176 ハーフエルフっ娘の反撃11
「子爵様。罠の設置が完了しました」
「ご苦労様。では、野営に備えてくれ」
アンジェラトゥ子爵軍は、大河の東側に陣を置き、帝国軍と戦う準備をしていた。
「魔術師達の方は大丈夫?この戦いの成功は彼等に掛かっているからね」
アンジェラトゥは近くにいる側近に問い掛けた。
「はっ。準備万端です。遠距離攻撃が得意な者を選抜して、前面に配置する予定です」
アンジェラトゥの戦略は次の通りだった。
帝国軍が大河を船で渡って来たら、それを遠距離魔法で叩き、多くの船を沈める。その援護に弓士による射撃。
対岸にたどり着いた敵兵は、近距離魔法が得意な魔術師と兵士が応戦。
渡って来た兵が増えてきたら全軍陣地まで撤退し、地形を利用して敵が広がらないようにしながら敵の先頭を叩く。
その後は後退しながら多数の罠が設置させているエリアに誘導していく。
敵が罠に足止めされている間に、伯母の夫が率いる軍の元まで撤退する。
我ながら完璧なプランだと、アンジェラトゥは自分に酔いしれた。
そして、今か今かと帝国軍を待ち続ける。
だが一日経っても、二日経っても帝国軍は現れなかった。
三日目、痺れを切らしたアンジェラトゥは、数名の部下に船で大河を渡らせ、西側を偵察するように指示を出した。
そして、四日目。偵察に行った者達が戻って来たが、彼等は野営跡らしき場所は見つけたが、帝国軍は見当たらなかったと報告して来た。
ここに来て、アンジェラトゥは何かおかしいと思い始めた。
そんな時、義伯父からの伝令が早馬に乗ってやって来た。
「アンジェラトゥ子爵様、大変です!帝国軍が大河を迂回して北側から攻めてきました!」
「何だって!?」
帝国軍が北側から攻めてくる事は、アンジェラトゥも義伯父も全くの想定外だった。なぜなら、西側から伸びている大きな街道は大河に続いていて、普段から多くの商人達がその街道を通っていた。そして、大河まで到着すると、彼等は馬車ごと大型船に乗り、対岸まで移動していた。それが一般的に道順だった。
それに、大河を迂回するにしても、大軍が進行できるほどの大きな道は北側には無かったはずなのだ。
「全軍、引き上げだ!!帝国軍が北側から攻め込んで来たらしい!」
アンジェラトゥの号令に、兵士達が血相を変えて慌てて移動の準備を始めた。
こうして彼の完璧な計画は、わずか四日で早くも瓦解した。
翌日、アンジェラトゥが義伯父の領都に着いた時は、既に街は帝国軍に囲まれていた。
「子爵様、どうしましょうか。このまま行けば敵の背後を突けますが……」
「あの数だと、あっという間に帝国軍に包囲されちゃうね」
だが、このままでは伯母達は帝国軍に殺されてしまう。
義伯父を含め、北ホーズアの伯爵達は、フォーリィを除いて全員、シプレストゥール伯爵の無謀な侵攻に援軍を送っていた。
そしてこの領地に戻って来た兵士達は約半数。その内、すぐに戦闘に参加可能な兵士は更に半数だった。
その為、義伯父の兵力は従来の三分の二まで下がっていた。
それでなくとも数で圧倒的に勝っている帝国軍だ。門が破られ、領都内に雪崩れ込むのに何日も掛からないだろう。
アンジェラトゥは口元に手を当てて暫らく考え込んだ後、部隊長達を集めるように指示を出した。
そして一時間後……
南門を攻撃していた帝国軍の背後から、遠距離魔法が複数飛んで来た。
「敵の攻撃だ!」
帝国軍は統率の取れた動きで、素早く障壁を展開して魔法を弾く。
「六時の方角!」
観測者の声に、複数の小隊長が部下たちを引きつれ、門を背にして林の方に向かって行った。
向かう先は、林の中にたたずむ鎧兵の集団……っぽく見せているカカシ。
アンジェラトゥの策は、こうだった。
背後からの攻撃に、帝国軍の一部が林の中のカカシの場所までやって来る。
そこを、周りで潜んでいるアンジェラトゥ達が取り囲んで攻撃を加え、敵の数を大幅に減らしたら、その場を離脱する。
そして、その策は今のところ上手くいっていた。
帝国軍の小隊は、後数分で所定の位置まで到達する。
アンジェラトゥは攻撃の合図を出す準備をしながら、帝国軍の動きを目で追っていた。
「撃てぇぇぇ!!」
攻撃の合図が発せられる。
しかしそれは、アンジェラトゥのものでは無く、帝国軍の小隊長のものだった。
帝国軍は的確に、アンジェラトゥの兵達が潜んでいる場所を攻撃して来た。
その攻撃を受けて、アンジェラトゥの近くにいた兵士達がバタバタと倒れていく。
アンジェラトゥの兵士達が慌てて魔法障壁を展開した時には、既に兵の五分の一を失っていた。
しかも、それで終わりでは無かった。
帝国小隊の魔法攻撃は一撃一撃がとても強烈で、魔法障壁が軽く消し飛ばされて行った。
「子爵様!早く撤退を!このままでは敵に包囲されます」
実戦経験の無い彼を、側近たちが引きずるように移動させる。
「て……撤退だ……」
震える声で、そう呟いた彼の言葉を聞き、側近たちが全軍に撤退命令を出す。
青い顔をして震えているアンジェラトゥを、側近達が無理やり馬に乗せて走らせる。
その後ろを複数の兵士達が盾となるべく隙間なく並び、彼の後をついて走る。
そして、一部の兵士達はしんがりとなり、盾を構えて帝国小隊を迎え撃つ。
