お一人様ご案内。
世界が闇から解放され、早一ヶ月が経過した。凍てつく清流も、燃え盛る大地も、荒れ狂う暴風も、降り注ぐ雷鳴も全てがクリアに浄化され、少しずつ光を取り戻しつつあった。
勇者一行は英雄として讃えられ、国王に勲章をもらい、各々の道を歩み出していた。
パーティに支援魔法をかけ、回復や防御魔法によって全員を守ってきて、槍も使える魔法使いのメリアは、元々別国の姫でもあったため、故郷に戻って自身の為すべき仕事に手を掛けている。
巨大な大剣と壁のような大盾を持ち、剛腕によってそれらを片手で操る攻防一体の具現者とも言える戦士、フィルガスは報奨金を持って実家の母親の元へ帰郷し、共に過ごしている。
そして勇者は。天使の技を身につけたことにより、人間の身から天使に昇格され、地上から消滅した。
「……はぁ」
最後の勇者パーティの一人、パーティ随一の速さにおいて、主に斥候の役割を果たしていた最年少の弓矢とムチ使い、フェルトは、救った世界を見て回っていた。と、いうのも、天使になった勇者に頼み事をされたからだ。
『魔王は異世界に飛ばしたが、大地に残っている魔王軍幹部の魔力が何か世界に良からぬ事をもたらそうとしているかもしれない。俺は天界に行かなければならないし、他の皆はそれぞれの仕事に付いているみたいだし、フェルトにしか頼めない。良いか?』
実際、その「良からぬ事」がもたらされる可能性はかなり低い。だが、フェルトの両親は魔王軍幹部ベルゼブブに殺されてしまい、帰る場所もやる事もない自分に、一時的にでも「やること」を提示してくれたのだ。
魔王軍幹部を討ち滅ぼした跡地を調査して回る事を頼まれたのだが、まぁ何もないのは分かりきっているので、退屈と言えば退屈だ。
現に、今向かっているのは四人中四人目であり、三箇所には特に何もなかった。四箇所目も同じだろう。
魔王討伐のために立ち寄った場所を回っていれば、いずれ自分のしたいことが見つかる、そう思っていたが、そうもいかないようだ。
これから先、自分はどのように生きていけば良いのかわからない。肌の色は小麦色で、黒髪のショートヘアだから男に見られるような外見で、冒険者の集まる飲み屋とかの店員は浮いてしまう。どういうわけか、ああいう所のウェイターは綺麗な人が多いのだ。
騎士団に入るには魔力が絶望的に足りない。基本的にオールラウンダーが多い騎士団では、魔法も剣も盾も使えないと入れない。ムチも弓矢もお呼びじゃないのだ。
冒険者も、魔王を倒したパーティの一人なんかみんな敬遠してしまい、誰も仲間になってくれない。
「……アタシも天界の技を教わって、天使になれば良かったかなぁ……」
そんな事まで思い始めながら、最後のベルゼブブを仕留めた大地に足を踏み入れた。やはり、何かいる気配はない。
とどめを刺したのは勇者だった。飛んで逃げようとしたベルゼブブの脚を、自分がムチで絡み付かせ、引き戻そうとした一瞬の隙をついてトドメを刺した。
「……懐かし」
そんな事を呟きながら、ベルゼブブの城に入った。もう魔力の気配はカケラ程度しか感じられないが、それでも魔物が何匹か残っている。
しかし、それらがフェルトを視認する前に。過ぎ去ると共にムチで急所を引っ叩き、一撃で始末して進む。
あっさりとベルゼブブの部屋である蝿の間に到着した。ここには屋根が無く、本来の姿である巨大な蝿になった時のためか、かなり広い。
他の幹部と違って、勇者に叩き斬られた際に飛び散った体液は未だ残っていた。
「……くっせぇな……もう帰るか」
眉間にシワを寄せ、そう呟いて振り返った時だ。目の前に顔が見えない黒い天使の翼をはやし、フードをかぶった男が立っていた事により、すぐさま距離をとって背中の弓を向けて放った。僅か0.5秒ほどの反射行動であったにも関わらず、後ろの男は軽々と回避したばかりか、急接近して反撃して来た。
顔面に拳を振り抜かれ、弓を手放して両拳を顔の横に構えて回避し、お返しに顔面に拳を放つ。
それを両手をクロスしてガードすると共に、背中の羽を前方に羽ばたかせ、フェルトを吹き飛ばした。
「んぐっ……!」
飛ばされつつも、受け身をとって右膝と右手を地面に着け、ゆっくりと顔を上げる。
黒くも天使の羽をつけているということは、少なくとも天界出身ということになる。
しかし、天使の羽は全て白いはずだ。何より、感じる魔力が明らかに魔王軍のそれなのが解せない。
「あんた誰だよ。アタシが誰だかわかって喧嘩売ってる?」
「フェルト=ウィリアム。魔王様を滅ぼした勇者一行最弱の女だ」
「ああ⁉︎」
「邪魔をするな。今、退散すれば逃してやる」
