魔王、出動。
その日から、優衣の新たな日常が始まった。バイトの後、夕方に街を出歩き、事件やアクシデントと遭遇すれば口を挟み、怪我しない程度に制圧し、通報する。
まぁ、そんなトラブルと簡単に遭遇する事はないので、大体が空振りで終わるのだが。そういう日は、ボランティア活動の様に婆さんの荷物を運んだり、車椅子の人の手助けをしたりなど、様々な活動に励んだ。
久々にやりたいことをやっている感じがして、優衣にとってとても充実した日々が過ぎていった。就活は進んでいないが。
「ふぅ……」
『貴様もよく働く男だな。何故、あそこまで他人に献身的になれる?』
「別に献身的になってるつもりは無いよ。ただ、疲れを感じなくなったから、今まで気になってた事を手伝ってあげられるようになっただけ」
『ふむ……まぁ、立派だとは思うが……』
しかし、あまり世話を焼きすぎてはその人間のためにならない。少し助ける程度ならまだしも、子供が失くした水筒まで探してあげるのはどうなんだろうか。何事も自分でやらなければならないことはある。
最初に忠告してやった事をまるで覚えていない様子だった。
『お人好しもここまでいくと病気だな……』
「何?」
『なんでもない。それより、早く帰って飯にするぞ』
「はいはい……この食いしん坊ちゃんめ」
『ぶっ殺すぞ』
それだけ話して帰宅し始めた。
なんだかんだ、夜の8時を回っている。外に出ていれば人助けは出来るし、家の電気代は使わないしで良い事ばかりだ。
『というか、就職はどうするんだ?』
「や、まずは携帯かパソコンを買えるようにならないと。企業からの連絡はいつでも出られるようにしておきたいし、エントリーシートやWEBテストにパソコンはほぼ必須だ」
『そ、そういうものなのか?』
親に大学を辞めさせられた際に、携帯も解約させられた。お金が無い中で大学に入学させてもらったばかりに、留年と聞いた時はすぐに見捨てられたわけだ。
そもそも、親の中では大学入学と共に一人暮らしを始めた時点で自立したようなものなので、学費以外の援助は無かった。まぁ、妹も私立の高校に通っているし、家も決して裕福では無かったし、当然と言えば当然だ。
『しかし、貴様も中々、無欲な男だな。仮契約の段階で我が使わせてやれる力のほぼ全てを使いこなせば、確実に本契約の力にも手を伸ばしたがるものだと思っていたが』
「俺はそんな欲望に忠実じゃないから。……ていうか、そっちこそいい加減満足しろよな。この前、替え玉無料とはいえ700円もするラーメン食べに行ったんだから」
『ふむ……あれは素晴らしかった。いくらでも食べられそうな味を、無料でもう一玉食えるとは……確かに満足感はあった』
なんだかんだ、魔王も日本に染まってきた。替玉の単位を「杯」ではなく「玉」と言ってしまうあたりとか特に。随分と馴染みやすい魔王である。
『……ふむ』
何か急に唸り始めたが、優衣は気にせずにボヤいた。
「本当なら、俺の料理でも満足して欲しいんだけどね……」
『貴様の飯も悪くは無いぞ? 半額の肉と野菜を適当に炒め、塩と胡椒を振り撒いただけの炒め物も悪くない』
「文句タラタラじゃないの……」
『ええい、一々言い返すな。そんなんだから、女にも愛想を尽かされるのだ』
「るせーよバーカ」
綺麗に弱味を突いてくる辺りは相変わらずだが。このまま帰って寝たら元カノのことを夢に見そうだったので、寄り道する事にした。
「……あ、帰りにパソコンの値段だけ見に行って良い?」
『好きにすれば良い』
近くのスーパーは三階建てで、三階に電化製品、二階にスポーツ用品が売っていたりする。
用があるのは三階。エスカレーターでのんびりと上にあがる。
『……ふむ、こういうキカイというのもすごいものだな。魔力を使っていないのが信じられん』
「まぁ、そうだろうね」
『クルマやバイク、デンシャとやらも凄まじい。使ったことはないが、移動に便利なものだ』
「ま、それらが環境を汚しているわけだがな。そのためにハイブリッドカーとかを開発してるんだけど」
その辺は正直、優衣には関係ない。免許は持っているが車は持っていないし、移動手段は自転車だけだ。学生だった頃は友達とバイクに乗ったりしていたが、レンタルしていただけなので自前のフルフェイスヘルメットしか残っていない。
