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境目ノ宿  作者: せんなみ
3/7

お仕事のおはなし

「蕾!座布団あるだけ全部持ってきて!」

「わかった!」


 今日は朝から大忙し。以前から決まっていた神様のご友人様方の大宴会にさらに50人追加で来られるとの連絡が入り、境目ノ宿総出で準備に追われているのだ。


(なずな)さん、お酒が足りないらしくて、どうしましょう!」

「んー、それじゃあまずは落ち着こうか。深呼吸して、よし!それじゃあ在庫を確認してきてくれる?」


「藍さん、お客様の名簿の確認お願いします!」

「あら、助かるわ。ありがとう」


 境目ノ宿の二大巨頭もあらゆる方からお呼びがかかり、休む間もなく働いていた。

 目を回すような忙しさのおかげで、皆休憩を取ることも忘れて走り回っていたが、女将が順番に従業員を捕まえて宴会場から追い出したことで、何とか休むことはできた。


 そして、廊下の掃除をしていた蕾も例にもれず、女将に捕まり今現在は従業員控室にてお茶を淹れて座ったところだった。


 お茶を飲もうとした時、控室の扉が開く。


「おつかれ、椿」

「おつかれ。まぁまだ終わってないけどね。これからが本番」


 お茶を淹れた椿が蕾の隣に座り、共にお茶をすする。二人でひと息ついた頃、また扉が開く。


「おつかれ~」

「お疲れ様です、薺さん」

「おつかれ様。お茶淹れてあげようか?」

「いいよいいよ。自分でやるから。若者は座ってなさいな」


 お茶を淹れた薺が椿の向かい側に座り、今度は三人でお茶をすする。三人でひと息ついた頃、またしても扉が開いた。


「あら、三人も休憩だったのね」

「お疲れ様です、藍さん」

「お疲れ様です」

「おつかれ様、藍さん。お茶でいい?」

「あ、いいのよ。自分でやるわ」

「いいから、いいから。座っててよ」


 藍が茶器のところに行くよりも先に、薺がお茶の用意を始めたため藍は遠慮を見せながらも仕方なく薺の隣、蕾の向かい側に座った。そして、薺がお茶を持ってきて藍の隣に座り、今度は四人でお茶をすする。

 そうして四人で目を合わせると、なぜだか安心して皆で同時に笑い声をあげた。


「それじゃあ、そろそろ仕事に戻りますか」


 そう言って薺が立ち上がり、他の三人もそれについて部屋を出る。

 いよいよ神様たちの大宴会の始まりだ。


「ねぇ椿。神様たちの大宴会って、境目ノ宿をつくった神様も参加されるの?」

「さぁね。誰もその神様の顔知らないから、参加してても分からないよ。それより蕾、宴会初めてでしょ?なるべく僕のそばから離れないでね。蕾は接客しなくていいから」

「そんなに信用ない?」

「信用してるよ。接客以外はね」


 一方、境目ノ宿の玄関では横開きの扉を目一杯開き、女将と藍と薺、そして十数名の従業員がお客様を出迎える準備をしていた。


「おや。椿と蕾は連れてこなかったのかい?」

「ええ。椿はともかく、蕾はまだ新人ですので。宴会場での簡単な仕事についてもらっていますわ。椿はそのフォローに」

「少し過保護がすぎるんじゃないかい。新人どころか、今は猫の手も借りたいところなんだけどね」

「まぁまぁ女将さん。接客をほとんどさせたことのない子に、いきなり神様のお相手は鬼畜すぎますよ」

「まぁいい。お客様のお越しだ」


 煙の中から異形の姿をした神が次々と現れ、従業員一同は深々と頭を下げる。


「いらっしゃいませ、お客様」

「「「「「いらっしゃいませ、お客様」」」」」」


 女将を筆頭にその後ろに藍と薺が控え、その後ろに藍と薺が選んだ者たちが並ぶ。女将が顔を上げるまで綺麗に揃ったお辞儀と誰ひとり身動きすらせぬ姿はまさに壮観であった。

「さすがは境目ノ宿だと」感嘆の声を漏らすお客様もいれば、さも当然のように何とも思っていないお客様もいて、女将が顔を上げるといつもの彼女とはまるで違う笑みを浮かべてお客様を出迎えた。


