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境目ノ宿  作者: せんなみ
4/7

お客様のおはなし

 大宴会から数日が経ち、蕾たちはすっかり日常に戻っていた。

 桜が散り、日の光が眩しく感じられるようになってきた季節、蕾もいよいよ独り立ちする時がやって来たのだ。


「ということだから蕾。そろそろお客様とお話する機会も増やしていこうかと思うのだけど…」

「はい」

「だからね、その…」

「はい」


 控室では藍と(なずな)が蕾を囲んで、困った顔で苦笑いをしていた。


「蕾、ちょっと笑ってみてくれるかな?」


 薺の要望に応えようと口角を上げてみせるが、藍はまたしても苦笑いで首を傾げる。


「うん、完全に表情筋が死んでるね」

「もう!薺!もう少し真剣に考えてちょうだい!」


 蕾は手鏡を見ながら自分の頬をつねってみたり、つついてみたりして再度挑戦するがなるほど確かに、笑顔というにはが怖すぎる。人によっては馬鹿にされていると思われても仕方ないかもしれない。


「俺らと話してる時は普通に笑ったりしてるのに」

「言葉遣いも完璧だし、気遣いもできるからその辺りは問題ないのだけれど…」


 どうやら本当に二人共困っているようだ。というのも、実は女将からもうすぐ年季が明ける従業員が大勢出ると言う話をされ、突如人手が足りなくなる事態が起きてしまったのだ。


「あの接客嫌いの椿でさえも駆り出されてるくらいだしね」

「椿が接客…?」


 蕾の頭の中では無表情で働いている椿の姿が容易に想像でき、疑問符が浮かぶ。しかし、どうやらそれは顔に出ていたらしく、薺がニヤリと笑った。


「一緒に椿の様子見に行こうか」


 薺のそんな何気ない提案により、今は蕾と薺、そして藍と三人で玄関に来ていた。蕾が廊下の壁から椿を盗み見るようにちらりと顔を覗かせる。その後ろには薺、その後ろに藍がいてその様子を見守っていた。


 一人ぽつんと佇む椿はどうやら予約のお客様を待っているようだが、その顔はいつも通りの無表情。なんだ自分と同じじゃないかと思った蕾だったが、扉が開き暖簾が揺れたのを見るやいなや、椿の表情は一変した。


「いらっしゃいませ、お客様。お待ちしておりました」


 いつもの彼からは想像もできないような満面の笑顔。元々あどけなさが残る顔立ちだったが、更に童顔具合が増し、お客様の頬が少しだけ赤くなる。


 蕾は開いた口が塞がらず、思わず「誰っ!?」と口走っていた。


「椿だよ」

「もしかして、椿って兄弟いますか?」

「いやだから、椿だよ」


 信じられないと言わんばかりの顔で蕾が振り返ると、なぜか得意気にしている薺と、それを微笑みながら見ている藍。


「いやぁ、頑張って仕込んだ甲斐があったよ」

「椿はね、笑った顔が素敵だからお客様にはとても人気があるのよ」

「あの仏頂面をあんなに変えられるなんて、一体どんなトリックが…」

「それ、蕾には言われたくないんだけど」


 突如、蕾の真後ろからした声に肩を震わせ振り返ってみれば、いつもの無愛想な椿がいた。


「三人とも、ここで何してるの?暇なの?」

「椿こそ、お客様は?」

「先にお手洗いに行かれるって。そんなことより、早くどっか行ってよ。仕事の邪魔」


 腕を組み、こちらを見るその目つきは完全に不機嫌そうであったが、そんな椿に怯むほど三人とも浅い仲ではない。


「ダメだよ椿。今、蕾は社会見学中なんだから」

「はぁ?」

「ほら、椿。笑って。俺が直々に教えてあげたでしょう?」

「嫌だよ」


 そっぽを向いてしまった椿に対して、それでも薺はめげずに何か閃いていつもの掛け声を言い放つ。


「お客様来られましたー!」

「いらっしゃいませ、お客様」


 薺の掛け声に反応して、すぐさまさっきの椿とは思えない満面の笑みでお客様を迎える挨拶をする。そして、すぐにしまったという顔をする椿と笑いがこらえきれずに吹き出す薺。蕾は椿の素早い百面相を目の当たりにして、素直な感想が漏れ出た。


