Episode 3
三十分程かけて、ようやく全体に傷薬を塗り終えた。拳大の瓶に入った傷薬が5本あったが、結局全て使い切った。僕は、作業が終わったと海龍に伝えようと、顔の前まで戻る。
「塗り終わりましたよー……って、寝てたんですか……。」
「……クルルルルル……。」
どうやら僕が気付かないうちに寝てしまっていたらしい。このまま放って帰ろうかとも思ったが、どこへ向かえばよいか分からない。それに、寝ている間に居なくなってしまうのは失礼だと感じたので、僕は海龍を起こすことにした。
「すみません、起きてください。すみませーん!」
「……んん? 何じゃ……。折角心地よく寝ておったのに……。」
「あ、えっと、邪魔してごめんなさい。あの、一応傷薬は塗り終わりましたよ。」
「おお、そうか。それは恩に着る。」
目を覚ました海龍は多少不機嫌そうな声を出したが、僕の事を認識してから態度が柔らかくなった。一瞬怒られるのではと恐れたが、どうやらそういったことはなさそうだったので、安心した。薬を塗り終えた事を伝えると、優しい笑みを浮かべて礼を言われた。自分がした事は大した事では無いと思っていたので、感謝されるのはとても嬉しかった。
「どういたしまして!」
「うむ、あまり気にせずとも良い……それで、お主、元いた場所へ戻らぬのか?」
「あっ……そのことなんですけど……。じ、実は方向が分からなくて……。」
海龍に言葉を返す。海龍はこちらを気遣う様に話しかけてきたが、その後の問いを聞いて、僕の体が硬直する。それは正に、僕がいま直面している最大の問題であったからだ。辿りついた先で思わぬ出会いをしたのは僥倖と言ってもいい。だが、それが両親の元に帰る手助けになる訳ではない。今はまだ日も高いが、あと数刻すれば辺りは闇に包まれるだろう。それまでに何としても戻らなければならない。ただ、僕は方向が分からない。かなり深刻な問題であった。その事について、恥を感じつつも海龍に説明する。それを聞いて、海龍は納得したような表情をして、告げた。
「……それならば、妾の僕を呼ぶとしよう。乗せてもらうと良い。」
「……えっ……!?」
海龍の言葉を聞いて、僕は思わず声を漏らしてしまった。どの方向かを教えてもらえればそれだけでも在り難いと考えていただけに、海龍の申し出は素晴らしいものであったが、そこまでしてもらうのも気が引けた。
「い、いや、そこまでしてもらわなくても……。」
「気にするでない。これは妾からの些細な礼だ。それに、お主も疲れが溜まっておるであろう。」
「そ、それならお言葉に甘えて……。」
断ろうとも思ったが、海龍が引く気配はない。それに、海龍も純粋な好意からの申し出であった様なので、断るのも失礼だ。そう考え、僕はその提案を受けることにした。
「うむ、では妾の僕を呼ぼう。……人間にはちと五月蝿いやもしれぬ。耳を塞いでおれ。」
「は、はいっ!」
「うむ。……すぅ……キュルルルルルルルルルルルルルルオオオオオオオォォォォォォォォォン!!!!!!」
海龍に指示を受け、耳を両手でしっかりと塞ぐ。それを確認した海龍は、大きく息を吸い込んで、啼いた。その声はとても力強く、それでいて繊細で美しい。塞いだ耳を貫いて聞こえてくるその声に、僕は言い知れぬ感動を覚えた。