「お待ちしておりましたわ。宴会場へはこちらの者がご案内いたしましょう。お荷物はこちらにお預けくださいませ」


 薺がお客様をご案内し、藍は女将と共にお客様の出迎えに徹し、荷物はその他の従業員が受け取る。

 神様の人間に対する態度はそれぞれである。

 女将以外を完全に無視する者もいれば、全ての従業員に優しく接する者、見下す者もいる。しかしお客様は神様。女将が目を光らせている以上、従業員たちは全てのお客様に平等に、そして丁寧に対応しなければならない。

 恐らく、一番厳しい仕事を担ったのは藍だ。無視されようと、あらぬ難癖をつけられようと笑顔を絶やさず挨拶を続けなければならないからだ。女将が手助けするのは他のお客様に迷惑が掛かってしまう時だけであった。


「人間なんてのろまな種族がなぜここに?」


 大きな躯体に虎の顔をしたお客様が藍の前で立ち止まる。


「境目ノ宿で働いております、藍と申します。不束者ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」


 虎のお客様は無言で宿に入っていった。次は顔に花が咲いた美しいお客様が藍の前で立ち止まる。


「久しぶりじゃのう、藍。以前と変わらず可愛い子。今夜わたくしのお部屋においでなさい」

「お久しぶりです、花園様。身に余るお言葉、恐悦至極の極みでございます。しかし、僭越ながら私は本日の宴会の責任者を任されております。宴が始まりましたら必ずお席に参りますので、ご容赦いただけますと幸いでございます」

「そう。残念じゃのう」


 そうして藍は何人ものお客様を相手にし、全てのお客様が宿に入ったのは定刻を少し過ぎた後だった。


「ちょいとおしちまったが、まぁ想定の範囲内だね。あたしは一服してから会場に行くよ。あんたも、疲れたならお茶の一杯くらいなら許してやるよ」

「いえ、会場に行きますわ。お気遣いいただきありがとうございます」


 藍の背中を見守りながら懐にしまっていた煙管を吹かせる女将。


「本当に過保護だね」


 その頃、宴会場ではまだ宴が始まってもいないのに騒がしくなっていた。次々に入場してくるお客様の要望を聞き、料理を運び、お酌をし、薺の的確な指示と細やかな気遣いがなければ、現場は大パニックとなっていただろう。

 そうは言っても、薺一人では限界があるため、椿たち中堅の従業員たちも指示をする側に回り、大きな騒ぎもなく、何とかやっているというところであった。


 そして蕾は、タコの姿をしたお客様に座布団ではなく、ちょうどいい温度の水が入った桶を持ってくるように言われ、宿中を走り回っていた。


 物置小屋にて。


「あの、これくらいの桶を探してて、ありますか!」


 厨房にて。


「あの、タコにとってちょうどいい温度ってどれくらいですか!」


 あちこち走り回ってようやく宴会場へ帰って来ると、タコのお客様は喜んで桶の中に入り、タコ踊りを始めた。喜んでもらえたみたいで安堵し、蕾がお辞儀をしてからその場を離れると、虎模様のネコのお客様が蕾の行く手を阻む。


「てめぇ、ふざけてんのか!」


 突然の怒鳴り声はもちろん蕾に向けられたものだ。しかし蕾には何の心当たりもなく、返事に迷っていたところ、またしても怒号が飛ぶ。


「謝罪の一つもできねぇのか!」

「も、申し訳ございません」


 深々と頭を下げるがそれでもネコの怒りは収まらない。


「謝ったってことは悪いと思ってるってことだな?じゃあ何が悪かったか言ってみろ」


 蕾は頭が真っ白になった。嫌な汗まで出てくる始末。しかし、どれだけ考えてもネコが何に怒っているのか皆目見当もつかない。そうしてるうちに手足まで震えてきて顔を上げられないまま、時間だけが過ぎていく。


「おい、聞いてんのか!」


 ネコの声、呼吸、一挙手一投足、全てが怖くなり、ただ謝ることしかできず、ただならぬ空気に周りも気づき始め、注目を浴びる。周りが同情する言葉すらも恐怖に感じ、頭を上げられずにいると、従業員用制服の裾が蕾の視界に入った。


「ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません、お客様。僭越ながら、何があったのか私めにお教えいただけますでしょうか?」


