俺をからかってくる生意気な後輩に告白されたけど断ってやることにした
「ねえ、先輩。私たちって何だと思います?」
昼休み。
そいつは、空き教室で一人穏やかな時間を過ごしていた俺の所にフラリと現れ、いきなり上記のセリフを吐いた。
「うげ……」
「ちょっと。なんで嫌そうな顔してるんですか」
俺のような冴えない男子の元に、後輩の女の子が遊びに来てくれるというのは、本来なら歓迎すべきなんだけど……コイツだけは別だ。
この生意気な後輩の場合、『俺の所に遊びに来た』んじゃなくて『俺で遊びに来た』んだから。
ついこの前だって──。
『──あ、先輩じゃないですか。今から帰るところですか? それにしても相変わらず崩れたお豆腐みたいな顔面ですね♪ 遠くからでもすぐわかりましたよ』
『ところで今日も暑いですね。先輩の崩れたお顔も、暑さで余計ヒドイ有様です』
『あ、喉渇いたなぁ……。きっと先輩との無駄話のせいで、無駄に日光を浴びて、無駄に水分を失ってしまったんですね。責任取ってください』
『近くに喫茶店ができたの知ってますか? あっ、知ってるはずないですよね。先輩ぼっちですもんね』
『とにかく、喫茶店ができたんです。今から行きましょ? 二人で』
『……喫茶店って、一人だと行きにくいんですよ。そーいうものです。先輩はぼっちだから気にしないかもしれないですけど』
『さぁさぁ、行きましょう! ごーごーれっつごー! ……え? 先輩の都合? 知りませんよどうせ暇でしょ』
──てな感じで、最終的にアイスクリームとミルクティーを奢らされた。
きっと、さっきの質問も深い意味はなくて、何らかの方法で俺をからかう為のものなんだろう。
そう思うと気が滅入る。でもこの後輩が沈黙を許してくれるとは思えない。
「ほらー、かわいい後輩の質問に答えてくださいよ!」
どの辺がかわいい後輩なんだよ。
いや、顔が整ってるのは認めるけどさぁ。
「ほらほら、早く早くー」
「わかったよ……」
俺と彼女は何なのか。
俺は後輩の問いを頭の中で何度も反芻させ、一つの答えを導き出した。
「ヒト。人間。ホモ・サピエンス。……うん。これだな、間違いない」
「生物学的な話をしに来たんじゃないですよ。ふざけてるんですか?」
……別にふざけたわけじゃないんだが、違ったらしい。
後輩は腕を組み、拗ねたように言った。
「私たちの関係について聞いてるんです」
「関係……?」
「私と先輩の関係って、何なんでしょうねって話ですよ」
言われてみれば、俺とコイツの関係を表すのに、ピタリと当てはまる言葉が見つからない。
赤の他人というほど薄い関係じゃない。
かと言って友人と言えるほど親密でもない。男と女ではあるけど、言うまでもなく恋人なんてありえない。
『同じ学校の2年生と1年生』という意味では間違いなく『先輩と後輩』だ。
が、しかし、果たして、同じ部活でもなく、対して接点もないはずの俺たちを『先輩と後輩』という括りに入れてしまっても良いのか?
どこか釈然としない自分がいる。
というか、こんな遊び遊ばれる関係を世間一般の『先輩後輩の関係』に当てはめたくない。
赤の他人ではないし、友人でもない。
先輩と後輩ではあるが、ピンとこない。
遊び道具とその持ち主……というのは、俺のプライド的に却下。認めるわけにはいかない。
結論を言えば、俺たちは『同じ学校の2年生と1年生』だ。それ以上でもそれ以下でもなく。
「はあ……。つまらないですね」
しかし、後輩は俺の答えが気に入らなかったようだった。
「あ、今の『つまらない』は、決して先輩のことをつまらない人間だと言っているわけではないので、気にしないでください」
「いらない注釈だよ、それは!」
俺の中で、後輩につまらない人間と思われているんじゃないか、という疑惑が生まれた。
これだけ遊ばれてるのに、そんな風に思われているのは、それはそれでショックだ……。
「いえいえ、本気でそんなこと思ってませんよ。『つまらない』というのは、私たちの関係に向けての言葉ですので」
「意味がよくわからないんだけど……」
「これだけ長い付き合いなのに、ただの『同じ学校の2年生と1年生』というのは、なんだか寂しくないですか? ってことです」
「半年にも満たない短い付き合いだと思うんだけど……」
コイツが入学したのが4月。
今は夏休み明けの9月。
やはりどう考えても、長い付き合いじゃない……が、後輩はそんな俺の言葉を無視して話を進める。
「私たちの関係も、そろそろ次のステップへ進む頃合いだと思うのです」
「次のステップ?」
例えば?
「恋人……とか?」
「は?」
飛躍しすぎだろ!
12歳で大学入学したアメリカ少年も腰抜かすレベルの飛び級だよ。
「私、先輩のこと好きなんです。でも、先輩で……コホン、失礼。先輩と遊ぶのが楽しすぎて、つい忘れてしまってました。私は先輩とお付き合いしたくて近付いたんです」
何か聞き捨てならないセリフが聞こえた気がしたが、ここはあえて聞き流すことにした。
というか、それよりも衝撃的な言葉が聞こえてきたせいで、俺の注意はそっちに持ってかれてしまった。
「ちょ、ちょっと待て!」
「はい?」
「え……、お前俺のこと好きなの?」
今までの後輩の言動を思い出してみる。
……うん。大丈夫。俺の感覚は間違ってない。
コイツの言葉の数々は、どう考えても想い人に向けて放つものじゃない。
「そうですよ? そう言ってるじゃないですか、理解力ないんですか? 読解力とか大丈夫ですか? 現代文のテストちゃんと点取れてますか?」
「だから好きな人に向けての言葉じゃねぇよ、それは……」
「あはっ♪ ついイジワルしたくなっちゃって」
小学生男子かよ!
それにしてもイジワルの度が過ぎているだろ。
「お前さ、こんなんで好感度稼げてると思ってんのかよ」
「やっぱりですか? 正直やっちゃったなーって思ってたんですよね」
自覚はあったらしい。
「私としては、パパッと次のステップに進みたいところなんですけど。でも先輩は、今私が告白しても絶対オーケーしてくれませんよね?」
「うん。俺、お前のこと嫌いだし」
「うっ……、わかってたけど面と向かって言われると傷付きます……」
胸を抑えてへなへな〜と崩れ落ちる後輩。
多少は哀れに思えてこないこともない。
「うーん。どうしましょう……。なんとかして好感度を稼がねば……」
へたり込んだまま何やら考え出した。
今更策を練っても無駄だ。既に俺の後輩への好感度はゼロに近い。
完全にゼロではないのは、見た目が割と好みだから。このルックスでガンガン来られたらたぶん墜ちてた。
しかし現実はそうじゃない。そうじゃないんだよ後輩!
お前は選択を間違えたんだ。今から俺がお前に惚れる可能性は皆無!
やったぞ! ついに勝った!
この生意気な後輩には何度も悔しい思いをさせられてきたけど、ついに勝利の瞬間が!
このまま思い通りにならない現実にぐぬぬと悔しがるがいい。泣かれると流石に罪悪感がやばいので、それはナシの方向でお願いします。
「あ! そうだ!」
と、いきなり声を上げる後輩。
「先輩、明日から3日間用事ありますか? ありませんよね、先輩ですもんね。暇人ですもんね」
だからそれは好きな人へのセリフじゃねえって言ってんだろ。
しかし3日間か……。
今日が火曜だから、水、木、金……。たしかに学校はあるものの、それ以外に予定はない。
「この3日なら私も完全フリーなので、明日から3日かけて、全力で先輩を落としにかかります! 流石に休日を開けられると勝ち目がないので、金曜日までに勝負をつけます!」
「なるほど。なら、金曜の放課後がタイムリミットってわけか。それまでに俺を惚れさせてみせると?」
「はい。金曜日の放課後、私は先輩に告白しますから! 良いお返事期待してます!」
そう言って、後輩は空き教室を飛び出していった。
「ふ……ふふふ……」
面白い。
あれだけ俺で遊んでおいて、今更惚れされることができるとでも思ってるのか?
金曜の放課後、俺に告白を断られて愕然とするヤツの顔が目に浮かぶ……。
あ、泣くのはマジでやめてください。罪悪感がパナいんで、本当にお願いします。
とにかく!
俺は一度決めた事は、絶対に曲げない男。後輩がどんな方法で俺を籠絡しに来ても!
3日後の放課後! 俺は告白を断ってやる!
◆
翌日。水曜日。
後輩との勝負一日目。
ヤツはまだ動きを見せない。
というのも、後輩との接触を避ける為、俺は普段よりも遅い時間に登校したのだ。
これで朝のホームルームまでに後輩とバッタリ……という事態は回避した。
後は───。
キーンコーンカーンコーン。
───来たッ!
授業の終わりを告げるチャイム!
昼休み!
普段なら俺は、ぼっちには居場所のない教室から、空き教室へと移動する。
しかし、後輩は俺の行動パターンを知っている。ここで普段通りに空き教室へ向かえば、おそらくそこには後輩が待ち受けて──。
「……フッ」
甘あああああああい!
貴様の大好きなミルクティーより甘い!
俺は椅子から立ち上がり、昼休みの開始と共にざわめき出す教室から出た。
普段なら登校中に菓子パンを買って、授業終了と同時に空き教室へ行くが、今日は違う。
このまま校内の売店へ向かう!
そしてコロッケサンドを購入後、速やかに屋上へ。
我が校は屋上は開放されていないが、屋上へ続く階段なら生徒でも行ける。
そしてその階段の踊り場は隠れスポット! 後輩すら知らぬ、俺の憩いの場所! そこで昼休みを過ごす!
勝ったッ!
昼休みという難関さえ乗り越えれば、今日一日後輩と顔を合わせずに帰宅することは容易い!
後はこれを3日間繰り返すだけ。もはや勝利は約束されたも同然!
俺はふと立ち止まった。
高ぶる感情を抑えきれない。
思わずガッツポーズ。
後輩破れたり!
この勝負、俺がもらった!
いや〜、それにしても腹が減った。
今日は1限から体育だったからな。朝イチで身体動かすと腹が減る。
さっさとパンを買いに行こ───
「せ」
「ん」
「ぱい♪」
──!?
「ヒドイなあ、先輩ってば。私を置いてどこに行こうとしてたんですかぁ?」
背後から、囁くような声。
耳元に吐息と共に届く。
慌てて振り向けば。
──後輩が、いた。
体の後ろで手を組んで、俺の顔を覗き込むようにしてクスクス笑っている。
「な、なんで……」
「授業が早く終わったので、先輩の教室前でスタンバイしてたら……先輩が慌てた様子で出てきたので追いかけてきちゃました♪」
そ、そんな……。
今日みたいな日に限って、教室前で待ち伏せかよ……。
「ねえ、先輩。私、お弁当作ってきたんです」
背中側に回していた手を前へと移す後輩。
見れば、その手には大きなランチバッグが。
後輩はそれを胸の前に掲げ、首をかしげる。
「一緒に……食べましょ?」
クソッ! かわいい!
が、俺は一度決めたことは曲げない男。
今日はコロッケサンドの日と決めている!
「悪いが、今日は購買のコロッケサンドを食べる日と決めて……」
そう言いながら、ふと思い出す。
あれ……? 最後にお金おろしたの、いつだっけ……?
