と強く抱きしめる藍の手は私を離さまいと
でも大事なものを抱きしめるように優しく包んでくれる。
同じように私も藍を強く優しく抱きしめる
鈍い音は少しずつ大きくなる。その音にまじって悲鳴がかすかに聞こえてくる。
落ちてくる、ずっと空に浮かんでいた月が。
私たちが空を見上げれは当然のように浮かんでいた月が
物語で何度も見たおとぎ話で浮かぶ月が。
宇宙の軸が歪むように空気が薄くなって、鈍い音が強くなっていく。
「藍。あのね私」
音にかき消されないように叫ぶように藍の名前を呼ぶ
関係を壊す勇気もない。私。
でも死ぬその瞬間なら壊れないままいれるんじゃないだろうか
さっきまでの臆病な気持ちまでもこの音にかき消してもらおうと
声を張り上げた瞬間
「来世で聞く」
耳元で囁いた藍の声はあの月の音よりもはっきりと聞こえた。