それはつまり、一刻も早く厄介な何かをしたいということだ。情報がフェルトから世界全体に漏れたとしても。
しかし、確かにあの魔の者が言う通り、フェルトは勇者パーティの中で一番隙がある。というのも、速さを活かすために軽量防具を装備しているため、防御力があまりにも薄いのだ。
勿論、普通の兵士や人間に比べればトップクラスの実力はあるが、魔王軍幹部と一対一で戦えば負けるのはほぼ間違いない。
「そっか……逃してもらえるんだ……」
「ああ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……て、言うとでも思った?」
だからと言って、目の前の悪事を邪魔しないほど自己保身は激しくない。勝てないまでも、相討ちなりなんなりに持ち込んで死んでも止める。
ノータイムでポーチから火薬入りの巾着袋から飛び出ている紐に火をつけて放り投げた。
爆発し、拡散したのは黒い煙だった。斥候のフェルトは、暗闇でも煙幕の中でも目が見えるよう鍛えられている。
腰に装備しているムチを手に、正面から突撃した。ムチを振るい、シナるロープがフード男の腕に巻きつく。動きをほんの一瞬、止めると、矢筒から矢を抜き、投擲した。投擲や遠距離攻撃は得意だ。
しかし、フードの男は。ムチをいとも簡単に切断し、矢を避けて見せた。
「なっ……⁉︎」
このムチは天界から譲り受けたムチだ。魔王軍には絶対に切られることはないはずのムチを切断したということは、あの敵はまず間違いなく天界の者である事が確定した。
しかし、そんな事で驚いている場合ではない。再び突風を起こされ、煙も何もかもを吹き飛ばされ、背中を後ろの壁に強打する。
「クソがッ……!」
強い。メリアの加護が無いうちは厳しい相手だ。
矢筒から矢をさらに二本抜き、二刀流のように構える。そんなフェルトをフードの男は面倒臭そうに眺めた後、剣を抜いた。やはり、天界の剣だ。
それに対し、両手の矢を投擲し、左右からカーブを描くように飛んで行く。さらに、中央から新たな矢を抜いたフェルトが突貫した。
そのフェルトに、フードの男は軽く剣を振るって光の門を開いた。
「っ、こ、こいつは……⁉︎」
「『ヘブンズ・ドア』」
開かれたのは光の扉。ヘブンズ・ゲイトの下位互換で、バラバラにする機能はないが異世界に飛ばすことは出来る技だ。便利な所は、わざわざ突き刺さなくてもその場に扉を置くことができること。
その中に矢とフェルトは吸い込まれ、異世界へ転移されて行った。
×××
木崎めぐみは、今日も研究室で卒業研究である。後は論文を完成させれば終わりなのだが、全て英語で書く必要があるため、中々進まない。決して英語が出来ないわけではないが、慣れていないので時間が掛かるのだ。
パートナーとなった男二人は、何の因果か二人とも蒸発してしまったため、手伝ってくれる事になった教授に添削してもらえる。
今は、出来た所まで先生に見てもらうため提出しに来た。
「失礼します」
「どうぞ。……あ、出来た?」
「とりあえず、途中まで。見てもらえます?」
「良いわよ。見ておくから、今日は帰りなさい」
「え?」
「時計見て、時計」
言われて時計を見ると、二〇時を回っていた。
「……あら」
「もう夜遅いから。泊まって行っても良いけど、あなたは頑張り過ぎちゃうんだから、帰りなさい」
「……そうですね。では、失礼します」
「はいはい」
それだけ話して、教授の部屋を出た。研究室に戻るため、コツコツと足音を鳴らして廊下を歩く。
夜の学校は不気味、とよく言うが、慣れてしまえばそうでもない。別にトイレから女の子の啜り泣く声が聞こえるわけでもないし、人体模型が一人でに歩いているわけでもない。
というか、学校にもよるがめぐみの通う大学は人が歩けば自動で電気がつくので、恐ろしい雰囲気が流れようが無かった。
「……」
そういえば、元彼氏の阿呆は怖がりだったな、と思い出す。理系の癖にお化けをしっかりと信じていて、怖がりの癖に怖い妄想が得意だった。
『バカ、校舎にお化けが出ようがないって事は、校舎の外で待ち構えてんだよ!』
そう言われても、窓に映っているのは夜の大学の庭と、茶髪ポニーテールの自分だけだ。
何となくそんな話をしていたのを思い出し、窓を開けて外を見てみると、良い感じに庭に生えた木が見えた。あの木の後ろに隠れて、女の人がこっちを見てたら確かに怖いかもなーなんて、全く怖そうに見えない真顔で眺めていると、その木の後ろから何か聞こえた気がした。
「……すんっすんっ……しくしく……めそめそ……えっえっ……」
「……?」
女の人の泣き声だろうか? 嗚咽のような声が聞こえる。まさか、本当に幽霊はいるのだろうか?