「コロッケサンドと……決めて……」
俺は恐る恐る財布を取り出し、中を見る。
──40円しかなかった。
「あらら〜、これじゃあコロッケサンドは買えませんね〜」
「……」
「育ち盛り食べ盛りの男子高校生ですし、お昼抜くのは辛いですよねぇ」
「……」
「おやおや? 先輩、なんだか少し汗臭くないですか〜? もしかして、午前の授業に体育でもありました?」
俺は、一度決めたことは曲げない男。
決めたことは……絶対に……!
「午前中に体育があると、お昼お腹空きますよねぇ。ねぇ、先輩」
絶対に……!
「お・な・か、空いてないですか、先輩?」
ぜ、絶対に……!
「おいし〜いお弁当、ありますよ?」
そ、そういえば以前、後輩の弁当箱の中身を見たことがあったが……結構美味そうだったな……。
い、いかん! 思い出したら余計空腹が……!
……ぐう〜。
「ください」
「♪」
……負けました。
屋上へ続く階段の踊り場。
俺たちは二人並んでそこに腰掛けていた。
「二人っきりですね、先輩♪」
俺はなんでこんな所にいるんだろう……。
さっきの敗北のあまりのショックで、何も考えずにここに来てしまったが……、よく考えれば普段通りに空き教室に行けばよかったのでは?
なんでわざわざ後輩に俺の憩いの場を教えるようなマネを……。
「はい、どうぞ」
手渡されるランチバッグ。
って、重っ!? え、これ全部俺の分?
驚いて後輩の方を見ると、彼女はどこから取り出したのか、小さな弁当箱を膝の上に乗せていた。
その顔はキョトンとしている。
「どうかしました?」
「……多くない?」
「気合入れて作ってきましたから」
「そ、そっか……」
ランチバッグから弁当箱を取り出す。
男性用の弁当箱と思われる黒い容器が、全部で4つ入っていた。
円柱型の容器が2つ。一つは大きめ、もう一つは小さめの容器だ。これは以前何かで見たことがある。片方はご飯用の容器で……もう片方は何だ?
さらに四角い容器が2つ。こちらはどっちも同じ大きさだ。おかずが入っているのだろう。
(このデカイやつから開けるか……)
大きい方の円柱型容器。
サイズ的に恐らく入っているのは米だ。
中身の予想が付くやつから開けていくとしよう。
俺のよく知る弁当箱といえば長方形のやつなので、こういう円柱型は初めて触れる。
とはいえ、前にクラスメイトが持っているのを何度か見たことがあったので、開け方はわかっていた。
蓋を掴んで、クイッと回す。
中には白い米、梅干しも乗っている。ここまでは予想通り。
しかし驚いたのは───
「あったかいな」
「保温容器なんです、それ♪」
へえ、これが。
話には聞いたことがあったが……結構あったかいままなんだな。
「先輩って一人暮しで、自炊とかしないんでしたよね? だから温かいご飯食べる機会って、少ないんじゃないかなって」
「お前……」
あの後輩が、そんなに俺のことを考えて……?
「お前本当に俺の知ってる後輩か?」
「どういう意味ですか」
「いや、だって普段の言動から想像も付かなくて……」
「むー。まぁ、わからなくもないですけど……。それより早く次の開けてくださいよ!」
後輩に急かされ、俺は今度はおかずと思われる容器の蓋に手をかけた。
パカッ。
「おおっ!?」
思わず歓声が出た。
弁当箱の中には、パッと見ただけでは把握しきれないくらいの多彩なおかずが、ぎっしりと敷き詰められていた。
豆腐ハンバーグ、鳥の唐揚げ、卵焼き、ほうれん草のおひたし、焼き鮭、レンコンのはさみ揚げ、ひじき、里芋の煮物……。
さらにもう一つの容器にも、ピーマンの肉詰め、茹でたブロッコリー、ミートボール、アスパラのベーコン巻き、シューマイ、ポテトサラダなどなど……。和洋中、肉に魚に野菜が所狭しと並んでいる。
思わず目を見開いて固まる俺に、後輩がススス……と寄ってくる。
その手には、円柱型の容器。2つあるウチの小さい方が抱えられていた。
「先輩先輩、こっちも」
差し出された小さい方の円柱型容器を手に取る。
先程のご飯の容器と同じく、蓋を回して外すタイプのようだ。
蓋を掴んで手に力を入れた俺に、後輩が言った。
「あ、気をつけてくださいね。こぼさないように……」
「こぼす?」
後輩の言葉の意味は、容器を開けてみてわかった。
蓋が外れると同時に、ふわりと微かに良い香りがする。
これは……
「味噌汁?」
容器の中に入っていたのは味噌汁だった。
しかも温かい。
ふと思い出す。
そういえば、最近はスープジャーというスープやお粥なんかを温かいまま保つことのできる容器があるんだった。
前にクラスメイトが連日スープジャーにカレーを入れて持ってきたせいで、教室に匂いが染み付いたことがあった。
迷惑だなと呆れたものだが、なんだかんだで学校でまで温かいカレーを食えるアイツが少し羨ましかったのを覚えている。
まさか、今度は俺が学校で温かい味噌汁を飲むことになるとは。
何か変な感動のようなものを覚えながら、ついに全て中身が明らかになった4つの容器を並べてみる。
温かい米と、温かい味噌汁。
そして大量のおかずたち。
こうしてみると壮観だ。
「これ、全部お前が作ったの……?」
「はい! 先輩の好みがわかんなかったので、とりあえず思いついたメニュー全部詰め込んでみました!」
俺は料理をしない。というかできない。
強いて言うなら、カップ麺の中にお湯を入れることだけはできるが、世間一般的にあれは料理と呼ばないらしいので、やっぱり俺は料理ができない。
そんな料理に疎い俺でもわかる。これだけの品数、朝の短い時間に用意するのは、相当大変だっだろうと。
もしかしたら、昨日の夜から準備してたのかもしれない。
自分で食べるためではなく、俺に食べさせるためだけに、これだけのことを……。
い、いや、落ち着け。流されるな、俺。
後輩が嘘をついている可能性だってあるじゃないか。もしかしたら、この弁当も全て後輩のお母さんが作ったのかもしれない。
ふう、冷静になってきた。
気を取り直して、次は味を見ていこう。
「いただきます」
「召し上がれ♪」
まずは味噌汁に口をつける。
微かに味噌の香りのする温かな液体が口の中に──あっ美味ぇ。
味噌の風味と優しい味わいが口内に広がる。
同時に流れ込んできた豆腐やワカメのなめらかな食感も心地良い。
「ど、どうですか……?」
少し不安げな顔で聞いてくる後輩。
正直、めちゃくちゃ美味い。
が、俺にも意地がある。美味しいです、なんて素直に言えるはずもない。
「ふ、ふつーだな」
「むー……」
どもっちゃった。
しかし結果的に「フッ。普通だな」とちょっとカッコよく決まったのでヨシ。
「お母さん直伝のお味噌汁で胃袋掴んじゃう計画だったのに……。ちょっと予想外でしたね」
「たかが味噌汁程度で堕ちる俺じゃないさ」
と強がってみせるが、内心焦りまくりだった。
そもそも、一人暮しの男子高校生にとって、後輩女子の手料理なんて、その時点で堕ちててもおかしくない。
加えて、高校入学して一人暮しを始めてからの俺の食生活といえば、朝はシリアル、昼は菓子パン、夜はコンビニ弁当と寂しいものだった。
そこに絶品味噌汁とかいう家庭的な料理をぶつけられて、平気でいられるはずがない。
この先も厳しい戦いが続きそうだ。
が、とりあえず味噌汁は乗り越えた。
あとはおかずたちだが……。
(どれから行くべきだ……?)
こうも種類が多いと少し迷う。
肉や魚とにらめっこしていると、後輩がニヤニヤしてこっちを見ているのに気が付いた。
マズイ。
この顔は、何か企んで……!
そう思った瞬間、後輩は俺に体を寄せてくる。
「……どうしたんですか、先輩? 食べないんですか?」
「いや、食べるけど……」
「あー、わかったぁ♪」
ぽんと手を叩く後輩。
嫌な予感は頂点に達する。
「あーんって食べさせて欲しいんですね? もぉーっ、先輩ったらー♪」
うわ来た。
遂に来た。
絶対来ると思った。
こうなると思ったんだよ。絶対こうなると思ったんだよ。一緒に弁当食うとか完璧にこうなるフラグじゃん!
もう俺のバカ! なんで予想できてたのに回避できないんだよ! 隙を見せたらこうなるってわかってたじゃん!
後輩相手に隙見せたら終わりなんだよ……。今までの経験からわかってただろ……?
数秒前の自分を殴りたい。
もうどれから食べるとかどうでもいいから、パクパク食べて逃げればよかったんだ。それが最善だったんだ。
でももう遅い。
後輩が動き出した以上、俺はもう逃げられない。
「じゃあ……先輩には、この豆腐ハンバーグを食べさせてあげますね♪ これ自信作なんですよー」
容器の中の豆腐ハンバーグを箸で割るなど、嬉々として準備を進める後輩。
「私お豆腐好きで、自分でもよくお豆腐料理作るんですけど、今回のは特別良い出来なんですよねー。自分のお弁当にも入れちゃうくらい」
見れば、彼女の小さな弁当箱にも、豆腐ハンバーグが入ってるのが確認できた。
どうやら豆腐好きなのは本当らしい。
ところで、後輩が豆腐好きというのは、彼女が俺の顔面を『崩れたお豆腐みたい』と評するのと何か関係が──ってそんなことを考えてる場合じゃない!
後輩の準備は既に完了し、いつでも「あーん」できる体勢。
くっ……! こうなったら覚悟を決めるしかないか……!
「はい先輩。あーん、して?」
「ぐぅ……!」
『して?』じゃねえんだよ、こんなときばかり可愛こぶりやがって……!
実際可愛いからなおさらタチ悪いわ。
なかなか口を開けない俺に、後輩は拗ねたように唇を尖らせる。
「もう、そんなに恥ずかしがらなくてたっていいじゃないですか。どーせ私が彼女になったら、毎日……」
ピタリ、と。
後輩が固まる。
「ま、毎日……。毎日かぁ……えへへ」
な、なんだ……?
なんだかよくわからないが、急に後輩が赤くなって俯いた。
コイツが乙女っぽいと気味悪いな……。
しかし何にせよ、今がチャンス!
この隙に『あーん』を終わらせてやる!
「いただきっ!」
「あ!」
パクっと。
後輩がトリップしてる間に豆腐ハンバーグをいただ───あ、うっめえ。
なんだこれ。
すごい美味い。
今まで食った豆腐ハンバーグの中で一番美味い。
正直今まで『何が畑の肉だ喧嘩売ってんか』とか思ってたけど、土下座して謝りたいくらい美味い。
何だ? 何がこんなに美味いんだ?
何が違うんだ? タレか? タレが美味いのか?
わからん。料理に関してはサッパリだから、何が違うのかまったくわからない。
でもとにかく美味い。ふわふわで、柔らかくて、本物のハンバーグみたいで……!