懐かしい思い出に浸りながら、三階にきてパソコンを眺める。
『……あのテレビとやらも、本来ならうちに欲しいとこだな』
「そう思うならあまり金を使わせないでくれない?」
『ニュースをやっているぞ。情報を掴んでおけ』
「聞けよ」
そう言いつつ、ニュースに目を向けた。すると、ちょうど何かニュースがやっていた。LIVEの文字がある限り、生中継なのだろう。
映されているのは、テレビアナウンサーと河原だった。右上に表示されているテロップの文字は、中々に物騒な内容だった。
「女子大生……誘拐?」
『悪質だな……やれやれ、これだから人間は』
「魔王に言われちゃおしまいだ」
軽口を叩いていると、優衣が「あれ?」と声を漏らす。
「これ……うちの近くじゃん」
『そうなのか?』
「この前走った川あるでしょ? あれに繋がってる奴。まぁ、歩いて三〇分は掛かるから近くはないかな」
『よく分かるな』
「サークルのバーベキューとかで近くの公園使ってたんだよ」
良い歳してザリガニ釣りとかやったのは良い思い出だ。黒歴史でもあるが。
魔王がテレビを見ながら、目の前の優衣に声を掛けた。
『なるほど……で、どうする?』
「行く」
『しかし……ここを通ったと言うだけなのだろう? 誘拐犯自身の場所はわかっているのか?』
「探すしか無いでしょ」
そんな話をしていた後、タイミング良く画面の中のアナウンサーが新たな情報を提示した。
『犯人の逃走車に使われたバンは、最後の目撃現場はこの辺りです。今から十分ほど前の話で、この田んぼに挟まれた道を真っ直ぐに進んで行ったそうです』
「……十分前か」
『厳しいな』
魔王の言葉に、優衣は首を横に振った。
「いや、この道をバンで通るには徐行に近い速さで運転する必要がある。大体……時速二〇キロといった所か? 単純計算で三キロちょいしか進んでいない」
『……なるほど。だが、それでもここからは厳しいだろう。自転車より早く走れても、そこから先はどうする?』
「この道は舗装されたコンクリートじゃなくて土だ。バンなんかで通ったらタイヤの跡が残るでしょ。こんな道を通ってる異常、人目の付かない道を選んでるって事だ。車の通れそうな道を選べば直ぐに追いつく」
『……やるな』
「褒め言葉は上手くいってからにして」
そう言って出発しようとしたときだった。最後に被害者の顔が映った。
その顔を見るなり、思わず優衣は凍り付いた。
『こちらが、被害に遭われた女性です。名前は木崎めぐみさん、木崎めぐみさんです。目撃された方は、至急、警察にご連絡をお願い致します』
「……」
『おい、そいつ……』
聞き覚えのある名だった。実物を見た事はないが、優衣との関係性なら知っている。しかも、優衣は未練を引き摺っているのだ。
「……本契約だ」
『何?』
「本契約する。終わり次第、助けに行く」
『……』
四百年生きた男にとって、所詮二十三年しか生きていない優衣の考えを読むことは容易い。
恐らくだが、好きだからとかは関係ない。目の前に困っている人がいれば放ってはおかない。しかし、それでも好きな女の場合では冷静でいられないようだ。
だからこそ、魔王は小さくため息をついた。一週間しか暮らしていないとはいえ、自分も甘くなったもんだと思いながら。
『……仕方ない、前に助けられた借りだ』
「何が?」
『本契約などしなくても、我が鎧を使えば移動速度は倍速にもなる』
「え……?」
『使用許可をくれてやる』
意外なセリフに目を丸くしてしまったが、今は驚いている場合では無い。
『まずは、急いで帰宅するぞ』
「……ああ」
なるほど、と思い、二人は全速力で自宅まで戻った。
エスカレーターの隙間から飛び降りて、一階まで一気に飛び降りると、すれ違う人達に風だけ残して過ぎ去っていく。
勢いに任せてとにかく走り、アパートの前に到着するとジャンプで二階に上がり、自室の扉を開けた。
『鎧を装備しろ』
「えーっと……なにか呪文が必要とか?」
『必要なのは我の許可だけだ。出した以上は普通に着れば良い』
との事で、部屋ですぐにパンイチになると、タイツを着る。魔王のサイズになっていたため、地上で宇宙服を着たようにブカブカだ。