理系の学生として、なんとなく気になってしまっためぐみは、建物から出ると声の聞こえた木の方に歩く。近付けば近く程、泣き声が鮮明に聞こえるあたり、木の後ろで間違い無いようだ。
幽霊だったら研究手伝ってもらおうかな、なんて呑気な事を考えながら全く緊張感なく顔を出すと、女の子が膝を抱えて号泣していた。
「……しくしく……めそめそ……えぐえぐ……すんっすんっ……」
「……」
黒くてボサボサの短い髪、黒人というほどではないが、真夏のビーチで遊んだ後のような褐色肌、胸部だけを守るようなプレートと、令和時代の人間が着ているとは思えない程、質の悪そうな革製の私服、弓が無いのに何故か背負っている矢筒、探検家のようなポーチ……などなどと、ハッキリ言ってコスプレイヤーにしか見えない少女だった。
年齢は自分よりいくつか下のようで、自分に気付いている様子は一切なかった。
さて、どうしたものか。声をかけても良いけど、放っておいた方が良い気もする。だって正直、あんまり人付き合いとか会話は得意じゃないし。
こういう時に最近、逮捕された後輩がいたら便利なのだが……まぁ、無い物ねだりしても仕方ない。どう見たって大学の関係者では無いし、警備員に見つかる前に声を掛けてあげる事にした。
「大丈夫?」
「っ⁉︎」
直後、その女の子は突然、跳ね上がり、木の上に着地し、矢筒から矢を抜いて構えた。
その素早い行動と木の上に一発で跳ね上がる運動神経には驚いたが、ここ最近、似たような奴を目撃したので特に何も思わなかった。
「だ、誰だお前⁉︎」
「ここの学生よ。貴方は?」
「……お前には関係ない」
「や、そういうんじゃなくて。学校の関係者? じゃないなら、敷地内は立ち入り禁止よ?」
「ガッコウ? 学術院のことか?」
「ガクジュツイン? 大学院の事?」
「ダイガクイン? 訳のわからない事を抜かすな」
中々に噛み合わない。ここまで会話が面倒だと思う事は初めてだった。
まぁ、なんか元気になったようだし、もう関わる必要も無いだろう。
「私、帰るわね。あなたも早めに帰りなさいよ。まだ未成年でしょう?」
「バカにするな! アタシはもう十八だ!」
「未成年じゃない。……通報して保護してもらった方が良いかしら」
「何を言ってんだお前。十八歳以上はもう大人だろうが」
外国人なのだろうか。自分とは常識が随分と違うらしい。女の子なのに荒々しい日本語を覚えている辺り、誰に日本語を教わったのか問い詰めたいところだ。
「……まぁ、何でも良いから女の子がこんな時間にウロウロしないの。早く帰りなさい」
「帰る……?」
「そうよ。おたまじゃくしの進化系じゃないわよ?」
「……」
徐々に、徐々に頭上の少女の涙腺が緩んできたことにより、流石のめぐみも狼狽えたように冷や汗を流した。
そんなのお構いなしに、少女の目尻から涙が滝のように溢れ出す。
「……うえ、うええぇぇ……」
「ち、ちょっと……どうして泣くのよ。分かった、悪かったから落ち着きなさい。ね?」
「……うええええええ」
「分かったから泣かないで! 木の上で!」
とりあえず、降りてもらった。
×××
「つまり、自分の世界に帰れないってことで良いのね?」
「そうだ。……おい、それより」
「分かってるわよ、泣いてた事は誰にも言わない」
結局、一人暮らしのアパートまで連れてきてしまった。研究室に一度、荷物を取りに引き返している間に、色々と事情を聞いた結果、なんか同情して引き取ってしまった。
元彼氏のことを強く言えないな……と、少し反省しつつも、とりあえず座っていてもらう。
「で、あなたはこれからどうするの?」
「勿論、何とかして元の世界に戻る! 天使が悪魔の墓場で何をしていたのか知らないけど、良くないことを企んでるのは確かだ。すぐに注意喚起しないと」
「帰れないのに?」
「な、なんとかして帰る!」
まぁ、それはそれで良いのだが。矢筒の矢が本物であったり、さっき実際に見た身体能力からしても、本当の話だと信じる他ない。