気付けば、俺は白米の容器へ手を伸ばしていた。
箸が止まらない。豆腐ハンバーグを割いては口へ放り込み、すぐさま米をかき込む。
咀嚼もほどほどに嚥下して、また次の一口を箸で掴む。
止まらない。無限に食える気すらしてくる。
なのにもう二口分くらいしか残ってない。なんで1個しか入ってないんだ。
ああ、もうあと一口。最後の一口。
目一杯の米を口の中に。
噛んで、噛んで、噛んで──飲み込む。
「……ふう」
美味かった。
最後にペットボトルのお茶を一口飲んで、息をつく。
そして、ハッとした。
後輩がこっちを見ている。
キョトンとして。
「先輩……」
しまった。
後輩の目を気にせず、無我夢中で平らげてしまった。
「美味しかった、ですか……?」
あれだけ食事に没頭しておいて、マズかったなんて言えるはずもない。
俺は素直に頷いた。
「……美味かった、凄く。あんな美味いもの食ったの、初めてだった」
「……ほんと?」
「見てればわかっただろ」
なんだか照れくさくて、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。
それでも後輩は笑った。
「──うれしいっ」
いつもの、俺をからかって遊んでいる生意気な笑顔とは、別の顔で。
俺の知らない顔で笑った。
正直なことを言おう。
情けない話だけど、このときばかりは本気で、一切の誤魔化しも効かないくらい、見惚れた。
たぶん後輩が料理を褒められて有頂天になってなければ、絶対イジられただろうなってくらいに、惚けた顔をしていたと思う。
まあ、そんな顔をしていたのは一瞬だけだ。
俺は一度決めたことは曲げない男。
いくら後輩に魅力的な一面があっても、今更最初の目的を忘れたりはしない。
どれだけ後輩が料理上手でも、俺はコイツを振ると決めている。
惚れたりしない。
絶対に、惚れたりしない。
「先輩、次これ食べてください! これもね、良く出来たと思うの! 絶対美味しいから! ね! ね!」
「わかったから、あんま引っ付くなって!」
「ほら食べて! またあーんしてあげるから!」
「いい! しなくていい!」
……惚れたりしない、が。
誰かと食べるあったかい飯って、いいなと思った。
それだけ。それだけだ、うん。
◆
──気がつくと、俺は暗闇の中を走っていた。
いつからここにいるのか、それはわからない。
だけど、どうして走っているのかは理解していた。
「はあっ……はあっ……」
立ち止まり、呼吸を整える。
しかし休んでいる暇はない。
俺は、逃げているのだ。
何から、と訊かれれば、それは紛れもなく……
「せ〜んぱいっ」
「ひいっ!?」
甘ったるい声に首だけで振り向くと、そこには見知った後輩の顔があった。
いつの間にか俺の背後に立っていた後輩は、がしっと俺の体に手を回し、抱きついてくる。
「もう逃しませんよ〜」
「や、やめっ……!」
か細い女の子の腕なのに、なぜかふり解くことができない。
それだけじゃない。まるで水中にいるみたいに体が重い。思うように動かせない。
「せんぱ〜い」
「せんぱ〜い」
「見つけましたよ〜」
そうこうしてる内に、ぞろぞろと二人目、三人目と後輩がたくさん集まってくる。
……ん?
あれ? 今何かおかしかったような……?
「せ〜ん〜ぱ〜い〜」
一瞬違和感を覚えたが、それについて深く考える猶予はなかった。
なにしろ、無数の後輩がゾンビ映画のように群がって来るのだ。
今すぐ逃げ出さなきゃいけないのに、俺の体は背後の後輩にガッシリ掴まれて動かない。
重たい体を必死に動かしてもがいても拘束が緩むことはなく、周囲を取り囲む後輩たちが少しずつ近づいて来て……!
「せ〜ん〜ぱ〜い〜!」
何本もの腕が、蛇のように俺の体に絡みつく。
もう逃げられない。あらゆる方向から伸びた無数の腕で、がんじがらめにされる。指一本動かせない。
そして俺の正面には、後輩が一人立っている。
「うふふ……先輩……♡」
後輩の手が、俺の頬を撫でた。
そのまま、後頭部で指が組まれるの感じる。
それだけでもう、唯一自由だった首から上すら動かせなくなってしまう。
「せん……ぱい……」
そうなると目の前の後輩の顔が、いやでも目に入る。
うっとりとした目で見つめてくる少女。上気した頬や柔らかそうな唇から醸し出される色気は、とてもじゃないが10代半ばの女の子が出していいものじゃない。
「ん……」
後輩が目を閉じ、少し唇を尖らせる。
その行動がどういう意味なのかは、いくら経験のない俺でも理解できる訳で──!
いや、駄目だって。
それは駄目だ。だって、そういうのは、ずるい。
そんな、そんな顔されたら。
され、たら……。
──ゆっくりと、後輩の唇が近付く。
目をそらせない。もう視界には、彼女の顔しか映らない。
少しずつ、少しずつ。この目に映る後輩の顔は大きくなっていって……。
「───ハッ!?」
夢だった。
カーテンの隙間からは朝日が覗いている。
もう朝か……。
「はあ……」
俺は大きく息を吐いて、額に手を当てた。
何だ今の夢は。
悪夢だ。悪夢すぎる。
何が嫌だって、衝撃的すぎてまた夢に出てきそうな辺りが最悪だ。
だって、あれは───!
「……っ」
夢の内容を思い出して、顔が熱くなるのを感じた。
同時に、嫌悪感。あんな夢を見てしまった自分と、その夢を思い出して羞恥を感じてしまったことに。
そして何より、あんな夢を見て心臓が騒ぎ出してしまう、情けないくらいに『健全な男子高校生』な自分が嫌になる。
昨日はうまく後輩のペースに乗せられてしまった。
きっとさっきの夢は、そのせいで見た悪夢だ。そうに違いない。
やはりあの女に関わるとろくなことが無い。
今日こそは、無事に一日を過ごしてみせる!
決意を新たに、俺はひとまず顔を洗うために洗面所に向かった。
2日目。木曜日。
いつもより少し早いが朝食を済ませる。
そして、脳内で今日の作戦をシミュレート。
作戦名は『教室から出ない作戦』。
昼休みに売店でパンを買おうとした昨日とは違い、登校時点で昼食用のパンをコンビニで買っておく。
そして昼休みは、一切教室から出ない! これが今回の作戦のキモ!
恐らく後輩は今日も弁当を作ってくるだろう。
だが、俺はすでに朝の時点で昼食を購入済みである為、ヤツの弁当を食べる必要はなくなる。
そして、一切教室から出ないことで、後輩は俺に接触しづらくなる。普段は俺にとっても居心地の悪い空間ではあるが、今回は俺を守る最強の結界と化すのだ!
知り合いのいない上級生の教室は、居心地の悪いものだ。俺への弁当の提供を断られた後輩は、居場所のない教室に居続けることが出来ず、逃げ出すに違いない!
───勝ったッ!
今回こそ、間違いなく、勝っ───
「……待てよ」
よくよく考えてみれば、この作戦には致命的な欠陥があるじゃないか。
今回の作戦は、後輩が上級生の教室には居られないことを前提に考えられている。
だが。だがしかし。
もしもあの後輩が、知り合いの全くいない上級生だらけの教室でも、いつも通りでいられる鋼メンタルの持ち主だった場合……。
俺は、クラスメイトたちの前で後輩と一緒に昼休みを過ごすことに───!?
『せんぱ〜い、お弁当作って来ましたよ!』
『え〜、パン買っちゃったんですか!? 先輩ヒドイ!』
『せっかく作って来たんだから食べてください! はい、あ〜ん』
『うわぁ、見て。後輩の女の子にあーんさせてる……』
『教室でイチャついてんなよなー』
『あれどう見ても付き合ってるよね〜』
『まさかアイツにあんなカワイイ彼女がいたなんてな……』
外堀を、埋められる……だと……!?
だ、駄目だ! この作戦はボツ!
どうにかして次の作戦を考えないと……。
くそっ……。昨日寝る前に、財布の中身とかモロモロ確認して、忘れないように荷物をまとめておいた俺の苦労は何だったんだ!
っていうか、なんで俺は遠足行く前日の小学生みたいな真似までして対策練ってんだ。たかが後輩の女子一人に。
虚しくなりそうだから、それについて考えるのはやめておこう……。
と、その時。
ピーンポーン。
と、玄関チャイムの音。
「……? なんだよ、こんな朝から……」
宅配便にしては早すぎるよな。そもそも届くような荷物に心当たりが無いし。
なら、お隣さんとか?
ひょっとして近所で何かあった?
そう思いながらドアを開けると──
ガチャッ……。
「おはようございます、先輩♪」
バタン!
ガチャリ。
「ちょっと! なんで鍵締めたんですか!?」
なんでいるの?
なんでいるの!?
怖いよぉ!
幻覚? 幻覚だよな?
声も聞こえたけど。
いや、あれは幻聴。たぶん。きっと。
そうであって欲しい。
そうでなきゃ困る。
恐る恐るドアを開ける。
……やっぱり、いた。
「お、俺は、夢の続きを見ているのか……?」
「! 先輩、私が出てくる夢を見てくれたんですか? 先輩ったら夢に見るまで私のことを……!」
「やだなぁ、もうっ!」と後輩の振った手が、バシィッ!と俺に直撃する。
いったぁー!?
どうやら夢じゃないらしい……。
「ち、ちなみにぃ……どんな夢でした?」
チラチラと何か期待を込めたような視線を送る後輩。
反射的に今朝の夢を思い出して、俺は咄嗟に目を逸らした。
「……悪夢だった」
「は? 詳しく聞かせてもらえます?」
「ゾンビ映画みたいな夢だった」
うん、あれはゾンビ映画だ。間違いない。
なんか捕食?されかかったし。
「なるほど、それで私はゾンビに襲われる悲劇のヒロインということですね。まったく、この私がヒロイン役なんて、普通なら夢への出演料をもらうところですが……他でもない先輩の夢ならぁ、毎晩タダで出てあげますよ♪」
「いや、お前ゾンビ役」
「出演料払ってください」
据わった目で、ずいっと掌を差し出してくる。
しかし残念。夢への乱入者に払うものはない。
むしろ被害を被ったのはこちらである。
「払うわけないだろ……。っていうか、なんで俺の家がわかったんだよ」
そう。それだ。
俺はこいつに家を教えたことはない。
まさか……下校中の俺を尾行して……!?
「そんなことしませんよぉ」
む、そうか。
なら、どうやって……。
「私はただ、先輩が自転車通学ってことからお家のある範囲を想定して、東門から登下校することから方向を推測して、先輩が一人暮らしってことから男子高校生でも一人暮らしが可能な家賃のアパートを絞り込んだだけです♪」
……尾行よりよっぽど怖いんだけど。
もしこの3日間の勝負を切り抜けられたとして、俺はこの後輩からは逃げられないんじゃないだろうか。
そんな嫌な予感に、冷や汗が背中を駆け下りるのを感じながら、俺は後輩に言う。
「それで? こんな朝早くから何の用だよ」
口ではそう言いながら、俺は後輩の狙いには気付いていた。
こいつは、朝から俺の部屋を訪ねて、一緒に登校するつもりだったのだ。
住所を突き止められたのは想定外だったが、敵の狙いさえわかっているのなら、戦いようはある。
こうなったら意地でも家からは出ないぞ。たとえ遅刻しようとも、俺は後輩には負けない!
「一緒に登校するつもりなら残念だったな。俺は今日学校休むんだ」
そうだ。後輩の前では学校を休む、ということにしてしまえばいい。
後輩がいなくなってから登校すれば問題ないし、この方法なら後輩も昼休みに訪ねてこないだろう。
勝利を予感した俺だったが、後輩の反応は予想外のものだった。
「え、先輩もしかして体調悪いんですか? すみません、こんな朝から……」
「!」
後輩が申し訳なさそうに目を伏せる。
嘘をついたことへの罪悪感が胸に押し寄せ──たのは、ほんの一瞬。
俺には後輩の次の一言が読めた。
『じゃあ、そんな先輩の為に……私も今日は学校休んで、付きっきりで看病しますね♪』
ふふふ、後輩の考えることがわかってきたぞ。
それが喜ぶべき変化かどうかは、とりあえず置いておくとして。
後輩が続けて何か言う前に、先手を打つ。
「いや、別に体調が優れないわけじゃない。いたって健康そのものだ。……だけど俺は今日は学校には行かない!」
「……ズル休みですか?」
「そうだ。ズル休みだ」
「そっかぁ……」
うつむく後輩。
身長差のせいで、彼女の表情は伺い知れない。
やっぱり、少し罪悪感が──。
───待て。
なんだ、あれは。
なんで後輩は、トートバッグなんて持ってる?
