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愛ってどういうものなんだろう。
私は中学生の時に、今にして思えば随分深い問題に直面した。普通の中学生らしく、友だちと楽しく、毎日ふんわり過ごしてきた私は、そんな問題と真正面から向き合うことになる。
別に学校生活に何かしらの異常が発生したわけではない。
みんなは見た目がまんま外国人だからって、遠ざけることもしなかったし、言葉の壁なんて、物心ついた時には日本にいたものだから、こんな見た目で日本語しか話せない私は、言葉の壁を感じることすらなかった。
異常が発生したのは、家庭。
結構よくある話なんだと思う。だから悲劇的に語るつもりなんてないし、さらっと言っちゃうと、両親が離婚した。
両親が離婚して、私の親権でもめにもめた。
お互いがお互いに、どれだけ娘のことを愛し合ってるか。
そんな言い争いが、夜通し大声で行われていて。
中学生ながら、思っちゃったりしたわけなのだ。
そんなに両親が怖い顔して語る、愛って、なんなんだろうって。
両親に怖い顔をさせる愛なんて、いらないとさえ思った。
紆余曲折はあったんだけど、結局、私はお母さんに育てられることになる。
内心では、お父さんのほうがよかったけど。
離婚の原因が、お母さんが他の男の人と、そういう大人の関係になったかららしい、というのは、あの頃の私でも、なんとなく理解はしていたから。
私に愛を伝えながら、お父さんじゃない他の男の人に愛を語るお母さんが少し怖かったし。
でも、私の意向が聞き届けられることなく。
親権を手に入れた母に手を引かれて連れていかれた先は、やっぱりというか、なんというか、その男の人のところだった。
男の人の名前は、空 時昭。
名門の鷹閃大学で教授をしていると聞いた。
名義上父親でもなく、かといって他人とも言い難い男の人が私に最初に言った言葉。
「ふむ。まぁ、実験の対象としては及第点だろう」
この時、言葉の意味なんて、平凡な私に分かるわけがなかった。
でも、分かっていたからと言って止められたものでもない気はする。この男の人は、母と付き合っていることも、実験の一つだと考えていたようだったから。
そのことを指摘すると、男の人は悪びれた様子もなく、
「いやなに。そんなに睨むな少女よ。私はな、見たいのだよ。人間関係の構築が、有様が、どのような過程を辿りどこに行き着くかというのが。どうしようもなく、それに陶酔してる。そういう意味では君の母親を愛しているというのは間違いではない」
大仰に振舞う男の人に対して、私は質問した。
「愛って、どういうものなんですか?」
ずっと、悩んでいたこと。
そんな質問はまるで予期していたとばかりに男の人は宣った。信頼、とかそんな言葉を使っていたと思う。人間関係の行き着く先だと。
全く理解出来なかった。私に、その言葉の真意を汲み取れるほどの知識も、思慮深さもなくて。
気づいたら、母親と、この男の人に対して、一種の思考を放棄してしまった。大人の関係だから口を挟むのは止めようと。子供の私に、分かる訳がないと。
それから、私は、男の人の半ば強制で、鷹閃大学付属中学の編入試験を受けることになる。子供の私に、通う中学を決める決定権などなく、それは必然の流れであり、なんとなく理解は出来るものだった。ただ、お世辞にも私の成績は優秀というものではなく、編入試験を通るとも思えず、億劫な気持ちで試験に挑むことになる。
結果、満点で合格と、そう通知された。
そんなはずはない。
編入試験が終わった後に、一応問題用紙を持ち帰って、自己採点をした。その点数は、他の誰がどう見ても、とても合格点と言えるようなものではなく、他に通う中学の検討を母親に打診しようとしていたのだ。
不可解な気持ちに苛まれながら、とりあえず、母と、男の人に結果を報告すると、男の人はなんでもないように言った。
「満点も、受かるのも必然だ。私が根回ししたのだから」
中学の私は、よくこんな事を真正面から言われてひねくれなかったものである。その点では、私は自分のことを褒めてあげたい。
簡単に言うと、裏口入学。
なんでそんなことを。と私が考えるのも仕方のないことで。私自身、そんな不正で編入したくないと男の人に伝えても、一切聞き入れてもらえず。
「実験なのだよ、少女」
一言で全てが片づけられることになる。
今思えば、私はこの瞬間から、かごの中の鳥になったんだと思う。
観察される対象として。自分の意思では、何一つ、決められない存在として。
私は、ラッフィシェルト・ドットハークという鳥になった。