一応、内定は決まっているし、人間一人の面倒は見れるかもしれないが、そもそも面倒を見てやる義理はない。
「別に良いけど……今日、一泊したら出て行きなさいよ」
「え?」
「そこまで生活に余裕があるわけでもないもの。あなたの世界では知らないけど、こちらの世界では人一人増えるだけで生活費が重なるんだから」
「……」
たらーっ……と、フェルトの頬に冷たい汗が流れる。
「あ、それからこの世界で生きていくにはお金とそれを得る収入源は必要不可欠だから。まぁ住所がないと履歴書も書けないし、色々苦労するかもしれないけど頑張ってね」
「……じ、じゃあ……狩猟のお仕事とか……竜の牙とか取れる山はどこ?」
「どこの山でも取れないし、ハンターになるには資格が必要よ。勝手に動物殺してそれ売り捌いたら密猟でお縄につくわね」
「……」
なんて、なんて世知辛い世の中なんだ……と、狼狽えずにはいられなかった。魔王よりよっぽど厄介なまである。異世界から転移された人間なんて行き場がなかった。
「お願い、働くからここに居させてくれ!」
「どうやって働くのよ。百歩譲ってここに泊めてあげるとしても、履歴書には名前、年齢、生年月日、性別、経歴が必要なのよ? この国では義務教育って言って中学までは学校に通わないといけないし、他が良くても経歴に書けることはないのよ?」
「うぐっ……で、でも! 世界を救ったのにその末路が異世界で野垂れ死ぬなんてごめんだぜマジで⁉︎」
「……」
それを言われると、少し何も言えなくなる。確かに、異世界では命を張ったらしいし、こちらの世界に来た点についても同情すべき点は多い。
だが、それとこれとは話が別である。元彼氏に「他人に世話を焼いている暇があるなら、あなたはあなたのなすべき事をしなさい」と言った手前、ここで目の前の少女を甘やかすのは……。
「……ん?」
だが、異世界と言われて、一つ思い当たる節があった。そういえば、最近、世間を騒がせているヘルメットマンも、それにやられて逮捕されたダークネス・ブレイドも、この世界のものとは思えない能力を持っていた。
もしかすると、この少女と同じ世界の人かもしれない。だとしたら、あのヘルメットマンの正体が分かるかもしれない。
自分でもわからないが、ヘルメットマンの正体がどうにも気になるめぐみとしては、その情報と引き換えに家に置いておいてあげるのは、やぶさかでもないかもしれない。
「……仕方ないわね」
「良いのか⁉︎」
「ただし、条件があるわ」
「なんだ?」
何となくだが、野蛮そうな少女だ。思いつく限り出来るだけ細かく釘を刺しておかねばなるまい。
「まずアルバイト先の先輩や上司の言う事は必ず聞く事」
「アルバイト……?」
「働く事。ここで本当は履歴書が必要になるんだけど……私が話を通しておいてあげるから」
「な、なるほど……」
顎に手を当てて頷くフェルト。続いて、次の条件を提示した。
「なるべく早く帰宅の目処を立てる事。私だっていつまでもあなたを置いてあげられるわけでもないし、あなただってアルバイトだけでずっと生活できるって事もないんだから」
「それは言われるまでもない。一刻も早く、奴らの企みを阻止しないといけねえしな」
「それ、残った人達で何とかならないわけ? 魔王を倒したっていう仲間が他に三人いたんでしょう?」
「あー……まぁ、確かにアタシなんかいなくても倒せるかもしんないけどよ……」
正直、少し認めたくなかった。自分は、確かに勇者一行の中では一番役に立たない。サシの戦闘力ではメリアより上だが、彼女は唯一のサポーター且つヒーラーで、自分よりも重要な役割を果たしている。怒ると誰よりも怖いし。
だからって、自分がいなくてもなんとかなる、と思われたくはない。
「……で、あとの条件は?」
あまり話したくないからか、さらに提示を要求した。