『胸の髑髏マークに触れろ』
「はいはい」
直後、優衣の身体にサイズが合わせられる。驚く程のフィット感だ。
まるで、探偵モノの漫画とかでまだ正体がバレていない犯人のように真っ黒のタイツ姿になった。フィットしてもダサいものはダサい。
胸に髑髏マークが付いている辺りが、唯一の救いだ。
「……え、何この格好。これ鎧なんだよね?」
『そうだ。物体が両手と両足以外の身体の一部に触れる事により、その物体の力を得て鎧が形成される』
魔王の説明に、黙って耳を傾ける。
『炎や水、雷などの実体を持たないものは無理だが、逆に言えば実体があれば何でも吸収出来る。取り込める能力の数に制限も無い。いらなくなったら吐き出す事も可能だ。唯一の弱点は光魔法だが……まぁ、この世界には魔法は無いようだし、後は取り込むもの次第だな』
「なるほど……え、でも顔は隠れてないんだけど……」
『頭には別に兜があるからな』
まぁ、大体用途は理解した。今はめぐみを助けることが最優先だ。
とりあえずこの格好で外に出れば、誘拐犯の元にたどり着く前に通報待った無しなので、押し入れの中のバイク用ヘルメットを引っ張り出した。
「……これなら顔隠れるかな?」
『なんでも良い、早くしろ』
被ってから部屋を出た。黒タイツに黒ヘルメットという、中々に変態的な格好だった。周りから見れば、誘拐犯の一味と思われるレベルではある。
が、今は格好に嘆いている場合ではない。それよりも気になることを聞いた。
「……なぁ、これ俺、結局は何か周りに無いと意味無いんじゃないの?」
『吐き出せる、と言っただろう。この世界には、便利な乗り物があるのではないのか?』
その台詞だけで何を言わんとしているのか大体分かってしまい、思わず眉間にシワを寄せてしまう。それは流石に憚られるものがある。
「いや、泥棒はダメでしょ」
『少し借りるだけだ。後から返せば問題なかろう』
「まぁ……人命第一だよなぁ……」
そんな適当な返事をした後、優衣は罪悪感に悩まされながらも近くの灯りが消えている民家の車に背中を付けた。
直後、自身の身を纏っているタイツから、鉄のイノシシを象った鎧が形成されていった。
「……返せば平気、返せば平気……」
『早くしろと言っているだろう』
「分かってるよ! ……よし、アクセル全開」
『かっ飛ばせ』
悪魔の王の鎧を纏ったフリーターが、夜の街を駆け抜けた。
×××
昼間は家族連れのバーベキューがしょっちゅう、行われている春ヶ瀬公園も、平日の夜八時では人の気配一つ無い。涼やかな森林に溢れ、いつまでも昼寝していたいと思えるような景色も、夜になるだけで恐怖と闇に支配されてしまうのだ。白い着物の女が青い火の玉と共に出てきてもおかしくない。
それが、誘拐犯とセットであればなおさらな事である。まるで正気を失ったように真っ白な顔色と、赤く光った眼差しの三人組は、ある意味幽霊に見えてしまう。
連れてこられた木崎めぐみは、ただただ車の中で怯えているしか無い。
自分を誘拐した連中の狙いは謎で、白昼堂々と目撃者を気にすることもなく襲って来た割に、未だ何か手を出してくる様子はない。
ただ車の外でウロウロしているだけだった。
「っ……」
恐怖で身体が動かない、という経験をするのは初めてだった。普段、映画やドラマでそんな足手まといを見るとイラっとするが、その立場になってみると初めて分かる。
これは、確かに動けない。それどころかパニックになって悲鳴をあげてもおかしくないレベルだ。助けを呼べば助かるわけでもないのに、とにかく絶叫したい。
気が狂う、というのを初めて体感した気がする。
助けが来れば、まず間違いなく懐中電灯を持ってくるだろうが、その光の柱は全く見えない。それがまた、めぐみの恐怖心を掻き立てた。
そんな中、自分の方をジロリと睨んだのは赤い瞳の男達だった。とても理性的には見えない目で、車の窓越しに自分を睨んでいる。
「……良シ、まズハ俺カラだ……」
「ーっ⁉︎」
何をする気なのか、と思ったのも束の間、バンの扉を強引に開いたと思ったら、その男は自分に手を伸ばす。
何をされるのか、と思ったのも束の間、めぐみのパーカーを鷲掴みにすると、強引に引っ張って引き裂いた。