 蕾がハッとして隣を見ると、薺がいた。眉尻を下げ、さも申し訳なさそうにしている。


「見てみろ、俺の席。あのタコのせいで水がはねた。ネコが水を嫌いなことくらい知ってて当然だろ!」

「勉強不足で申し訳ございませんでした。よければ新しい席にご案内いたします。どうぞ、こちらへ」


 蕾はどうすればいいのか分からず、薺とネコについて行こうとしたが、それに気がついた薺が首を横に振ったのが見え、立ち止まる。


 必要ない、そう言われた気がした。


「蕾!」


 椿の姿が目に入るも、蕾の顔は真っ青なままだった。蕾の異変に気付いた椿が蕾の手を引き、宴会場から出て従業員控室までやって来る。

 扉を閉めると椿はすぐに振り返り、蕾の両肩に手を置いて、いつも冷静な椿には珍しく不安な顔と、焦ったような声で必死で蕾に呼びかけた。


「ごめん、蕾。僕が離れたからだ。蕾のせいじゃないから、だから、泣かないで」


 気づけば、蕾の目からはとめどなく涙が溢れていた。

 突然怒られ、理不尽なことを言われたのは確かに怖かった。自分の哀れな姿を多くの人に見られたのも確かに情けなかった。薺に首を振られたことは確かに悲しかった。


 しかし、涙の理由はそれだけではなかった。


『自分のことが、嫌いになりそう』


 蕾は溢れる涙を制服の袖で拭くが、止まらないそれは袖に染みを作るだけ。椿も何も言わない蕾にどうすればいいか分からず、心配そうに蕾を見つめるだけだった。


『あんな失態を犯してこれからどんな顔をして働けばいいのだろうか?皆にどんな顔をして会えばいいのか。明日から皆の、私を見る目が変わる。目の前にいる椿だって、私がこんなことですぐに泣く女だとは思っていなかっただろう。もしかしたら、腫れ物をさわるみたに扱われるかもしれない。どうして私は、泣いてしまったのだろう』


「ごめん、椿。…もう、大丈夫だから…。椿は仕事に、戻って…」

「でも…」


 従業員控室の扉が開く。入ってきたのは薺だった。


「お、珍しい顔」


 薺はいつも通りの笑顔で蕾に近づくと、いつものように蕾の視線に合わせてかがみ、目を合わせる。蕾は泣いている顔を見られるのが嫌で下を向くが、そんなこともお構いなしで薺は蕾の頭を撫でた。


「……やめてください…」

「はいはい」

「…迷惑かけて、…ごめんなさい」

「あんなの迷惑のうちに入らないよ」

「……うぅ…」

「おー泣け泣け。泣ける時はいっぱい泣いといた方がいい」


 今度は溢れる涙を止めようとはしなかった。それでもわずかに残ったプライドを守るため、漏れてしまいそうになる嗚咽を我慢している様子には、思わず薺も笑ってしまう。そして椿にタオル持ってきてと指示をして、それを受けた椿は急いでタオルやらティッシュやらを持ってきた。思い切り泣いた蕾はやっと落ち着き、改めて薺と椿にお礼と謝罪をした。


「蕾を一人にした僕のせいだから。もう謝らないで」

「そうそう。蕾の面倒は僕が見るって自分から言い出したのにね」

「そ、それは言わないでって言ったでしょ!!」


 顔を赤くして怒る椿を、薺が軽くいなす。そんなやり取りがおかしくて蕾が笑うと、それを見た二人も笑顔になった。


「さぁて、仕事戻りますか~」

「はい!」


 宴会場に戻ると、蕾を見つけた女友達が集まって来て蕾に抱き着く。皆それぞれに慰めの言葉をかけ、それを見た薺は安心したように息をつきその場を離れた。


「椿、今度は頼んだよ」

「言われなくても」


「蕾!大丈夫!?怖かったね!私ならあの場で大泣きしちゃうよ!」

「蕾はよく頑張ったよ~」

「私なんてさっき、カラスのお客様のしっぽ踏んじゃってめちゃくちゃ睨まれたよ!」

「はいはい!私は魚のお客様にお酒ぶっかけたよ!でも干上がってたからちょうどいいって褒められてセーフだった!」

「いやそれはダメだろ。分かったからもう仕事戻りなよ。蕾は僕がついてるから」


 怒涛の女子トークにストップを掛けたのは、輪の外にいた椿だった。女子三人組はやっと椿の存在に気が付き、仕方ないとでも言いたげに宴会場の方に足を向ける。


「皆、ありがとう」


 宴会場へ向かう仲間達の背中に蕾が声を掛けると、彼女らは振り返って満面の笑みを見せた。


「後で一緒に温泉行こうね」

「今日の夜は私のパック貸したげる」

「また後でね!」


 蕾と椿も共に宴会場に戻った。残りの数時間。椿は蕾のそばを絶対に離れようとせず、なんなら蕾の近くを通るお客様から蕾を守るかのように立ち塞がっていて少しやり過ぎなのではと周りが面白がっていたほどだ。