「ん、そうね……私の言うことも聞きなさいってことと……あとは元の世界での話を聞かせてくれればそれで良いわ」
「そんなんで良いのか?」
「そうよ。こちらの世界に馴染めとか、そういうのは少しずつで良いわ。とにかく、迷惑だけは掛けないで。私にだけじゃなく、周りの人にもよ。良いわね?」
「分かった」
頷くと、めぐみはとりあえず満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ、自己紹介ね。私は木崎めぐみよ。二三歳、よろしくね」
「アタシはフェルト=ウィリアムだ。さっきも言ったけど十八。これから世話になる」
そう言った直後、フェルトのお腹から「ぐるるる〜っ」と間抜けな音がする。めぐみは半眼になり、フェルトは顔を真っ赤にしてお腹を抑えた。
「……わ、悪い……」
「あなた、口調の割に色んなところが乙女よね」
「どういう意味だ⁉︎」
そんな話をしつつ、めぐみは立ち上がり、タンスを開けた。頭上に「?」を浮かべているフェルトの顔面に、バサバサッと私服が何枚か放り込まれる。
「ぶわっ⁉︎」
「ご飯買いに行くから着替えて」
「借りて良いのか? 別にアタシはこの格好でも……」
「そんな格好をしていたら目立つでしょう。その格好でこの世界に溶け込みたいならビッグサイトにでも行きなさい」
「あ、そ、そっか。……ビッグサイトってなんだ?」
「なんでもないわ」
そっけない返事に肯いて返すと、堂々と裸になり始める。割と豪快に鎧を脱ぎ始められ、めぐみは思わず頬を染めた。
「……やっぱり乙女ではないのかしら」
「あん?」
「何でもないわ」
実際、勇者一行は旅の途中で天然温泉があったり、ダンジョンに応じてその場で装備を変えることもあったため、脱ぐ事には慣れていた。
勿論、異性間ではお互いに見ないようにしていたが、めぐみが女性であるのは初見から分かっていたため、気にする必要もない。
その下着姿を見て、めぐみは別な意味で吹き出しそうになった。何故なら、パンツは比較的普通のものに見えたが、ブラジャーの代わりに、腹立たしい程に巨大な乳を包むのはサラシだったからだ。
「待ちなさい」
「なんだよ今度は。先に風呂入れってか? 確かに、ここ最近は魔王軍幹部の墓場巡りで入れてなかったけどよ……」
「それも聞き捨てならないのだけれど……その上の下着は何?」
「あん? サラシだよ。こっちの方が普通のより動きやすいんだ」
「取り替えなさい。私の貸してあげるから」
タンスから新たに下着を取り出すめぐみの顔を見て、心底面倒くさそうな顔をしてしまうフェルト。
「なんでだよ。別にこれでも……」
「馴染むためよ。文句を言わない」
「……わーったよ」
そう言われてしまえば仕方ない。下着を受け取ると、めぐみは続いてフェルトの手を引いて洗面所に向かう。
「お、おい。何処に行くんだよ」
「その前にお風呂。何日も入っていないんでしょう?」
「別に後でも……」
「それ私の服なのだけれど」
「お前あれか。潔癖って奴か」
「……いいから早くしなさい」
これは苦労しそうだ、とめぐみは思いつつ、フェルトを自室の風呂場に突っ込む。
これは、軽い気持ちで引き取るなんて言うんじゃなかったかも、と後悔しつつあったが、やると言った以上は最後まで面倒を見なければならない。
そう言い聞かせ、気持ちを切り替えてフェルトの着替えの準備を……。
「うっぎゃああああ! つ、冷てええええええ‼︎」
「……はぁ」
自分は間違っていた。苦労しそう、なのではなく、苦労をする。
そう確信し、急ぎ足で居候の元に向かった。とりあえず、これ以上、騒がれると近所迷惑である。
×××
アパートを出ると、二人は駅周辺に向かった。靴のサイズも違ったため、とりあえずクロックスを貸して出歩く。
しかし、まさかこの世界の私服がこれほど似合わないと思わなかった。結局、一緒にお風呂に入って風呂場の使い方を教えたのだが「お前胸小せぇなぁ」と言われ、イラっとしたのがスカッとする程、からかってやれた程度には似合っていなかった。