「〜〜〜ッッ⁉︎」
声になっていない悲鳴が、腹から口にかけて一気に漏れ出す。これから何をされるのか、想像する余裕すらなかったのはある意味では幸いだったかもしれない。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を気にする事も出来ず、引き裂かれたパーカーと共に車の外へ投げ出される。顎を地面に強打し、土が口の中に入って来る。
「っ、けほっ、げほっ……!」
無意識的に土を口から吐き出しながら、慌てて身体を上に向けた。女の子に対して服を引き裂きながら投げ飛ばす、なんて乱暴な真似をした奴は自分の後を追って来ている。
「はっ、はっ、はっ……!」
口から吐息が漏れる。息が出来ないのを無理矢理、している感じだ。
今にも心臓が口から飛び出そうだが、身体は地を這って少しでも遠くに逃げようとしている。
が、それも遠くまで逃げるに至らない。自身の背後には、一〜二年前によくザリガニをとった池があった。しかし、今は思い出の保管ではなく、何をどう取り繕おうと理解したことは一つだけだ。
逃げ場が無い。
「あっ……あっ……」
現実はドラマやアニメとは違う。例え自分がどんなピンチに陥ろうと、助けてくれるスーパーヒーローなどは存在しないのだ。
タイミング良く警察が来る、散歩中に通りかかったおじさんが助けを呼んでくれる、いっそ震度六以上の地震が来て何もかもを無かったことにしてくれる、隕石が地球ごと破滅させる、そんなポジティブな事を考えた所で、夏でもあるのに白く激しい息遣いを立てた三人が無理矢理、現実に引き戻す。
どうにもならないのは分かっている。でも、僅かでも希望を消さないため……或いは、ただただ自分の精神が壊れないために。
めぐみは目を強く瞑って叫んだ。
「誰か……助けッ」
「ふぅ〜……やっと見つけたわ」
最後まで言い切る前に、呑気であり、そして聞き覚えがある気がする声が耳に届いた。
その声の主は、赤い瞳の男達より後ろ。何故か、バイク用のヘルメットに、何処と無く車を想起させる鎧を装備して立っていた。
×××
「めぐみ……!」
思わず奥歯を噛み締めてしまう。めぐみは半袖のシャツ一枚でうろつかない。というか、パーカーが好き過ぎて夏でも冬でも必ず一枚はパーカーを羽織る変わった女の子だ。
それがパーカーを着ていないということは、恐らく剥がれたか引き裂かれたのだろう。
その上、顔に散乱した土、涙、鼻水が優衣の殺意を滾らせた。握り締めた拳が小刻みに震える。
『気を付けろ、人間』
「っ……!」
が、魔王が声をかけたことにより、ハッと意識を取り戻す。両手の力が抜け、頭が少し冷えた気がする。
『奴ら、すこし魔力を帯びている』
「……え、なんて?」
『だから、魔力を帯びている。‥‥大丈夫か?』
怒りによって血が激っているのを察してか、魔王に声をかけられたことにより、一先ず落ち着いた。
「あ、ああ。悪い。それは強いって事か?」
『いや、基本的には普通の人間と変わらないはずだが……』
「そっか」
魔王のアドバイスを遮り、アクセルを全開にした優衣は、時速一〇〇キロ近い速さで突撃し、急ブレーキをかけてめぐみの前に立った。
なんかすごい格好をした自分に、めぐみはポカンとした顔になるが、今は気にしている場合では無い。
「め……お、お嬢さん。目を閉じて」
「え? あ、は、はい……」
正直、お嬢さんと呼ぶのは少し気恥ずかしかったか、ヘルメットが無ければ正体がバレていたわけだし、まだマシと思うしかないのだが。
後ろから目を赤く光らせた男は優衣の背中に拳を振るう。しかし、文字通り車と同じ硬さを持つものを全力で殴れば、イカれるのは拳の方だ。
「カッ……⁉︎」
なんか背中に当たったことにより振り向いた優衣は、胸に車のライトを出現させ、ハイビームにした。それにより、男達は数分間、目が使い物にならなくなる。
三人の間を抜け、7〜8メートルほど距離を置くと、鎧から車を排出した。
人の身体から車が出て来たことにより、思わずめぐみは口を両手で押さえて驚愕する。
それを一切、気にせずに優衣は扉を開けた。
「中で隠れてて」
