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卒業式



 一年前。卒業式。


 季節外れに咲いた桜が、一面を淡い桃色に染め上げていた。舞い散る花びらは、何故か甘く、苦い匂いがして、見慣れたはずの校舎がどうしようもなく目新しく見えた。


 たかが一年前の出来事なのに、卒業式とつけるだけで、いろいろな感情が私に蘇ってくる。それは後悔を多分に含んでいて、でも、少しだけ愛おしく思えるもの。


 いざ、卒業するとなると湧き上がってくる感情は、胸の中に大切にしまっておこうと思えた。

 筒状の卒業証書入れを握りしめて向かった先は、もう何度足を運んだか分からない生徒指導室だった。



「失礼します」


 2回、軽くノックをして、少し扉の前で待っていたのだが、中から一切反応はなく、扉に手をかけて中に入った。


 中に入ると、酷く見慣れたものが目に映る。


 くたびれたソファー。

 お茶入れ。

 湯呑。

 申し訳程度においてあるお菓子の数々。


 どれも私には慣れ親しんだもので、この光景を見ることが無くなると思うと、心に来るものがあった。生徒指導室とは、本来、素行の悪い生徒を指導する為にあるもの。マイナスのイメージが多い場所なのに、私にとってはプラスのイメージしかない場所。


 それは、一人の先生の所為で、いや、おかげで。


 そんな元凶ともいえる人物、部屋の主。

 いつものように、御茶菓子でもつまんでいるだろうと予想していた人物の姿はそこにはなかった。


 おそらく、他の生徒に別れの挨拶でもされているのだろう。


 どこか抜けていて、でも憎めない先生は、生徒の人気者だ。女子生徒から告白された、なんて噂が出るくらいの先生で、それもどこかで納得できてしまうような人。決して年が若い訳ではない。むしろ高校生か大学生くらいの子供がいてもいいと思えるほどのおっさんなのだが、不思議な魅力に溢れている人物。あれが大人の魅力なんだと思う。


 であれば、この特別な日に暇な訳などないか、と一人結論づけた。


 日を改めようと思った。何時先生が暇になるかも分からない。大体、こんな手間のかかった生徒から挨拶されても嬉しくはないと思った。


 中から出ようとして、扉に向かう。


 その扉が、不自然に陰っているのを見て、思わず笑い声が漏れた。



「先生、見えてますよ」

「バカヤロー、そこは見えてても見えてない振りをするのが大人なんだ」


 扉の影から現れた先生は、手にたくさんの荷物を持っていた。それこそ、両手で抱えきれないといった具合に。



「随分貰いましたね」

「いらないっていってるんだがなぁ。世話になったから受け取ってくださいって生徒に頼まれちゃ断れんのよ」


 どこか疲れた声を出す先生は、いつもと違う雰囲気だった。

 ビシッと決めたスーツに胸ポケットには折りたたまれたハンカチ。

 くたびれたような印象とは真逆に、本当にカッコいい大人になっていた。



「先生、すいません。私、手ぶらで伺わせてもらいました」

「なぁにぃ? お前にはバレンタインデーにチョコまでやってるんだぞ。お返しの一つくらい卒業する前に持ってこい」

「たかがチロルチョコじゃないですか」


 思わず苦笑した。

 見た目とギャップがありすぎる発言は、私の頬を緩ませるものだった。



「まぁ、でも、そうですね。何時かチロルチョコのお返しはさせてもらいます」

「おう、出世払いでいいぞ」


 こんな私が出世出来るとは思わないが、その言葉は素直に受け取った。



「先生、中に入って荷物下ろしたらどうですか? 私も手伝いますから」


 多くの荷物を持つ先生は、漫画みたいにぐらぐら揺れていて少し面白い。



「いや、それには及ばん」

「でも、危ないですよ?」


 先生はかたくなに中に入ってこようとはしなかった。



「そんなことより、生徒指導室から早く出ろ」


 先生にしては強い口調だった。私は思わず背筋を伸ばした。



「この部屋はなぁ、問題のある生徒を指導する部屋だ」

「今更すぎませんか? その発言は」


 それは知っていた。

 だからこそ、私はこの部屋を何度も訪れていたし、最後に別れを告げる場所もここになると思っていた。



「お前はもう、問題児なんかじゃないんだ。我が校始まって以来、お前ほど優秀な大学に行った奴なんていない。そんな人物を問題児として扱える訳がないだろう」


 先生の言葉を真に受けていいか、少し迷った。自分でも受かるとは思っていなかった大学だ。

 両親は私が鷹閃大学に入ると知って非常に喜んでくれた。合格通知を見せた瞬間に、私が一人ぐらしする為の不動産を探そうとしたくらいだ。妹も、それとなく、おめでとう、とぶっきらぼうに言ってくれている。


 大学に合格して喜んでいないのは、当事者である私だけだった。



「先生聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「先生は、どうして私が鷹閃大学に受かると思ったんですか?」


 ずっと聞こうとして、結局今の今まで、聞くに聞けなかったこと。


 一年生のころに比べて、学力も、身体能力も格段に下がった私だ。見限った先生が多い中、この先生だけは最後まで私を見捨てなかった。



「理由はいろいろある。鷹閃大学の試験方式が特殊だとか、IQテストが重視されるだとか。だが、まぁ、そんなことはちっちゃな理由だ」


 そんな先生は、私にとって、やっぱりカッコいい大人だった。どの人より、他のだれよりも、私にとっての理想だった。



「一番の理由は、お前に似合っている場所だと思ったからだよ。天才だらけのあの場所が、お前にとって一番いい場所だと思ったわけよ。こんな田舎でせせこま生きていくべき人間じゃないんだお前は」


 先生は、瞳を逸らさない。

 理想は、瞳を逸らさない。



「・・・過大評価すぎますよ。私には、自分にそれほどの価値があるとは思えません」


 理想がこんな風に近くに見えるのに、その有様は酷く遠い。

 手を伸ばしても、届くとは思えなかった。



「いいか、よく聞けこの屁理屈ヤロ―」


 一つの声が響く。胸の奥が酷く揺さぶられた。



「これが俺がお前に出来る最後の授業だ」


 目頭が熱い。

 最後、という言葉がどうしようもなく心に響いて。

 もっと、先生の話を聞いていたかった。もっと先生から色んなことを教わりたかった。



 先生に何か一つでも、恩返しがしたかった。



()()()()()()()()



 こんなにたくさんの言葉をくれた先生に、何かをあげたかった。



()()()()()()()()



 先生の言葉は、どうしてこうも、心を温かくしてくれるのだろう。


 世辞を使い、敬語を使うようになった私も、いつか先生のように、誰かを温めてあげる言葉を言えることが出来るだろうか。



 こんなにも心に響く言葉を言える日が来るだろうか。



「まずは、その為の第一歩だ。その部屋から出ろ。問題のある生徒という自覚は、もうやめろ。なぁに、簡単だ。お前なら大丈夫」


 声につられるように、扉に佇む先生へと向かった。



「お前なら、もう前に向かって進んでいけるさ」


 どこまでも鬱陶しくて、どこまでも優しい先生。


 先生との距離がやがてなくなって、私は生徒指導室から一歩外へ出る。


 もう二度と呼ばれることはないんだろう。

 もう二度と来ることはないんだろう。


 でも、それが卒業だ。



「卒業おめでとう」

「ご指導ご鞭撻、ありがとうございました。先生」



 きっと、卒業なんだ。


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