普段彼女は、スクールバッグに教科書なんかを入れているはずだ。
何度か姿を見かけたから知っている。
なのに今日は、いつものスクールバッグは持っていない。
代わりに、学校で使うにはいささか大きすぎるトートバッグを腕から下げていた。
……それが、異様に引っかかる。
自分は重大なミスを犯したのではないか。
選択を誤ったのではないか。
そんな気がする。
くっ、だが俺は一度決めたことは曲げない男。
このまま突っ張る!
しかし、そんな俺の決意を嘲笑うかのように、嫌な予感は、後輩が顔を上げたことで的中した。
彼女は、満面の笑みで、
「──なら、好都合ですね」
と、言った。
「は……?」
「先輩、今日はズル休みするんでしょ? 私も、今日は最初から登校するつもりなんてなかったんです。……うふふっ、なんだか運命的」
え……?
な、んだ……それ……。
嫌な予感は止まらない。
だらだらと冷や汗が流れる。
「ねえ、せ・ん・ぱ・い?」
こてん、と首をかしげる。
「お出かけ、しましょ?」
「デッ……!?」
デートって、あのデートだよな?
俺の知ってるデートだよな?
日付って意味のdateじゃなくて。
「あ、そうだ。せんぱーい。お手洗い貸してくださーい」
「え? あ、うん……。じゃなくて……!」
俺がデートという単語に驚いた隙を見逃さず、後輩はスルリと俺の脇を抜けて部屋の中に入ってくる。
後輩を追い、俺も慌てて部屋に戻る。
「デートって、いきなり何言ってんだよ! あとうちユニットバスだから、トイレは浴室と一緒な!」
「文句言いながらも親切な先輩大好きでーす♡」
そして彼女はトートバッグを持ったまま、バスルームに消えた。
と思ったら、顔だけ出して、
「覗いちゃダメですよ」
「覗くかッ!」
「えへへ、じゃあ楽しみに待っててくださいね〜」
今度こそ、後輩は完全に消える。
俺は部屋に戻り、ベッドに腰掛けて頭を抱えた。
「楽しみにって何だよ……」
とりあえず、部屋中にファブリーズしとこ。遅いかもだけど。
数分後、後輩はトイレから出てきた。
しかしその服装は、見慣れた姿ではなかった。
「ジャジャーン!」
現れた後輩は制服ではなく、クリーム色のブラウスを身に着けていた。袖のあたりはフリル付きで、胸元にはリボンがあしらわれている。
下は膝下までの紺のプリーツスカート。ブラウスと合わせて清楚で上品な印象を受ける。
「どうです? カワイイでしょ」
その場で両手を広げ、くるりと回る後輩。
スカートがふわりと広がる。
……うん。
「いい……と思い、ます」
「なんですかその敬語は」
見惚れてたのを誤魔化そうとした結果、口調が変になってしまったのだが、後輩はそれをふざけているのだと思ったらしい。
少し拗ねたように口を尖らせ、俺の隣に座った。
「むむっ、これが先輩のベッドですか……。なかなかの寝心地……」
ごろん、と横になり、仰向けの状態で見上げてくる後輩。
ぱちぱち、目をしばたたかせる。
「先輩のにおい、します」
「……!」
……なんだか、自分が普段使っているベッドの上で、普段いない女の子が横になっていると思うと……その、イケナイ気持ちになってくる。
だ、駄目だ。
いくらあんな夢見たからって、コイツ相手にそんなこと……。
「このベッドの下に先輩のエッチなコレクションがあるわけですね」
「そんなベタな所には隠さねえよ」
台無しだチクショウ。
やっぱり後輩は後輩だった。
「ではベタじゃない所には隠してるんですね!? 見せてください、後学のためにも!」
「嫌だよ! なんで後輩の女子に自分の性癖カミングアウトしなきゃいけないんだよ!」
「見せられないようなものなんですか!? SMですか? SMなんですね!?」
「いたってノーマルだよッ!」
なんなんだ。そのSMへの食いつきは。
俺にそんな趣味はない。ノーマルだノーマル。
……眼鏡っ娘はノーマルの範囲内だよな?
いや、そんなことより……と。
俺は後輩に向きなおる。
「で、結局何しにきたんだよ。デートとか言ってたけど」
「ああ、そうでしたそうでした。先輩で……いえ、先輩と遊ぶのは楽しすぎて、本来の目的を忘れてしまいますね」
……もはや突っ込むまい。
「さて先輩。いきなりですが、私と遠くにお出かけしませんか?」
「お出かけって……今日平日だろ」
「でも先輩ズル休みされるんでしょう? なら関係ないじゃないですか」
「うっ……」
ここに来てようやく、俺は自分の判断が裏目に出ていたことを気づいた。
──後輩は今日、はじめから俺をデートに誘う気だったんだ。
だからトートバッグにおしゃれな私服まで準備して、こんな時間に俺を訪ねてきた。
それを俺は、後輩が一緒に登校するために来たんだと勘違いして、学校を休むつもりなんだと嘘をついた。
だけど、それは逆効果。ズル休みすると言い張ったせいで、俺は逃げ道を失っていたのだ。
駄目だ勝てねえ……!
俺にはもう、この後輩に勝てるビジョンが見えねえ……!
「……平日に高校生二人でうろついて、怪しまれるだろ」
「制服じゃなければ高校生かどうかなんてバレませんよ。それに、もし何か言われても、創立記念か何かで休校とでも言えばいいんです。わざわざ学校名まで確認しようとする人なんていません」
わかっていた。
後輩ならそう言ってくるだろうということは。
「ちなみに、私の親は今日私が学校を欠席して、外出することは承知済みですよ♪」
そこを封じられれば、もはや反論できる点はない。
いや、あるのかもしれないが、それを探すのも考えるのも、今の俺の気力では無理だった。
「……着替える」
「え?」
「出かけるんだろ? 部屋着のままだから、着替える」
「あ、はい。えっと、じゃあ、その……私バスルームにこもってますね」
すんなり折れたのが意外だったのか、後輩は少し困惑しながら廊下に出ていく。
その背中を見送り、俺は背中からベッドに倒れ込んだ。
「欠席連絡って、保護者がしないといけないんだっけ……」
じゃあ、ひとまず実家に電話いれないとな……。
◆
「電車、乗っちゃいましたね」
ガタンゴトンという規則的な揺れの中、隣に座った後輩が顔を覗き込んでくる。
「そう……だな」
電車の中は──少なくともこの車両には、他に乗客はいないみたいだ。
にも関わらず、いや、だからこそだろうか。後輩は必要以上にくっついて来る。
それはもう、ピッタリと。べったりと。
「二人っきりでお出かけなんて……ああ、感激です♪」
布越しに伝わる体温を必死に意識しないようにしていると、後輩が俺の肩に頭を預けてきた。
位置的に胸元から下着とか谷間とかが覗き見えそうなのだが、狙っているのかいないのか。
吸い寄せられそうになる視線を窓の外へと固定しつつ、俺は何か話題を探す。
「そ、そういえば、行き先とか決めてるのか?」
「いいえ、行き当たりばったりです」
「え。大丈夫なのかよ、それ」
「だって、行くあてのない旅みたいで楽しいじゃないですか。ま、テキトーな所で降りますよ」
電車代いくらかかるだろう……。
昨日のうちにお金をおろしておいて良かった。
と、後輩が俺の腕を取る。
何かと思えば、彼女は俺の腕時計を見ていた。
「んー、今頃1限が始まった辺りでしょうか……。他の皆は授業中なのに、学校行かずにデートなんて……イケナイことしてるはずなのに、なんだか心がふわふわしませんか?」
言いたいことはわかる。
事実、俺も何か言いようのない期待感のようなものを感じていた。
でもそれが、学校をサボって遠出することで発生したものなのかどうかは、俺には判断できなかった。
そのまましばらく、電車に揺られながら後輩と他愛ない会話を続ける。
途中何度か電車に乗って来る客はいたが、誰も俺たちの方を気にする様子もなく降りていった。
どれくらい経っただろうか。
もはや会話のネタも尽きた頃、後輩が正面を見て呟いた。
「あ、海」
彼女の言う通り、正面の窓から見える景色には、青い海が広がっていた。
海面のさざなみが太陽を受けてキラキラと輝き、遠くに船が一隻、白い水平線上を横切っているのが見えた。
「……ここに決めました」
「え?」
思わず後輩の方を見る。
彼女はまだ窓の外を見ていた。
「次で降りましょう。今日は、この街でデートします」
「あ、うん」
丁度そのとき、アナウンスが次の駅が近いことを告げた。
──潮風が前を行く後輩の髪を掬い、そのまま俺の方へと流れてくる。
9月だというのに照り付ける日差しは眩しく、思わず目の上に傘を作りたくなるほどだ。
「おー、日焼け止め塗ってきて正解でしたね」
流石は華の女子高生。
厳しい残暑への対策はバッチリか。
ざり、ざり、と黒焦げのアスファルトの上を行く。
こうも暑いと靴裏が焼けるんじゃないかと心配だ。そのうち、潮の匂いに混じって焦げたゴムの匂いが漂ってくるかもしれない。
「あー! いーなー!」
ふと後輩が叫び声を上げる。
彼女の指差す方を見ると、ビーチには少なくない数の海水浴客が見えた。
……9月になってもやってる海水浴場ってあるんだな。クラゲが増えるから閉めるって聞いたけど。
「あーあ。私も水着持ってくれば良かったです」
「レンタルとかしてるんじゃないか?」
「んー、どうでしょう。そういうのって場所によると思いますし。それに、水着だけじゃなくて浮き輪とかも必要ですからね」
結構お金かかっちゃうかもです、と言って彼女はまた歩き出そうとする。
「なんなら、俺が出すけど」
本人の水着の料金はともかく、浮き輪やビーチボールくらいなら出してやってもいい。そういうのは男の甲斐性ってヤツだろう。
そんな風に考えてしまう俺は、もう相当コイツに絆されているのだろうか。
俺の言葉に後輩が振り向く。
その顔には、見慣れた悪戯っぽい笑みが。
「なんですか、先輩。必死に引き止めて、そんなに私の水着姿が見たいんですかー?」
「い、いや、そういう訳じゃ」
「先輩ったらスケベさんですねぇ」
再びクルリと前を向く。
「お気持ちは嬉しいですけど、やめときます。今はその時じゃないと思うので」
海を見て電車を降りたのに、海には行かないのか……。
よくわからないけど、何か彼女なりに考えたことがあったんだろう。
女性は色々大変だからな。体毛の処理とか、ボディラインとか。恐らく後輩はそれらが他人様にお見せできる状態じゃなかったのだろう。
そう納得して、後を追う。
後輩の横に並んだ瞬間、彼女がこちらを向いた。
「何か失礼なことを考えましたね?」
ジロリ、と見たことないほど鋭い視線。
「そ、そんなことは」
「むぅ……。言っておきますけど、ビーチに行かないのは、行ったらきっと一日中海で遊んじゃうからです。今日は、先輩と色んなことを──コホン。とにかく、海水浴デートはまた次の機会に」
「次の機会があると?」
「もちろんです。私はこの3日で、先輩を完全にメロメロにするつもりですので♪」
それは随分前向きなことで。
……現状押され気味な俺が言えたセリフじゃないな、これ。
「楽しみにしてておいてください。来年はセクシーな水着で先輩を悩殺しちゃいますから♡」
「悩殺ぅ? ……フッ」
「あー! 鼻で笑いましたね!? そんな態度でいられるのも今のうちですよ! 私、着痩せするタイプなんですからね! 脱ぐと凄いんですから!」
ほーん。
脱ぐと、ねぇ……。
……ふむ。
「……」
「……ちょっと想像した?」
「してないッ!」
「え〜? ホントですか?」
くすくす笑いながら流し目を向けてくる後輩。
うっ、と思わずたじろぐ。
「そ、想像なんて、してない」
してない。
断じてしてないぞ、俺は。
「くすくす。そんなに言うのでしたら、そういう事にしておいてあげましょう」
「ぐっ……。そ、そんなことより、いつまでこうして歩き続けるつもりだよ? 行き先決めてあるのか?」
「ええ。既にこの辺一帯の商業施設はリサーチ済みですので」
い、いつの間に……!?