「へ?」
「はやく」
「あ、は、はい……」
言われるがまま、車の中に入り込む。いつのまにか真っ黒のタイツになっていた男の人は、握り拳を作って構えた。
その後ろ姿は何処と無く誰かに似ていた気がしたが、懐かしんでいる間にヘルメットは突撃した。
強く殴ると殺してしまうため、加減してやらなければならない。とはいえ、好きな女をあそこまでボロカスにされた後だ。手加減に何処まで手加減が加えられるか分かったものではないが。
まずは一人目、ようやく視界が戻ってきた所のようで、ふらふらと優衣の方を振り向く。完全に戻る前に襟首を掴み、後ろに引き倒して顔面に蹴りを入れて気絶させた。
「……お?」
直後、悪寒というほどのものではないが、殺気を感知して背後からの攻撃を回避しながらしゃがんで地面に手をつき、そこを軸に体を回転させて足払いをした。
「血気盛んだねぇ。でも大振りなのはいただけない」
浮いた足を掴むと、それをぶん投げて木に叩きつけて気絶させる。
「ふぅ……」
パンッパンッと手を払った直後、自分の背中に衝撃が走った。まるで何か硬い金属で殴られたような。
振り返ると、最後の一人が鉄パイプを手にしている。が、その鉄パイプは少しずつ鎧に吸収されていった。
「なっ……⁉︎」
「なるほど、物理攻撃は完全に無効か。確かに強い鎧じゃんこれ」
流石に驚きを隠せなくなった男は、このままではやられると思い背中を向けて逃走した。
その背中に優衣は手を向けると、鉄パイプを排出して脚を打ち払った。膝の後ろをガクンと正確に落とし、そのまま前のめりに倒れ込む。
これで任務は完了だ。まずは通報したい所だが、携帯を持っていない。そのため、倒した犯人のスマホを取った。1と1と0を押し、耳に当てる。
『はい、こちら110番』
コホン、と咳払いをしてから、通報の内容を告げた。
「こちら女子大生誘拐犯人の携帯電話です。我々は全員気絶して伸びているのですぐ捕まえてください」
『いたずらですか?』
「それは来てみれば分かります。では、失礼」
それだけ言うと、優衣は排出した車の扉を開ける。中では、少し安堵した様子のめぐみが座り込んでいた。いや、正確に言えばへたり込んでいた、と言った感じだ。
「……」
「……あー」
何か声をかけた方が良いだろうか? だが、言葉が出てこない。そもそも、自分はめぐみと関わって良いのかも分からない。
機嫌が良い時でも悪い時でも、気が上がると口が軽くなる癖に、緊張するとロクに話せなくなるのは本当に情けないと自分でも思う。
そんな優衣に、魔王がやれやれとアドバイスをくれた。
『今だ、人間』
「は?」
『コクれ』
「ブハッ‼︎」
急に吹き出され、めぐみは思わずビクッと肩を震わせる。まだ少し恐怖が残っているようで、優衣は申し訳なさそうに会釈したあと、頭の中の魔王に小声を掛ける。
「何言い出すんだよお前」
『絶好のシチュエーションではないか』
「いやいや『助けてやったんだから付き合え』感丸出しでしょ」
『むぅ……そんなネガティブにとらえる奴がいるのか?』
「魔王にネガティブって言われちゃったよ……」
余計なアドバイスをする悪魔の王を黙らせた。とりあえず気は紛れたし、改めて駅まで送ることにした。というか、そもそも最適解はそれだけだ。
「えーっと……とりあえず、車から出て」
「え、で、出るの?」
「駅まで送るから」
車だと道路交通法を守らなければならないが、吸収して鎧の力として活かせば問題ない。反応速度や五感も人を超えているため、事故を起こす事もない。
何より、この車は盗難……ではなく少し無断で借りているだけなので、ナンバーを見られるのは困る。
「行くよ。舌を噛むかもしれないから喋らないで」
「あ、う、うん」
車を吸収し、めぐみをおんぶすると、念のため背中からシートベルトを生やしてしっかりとロックする。
助けられた身分でこんな事を思うのは失礼かもしれないが、この人何なんだろう、とは思ってしまう。さっきのハイビームといい、このシートベルトと言い、そもそも物を吸い込んだり吐き出したり、中々奇想天外な力を持っている。
それでも不思議と怖くないのは、ヘルメットの下の顔が自身の知り合いだからではないだろうか?