お陰で、今はフェルトが御機嫌斜めになってしまっているのだが。
「ったく……あんなに笑う事ねえだろ」
「悪かったわよ。だから拗ねないの」
「拗ねてねえし」
頬を膨らませ、如何にも「拗ねています」と言った顔で隣を歩くフェルトは、口調とは裏腹に愛らしさすらあったが、嫌われてはこれから先の生活に支障が出る。この辺にしておかなければ。
「フェルトは何か好きな食べ物があるのかしら?」
「肉……」
「なら、今日はそれを食べさせてあげる」
「バカにすんな。アタシだって金はある。魔王を倒したパーティの一人だぜ」
「へぇ、いくら?」
興味本位に聞いてみせると、フェルトは胸を張って得意げに答えた。
「聞いて驚け。‥‥今、あるだけでも四〇万ゼニーだ!」
「それ、多分こっちの世界じゃ使えないわよ」
「なっ……⁉︎」
残酷な事実を突き詰められ、傷心気味のまま隣を歩くフェルトだったが、まぁそのお金が銀貨や金貨なら金にはなるかも……なんて考えていると、正面の信号が赤だったため、足を止めた。
隣の少女は悠々と進むのを見て、思わず度肝を抜かれかけたが。
「って、ちょっ……待ちなさい!」
「ぐえっ!」
首根っこを掴まれ、服が首に締まり、変な声が漏れる。
「ゲフッ! ェゲフッ……! な、何すんだよ⁉︎」
「赤信号よ」
直後、フェルトの前の車が通る。身体を鍛えているとはいえ、時速三〜四〇キロ程度の速さで走行する車に衝突すれば、タダでは済まない。
「アカシンゴウ?」
しかし、本人はピンと来ていない。交通ルールも叩き込む必要があるみたいだ。
信号機を指差しながら教えてあげる事にした。
「良い? あれが赤の時は渡っちゃダメ。車に撥ねられちゃうから」
「あ、ああ。あのやたらと早く走る鉄の突進熊か」
「そのトッシングマというのはなんだか分からないけれど……とにかく、気を付けなさい」
「アタシなら避けられるけどな」
「そういう問題じゃないのよ。規則だから」
そこまで言われれば従う他ない。そもそも一緒に暮らす規約として、めぐみの言う事は聞くことになっているのだから。
それでも納得いかなさそうなフェルトをジト目で睨んだめぐみは、念のために伝えておいた。
「……一応、言っておくけど、普段歩く時はこの柵の内側……歩道って言うんだけど、そこを歩きなさいよ?」
「え、なんで?」
「そこが歩行者の歩く道って決まっているから。この柵の向こう側は車道って言って車が通る道になっているから。良いわね?」
「別に当たらなきゃ良くね?」
「だから、規則なのよ。仮に撥ねられたとしたら、責任は撥ねた車の運転手に回って来るんだから」
「うー……わ、分かったよ」
強く念を押され、渋々頷いた。最悪、追い出すと言われてしまえばそれまでなので、結局はフェルトが折れるしかないのだ。
これで少しは大人しくしてくれる……と、めぐみがホッと胸を撫で下ろした時、ちょうど良いタイミングで信号が青になった。
「渡るわよ」
「青なら良いのか?」
「そう。あれが点滅したら渡っちゃダメ」
「点滅するのか?」
「するの」
本当はその辺は大人になれば自己判断で良い気もするが、この世界についてよく分かっていない時点で子供と同じ扱いをするべきだろうと判断した。
信号を渡り切り、再び道を歩いていると、何やら鼻腔を刺激されるような香ばしい匂いが漂って来る。
「……お、なんだ? 良い匂いが……」
「ちょっと! そっち車道!」
「少し見てくるだけだって」
そう言いながらも、フェルトが飛び出そうとする車道を、タイミング車が通ろうとしている。引き留めようとしたが、手首を掴み損ねてしまった。
撥ねられる、と目を瞑った直後、フェルトは軽々と車道そのものを飛び越えて匂いのする方向に走って行った。
「〜っ……⁉︎」
しかし、運転手からしたら女の子がいきなり、自分の目の前を飛び跳ねていったようにしか見えない。慌てて急ブレーキを踏み、車の動きを止める。
