Episode 2
いきなり声を掛けられるとは思っておらず、また人の言葉を話したことが信じられず、僕は返答できずにいた。すると、そんな僕の様子をみた海龍が口元を緩ませ、
「そう警戒しないでおくれ。妾はお主を害するような真似はせぬ。」
と、宥める様な声で話しかけてきた。それを聞いて、僕の頭が少しずつ冷静になっていく。海龍の御伽噺をよく聞いたのは5歳位の頃であったが、記憶をたどる限りでは『穏やかで、心根の優しい種族』と語られているものが殆どであった。一部では海龍が暴れ回るといった内容のものもあったが、そのどれもが人間が怒らせたのが原因であった。おそらく先ほどの言葉は信じても問題ないだろう、と結論付ける。ただ、助けるといっても僕はそういった知識がない。父に持たされた傷薬数個があるが、人間用に開発された傷薬が海龍に効くかどうか分らなかった。
「ご、ごめんなさい……。僕、助けると言ってもどうすればいいかわからないです……。傷薬も使えるか分かりませんし……。」
少し緊張しながら言葉を返す。初対面の相手と話すのは僕の苦手としていることであった。相手が幾ら穏やかだと言われていたとしても、そう簡単に気楽にできることはない。もしかすると機嫌を悪くするかもしれない、と不安を感じながら返答を待っていると、返ってきたのは意外な一言だった。
「何、問題はありはせん。人間の薬は良く効くのでな、妾としては在り難いくらいだ。」
「え……?」
想定外の言葉に、僕は驚いて海龍を見つめる。問題ないのであればそれに越したことはないが、何故それを知っているのかが分からない。滅多に岸の方には来ない海龍が人間の薬の知識を多少なりとも持っているというのは、些か不審であった。そんな視線を感じたのか、海龍が苦笑しながら口を開いた。
「何、妾が人里を襲った等という事はない。数百年前に今の様に介抱されたことがあってな。その時に知ったのだ。されば、そのような冷たい視線を向けるでない。」
「本当に……? まさか、嘘とかついてるわけじゃないですよね?」
「……ここまで疑われるとはの。妾は潔白であるのだが……。ちいと悲しいぞ。」
「ごっ、ごめんなさい……。」
「まあ、そう気にするでない。初めて会った相手を、しかも妾のような、人間とは程遠い種族を立ち所に信用せいという方が酷な事。致し方ない事よ。」
気分を害してしまったので慌てて謝ったが、海龍は根に持つでもなく、軽く流してくれた。その優しさに感謝するとともに、僕はこの海龍は問題ないという確信を持った。直ぐに傷薬を取り出し、海龍の体全体に薬を塗る。その間、海龍は昔を思い出したのか、どこか遠い目をしながら心地よさそうに寝そべっていた。