 今度は薺だけでなく藍もいたことで宴会は無事に終わった。

 最後の一人が境目ノ宿を出て、霧の中に姿を消すまで全員でお見送りをする。そうして、女将が顔を上げると同時に全員がその場に崩れるように座り込んだ。


「疲れた~。もう動けない」

「情けないね、あんた達。ほら!あがったやつから風呂に行ってきな。この時間は従業員だけの貸し切りにしてやるから。遅番の連中はまだ仕事が残ってるよ!さっさと立ちな」


 文句を垂れる従業員たちと、強い口調ながらもそれを労う女将の言葉。それを見て笑う藍と薺を見て、ようやく終わったのだと実感した蕾は霧の向こうをただ見つめるばかりだった。


 約束通り、女友達と一緒に温泉に来た蕾はお湯につかりながらお見送りの時のことを考えていた。


「今日来た宴会のお客様って、皆帰ったんだよね?」

「泊まって行かれる方もいらっしゃるみたいだよ。花園様とかね。あの人、女好きだからいつも従業員を部屋に連れ込もうとするの」

「あのさ、あのネコのお客様が泊ってるかどうかって分かる?」

「あれ?蕾知らないの?」


 きょとんとする蕾の顔を見て、顔を合わせる三人。そして、蕾が椿と共に宴会場を出た後の顛末を教えてくれた。


 乾杯も終わり、宴会が始まってすぐ、藍はネコの元へお酌をしに行った。


「ここには人間以外の従業員はいねぇのかよ。頭がいいことだけが取り柄のあんたら人間が、またあんな頭の悪い接客されちゃあ、たまったもんじゃねぇよ」

「ご不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 藍はいつもの優しい微笑みを絶やさなかった。


「まったく。ちょっと考えれば分かるだろ。そもそも、ネコが水を嫌ってることくらい常識だろうが」

「ええ。もちろんでございます。ですから、お客様の席はタコや魚のお客様とは離れた席にするよう手配しておりました。現に、他のネコのお客様は離れた席にお座りいただいております」

「ああん?」

「申し訳ございません。大きなお耳をお持ちにも関わらず一度では聞き取っていただけなかったようでございますね」

「てめぇ、喧嘩売ってんのか!」


 藍は終始笑顔であった。


「ところでお客様。私は頭の悪い人間でございますが、記憶力は良い方だと自負しております。僭越ながら、この宴会の責任者をさせていただいておりまして、本日お越しになられるお客様の名簿は何度も確認しておりますので、ご出席いただいておりますお客様のことは、皆様頭に入っております」

「それがどうしたよ」

「念のため、再度名簿を確認したのですが、本日ご出席される予定のネコのお客様はあちらにお座りの方々のみでございます。また、あちらのお客様にご確認させていただいたところ、ご親族様でもいらっしゃらないとのこと。失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「俺は神だぞ!人間風情が、そんな態度とっていいと思ってんのか!」

「でしたら、当宿の女将とお話ください。すぐにこちらに参りますので。どうぞ、ごゆっくりと」


 藍の後ろには女将がが立っていた。

 口角を上げ、美しく優しく微笑んでいたが、ネコにはそうは見えなかったようだ。「し、シロヘビーー!!!!」と悲鳴をあげて走り去っていった。


「藍。あいつが飲み食いしたもん、ちゃんと見てたかい?」

「はい。しっかりと」


 そうして女将と藍は怪しい笑みを浮かべていたとかいなかったとか。


「ってことがあったの」

「さすが藍さんって感じだったよね~」

「責任者とはいえ、何百人ものお客様なんて普通覚えらんないよね~」

「薺様もすごかったよね!」


 そして、話は藍と薺の話にうつり、それは蕾がのぼせて倒れるまで続いた。

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