母のSNSを見ました
相変わらず短いです!すみませんm(_ _)m
私の母は、写真を撮ることが大好きだった。
私の記憶の限り、覚えている限り、母が隣にいたら、必ずカメラもセットだった。
食事を食べる前に写真を撮って、食べてる最中に写真を撮られ、外食の場合隙間時間には店内を撮影したり、周りの人を撮影したりもした。
私の生活は、すべて、あのフレームのなかに納められるようになっていた。
ーーでも、それは縛られているように感じられた。
何かをする前には必ず一回立ち止まり、母にポーズをする。喜ばれたら、もう一回、二回、三回......と、かなり続く。
ピアノ、英会話と新体操を幼稚園では習っていて、発表会などでは必ず母に母のセンスで飾り付けられて、発表会に臨むようにしていた。
それでも、私はそこまで写真を嫌いではなかった。
現在はダンス部に所属しているから、カメラに撮られることも多い。メイクをすることも多い。
本当に不思議と嫌ではなかった。
母がいないときはむしろノリノリだったと言っても良い。
ただし、それはこの日まではの話でーーー
ある日、携帯でSNSにトライしてみようと思った。
友達からはどのように投稿をすればいいか教わった。
その日の出来事や、思ったこと、興味を持ったことなどを素直に書き出し、投稿すればいいだけだから、とても簡単だった。
この日、私は使っていない人がいないんじゃないか、と思ってしまうほど人気があるSNSアプリを初めて使い、今日の日記みたいな文章をアップした。
そこで、私は友達のブログが気になって、連絡先から各自のホームページへ飛び、のんびりと、ただひたすら人の投稿を見ていただけだった。
ーーあ、この子こんなこと考えてたんだ
ーーこんなに習い事してるなんてすごい!
ーーこの意見、私も賛成
ーーあー、わかる~
のようなことを思いながら、楽しく見ていた。
そこで、あるアカウントが目についた。
それは、母のアカウントだった。
私のSNSの“フレンド”の中で、総合投稿の回数はダントツでトップだった。
ーー何を投稿しているんだろう
ーー私がいない間は、どう過ごしていたんだろう
のような好奇心に刈られ、母のホームページへ飛んだ。
そこに写ったのは、九割以上が母が写っている写真で、六割くらい、私が写っていた。
母のSNSはフレンドじゃない人でも見れるようになっていて、私の名前を伏せていても、彼女の名前は本名がアカウント名になっていて、バレバレだった。
私は最近母の友達に会ったことがあって、その時、初対面にも関わらず、私の名前を読んでいた。
私は相手を知らなかった。例え直前に母に相手のことを教えられていても、多分とっさには出てこなかった。
なのに、相手は間違いなく私の名を正確に呼んだ。
その時は、まだただの違和感なだけだと、油断していた。
今日、その謎が解明した。
ーー私は、自分から個人情報をネットに書かなくても、私の個人情報は、私の知らないところで、勝手に流れているんだ
そう、思った。
背中が凍ったようになり、寒気がした。
私は、この事実をただの恐怖としか認識していなかった、いや、そうすることしかできなかったのだ。
私は戸惑った。
なぜ、私のことを知っている人が多いの?
ーーそれは、母が情報を流していたから。
なぜ、私の写真が多く母のブログに貼り出されているの?こんなに長いこと離れていたのに。
ーーこんなことは一ミリも思いたくなかったんだけど、母が私との写真を多く載せるのも、母が娘と仲良しですよアピールをするための、ただの道具だったのか?そんなのは、嫌だ。
この日を境に、私はカメラのことが嫌いになった。
カメラに写ったら、その写真が知らないところで流れるかもしれない
もうカメラに監視されるのは嫌だ!私から離れて!
もう嫌なの!十分苦しんだと思うの!
どこがまだ足りないの?
何でそんな目でこっちを見るの?
私はあなたの道具なんかじゃない!
私をそんなもので縛りつけないで!
私は動きたいの!!
自由に!
風のように!鳥のように!
羽ばたきたいの!!翼を広げて羽ばたかせたいの!?
神様、お願いだから、この些細な願いを、叶えてくれませんかね
少なくとも、安全に生きていたいと祈った、この願いを、どうか......
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