Episode 1
始まりは、僕が十歳になってすぐの頃だった。僕は久しぶりに王宮を出て、近くの海へと遊びに行ったのだ。小さい頃から体を動かすのが好きで、これまでも何度か海に行っていた。だが、ここ数年は色々と問題が起きていたらしく、軽く出歩くにもそこそこな人数の護衛が必須になるほど危険な状態だった。なので、久しく動き回れなかったのだ。数年ぶりに来た海は記憶と変わらず、とても美しく輝いていた。急いで着替え、砂浜へと駆け出す。そしてそのまま碧い潮水へと飛び込んだ。火照った体に冷たい海水が心地よい。
「おーい! あまり遠くへは行くなよー!」
後ろの方から父の声が聞こえるが、気にしている場合ではない。僕は気の向くままに大海原を泳ぎ回った。暫くして深く潜り、厚い潮の膜の下に広がる世界を眺める。色とりどりの珊瑚が足元を埋め尽くし、あちこちで魚達が躍っている。久々に見るその光景に僕は舞い上がり、再び泳ぎ始めた。
*
数時間程経っただろうか。僕はふと我に返り、周りを回した。しかし近くの陸には馬車は無い。
「父上ー! いますかー!」
大声で父を呼ぶが、暫く待っても返事が来ない。どうやらはぐれてしまったらしい、そう気付いたが、今となっては後の祭りだ。急に心細くなってきた。海の中に居続ける訳にもいかず、僕は近くの陸に上がった。近場にあった岩に上り、辺りを見回す。朝来た場所とは全く雰囲気が異なっており、どちらへ行けば戻れるかも分からない。これからどうしようか、と悩む。そんな僕の視界に、ふと目に入ったものがあった。丸太の様に太く、しかし鮮やかな水色をした巨大な物体。その表面は日の光を浴びて宝石の様に煌めいている。その美しさに目を奪われた僕は、今後について考えることも忘れ、吸い寄せられるようにそちらの方へと向かっていった。
*
近くに寄って、やっとその正体が分かった。我が国の御伽噺にもよく登場する、海の覇者と呼ばれる生物。大きな蛇のような体は縹色の艶めく鱗に覆われ、蜥蜴に似た顔には水晶の様に透き通った美しい瞳。その姿を見たものは幸せになれるという伝説も残されている。見間違えようもない。海龍だ。
「……え、えっと……?」
あまりに非現実的なので、どう対応すべきか分からず戸惑ってしまう。…その海龍は、美しさこそ保っているものの、体の至る所に傷を負っている。息も荒く、非常に痛々しい状態だった。戻って父に知らせるべきか、それとも放っておくべきか悩んでいると、海龍の瞳がゆっくりとこちらに視線を移し、僕に声を掛けてきた。
「……そこな人間よ。どうか妾を助けてはもらえぬだろうか……?」