笛のような音に、アンジェラトゥが上空を見ると、赤い光が二つ、青が一つ、オレンジの光が五つ上がっていた。恐らく、こちらの数と方角を表しているのだろう。
「息子よ!奴らはここで足止めする!お前は子爵様を守って、ここを離れるんだ!」
「父上ぇぇぇぇ!!……くっ。分かりました。命に代えても子爵様をお守りします!」
四十歳ほどの若いハーフエルフが、強く唇を噛むと、口元から一筋の血が流れ落ちる。
「子爵様、急ぎましょう」
そして、アンジェラトゥが乗る馬の尻を手で叩き、加速させる。
しんがりを務めた彼の父親は、アンジェラトゥが小さい頃から良く領邸に来ていて、その度に彼に剣の稽古をつけてくれていた。
「すまない。私が不甲斐ないばかりに」
アンジェラトゥは涙を堪え、ギュッと目を閉じた。
「何を仰るんですか!子爵様の策はどれもとても素晴らしく、私達にとって目から鱗が落ちる思いでした」
「そんな事は無い!僕の浅はかな策は、簡単に帝国に読まれていた。全て僕の責任だ」
異世界チートだ、とか思って天狗になり、好きな娘に良いところを見せたいと言う思いで動いてしまった結果がこれだ。
彼は、自分の責任で死なせてしまうだろう兵士達が、地獄の門で自分を待っているような錯覚を覚えていた。
「それは子爵様が悪いのではなく、帝国軍が我々より遥かに上手だったと言う事です!我々は帝国軍のように常に戦争をしている訳ではありません。戦場で戦法や戦術が身についていった彼等に比べれば、我々の戦術は稚拙でしょう」
そこで若きハーフエルフはアンジェラトゥに顔を向けると――
「だったら、ここで彼等から逃げ切って見せて、一泡ふかせてやりましょう」
そう言って不敵に笑った。
「くっ……ここも行く手を塞がれたか」
目の前、数百メアトル先で黄色い光が二つと緑の光が一つ上がった。
「子爵様。その先、左側に馬が通れそうな獣道があります」
明らかに誘導されているような信号魔法の打ち上げだが、何時間も死の恐怖に晒されながら馬を走らせているアンジェラトゥ達は、それに気付く冷静さは残っていなかった。
「行き止まり!?」
突然、林から抜けて視界が開けると、目の前に見上げるほどの崖がそびえていた。
「子爵様。早く引き返し……」
馬を反転しようとしたところで、若きハーフエルフは動きを止めた。
彼等を追っている馬のひづめの音は聞こえなかった。
と言う事は、彼等は最初からここにいて、身を隠していたのだ。
アンジェラトゥ達はようやく悟った。自分達はここに追い込まれたのだと。
「全員!防御結界……」
若きハーフエルフが言い終える前に、あちこちの茂みから魔法攻撃が飛んで来た。
その攻撃は殺傷力は無いが、高速で、しかも見え辛かった。
相手に魔法を使わせないための攻撃だ。
「がふっ……」
「ぐっ……」
盾を持ったアンジェラトゥの兵士が次々とうめき声を出して落馬していく。
高速魔法に混ざって、殺傷力の高い魔法が放たれているようだ。
「子爵様ぁ!!」
若きハーフエルフが盾になるために、アンジェラトゥの前に移動しようとした矢先、信じられない事が起こった。
「子爵様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
眩い光の帯が通り過ぎると、アンジェラトゥの首が宙を舞った。
斬首の神光。三人一組で行使する集団魔法で、絞り込まれた光魔法により個人レベルの魔法障壁なら、障壁ごと敵を切り裂く事ができる魔法だ。
若きハーフエルフは、周りがとてもゆっくりと動いているのを感じた。
首を失ったアンジェラトゥの胴体から、血が噴き出し始める。
そしてアンジェラトゥの首は回転しながら少しずつ上に上がって行く。
身体が重くて、なかなか動かない。
そしてアンジェラトゥの首を目で追っていた彼は、視界の隅に神秘的な者を捕えた。
白っぽい服を身にまとい、背中に白い翼を生やし、頭上に光の輪を携えた、とても美しい少女の姿を。
(ああ、天使様のお迎えですか。父上すみません。子爵様を守れませんでした)
時が戻る。
アンジェラトゥの首がクルクルと回転しながら、弧を描くように落下していく。
「アンジェラトゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
崖を背にして降りて来た天使は、重力を感じさせない緩やかな動きで地上に到着すると――
「ていっ!」
落下直前のアンジェラトゥの首を蹴り上げた。
その少女の神秘的な姿と、蹴鞠のように人の首を蹴り上げた動作に、敵味方問わず、その場の全員の動きが止まった。
そして次の瞬間、翼の少女の姿が掻き消えた。
「「「「「!?」」」」」
その場の誰も、何が起こったのか分からなかった。
しかし、続くドサッと言う音に、全員がその方向に顔を向けると、翼の少女がアンジェラトゥの身体を馬から引きずり落としていた。
そして、先ほど蹴り上げたアンジェラトゥの首を空中でキャッチすると、えいっ、と言う掛け声と共にその首を胴体に合わせた。
そこで、翼の少女は顔を上げると、透き通った声で言った。
「今から彼を生き返らせるから、誰も邪魔をしないで」
目の前の神秘的な存在が、奇跡を起こすと言ったのだ。その場の誰も動けるはずはなかった。
アンジェラトゥをデュラハンとして蘇らせる……といった展開はありません。(笑)