「怖っ」

「はぁ?!」

「すみません。お待たせしました」

「とんでもございません。それではお部屋の方にご案内いたします」


 戻ってきたお客様に気が付き、瞬時に対応を変える俊敏さはさすがだと言わざるを得ない。そして、それは藍と薺も同じだった。

 先程まで肩を震わせてうずくまっていた薺も、いざお客様が見えるとすぐに切り替えて、やさしい微笑みを貼り付け、壁側により頭を下げる。

 藍も蕾が気づいた時には既に壁際に立ち、お客様のために道をあけていた。急いで藍の隣に行き、同じように頭を下げる。


 椿とお客様が通り過ぎたのを確認してから一番始めに口を開いたのは蕾だった。


「人ってあんなに変わるものなんですか」

「椿は元々素質あったけどね。向こうにいた時は割と猫被ってたのかもよ」

「薺が厳しすぎたのよ。可哀想に。椿、一時薺を避けてる時期があったのよ」

「あの時の椿可愛かったよね~。威嚇しながら藍さんの後ろに隠れてる猫みたいでさ。ま、今でも十分可愛い後輩だけど」


 二人の思い出話を聞けば聞くほど蕾は顔が青ざめていった。椿に起きた災難が自分にも降りかかるかもしれないと感じたからだ。


 藍と薺が思い出話に花を咲かせている間に、逃げてしまおうかとじりじりと後退していたところ、薺が獲物を捕らえる肉食動物かの如くギラリと目を光らせた。


「どこに行くの?蕾」

「ひぃ!」


 薺は蕾を捕まえる。


「それじゃあ行ってくるね」

「ええ。行ってらっしゃい」

「藍さん助けて!」

「フフ。楽しそうで良かった」


 藍から見当違いの返事がかえってきたことに落胆する蕾。一方藍は廊下の曲がり角に蕾と薺が消えていくまで優しく微笑みながら手を振っていた。


 薺に連行され、連れてこられたのは蕾が来たことのない客間だった。


 薺は部屋の前で正座すると、蕾にも同じようにするよう指示をする。そして、閉まったままの扉に向かって声を掛けた。


「失礼いたします、お客様」


 中からは女性の声で「どうぞ」と返事がかえってきたので薺はそっと横開きの扉を開く。お客様は客間の奥の窓の方にいて、振り返るってこちらを向き、微笑んでいた。


「こちらが例の新人さんですか?」

「さようでございます」


 薺が蕾に目配せをし、それを察して蕾も挨拶をする。お客様は蕾達の方に歩み寄ると蕾の目線に合わせてかがみ、綺麗に笑った。


「私は(せり)です。よろしくお願いしますね、蕾さん」


 芹は大人の女性だが、どちらかと言えば可愛いという表現が似合う人だった。


「蕾、今日からしばらく芹様について仕事してもらう。明日からなるべく通常業務は他の子達に振るようにするから」

「仕事って、具体的には何をすればいいんですか?」

「それを自分で考えるのも仕事のうちだよ。今日は俺も一緒にいるから、明日からは一人でやってみて」


 有無を言わさない薺に向かって、蕾はお客様にバレない程度に睨みつけるも、薺は何とも思っていない様子で蕾の頭を撫でた。


「大丈夫だよ、蕾。芹様はこういうのには慣れていらっしゃるから。蕾の思うようにやってみな。これが最後の研修になるから、今のうちに失敗しておきなよ」


 そうして、蕾は仕事の時間を芹と過ごすことになった。

 仕事内容はなんてことない簡単なものだ。芹の朝昼晩の食事を運んだり、芹に頼まれた本を探して持ってきたり、話し相手になったり。