もしや、電車を降りてすぐに後輩が何やらスマホを忙しなく操作していたが……あの時か!?
ていうか、デートに誘ってきたのは向こうの方とはいえ、年上であり男である俺がこんなにも受け身の姿勢なのは、なんか良くない気がするぞ……。先輩としての沽券に関わる。
俺がそんなことを考えている間に、後輩はポーチから再びスマホを取り出し、慣れた手つきでスクロールする。
地図アプリか何かで場所を確認しているのだろうか。やがて、指の動きも止まる。
「ああ、もう近いですね。えっと……ほら、あそこに見える建物ですよ」
後輩が指差す先に目を向ける。
──水族館だ。
「さ、行きましょう先輩」
小走りになった後輩を追って、俺も水族館へ向かった。
大人料金を払って、施設に入る。
高校生料金でも良かったんだけど、面倒なことになったら嫌だし……。
しかし二千円か……。昨日の内にお金おろしておいて良かった、本当に。
暗い水族館の中を、後輩と並んで歩く。
平日だからか、館内に人影は少ない。暗さも手伝ってか、後輩はまたも必要以上に距離を詰めてくる。
それをなんとか躱しながら、館内を進んでいく。
色んな魚や水生生物たちの姿を見ながら、コロコロ変わる後輩の表情を観察するのは、何だかんだで面白かった。
チンアナゴに和んだり、ヒトデを触れなかったり、ペンギンに目を輝かせたり、クラゲの水槽に張り付いて離れなかったり、エイの裏側に顔を引きつらせたり。
あと、水槽を泳ぐアジの群れを見て、うっかり「うまそう」って言っちゃった時は後輩に脛を蹴られた。流石にデリカシーのない発言だったと反省してます、はい。
後輩が一際良い反応を示したのは、熱帯魚の水槽の前を通ったときだろうか。
フヨフヨ泳いでいた一匹の魚を見て、後輩が声を上げた。
「見てください先輩! ニ○ですよ、○モ!」
後輩が見ていたのは、小さなオレンジ色の体に白い縦縞が2本ある魚。有名なアニメ映画の主人公のモデルになった魚……によく似ているヤツだ。
「それ、ニ○じゃないぞ。ニ○はカクレクマノミだけど、コイツはただのクマノミだ」
「ええ……。何が違うんですか……」
「クマノミは体の白い線が2本。カクレクマノミは3本。見分けるのは簡単だろ?」
「確かにわかりやすいですけど……」
口ではそう言いながらも、顔はなんだか複雑そうな表情だった。
「アジが泳いでるの見て『うまそう』って言ってた人が、クマノミに関して無駄に詳しいと、なんか気持ち悪いですね……」
「気持ち悪いか……そうか……」
気持ち悪いのか……。
じゃあ、○モは正確にはカクレクマノミじゃなくて、イースタン・クラウンアネモネフイッシュだって話も黙ってた方がいいかな……。
ちょっとヘコんだ俺をよそに、後輩は水槽の奥の方へと泳いでいくクマノミを見送る。
「チンアナゴもカワイイけど、クマノミも良いですよねえ。あ、でも、ペンギンも……。先輩はどれが一番カワイイと思います?」
「え……うーん。とりあえずペンギンはなんか臭いから嫌だな……」
「うっ、確かにあのニオイはちょっと……って、今は見た目の話してるんですけど!」
珍しくムッとした表情の後輩。
こういう顔もなかなか……いやいやいや、何をたわけたことを言っているんだ俺は。
「それに、こういう時は『お前が一番可愛いよ』とか気の利いたことを言うべきでは?」
「逆に訊くけど、お前魚とか鳥より可愛いって言われて嬉しいの?」
「……微妙ですね」
目を閉じてその状況をシュミレートした結果、後輩は納得したのか、再び水槽を眺め始めた。
「あ、ド○ー!」
「ナンヨウハギだな。そいつは背びれの付け根のトゲに毒があって……」
「だからなんでそんな詳しいんですか!?」
◆
水族館を出た後、俺達はショッピングモールへ向かった。
水族館からは少し距離があったが、既に後輩は現地の路線バスの存在も、バス停の位置も完璧に把握していた。
おかげでほとんど歩くことなく、最小限の労力で目的地へと着くことができた。……俺の財布はまた軽くなったが。
さて、ショッピングモールに到着したわけだが……。
俺は普段あまりショッピングなどしないので、『適当にぶらついてればいいか』と思っていたのだが、後輩がそれを許さない。
どんな施設があるのかもリサーチ済みで、まずはあっちへ、次はこっちへ、今度はそっちへと、引きずられるように連れ回された。
色んな店に行って、色んなことをした。
例えば──。
──服屋で後輩が一人ファッションショーしたり。
「じゃーん! 海が近いということで、ビーチに映える夏っぽい色コーデにしてみましたー!」
「あー、いいと思う。カワイイカワイイ」
「心がこもってなーい! もっと情熱的に、もっと良い声で!」
「──可愛いよ、後輩」
「えへ、えへへ」
「ガチ照れかよ」
──逆に俺が一人ファッションショーしたり。
「どうだ!」
「ダッサ」
「いつになく辛辣だな、おい」
「言おう言おうとは思っていましたけど、先輩って絶望的にファッションセンスないですよね」
「ふ、服なんて着れりゃいいんだ……」
「あとさっきから黒っぽい服ばかりですね」
「やめろ」
──モール内のファミレスでランチを食べたり。
「先輩のハンバーグ美味しそうですねぇ」
「そっちのチーズドリアも美味そうじゃん」
「じゃあ一口ずつ交換しましょうか」
「ああ、そうするか」
「それじゃあ……はい、あーん♪」
「なっ……! おまっ、こんな所で……」
「なら先輩が私にしてくださーい♡」
「できるかーっ!」
──後輩が伊達眼鏡をかけてみたり。
「キラーン。どうです? 知的に見えるでしょ」
「……」
「先輩?」
「……」
「せ、先輩? どうしました?」
「──眼鏡って、いいよな」
「は、はあ……」
──クレーンゲームに挑戦したり。
「あ、あの先輩。確かにあのぬいぐるみが欲しいとは言いましたけど、流石にもうそろそろ止めた方がいいのでは……」
「まだだっ! 俺は一度決めたら曲げない男! 一度あのぬいぐるみを取ると決めた以上、いくら掛かっても……!」
「店員さんに言えば、取って貰うことも出来ると思いますが……」
「駄目だ! これは、もはや男と男の意地のぶつかり合い……! そんな卑怯な手を使うことなど!」
「ク、クレーンゲームの筺体に性別はないかと……」
「耐えてくれよ、俺の財布ッ!」
「せ、せんぱぁーい!?」
散々遊び尽くして、日が落ち始めた頃。
そろそろ帰ろうか、と俺たちはショッピングモールを出た。
俺の財布の残りを考慮してくれた後輩は、帰りはバスを使わず徒歩で駅まで行くことを提案した。
年下の女の子を歩かせるのは気が引けたが、バスを利用すると電車代がなくなるのは事実。情けないが、ここは後輩の提案に乗る。
そうして、二人並んで夕焼けの街を歩く。
後輩は俺がクレーンゲームで取ったぬいぐるみを抱えて、鼻歌交じりでご機嫌だ。
今日一日の疲れを全く感じさせない姿。足取りも軽い。俺はもう脚が棒になってるというのに。
……全体的に体の細い後輩だが、意外と健脚の持ち主なんだろうか。なんだか、ますます自分が情けなくなる。
「……あのさ」
横を歩く後輩に顔を向ける。
彼女は自販機で買ったミルクティーに口を付け、それを仕舞うところだった。
「はい? なんでしょう?」
「えっと……」
少し言い淀む。
今言うべきことじゃないのかもしれない。
そんな思いが胸に湧いてくる。
……だけど、ここを逃したら、たぶん俺は。
俺は──。
「……どうして、俺を好きになったんだ?」
それは、ずっと気になっていたことだった。
──俺は、自分が男として魅力のある人間だとは思っていない。
別にイケメンじゃない。スポーツが得意なわけじゃない。勉強だって……そこまで苦手じゃないけど、俺より優れた奴なんて沢山いる。
度胸があるわけでもない。リーダーシップがあるわけでもない。コミュ力もない。
そんな俺を、後輩は好きだと言った。
美味しい弁当を作って、デートに誘って、一緒に遊んで、気遣いや優しさを見せて。
昨日と今日だけで、彼女の想いを痛いほどに感じた。
そして同時に。
その好意を受けるのが俺でいいのかと思った。
もっと相応しい誰かがいるんじゃないかと。本当に俺なんかが想われていいのだろうかと。
どこかモヤモヤした気持ちがあった。
だから問いただしておきたかった。
明日、正式に後輩からは告白を受ける前に。
「──気になりますか?」
後輩の声で、思考の海から舞い戻る。
彼女は立ち止まって、じっと俺を見ていた。
「どうして私が先輩に恋したのか。そんなに気になりますか?」
「そりゃ……気になるだろ。自分を好きだって言ってくれた子が、自分のどこを好きになったかぐらい」
「そうですか。……なら、特別に聞かせてあげましょう」
後輩はぷいっと前を向いて、再び歩き出す。
俺はその背中を追った。
背を向けたまま、後輩は話し出す。
「先輩、中学の時に下級生の女の子を助けたことがあったでしょ。覚えてますか?」
「え? いや、覚えてな……」
そう言いかけて、ふと思い出す。
──そういえば。
中3の時、学校の中庭の掃除をクラスメイトに押し付けられていた下級生がいたから、それを手伝ったことがあったっけ。
「……覚えてる。っていうか、思い出した。あれは、中3の冬……だったかな」
俺の通っていた中学校の中庭には、イチョウの木が植えられていた。
秋は黄色く色付いた葉が綺麗だが、冬はとんでもない量の枯れ葉を落とすのだ。
あの量を女の子一人で掃除するのは、きっと途方もない時間がかかるだろう。
だから、冷たい風の吹く中、たった一人で枯れ葉を掃く少女の姿が気の毒で、思わず声をかけてしまった。
って、ちょっと待て。
なんで、後輩があの時の事を知ってるんだ?
