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ふと、足が止まった。
途端に沸いてきた懐かしさとも言える、そんな暖かな感情が私を現実へと引き戻す。冷たい現実へと引き戻す。
あの出会いは、きっと私にとって、幸運だったんだろうなぁ、なんてことを今更ながらに思っちゃう。だって、彼と出会ったこと以外、ここ数年碌な思い出がなかった。
『話すことは苦手なんです、私と話しても面白いことなんてありませんよ』
初めて会った時、彼は私を拒絶してくれた。言葉が、あれほど胸に響くことは私の人生でもう無いのだと思う。それくらい、嬉しかった。
彼に4月、5月は引っ付いて回って、色んな会話をした。確かに彼の会話は面白くはなかった。話が上手い訳でもないし、流行に詳しいわけでもない。でも、私がブーたれると、彼は面白いくらいに焦って。それがどうしようもなく、可笑しくて。
そんな関係がずっと続けばいいなぁって思ってた。
終止符は、6月の事件だった。
私の目の前にあるのは、階段。
本校舎の屋上へとつながる階段。屋上にいく為には、どうしても昇らなければいけない階段だ。エレベーターは屋上に直接つながるものはなく、ひたすら重い足引きずりながら、私はただ、屋上を目指す。
そこが終着点なのは、自分自身がよくわかっていた。
あの時の私はなんで、あんな変な話し方で、彼と会話をしてしまったのだろう。いや、理由は自分のことだし、よく分かってはいるんだけど。どうしようもなく、分かってはいる。
なんとか嫌われようと思っちゃったんだ、私。
私のことを知らない人に会えて、私をそのまま見てくれるかもしれない人がいるって思ったら、どうしようもなく、私のことなんて愛してほしくなかった。
意味の分からない実験が、私にくれたのはそんな感情。愛されるのが怖い。愛っていうものが中学生のころから、きっと、行方不明になってて、私にはそれが堪らなく怖い。
結局は、あの会話の所為、ううん、キャラづけの所為で、私はずっと彼の前では私を演じることになる。自分が嫌だと思う自分を演じ続けることになる。凄く恥ずかしかったけど、何度話し方を変えようと思ったか分からないけど、
私は、彼に愛されるのが怖くて、堪らなく嫌で、変な話し方を続けることになる。
本当の私を見ていて欲しかった。私の周りにいる人たちのように、盲目的になってほしくなかった。
私は嫌なやつなんだよって、ダメなやつなんだよって、彼にだけは知っていてもらいたくて。
呼び方も、ラフィーって、お父さんが私を呼んでいた呼び方で、呼んで欲しいって、そう言って。
何度も本当の事を話そうとした。でも、話せなかった。言っても信じてもらえるかも分からないし、話すことが出来なくなってしまった。
これが私の本章。どうしようもない、本性。
まだ、序章にしかすぎない、本性。
あぁ、どっかにタイムマシン落ちてないかなぁ。
あるわけないってわかってるんだけど、戻れるはずはないんだけど、それでも叶うなら戻りたい。彼との出会う前に戻りたい、語学でフランス語を選ぶ前に戻りたい。
彼と出会った幸運を、なかったことにしたい。
私という不幸が、彼に接触するのを止めてあげたい。
なんでこんなに酷い事になってしまったんだろう。なんで彼にあんな酷い事をしてしまったんだろう。
分からないことばっかりで、答えも見つからなくて。
どうしようもなく、涙ばかり溢れてきて。
嫌だよ、こんなの、嫌だよ。
そう声に出したくても、出てくるのは涙だけで。
私が出来ることは一つもないって、状況が雄弁に語りかけてくる。何時からだろう、私の声が、私の周りの人に届かなくなったのは。私を大切だと言ってくれる人達が、私の言葉に耳を貸さなくなったのは。
私の幸せは、天才に定義づけられて、それを私の周りの人が与えてくれるようになってしまった。
私が住む場所も、鷹閃大学の敷地内に、いつの間にか設けられて。
大学で沢山の人に囲まれて生活して、大学の中で寝て起きて、朝から沢山の人に囲まれて色んなものを貰った。
言葉にすればなんて幸せなことなんだろう。書き起こせば、なんて幸福なことなんだろう。
他の人が聞けば、きっと羨むかもしれないそんな状況。
逃げ出したかった。こんな大学なんか一秒たりとも居たくなかった。誰でもいいから連れ出して欲しかった。
それも、叶わない願いなんてこと、分かってる。
目の前の階段を見つめる。屋上へとつながる階段を見つめる。まだ、もう少しだけ昇らないといけないみたい。
それが、まだ残っている本章を暴こうとしているように思えて酷く気持ちがゲンナリする。でも、見なくちゃいけない。
もう、彼にさようならを言えないから。ゴメンって、謝ることも出来ないから。きっと、私には罰が必要だから。
この階段を昇り終わったら、全てに決着を付けよう。平凡な私には、多分これ以外に方法がないから。
もう、嫌だよ、疲れたよ。それでも終わりにしないといけないから。
私が、私を終わらせないといけないから。