 時には蕾自ら芹の部屋に必要そうなものを芹から言われる前に持って行くこともあった。そんな時にはあの可愛い声と満面の笑みで感謝されたものだ。


 数日が経ち、芹の部屋に訪問者がやって来たのは蕾が今日の仕事を終えて出て行った後のことだった。


「失礼いたします、芹様。薺でございます」

「どうぞ」


 夜もふけ、客も従業員も寝静まった時間。遅番の者は何人かいるが、それらも客間の巡回などしない。薺がここに訪れたのは恐らく誰も知らないだろう。


「お疲れ様、薺。ご飯はもう食べたの?」

「うん。椿たちと食べてきた」


 芹の向かい側の座椅子に薺が座る。普段であれば従業員は畳の上に正座でいるため、座椅子に座るなんてことはおろか、足を崩して座ることもない。しかし、薺はその全ての規律を破り、まるで自室のような振る舞いをしてみせた。


「相変わらず仲良しなんだね」

「まぁ、上手くやれてるんじゃないかな。じゃないと、俺が毎晩部屋を抜け出してるのを知らない振りしてくれないだろうし」


 薺はテーブルの上にあった茶請けに手を伸ばし、芹もそれを咎めたりはしない。むしろ、皿を薺の方に押してやる。


「感謝しないとね。今度お菓子あげようかな」

「だったら砂糖菓子とかにしてあげて。それなら蕾も食べるだろうし。あいつらいっつも一緒にいるから」

「あの二人、仲良いの?」

「うん。仕事中も二人で藍さんの後ろをずっとついて回ってんの。アヒルの親子みたいにさ」

「なにそれ、可愛い!」


 芹が声を上げて笑うと、薺も一緒に笑う。二人共、終始楽しそうに会話を続けた。


「ねぇ芹。蕾はどう?」

「頑張ってくれてるよ。今日は私が言うよりも先にお茶請け補充してくれたりして。それも私の好きな物ばっかり。いつ見てたんだろうってくらい、しっかりとお客さんのこと見てくれてる」

「そう、良かった。蕾、顔には出さないけどやっぱりこの前のこと気にしてるみたいだったからさ。無意識にお客さんと鉢会わせるの避けたり、藍さんや椿の後ろに隠れたりしてたから心配だったんだよね」

「確かに。私といる時も、始めはすごく緊張してるみたいだった。あまりにも顔が真っ青だったから薺を呼ぼうかと思ったけど、杞憂だったね」

「でしょ!蕾はやればできるのに、藍さんも椿も変に過保護だからさ。確かに、この仕事が嫌になっちゃったらもう予約するしかないからどうにか辞めさせないようにする気持ちも分かるけどさ。蕾はそう簡単に辞めないでしょ」


 薺が芹に目を向けると、芹は優しい笑顔でニコリと微笑む。


「薺はいい先輩だね」

「そりゃまぁ可愛い後輩だしね」

「それだけ?」


 芹の口は笑っているが目は笑っていなかった。薺は小さく溜め息をついて苦笑する。


「まぁ、打算もあるけどね」


 薺が窓の外に目を向ける。この世界は神のつくった世界だがちゃんと朝と夜が来て、季節も巡る。朝には太陽が出て、夜には月と星が空を彩るのだ。薺は神が趣味でつくったという月を見ながらテーブルに肘をつき顎を乗せる。


「俺の年季が明けた時、あの二人には頑張ってもらわないといけないから」


 芹は何も言わず俯いた。そして、口を開こうとした時、薺はいつもの笑顔に戻っていてもう寝ようと切り出したので、芹は言葉を呑み込むしかなかった。そうして、二人は一つの布団に入り眠りに就いた。