ハッと目を見開く。
まさか、あの時の女の子は───
「……とまぁ、その時のエピソードを友人から聞いて、私は先輩のことを素敵な人だなぁと思ったわけです」
「お前じゃねーのかよ!」
思わずガクッと力が抜けた。
後輩はそんな俺を見てくすくす笑う。
「くそぅ。俺はてっきり……」
「そんなドラマや漫画のような展開、あるわけないじゃないですか」
うっ。言われてみればその通りだ。
それに、よくよく思い出してみれば、あの時の女子と後輩は似ても似つかない。
流石に顔までは覚えていないが、あの時俺が助けた女子は髪もボサボサだったし、大人しそうな子で、後輩みたいな快活な印象は受けなかった。
あと、後輩が細身なのに対して、あの子は──その、言い方は悪いが……丸っこい……じゃなくて、平均よりもふくよかだった。
こうして思い出してみれば、あの子と後輩に似ている所なんてない。ように感じる。
やはり、別人なんだろう。
と、後輩が口を開いた。
「じゃあ今度は、私からも一つ訊いていいですか?」
俺は頷き、続きを促した。
「掃除を押し付けたクラスメイト、次の日の朝に例の子に謝りに来たそうじゃないですか」
「あっ。あー……」
「先輩、やっぱり何かしたんですか?」
「いや、別に何かしたってほどじゃ……」
あの日、俺は掃除を手伝ったついでに、掃除を押し付けて帰ったというクラスメイトの情報を、例の子から聞いていた。
そして帰りにゲーセンに寄ったら、聞いた情報と一致する女子生徒のグループと偶然遭遇して。試しに声をかけてみたら案の定ビンゴで。
それで、まぁ、『そういうのは、悪いことだよ。いけないことなんだよ』と言って聞かせただけなんだけど。
なんか、これだけだと、まるで俺が脅しでもしたかみたいだけど、別にそんな物騒なことはしてない。
そもそも彼女たちと会ったのも偶然なんだし。
ただ、彼女たちがそういう『悪いこと』を大人に知られるのを異様に恐れるタイプだったというだけ。
──担任や親に叱られたくないから、これからは真面目にします、と。だから掃除をサボったことも、学校帰りにゲーセンで遊んでいたことも黙っていてください、と。
俺が担任に言いつけるとか言う前に、向こうの方からそう頭を下げてきたのだ。
「──だから、別に俺は何もしてない」
「でも、先輩はそこでその子達を無視することだってできたはずじゃないですか。わざわざ、声をかけることなんてしなくても良かったのに」
「ん……。そうだな」
「というか、その時点では『聞いた情報と一致する』というだけで、その子達が掃除を押し付けた犯人と決まったわけではないじゃないですか。どうして話しかけたんですか? チキンの先輩が」
一言多くない?
という言葉を飲み込んで。
「確かにスルーしても良かったんだけど……。んー、なんだろうな。あの時、俺も変だったというか……」
掃除を終わらせた帰り際に思ったのだ。
これは根本的な解決にはなっていない、と。
俺は一人で掃き掃除をする少女を哀れに思って手伝った。
そう、手伝った。
それで終わり。
彼女を取り巻く環境は何も変わってない。
明日も、明後日も、来週も。これに味を占めた連中は掃除をまたもサボるだろう。
そして彼女は、ずっと一人で落ち葉を掃き続ける事になる。
俺はそれが嫌だった。
結局、あの子は全部押し付けられて損をして。
押し付けた方は良い思いをする。
それが変わらないのが嫌だった。
だから、ゲーセンで怪しいグループを見かけた時。
『今なら変えられるかもしれない』という思いに突き動かされて、らしくもなく声をかけていた。
「腹が立ったんだろうな。俺自身、貧乏クジ引かされることが多かったから。なんか、あの子に自分を重ねて、めちゃくちゃ腹が立ったんだと思う」
義憤に駆られたと言えば聞こえは良いが──言ってしまえば、怒りに我を忘れていただけだ。
だから普段ならしないような、自分らしくない行動ができた。
「でも、それは優しいことだと思います。先輩はその子の為に怒って、そして結果的にその子を救ったんですから。正直、惚れ直しました」
「救えた、のかな……」
あんなのは一時的なものに過ぎないと思う。
サボるやつはサボる。きっとあの女子グループだって、俺のことなんて忘れて、すぐにまた掃除を押し付けたりしただろう。
「いえ、そんなことないですよ。きっと、先輩の行動はあの子の周りを変えたと思います」
「……そっか」
やっぱり、どうしても俺の行動で何かが変わったとは思えない。
しかし、フォローしてくれる後輩に対してそんなことを言うほど、デリカシーがないわけでもない。
「お前がそう言ってくれるなら、そう思っておくか」
「はい。そうしてください。……誰かの為に怒って、誰かの為に行動して、それで何かを変えられる。そんな先輩だから、私は恋したんです」
そんな風に言われると照れ臭くて、俺は思わず後輩の笑顔から目をそらした。
そして動かした目線の先に、目指していた駅がチラリと見えた。
やっと座れる──と思うと同時に。
できれば、ある程度乗客がいて欲しいと願う。
だって、ガラガラだとまた後輩が引っ付いてくる。
そうしたら、少なくとも今は、クラッときてしまいそうだったから。
◇
「今日はありがとうございました。無理やり連れてったみたいになっちゃったけど……デート、楽しかったです」
──電車を降りる想い人に、少女はペコリと頭を下げた。
ついでに、不意打ち気味に一言。
「先輩、だいすきです」
瞬間、その言葉を向けられた少年が振り向く。
その目は見開かれており、顔は真っ赤。わかりやすいくらいに動揺している姿に、少女は思わず笑ってしまう。
少年は一瞬悔しそうな表情を浮かべた後、ぷいと顔をそむけ、足早に去っていく。
その背中を、彼女は笑顔で見送った。
しばらくしてプシューという音ともにドアが閉まり、ゆっくりと電車が動き出す。
乗客のほとんど居ない車両の中、彼女は元いた席に腰掛けた。
目を閉じて、揺れに身を任せる。
まぶたの裏に、楽しかった今日の思い出が浮かび上がってくる。
「……ふふっ」
ぎゅっ、とぬいぐるみを抱きしめた。
大好きな先輩がクレーンゲームで取ってくれたもの。
失敗する度に悲鳴を上げ、たかが機械の箱と熱闘を演じる姿は、ちょっと変人っぽかったけど。それすらも愛おしく感じる。
だって、このぬいぐるみは、先輩が自分の為に取ってくれたもの。
後半は少し目的が変わっていたような感じもしたけれど、きっかけは自分の『欲しい』という言葉に彼が応えてくれたからだ。
それが、少女にとってはたまらなく嬉しかった。
それだけじゃない。思えば、今日はいっぱいいっぱい嬉しいことがあった。
──先輩が自分の夢を見てくれた。
夢の内容はともかく、それ自体は嬉しいことだ。
──先輩のお部屋にお邪魔した。
コレクションは見れなかったけど、見たことのない一面を見れた。
──電車の中で先輩にくっつくことができた。
少しだけ胸元をはだけてアピールしてみたけど、先輩は気付いてくれただろうか。
──先輩と海の街を歩いた。
まだ付き合ってもないのに、まるでカップルみたいで凄くドキドキした。
──先輩と水族館に行った。
一部の魚にやけに詳しかったけど、ああいうちょっと変な所も面白くて好き。
数え切れないくらいの、嬉しい出来事があった。
あぁ、でも、一番は───。
「やっぱり、先輩だったんだ。私を救ってくれた人」
──彼と出会った日のことは、昨日のことのように思い出せる。
2年前の冬。
風の冷たい日だった。
当時の自分は、今よりもずっと大人しい──というか暗かった。見た目も、あまり可愛くなかったと思う。
だからだろうか。厄介事や面倒な仕事を、色々と押し付けてくる人たちがいた。
あの日も、いつもと同じように、掃除の仕事を押し付けられた。
別にそれ自体は苦ではなかった。押し付けられるのも、もう何度目かというくらいだったし、いい加減一人での掃除もなれていた。
だけど、あの枯れ葉の量は想定外だった。
帰るのはいつになるだろう、などと考えながら箒で落ち葉を掃いていた。
その時だった。声をかけられたのは。
『──俺もやるよ』
本当にいきなりだった。
何の前置きもなく、『何してるの?』の一言もなく、急に『俺もやる』などと言われたものだから、最初は一瞬なんのことだかわからなかった。
彼が箒で落ち葉を掃く姿を、しばらくじっと見つめて──それでようやく現状を理解した。
嬉しかった。
名前も知らない人が、何も言わず自分の力になってくれたことが。
風はひどく冷たいのに、心は暖かく感じた。
驚いたのは、次の日だった。
今まで自分に掃除などの雑用を押し付けていたグループが、朝一番に謝りに来た。
これまでの行為が、いわゆるイジメに該当するものだと実感したらしい。
なんだかよくわからない上級生に諭されて、それに気付いた──と彼女たちは言った。
あの人だ、と少女は直感した。
その瞬間だからだ。
あの名前も知らない上級生に、猛烈な感情を抱くようになったのは。
それから、少女は変わった。
これまで興味のなかったファッションに手を出すようになり、見た目にも気を遣うようになった。
例の女子グループともよく話すようになり、少しずつ社交的な性格になった。
そうして、数ヶ月もする頃には、見違えるほど綺麗になった。
──だけど、その頃には、少女が恋した上級生は卒業の時期を迎えていた。
少女の恋は、想い人の名前も知らないまま終わった。
2年後。中学校を卒業した少女は、実家から少し離れた高校に進学した。
心機一転、新しい生活を始めよう──とは思うものの、もしかしたらという気持ちと共に、電車の中で彼の顔を探してしまう。
そんな日々を送っていた、ある日。
全校集会で、少女は彼の姿を見た。
そして再び、彼女の中で恋の炎が燃え上がった。
一度は諦めたあの人が、偶然にも自分の進学先にいた。これはもう運命だと、少女は全力でアプローチを仕掛けた。
自分の見た目は、あの頃とはかけ離れているから。そして、もし先輩があの時のことを忘れていたらショックだから、とあえて初対面を装った。
最初は少しフレンドリーな形で接して、話しているうちに、段々とからかうのが面白くなって。
──そんな日々が続いて、今に至る。
「……明日、どうなるだろう」
ぬいぐるみを抱きしめたまま、彼女はボソリと呟く。
全力は尽くした。
どんな結末になっても、後悔はない。
……と思う。
「うん、とりあえず泣かないようにしなきゃ」
少女はグッと拳を握り、決意を新たにした。
◇
後輩と別れて、部屋に帰って。
まず最初に、俺はベッドに倒れ込んだ。
「……つかれた」
とんでもない一日だった。
朝から後輩が家に襲撃してくるわ。
散々色んな所付き合わされるわ。
電車代とかその他諸々の費用で、昨日補充したばかりの財布の中身は、コロッケサンドも買えない状態に逆戻り。
一日中歩き回って、足は痛いとかそういう次元を越えている。なんで後輩は平気そうなんだチクショウ。
「もう……本当に、つかれた……」
着替えなければいけないし、晩飯もまだ買ってない。
第一、寝るにはまだ早い。
なのに、体はベッドから起き上がってくれない。
本当に、今日は疲れた。
でもその疲れは、心地の良いものだった。
嫌な感じのしないものだった。
満足感に満ちているというか、なんというか。
体はこんなに疲弊しているのに、心は満たされている。
「これでいい」と思っている自分がいる。
「あー……」
うめきながら体を起こした。
そのまま立ち上がろうとして──結局、仰向けに横たわる。
胸を満たすこの感覚がなんなのか、何故こんなものを感じているのか。
理由はわかってる。
──楽しかったんだ。
今日一日、アイツと過ごして。
俺はそれを楽しいと感じた。
心地の良い時間だと思った。
だから、こんなにも胸が温かい。
「なのに、なに意地張ってんだろ、俺……」
ふと口から出た呟きに、自分で眉をひそめた。
意地を張っている?
俺が? ……何に?
