緋色のメッセージ
『元気?』
『明日は誕生日だね。何が欲しい?』
ポコンポコンとふたつ続けて送ったあと、香耶はため息とともに空を仰いだ。
ゆったりと流れる雲を眺めながら、遣る瀬無い気持ちのやり場を探す。
お昼すぎだというのに、広い公園には人気がない。
ベンチに座っている香弥以外、誰もいない。
しかし香弥は寂しいとは思わなかった。
むしろ人の目を気にする必要がないので、少し安堵している。
どんよりとした気持ちを抱えていては、誰かに話しかけられたとき、上手く笑顔を浮かべることが出来ないだろうから。
香弥はもう一度視線をスマートフォンに戻した。
相変わらず自分の送ったメッセージの先に変化はない。
既読のマークもなし。
感情を押し殺すように拳を握り、そっと人差し指を画面に押し付けた。
そのまま上から下にスクロールする。
『おはよう。今日はいい天気だね』
『おやすみなさい。明日は忙しくないといいな』
『おはよう!今日は朝から会議なんだ。しばらく話せないね』
そんな言葉がつらつらと並んでいる。
しかし、そのどれにも返信はもちろん、既読すら付いていない。
「当たり前だよね」
香弥は自分の中の虚しい気持ちを嘲笑するように口角を上げた。
「だって、相手は天国にいるんだもん」
恋人の昌志が亡くなって一年が経つ。
死因は交通事故。
即死だったらしく、親しい人の誰もが彼の死に目に会えなかった。
そのせいか、葬式には参加したけれど、香弥は未だに彼の死を受け入れられないでいる。
だからこうして、返信の来ない個人チャットにメッセージを送り続けている。
いつか既読がパッとついて、『ごめんね、忙しくて返信出来なかった』と返事が来るかもしれないから。
秋の風がそっと肌を撫でた。
サラサラと葉の揺れる音がして、目の前が緋色に染まる。
見事に色付いた楓の葉が、絨毯の一部と化して地面に落ちた。
綺麗だと感じる余裕のないまま、膝の上に降りてきた一枚の紅葉を拾い上げる。
見事な赤。
昌志から流れた血も、こんな風に真っ赤だったのだろうか。
痛かったかな。
それとも、即死だというのなら苦痛も感じなかったか。
最期に思い浮かんだのは誰だったのだろう。
そんな答えのない問いばかり浮かんでしまう。
「大切な思い出」
「……え?」
不意に声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、目の前に見知らぬスーツ姿の男性が立っていた。
黒髪をカッチリまとめて、いかにもサラリーマンといった風貌だ。
顔立ちが整っていて、恐らく二十代後半から三十代前半くらいだろう、どこか仕事のできそうなオーラを持っている。
訝しげに見ている香弥に、男性は優しく微笑みを浮かべた。
「楓の花言葉ですよ。大切な思い出って意味があるんです」
そう言いながら、香弥の座っているベンチにこぶし二つ分空けて腰を下ろした。
それを見届けてから、香弥はふと手の中の楓の葉に目をやった。
大切な思い出。
その言葉に、たくさんの昌志との幸せな思い出が脳内を駆け巡る。
「失恋ですか?」
遠慮がちに尋ねられて、香弥は眉を下げて笑った。
「まあ、そんな感じです」
初対面の人に向かって「恋人が死んだ」なんて重い話はできなかった。
そして男性もまた、深く事情を知りたいわけではないようだった。
「そうですか」
そう軽く相槌を打って、彼は黙り込んだ。
シンと静まりかえった二人の間を、紅葉がひらりひらりと舞っている。
相変わらず葉っぱ同士の擦れる音だけが響いていた。
どのくらいそうしていただろうか。
思いのほか彼の隣が居心地良くて、時間を忘れてしまっていたようだ。
心做しか沈んでいた心も軽くなった気がする。
「あの、私そろそろ行きますね」
両手で握りしめていたスマートフォンをバッグに戻し、香弥はすっくと立ち上がった。
その際、膝の上に置いていた楓の葉がひらりと地面に落ちたが、気にすることなく歩き出す。
「また今度」
背中に投げられた言葉に、香弥は驚いて振り返った。
問いただすように男性を見るが、彼は笑顔を浮かべたままヒラヒラと手を振っているだけで答える気がなさそうだ。
香弥は混乱しつつも会釈だけして再び歩き出す。
(なんだったんだろう、あの人。もしかして同じ会社の人?)
公園からわずか数メートル先に建つオフィスビルが、香弥の職場だ。
ほとんどの社員は近くのカフェやファストフード店で昼休憩をとるので油断していたが、あの穴場といえる公園に他の社員が赴くことは可能性としてゼロではない。
人付き合いの苦手な香弥は、少し残念な気持ちになりながらも、わずかに晴れた心の内にホッとした。
「それより、明日って部署異動の人が出勤する日だよね。また忙しくなるなぁ」
香弥は首から提げていた社員証を撫でながら、晴れやかな心地で自動ドアをくぐった。
公園のベンチでしばらくぼんやりしていた男が、足元に落ちていた葉を拾い上げた。
先ほど香弥が眺めていたものだ。
鮮やかに色付いたそれは、まるで燃えているようにみえて、彼女の瞳を思い出す。
何かに焦がれているような、抑えきれない想いを宿らせた瞳。
「美しい変化という意味もあるんだけどね」
男はふっと小さく笑うと、緋色の葉を空にかざし、静かに揺らす。
「女性があんな悲しい顔をするもんじゃない。何があったのか知らないけど、きっとこれはメッセージだよ。神様か、あるいは誰かからの」
男の呟きを肯定するように、楓の木がサワサワと音を立てた。
部署異動でやって来た男性と、恋人を失って恋愛ができなくなった香耶のオフィスラブストーリー!
……になるはずだったんです。
今書いているシリーズもの二本で手一杯でした……。悔しい(> <。)