 朝になって芹が目覚めた時、隣に薺の姿はなかった。しかしそれはいつものこと。薺と芹の関係はほとんどの人間に知られていない。だから薺は朝早くに部屋を出て行く。


 もうすぐ蕾が朝食を運んでくる時間だ。この世界に時計はないが、一定の間隔で顔を出す太陽の場所によって何となく時間は分かる。芹は起き上がり、蕾を迎えるために身支度を始めた。


「失礼いたします、芹様。蕾です」

「どうぞ」


 返事を聞き、横開きのドアを丁寧に開いて、朝食を芹の前に並べる。毎日やっていればそれも自然と慣れてくるものだ。手際が良くなったその作業を芹は優しく見守っていた。そして滞りなく食事の準備が終わると、蕾は詰まることなく朝食のメニューについて説明をし、顔を上げると嬉しそうに笑う芹と目が合った。


「何かおかしな所がありましたか?」

「いいえ。ただ、とても上手になったなと思って」


 初めて食事のメニューについて紹介をした時は緊張のあまり噛むは忘れるはで説明もままならず、芹と薺に笑われた初日のことを思い出し顔を赤くする蕾。


「恐らく、もうすぐ研修も終わると思いますよ」

「え、」

「こんなに立派にお仕事できるんだもの。きっと大丈夫ですよ」


 芹の言葉に動揺したのか、蕾は少しだけ暗い顔をして俯いた。その不安な気持ちを察した芹は、いたずらっ子のような笑みで蕾の名前を呼び、「ここだけの話」と前置きをして蕾の近くによる。まるで内緒話でもするように小さな声で囁いた。


「薺さんが、あなたに期待してるって言ってましたよ」

「あの人は誰にでもそう言ってますよ」

「そんなことありませんよ!きっとあれは本心です。自分のあとを任せられるのはあなたしかいないって」

「え、薺さん辞めるんですか?」


 蕾としては冗談で言ったつもりだったが、芹がすぐに次の言葉が出てこない様子から冗談ではないのかと察する。今までもこの先も、今の生活が続くと思っていたからこそ、その事実はあまりにも唐突だった。しかし、それと同時に疑問も浮かんだ。


「でも、ここで働くのを辞めるってことはそれってつまり…」

「お客さんになるということです」


 客になる、それはつまり”死”と同義であった。


「すぐにはそうしないと思いますよ。彼、最近なんだか楽しそうだし。後輩が増えて張り切っているみたいですから。年季が明けるまでは働くんじゃないでしょうか?そうする人、今までも多かったですし」

「芹様はどれくらい()()にいらっしゃるんですか?」

「ん~あまり考えたことがないので。結構長い方かもしれません。お客さんの方も気づけばすぐにいなくなってしまわれる人が多いので」


 芹の話を聞きながら、蕾はふとまた疑問が浮かび上がった。そういえば、従業員側には”年季”というタイムリミットがあるが、客にもそういうのがあるのだろうかと。一度出た疑問を抱えたままにするのは、元研究者である蕾には我慢ができず、そのまま芹に尋ねた。


「ここのお客さんは皆、何かを待っているんです。どうしてもあの世に行けない事情があって、ここを離れられない人達ばかりなので」


 同じ台詞をどこかで聞いた気がするが、蕾はすぐに思い出すことが出来ず、それが何だかモヤモヤして必死に思い出そうとしていると、先に芹が口を開いた。


「でも、私は他の人よりも長くここにいられるかもしれません」

「どうしてですか?」

「交渉したんです。神様と」

「え、」


 突拍子もない話に少し戸惑う蕾。聞きたいことは山ほどあるが、蕾が口を挟む前に芹はそのまま話を続けた。


「蕾さん。長くここにいられるコツ、知ってますか?」

「いえ」

「神様に、なるべく目を付けられないようにすること。少しでも隙を見せないように、気をつけることです」

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