なんだよ、その言い方は。
確かに今日は楽しかったさ。後輩と一緒にいて、楽しいと思った。
できれば、またこんな日があったらいいなとも思った。
──でも、それだけだ。
言ってしまえば……こんなもの、友人とちょっと遠出して遊びに出かけただけだ。
そうだ。この際認めよう。
今の俺は後輩に対して、数日前のような苦手意識を持っていない。以前より好意的に見ている。
それこそ、友人と呼んでもいいと思っている。
だけど、だけど──。
だからって、俺は、別に。
生意気な後輩にも、多少良い所はあるんだなって、そう思ったくらいで。
それを、意地を張っているだなんて──お前は一体、何を言っているんだ。
それじゃあ……まるで俺が。
俺が、アイツのことを好きみたいで。
そして、それを認めようとしてないみたいじゃないか。
そんな馬鹿な話があるか。
俺は、後輩のことなんて……!
『お出かけ、しましょ?』
『先輩のにおい、します』
『楽しみにしてておいてください。来年はセクシーな水着で先輩を悩殺しちゃいますから♡』
『……誰かの為に怒って、誰かの為に行動して、それで何かを変えられる。そんな先輩だから、私は恋したんです』
「っ──……。はぁ……、寝よ」
バカバカしい。
俺は何をこんな、言い訳じみたこと、誰に向かって……。
本当に、情けない。
自分が嫌になる。
でも、そんな俺を、俺のことを、アイツは──。
『先輩、だいすきです』
ブンブンと頭を振る。
どこからか聞こえた声を振り払うように。
忘れろ。
忘れてしまえ。
少なくとも、今は。
俺は布団の中に潜り込み、目を閉じた。
もう二度と、変な夢なんて見ないように祈りながら。
◆
翌朝。
目を覚まして、ベッドから起き上がる。
幸いにも、夢は見なかった。
そういえば、昨日はシャワーも浴びていなかった。
ぼんやりとした頭で、かろうじてそのことを思い出し、軽く湯を浴びる。
タオルで頭を乾かしながら、テープルの上に置きっぱなしのスマホに気付いた。
そういえば、充電しないまま寝てしまった。
と、いうことは……。
「頼む、今日一日くらいは……」
せめてそのくらいは残ってて欲しい。
そう願いながらスイッチを押す。
パッと光る液晶画面。
どうやら0%ではないようだ。
現在時刻と共に、ロック画面が映し出され──。
「え」
──そして俺は、今がとっくに『朝』と呼べる時間帯ではなくなっていることに気付いた。
「ヤッバ……!」
慌てて着替えようと、クローゼットを開く。
いや、その前にまずカバンに教科書入れないと。あ、それは一昨日のうちにやってあるっけ。なら……。
って、待て。まだ髪が乾ききってない──!
パニックになりながら準備を終え、俺は部屋を飛び出す。
直後にスマホを忘れていたことに気付き、一度部屋に戻って忘れ物を確保してから、自転車に飛び乗った。
3日目。金曜日。
後輩との戦いの、最終日。
そして、約束の日。
俺は遅刻した。
なんとか2限には間に合ったものの、遅刻は遅刻。
案の定、担任にはしこたま怒られた。
「それで? なんで遅れた?」
「電車に乗り遅れまして……」
「お前自転車通学だろうが」
「じ、自転車に乗り遅れまして……」
「素直に寝坊と言え、バカモン」
変に言い訳しようとしたのが間違いだったかもしれない……。
さて、昼休み。
担任の説教から解放された俺は、急いでコンビニへと走った。
ATMで財布の中身を補充。ついでにおにぎりをいくつか購入。
そして教室へ戻る。
その途中。
「……あ、先輩」
後輩と遭遇した。
一瞬マズイと思ったが、冷静に考えてみれば、今日の俺は既におにぎりをゲットしている。
後輩の弁当を食べる必要はない──と考えたところで、あることに気付いた。
「あれ、お前今日パンなの?」
普段ならランチバッグを下げている後輩が、今日は売店で買ったと思われる惣菜パンを抱えている。
俺がそのことを指摘すると、後輩は少し顔を赤らめて目をそらした。
「じ、実はですね。昨日のデートの後、疲れてそのまま眠ってしまいまして……。起きたら遅刻ギリギリで……」
俺と同じだった。
いや、完全に遅刻した俺に比べればマシだろうか。
「ウチは自分のことは自分でやる決まりなので、お弁当の準備を忘れた私はこうして購買に頼るしかなく……」
後輩はしょんぼりと肩を落とす
「うう……。最後の日なのに、寝坊して先輩のお家に寄って一緒に登校する時間もなく、特製のお弁当もふるまえず……」
「まあ、購買のパン美味いから……セーフセーフ」
何がセーフなんだろう。
やっぱり、俺は昨夜から何かおかしいみたいだ。
……いや、もっと前からだろうか。
──思い返してみれば、この女が関わると、俺はいつもおかしくなる。
俺は、他人が怖い。
後輩は俺のことをボッチと言ってからかうが……仕方ないだろう。怖いんだ。
俺に限らず、一人で居るヤツはきっと、みんな他人が怖いと思う。
……そりゃそうだ。
何考えてるかなんてわからないし、伝えたい事は上手く伝わらない。
深く踏み込めば傷付けて、傷付いて。
そんな生き物、怖いに決まってる。
誰かと話すのが怖くて、一人でいた。
自分の言葉が誰かを傷付けるのが嫌で。誰かの言葉に傷付けられるのも嫌で。
苦しい思いをするくらいなら、誰とも関わらずにいたほうがいい──そう思っていたのに。
なぜか、後輩の前では自分を隠せない。
クラスメイトの前では隠していた、本当の自分。『大人しい男子高校生』の仮面を被っていない自分。
本当の俺を見てほしいと思う。俺を知ってほしいと思う。
だから、さらけ出してしまう。
なんでだろう。
後輩の前では自分を偽りたくない。
それは、心のどこかでコイツなら傷付けても構わないと思っているからだろうか。
それとも、傷付いても構わないから、もっと深い関係になりたいと──そう望んでいるからだろうか。
「……先輩?」
──気が付いたら、俺はいつもの空き教室の前にいた。
俺が普段、昼休みを過ごす場所。
そして、俺と後輩が一番会っている場所。
……そうだ。後輩と一緒に飯を食べることになって、移動しようって話になったんだっけ。
「今日はここでご飯食べるんですね」
「……ん」
「私はこの前の踊り場でも……うーん、二人きりになれるなら、どこでもいいかも」
いつも通り、空き教室の中には誰もいない。
……元々ここは何だったか。ナントカ準備室とかいう名前が付いていた気がする。
名前通りの用途に使われた所は見たことないが。
後輩は無人の教室の中に入り、適当な椅子を引いて腰掛ける。
そして惣菜パンの袋を丁寧に開け、小さな口で食い付いた。
俺も後輩に続いて適当な椅子に座る。
おにぎりの包装を引きちぎる様に乱雑に剥がし、かぶりつく。
「あ、ホントだ〜。先輩の言う通り、このパンなかなか美味しいですね♪」
「……」
無言。
「先輩?」
「……」
それでも無言。
米を咀嚼しながら、思考の海に沈む。
──さっきの続きだ。
俺が人付き合いを避けていたのは、誰かと深く関わることで傷付けたり、傷付いたりするのが嫌だったからだ。
でも、後輩相手には、本当の自分を見てほしいと思ってしまう。
それは何故なのか。
後輩なら傷付けていいと思っているからなのか、自分が傷付いてもいいから、後輩と深い関係になりたいからなのか。
俺は、後輩を傷付けてもいいなんて思ってない。
後輩だけじゃない。誰かを無責任に傷付けていいなんて思えるなら、俺はこんな一人ぼっちになんて、なっていない。
──ならば、俺は後輩と深い関係になりたいと思っているのだろうか。
深い関係……。
深い関係って、なんだ。
そもそも、今の俺たちの関係すら、はっきりしない曖昧なものなのに……。
俺と、後輩の関係。
俺はそれをどんなものであって欲しいと思っているのだろう。
どんな形でありたいと、願って──
ガブッ!
「いっ……!?」
──瞬間、激痛が走った。
おにぎりを持っていたはずの右手。その中指の第一関節あたりに。
「てえええぇぇぇぇぇ──ッ!?」
痛みの原因はすぐにわかった。
自分で噛み付いたのだ。
考え事に夢中だった俺は、既におにぎりを食べ終わっていることに気付かず、何も持っていない手に思いきり歯を立ててしまったのだ。
「ガアアアア! マジで痛えええ! ゴリッて! ゴリッて音したよ関節から!」
「せ、先輩!? 何してるんですか!? だ、大じょ──プッ……ク、ククク……!」
「何笑ってんだお前ェェェ! ああああ痛いィィイ!」
「だ、だって、こんなの……ぷくくくっ。──ブッ、あははは!!」
俺は中指を押さえてのたうち回り、後輩はそんな俺のザマを見て腹を抱えている。
とんでもなく無様な姿だ。おまけに指は凄まじく痛い。
──なのに、楽しい。
こんな風に後輩と一緒にいられることが、嬉しい。
少し前までは感じなかった──いいや、自覚していなかったというべきか。
この気持ちを、人はなんと呼ぶのだろう。
「……なぁ」
ようやく痛みは薄らいできて、後輩も落ち着いてきて。
そのタイミングを狙って、俺は口を開いた。
「はい?」
既に食事を再開していた後輩は、惣菜パンを飲み込んで、返事をする。
俺はそこに、疑問をぶつけた。
「俺とお前って、何なんだろうな」
俺と後輩の関係とは、何なのだろうか。
後輩はどう思っているのか。
それを訊いてみたかった……のだが。
……なんだか、前にも同じような問答をしたような。
それも、ごく最近に。
「何かって……ホモ・サピエンスでしょ。先輩が言ったんじゃないですか」
「……。そうだったな」
そうだ、そうだった。
この3日間の勝負が始まる前、いわば0日目とも言うべきあの日。
俺は後輩にそう答えたのだった。
意趣返しのつもりだったのか。
後輩はフフンと悪戯に成功した子供のような、得意げな顔をしていた。
「ああ、もしかして……生物学的な話じゃなくて、私たちの関係の話ですか?」
「あぁ、そーだよ。関係の話だ」
「私たちの関係かぁ……。元々私のほうが先輩に訊いたのに、なんで立場が逆転してるんですかね」
「うっ……それは……」
「まあ、何でもいいですけど。どうせ答えられないんだし」
……答えられない?
その言葉に引っかかり、俺は後輩の顔を見つめた。
俺の視線で言いたいことに気付いたのか、後輩は困ったように苦笑する。
「……先輩も、結構ヒドイですよね。私に、先輩との関係について言わせるなんて」
「え? な、なんだかよくわからないけど……ゴメン」
「いーですよ。別に」
後輩は椅子に座ったまま脚をプラプラさせて、窓の外──遠くを見つめる。
「私と先輩の関係は、恋人です──って言えたら、良かったんですけどね。現状は……なんだかよくわからない関係ってカンジですかね」
「……」
よくわからない関係。
だから、答えられないと言ったのか。
「まあ、あえて名前を付けるなら、前に先輩が言った通りなのかな……。それにも、実の所私はあまり納得してないんですけど」
と、後輩がこっちを見た。
「でもね、先輩。私、今の先輩との関係、結構好きなんです。先輩とは恋人になりたいけど……こんな風に、そんなの関係なく先輩と一緒にいて、一緒にふざけたりするのが、楽しくて。だから──」
後輩は、そこで一瞬言葉に詰まった。
うつむいて、膝の上でギュッと手を握って、続きを絞り出す。
「だから……だから、私が先輩のカノジョになれなくても、今まで通りに……変わらずに私と──」
──後輩は、何と言おうとしたのだろう。
俺がその台詞の続きを聞くことはなかった。
後輩が、途中で自分の頬を両手で叩いたからだ。
パチン、と乾いた音が空き教室に響いた。
両頬を挟んだまま、後輩が呟く。
「……私、何言ってんだろ。一世一代の告白の前に、弱気になって……」
俺は呆気に取られて何も言えない。
後輩は椅子から立ち上がり、そんな俺の正面に立つ。
そして、今度こそ、俺の目を見て言った。
「──すみません、先輩。今のは忘れてください」
「あ、ああ……」
「ついでに、お願いを一つ聞いてもらっていいですか?」
気圧されながらも頷く。
すると後輩は、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。じゃあ、今からでもいいですか?」
「え、今からって、何を……」
「放課後って約束でしたけど……。今じゃないと、また怖気づいて、変なこと口走っちゃうかもなので。だから、今から告白させてください」
──え。
いや、ちょっと待ってくれ。
そんな、今からなんて、こ、心の準備が……。
まだ答えとか考えてないし……って何言ってんだ俺! 最初から断るって決めてただろ!