キキキキーッという甲高い耳に響く音には、飛び越えた主であるフェルトも思わず立ち止まり、後ろを振り向く。
「るっせぇな。何?」
逆ギレ気味に呟くフェルトの方に、車から降りた運転手は怒鳴り散らした。
「てめっ、あぶねぇだろ‼︎ 急に飛び出してくるんじゃねぇ!」
「ああ⁉︎」
「じゃないわよ」
いつの間にかフェルトの背後に回っていためぐみが、パカンと後頭部を引っ叩いた。
「ってぇな! 何すんだよ!」
「申し訳ありません。あとでキツく言い聞かせますので……」
「無視すんなよオイ!」
食いかかるフェルトに、めぐみはジロリと視線を横に移す。とてもただの留年女子大生とは思えない程、心臓を握り潰す寸前まで鷲掴みされているような視線に思わず怯み、黙り込んだフェルトを全く無視して頭を下げた。
それに釣られ、フェルトも同じように頭を下げてしまった。
「ったく……気を付けろよ」
男はすぐに車に戻り、運転を再開する。
さて、と言わんばかりに頭を上げためぐみは、隣のフェルトの手首を握った。
「な、なんだよ……」
「あなたねぇ、言ったでしょう? 規則は守るって」
「は、撥ねられなかっただろ⁉︎ あれ、タイミングが完璧でもアタシには当たらない高さで跳んでたんだぞ!」
「運転手はそうは思わないの! あなたにぶつからなくても、あなたを避けようとして別の人や車、物と衝突するかもしれないし、交通事故でも起こしたら十中八九、ドライバーの責任になるし、そうなればあの人は仕事も家庭も免許も生活も失うかもしれないの! それだけ慎重に運転してるんだから、あなたも事故を起こすようなことしない!」
「うぐっ……!」
確かに、フェルトも勇者一行に加わる前、狩人として生活していた時は、わざと当たらない矢を放ち、獲物を脅かす事で罠に嵌めたりする事もしていた。
それと似たような事をしてしまったと思えば、反省せざるを得ない。
言い返せなくなっているフェルトに、とどめを差すように告げた。
「言うこと聞かないなら、うちじゃ面倒見切れなくなるからね」
「わ、分かったよ……めんどくせぇ」
「‥…何か言った?」
「何でもないっす……」
にこりと微笑まれ、完全にヒヨってしまった。さっき睨まれた時も思ったが、怒ると怖いタイプだ。それも、暴力的な奴ではなく、とにかく怖いって感じる奴。
そんなフェルトの気を知らず……いや、多分、知ってはいるが、気にせずに歩き始めた。手を繋いだまま。
「ちょっ、ま、待てよメグミ! 手は離せって……」
「ダメよ。破天荒なワンちゃんのリードはちゃんと繋いでおかないといけないもの」
「ペット扱いかよ⁉︎ や、やめろよ、ガキじゃねぇんだから!」
「ガキよ、まだまだ」
「んがっ……!」
しっかりと正面から否定したことを否定され、恥ずかしそうにしながらも手を振り解こうとする。
フィジカル的に言えば、めぐみが百人いてもフェルトには敵わないだろう。実際、決して強く握られている感じはしない。
それでも振り解けないと言うことは、ある意味では魔王以上のオーラがフェルトに力を入れさせていない、と言うことになる。
「……」
もう怒らせるのやめよう、と決心する程度には効果的面だった。
とりあえず、めぐみはめぐみで、フェルトにこの世界での交通ルールやマナーについて教えながら、目的地に向かった。
×××
コンビニ「ファミリア・マート」に到着した。ファミレスはまだ開いてはいるだろうが、シャワーを浴びてから出かけた手前、なるべく早く寝たいため、ここで買って帰ることにした。
それに、他に用もある。それを済ませるため、カゴを持ってフェルトに手渡した。
「これに食べたいもの入れて。なるべく千円以内にしなさいね?」
「値段はー……あ、商品の下に書いてあるのか」
「算数は出来る?」
「バカにすんな!」
「なら良いわ」