「……そんなわけないか」
「え?」
「いえ、何でもないです」
自分の知り合いにこんなとんでも能力を有している人はいない。というか、知り合いじゃなくてもこんな超人はいない。目の前の人が何なのかとても気になるところだが、今はとりあえず気を休めたいし、色々疲れた。
今は、この人に身を預けよう。
この二秒後、時速100キロを超える速さで走られ、少なくとも怖くないという考えは改めるハメになった。
×××
「……あれが?」
『そう、あれが』
警察が現場に来る前、最初からそこに潜んでいた男は、林の中に潜んでいた。
流石に作戦が単純過ぎた、というのは反省点ではあるが、にしても邪魔をした人物が自分と同じ力を持っているのは驚いた。
それは、媒体としても魔王の魂としても、だ。こんなに早く、そしてこんな近くに自分の魂がいるとは思わなかった。勇者の奥義は案外、失敗していたんじゃないか? と思う程度には。
「あいつはなんだ?」
『魔王の鎧だ。最初に離脱した俺にゃあ、あの中に何の魂が入ってるかなんぞ知らんが……まぁ、人間と仲良く人助けなんかしている以上は知性だろうな。あいつが一番、温厚だ』
「なるほど。流石、魔王の中でも一番、ゲスい魂なだけあるな」
その言い分に、魔王の口調が冷たいものとなる。
『……おい、あまり生意気をほざくなよ。俺がお前の意識を奪っていないのは、お前の欲深さと手段を選ばない狡猾さを認めているからだ』
「はいはい、分かってるよマオーサマ」
軽く笑いつつも、心中は穏やかではない。「誰か助けて」と言い切った所で助けに入る予定だったのだ。そのために他人を操って回りくどいことをしたのだから。
それを、良いタイミングで邪魔されたものだ。自分も大慌てで隠れるなんて面倒なことをする羽目になった。
「……」
それにしても、あのヘルメット野郎の声、どこか聞き覚えがあった気がした。とても不愉快で、聞くだけでストレスが溜まる声、ここ最近は聞いていなかった声だ。
パトカーのサイレンが聞こえたので、立ち去ることにした。警察に見つかったら面倒だ。制圧は出来るが、今はまだ目立つつもりはない。
『もう行くのか?』
「ああ。能力は大体、把握した。鎧と契約している奴次第だが、戦闘になった時の備えはできてる」
とはいえ、契約者は割と身近にいる気もするし、近いうちに見つかるかもしれない。
『俺は鎧と魂さえ回収できれば問題ない。中身の奴も本当なら、合体すれば心臓が増えるしもらっておきたいんだが……あまり正義感が強い奴がいても迷惑だし、殺しても構わない』
「そのつもりだよ」
それだけ言うと、男は大剣を空に向けた。剣に小さな竜巻が形成され、男の身体を包むように風が纏われていく。
身体は徐々に浮かび上がり、竜巻を纏いながら空を飛んで自身の街に引き返した。