この3日間の勝負が決まったあの日から、俺は後輩をフるって、決めて──……。
「……」
「先輩?」
そうだ。最初から、決めていた。
断るって決めていた。この生意気な後輩に、一度くらいは反撃してやるんだと決めていた。
なのに、なんで今になって躊躇う?
なんで『つまらない意地を張るな』って声が、どこからともなく聞こえてくる?
俺はこんなヤツ好きでもなんでもないんだ。生意気な態度に腹を立ててたんだ。
……でも、一緒にいると楽しいのも事実。もっと深い関係になれたらって思う自分がいる。
一体、俺はどうしちまったんだ?
自分の心がどこにあるのかわからない。
何を望んでいる?
俺はどうしたいんだ?
「あの、先輩……?」
後輩が心配そうに声をかけてくる。
……その声を聞いて、迷いをねじ伏せる。
後輩は素直な気持ちを今から伝えようとしている。
返事がどうであれ、しっかり聞いてやるのが男ってもんだ。
余計なことは、今は考えるな。
「──大丈夫だ。大丈夫だから、言ってくれ」
「……はい」
大きく息を吸う。吐く。
それでいくらか頭の中が冴えた。
俺は椅子から立ち上がった。
見上げてくる後輩。
彼女は俺から視線を外さず、口を開いた。
「先輩、好きです。……大好きです」
「……っ」
「今の関係も良いけれど……思わずこのままで良いって思っちゃうくらい心地良いけど……。それでもやっぱり、私は先輩ともっと深い関係に……恋人になりたいって思います」
一人の少女の確かな決意と、覚悟のこもった言葉。
それが、正面から俺にぶつかってくる。
「だから、私は言います。もしかしたら、傷付くことになるかもしれないけど……この気持ちを、伝えたいって思ったから! 言葉にしなきゃ……伝えなきゃ、伝わらないから……!」
すうっ、と後輩は息を吸った。
そして、顔を朱に染めながら、とびきりの笑顔で言った。
「──好きです。私のカレシになってくれませんか?」
その笑顔は、この3日間で見てきた……いや、今まで見てきた後輩のどんな顔よりも──違う。そんなもんじゃない。
その笑顔は──これまで見てきた、どんな女性よりも綺麗な笑顔だった。
それを見ただけで……俺は、この3日間の勝負が全て茶番だったと思い知った。
何が勝負だ。
こんなもの……初めから俺の負けじゃないか。
勝敗なんて、始まる前から付いていた。
俺はとっくに彼女に負けていたんだ。
──とっくに、惚れていた。
俺は後輩のことが好きだったんだ。
いつからなのは、わからない。無意識に一緒にいて楽しいと感じていて、自覚したのはつい昨日だから。
でも、楽しいと思っていたということは、そういうことだったんだ。
後輩は上目遣いに、俺の返事を待っている。
いまだに顔は赤く、緊張のせいか脚は震え、拳をギュッと握ったまま白くなるくらいに力を入れて。
ああ、そうだ。返事をしなくちゃ。
後輩は俺が好き。
俺も後輩が好きだ。
なら、俺も後輩に好意を伝えるべきなのだろう。
「……ごめん。それは、無理だ」
──しかし。
俺は、一度決めたことは曲げない男なのだ。
「そ、う……ですか……」
「うん。……悪いな」
「謝らないでください。これは勝負なんですから、私が負けただけ……っ」
後輩はそこで言葉をつまらせた。
見れば、目尻には何か光るものがある。それが雫になって、頬に一筋の濡れた跡を残して流れた。
「あれ、おかしいな……。わたし、泣かないって決めてたのに……っ」
「……」
「ごめ……んなさい、やっぱり……無理、みたい……です……がまん、できない……」
その言葉を皮切りに、ぽろぽろと雫がこぼれ出す。
拭っても拭っても涙は止まらない。今や雫は頬に川を作っていた。
子供みたいに泣きじゃくる後輩を見下ろして、流石に罪悪感で胸が締め付けられる。
こんなに大泣きされるなんて思わなかった。
……もう、言ってしまおうか。
「……なあ、俺も言いたいことがあるんだけど」
「……グスッ、……ッ、なんですか? 慰めの言葉なんて──」
「好きだ、付き合ってくれ」
「いらな……ふぇ?」
しゃくりあげていた後輩が、目を見開いて見上げてくる。
赤くなった目からはいまだに涙を流し、肩を震わせたまま、口元を引つらせて。
「え? いや、だって、さっき……」
「その……あれは冗談だ。すまなかったな」
いや、本当に、ちょっとしたイタズラのつもりだったんだ。
だって、あのまま告白をオーケーしたら、まるで俺が後輩に籠絡されたみたいじゃないか。
……まるでも何も、事実そのとおりなんだけど、しかし後輩の前で、素直に負けを認めたくはなかったのだ。
好きな子にはちょっと意地悪したくなる、フクザツなオトコゴコロ……。
まるで小学生男子みたいだけど、仕方ないじゃないか。俺は意地っ張りなんだ。
「な、なんですか、それ……。私は、本気で……断られたのかと思って……涙まで……」
「それに関しては本当に申し訳なかったと思っております、ハイ」
ビックリさせた所ですぐにネタバラシする気でいたら、予想外に大泣きされて思わず呆気に取られてしまったのだ。
少しイタズラするつもりではいたが、決して後輩を虐めたかった訳でも、泣かせたかった訳でもないという事は、ハッキリさせておこう。
それに、一度断ったのは、それだけじゃない意味がある。
──この想いは自分から伝えたかった。そんな、男としての我侭だ。
「そ、それで、その……返事の方なんだが……」
照れ臭くて頬を掻きながら、おずおずと切り出す。
思えば愛の告白なんて、生まれて初めてだ。自然と顔が熱くなって、鼓動が速まるのを感じる。
「両思いなんだし、オーケーということで、いいだろうか……?」
「……いやです」
「え」
「お、乙女の心をもてあそぶ先輩なんて……だいっっきらいですっ!」
「ええーっ!?」
後輩はがおーっと目を剥くと、腕を組んでプイッとそっぽを向いた。
むう……これがあざとかわいいという奴か──って違う違う! そうじゃないだろ!
え、ちょっと待ってくれ。
まさか、いま、断られたのか?
……お、俺は、少しのイタズラ心でとんでもない失敗をしでかしたんじゃ……!?
「ま、待ってくれ! 俺が悪かった! だから、どうか考え直してくれないだろうか……!?」
「えー? どうしましょうかねえ?」
「た、頼む! 本気で好きなんだ! それをこんな形で終わらせられるか……!」
「へ、へぇー。そんなに私のこと、好きなんですか?」
「好きだ! 大好きだ! こんなにも好きになった女の子、お前が初めてなんだ!」
「えへ、えへへ、えへへへへ……──コホン。でも私、先輩に傷付けられたからなー」
「そ、そこを何とか!」
必死で頭を下げる。
人生でここまで頭を下げたことがないってくらい、頭を下げる。
そこまでしてようやく、後輩は組んでいた腕を解き、目を合わせてくれた。
「んー。じゃあ、先輩が私の傷付けられた乙女心を弁償してくれたら、いーですよ。カノジョになってあげます」
「べ、弁償……?」
い、いくら払えばいいんだろう。
さっきコンビニのATM寄ったから、それなりに持ち合わせはあるが……。
「……ミルクティー」
「え? み、ミルク……?」
「今度、奢ってください。自販機ので良いので。……そしたら、許してあげます」
「い、意外と安いんだな。乙女心って……」
せいぜい150円くらいじゃないか……。
いや、数日前はそのミルクティーすら買えない懐事情だったことを考えると、それなりに高額かもしれない。俺にとっては。
「むぅ。そんなことを言うなんて、さてはまだ反省してませんね?」
「あっ……い、いや、そんなことはない!」
「だめです。もう遅いです。ミルクティーだけじゃ許しません。条件追加です」
し、しまった!
なぜ俺の口はいつも余計なことを……!
「その条件って……」
「今から言いますから、心して聞いてくださいね」
ゴクリ、と唾を飲む。
後輩は一度大きく息を吸うと、一気に続けて言った。
「朝は私と登校して、お昼は私のお弁当を食べて、放課後は私と下校して、放課後デートとかしたりして、お休みの日も私とデートして──」
「……」
「たまに私のお家に遊びに来てきてくれて、先輩のお家にもお邪魔させてくれて、先輩のえっちなコレクションの内容を教えてくれて、来年の夏に一緒に海に出かけてくれたら……いいですよ」
………。
……えっと。
「すまん。早口過ぎて聞き取れなかった」
「もうっ!」
「できれば要約してくると助かる」
「むぅ……じゃあ。毎日──」
後輩は拗ねたように唇を尖らせ、そっぽを向いた。
頬が赤くなっているのは、きっと大泣きしたからではないし、俺の気のせいという訳でもないだろう。
「──毎日、私とイチャイチャしてください。じゃなきゃ、カノジョになってあげませんから」
それを聞いて、俺は思わず笑ってしまった。
なんだ。
そんなことか。
「そんなの、お安い御用だ」
「……本当ですか?」
「この3日間がずっと続くようなもんだろ? ……こっちからお願いしたいくらいだ」
「えへ、じゃあ……決まりですね」
ギュッと、後輩が抱きついてきた。
ふわりと、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。
なんというか、五感全体が刺激されて、感覚神経が焼き切れそうだ。
女の子の体って柔らかいんだな、とか。本当に着痩せするタイプだったんだな、とか──いや触覚ばかりじゃねえか!
色々と感じすぎてパンクしそうになっている俺の顔は、きっとこれまでにないくらい真っ赤だろう。
でも、俺の顔を見上げてきた後輩も、負けないくらいに真っ赤な顔だった。
「これからも、よろしくお願いしますね。せーんぱいっ♪」
──こうして俺と後輩との関係は、『恋愛関係』へと進んだ。
しかしここで終わらせるつもりはない。
恋人になったら、次はその先があるだろう。……照れ臭いから明言はしないが、その……まあ、アレだ。将来的に色々と。
できれば後輩とはそうなりたいと思う。
沢山傷付けたり、傷付けられたりもするかもしれないけど……それでも、俺はコイツと一緒にいたいって思ったから。
だから俺は決めた。
この俺の大好きな笑顔の隣に、ずっと居続けることを。
この度は数ある作品の中から拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。
楽しんでいただけましたら、下の☆で応援してくださると嬉しいです。
また、作者マイページから他の作品にも目を通していただけると幸いです。
どの作品も自信作ですので、よろしければ是非。
【追記】
活動報告でも述べましたが、日間ランキング現実恋愛カテゴリで1位を獲得しました。
これも読んでくださった皆様のおかげです。
これからも執筆に励んでいく所存でございますので、今後とも応援よろしくお願いします。(2021.1.20)