割とバカした節があったので、少し愉快そうに微笑みながら「お疲れ様です」とレジに立ってる店員に挨拶して店の奥に消えていった。
「……普通、店の奥に入れるのって店員だけだよな……?」
もしくは、顔を覚えられているレベルの常連さんか、だ。いずれにしても、馴染み深い店なのだろう。
あまり気にすることなく、食品を選ぶために店内を回ったのだが……。
「……何がなんなのかさっぱりわかんねーぞ……」
なんとなく食品が売っている辺りは分かるが、その中でも変なカップに入っていたり、なんか触感がツルツルする袋に入っていたりと想像が付かないものばかりだ。
ポテトチップスやらと見覚えのあるものもあったが、それらも全てが袋の中に閉じ込められている。
「こういうのは揚げたてが美味ぇのになぁ」
街を歩いていて、この世界がやたらと発達しているのは分かった。街灯にしても信号にしても車にしても自転車にしてもスマホにしても写真にしても、前の世界に無いものばかりだ。
だが、いくらそんな世界でもこの袋の中のポテトが揚げたて、ということはないだろう。
「……いや、今はお菓子じゃなくて」
飯を選ばねばならない。前の世界でも飯とおやつは別にしないと、体調の管理が出来なくなってしまう。そうなれば戦闘に支障が出るのだ。森の環境を汚染しているキマイラ討伐のクエストの時、どうしても我慢できなくて勇者の後ろで放尿させられたのは苦い思い出だ。
お菓子ゾーンを抜けると、さらに不可解な食品が置いてあった。
「これはー……カップ、ラーメン?」
形は様々だが、基本的に円柱型。中身の写真と思われるものが載っている蓋を見ると、パスタのようなものがスープにつけられていた。
という事は、中に液体が入っているのだろうか? いや、でも持った感じ中から液体が入っているような音も感覚もしない。
まさか、詐欺商品なのだろうか?
「‥…触れないでおこう」
元の場所に戻し、別の食品を見て回ろうと思った時だ。店の奥の扉から、めぐみと男の人が出てきた。
「フェルト、晩ご飯は決まった?」
「まだだけど……つーかそのおっさん誰?」
「私とあなたのバイト先とここのオーナーよ」
「え?」
それはつまり、自分はここでアルバイトする、ということだ。たった今、詐欺商品と思われるものを見つけてしまったというのに。
「っ……つまり、お前がこの詐欺商品を売っているボスか⁉︎」
「……木崎さん、この子」
「はい……こんな感じの子なので苦労すると思います」
カップ麺を持って見せ付けてくる褐色少女を目の前に、二人は呆れてため息をつくしかなかった。
とにかく、誤解を解くのは保護者の役目である。
「何を勘違いしているのか分からないけれど、それは詐欺商品ではなくカップラーメンよ。お湯を注いで食べるの」
「……は? お湯?」
「中に粉状になっているスープの素が入っていて、それをお湯で溶かしてスープにするの」
「……」
顔が徐々に赤く染まっていくフェルト。勘違いに恥じているのではなく、早とちりに恥じている様子だ。
「話は通しておいたから、とにかく挨拶なさい」
「あ、お、おう。えーっと……これからお世話になります、だったか?」
一応、マナーについても教えておいたため、簡単な挨拶は出来るようになっていた。まだうろ覚えのようではあるが。
その事に一先ずホッとしたオーナーは、微笑みながら頷いた。
「うん、よろしく。仕事に関しては初出勤日の来週、説明するから。今日は顔合わせってことで」
「なんでだ? アタシはいつでもいけるぞ」
「私が入れないのよ。あなたを初出勤日に一人にさせるのは不安で仕方ないもの」
正直、フェルトとしても助かった感じあるのは否めない。この世界は、特に礼儀やら何やらにうるさいみたいだ。
「あと、他の店員にはあなたは私の従姉妹っていう風に伝えるから、そのつもりでね」
「わ、分かった」
「で、何食べる?」
「あ、ああ。そうだった。今選ぶ」
挨拶だけ済ませると、とりあえず二人で店内を見回った。