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ストレートというより、癖毛まじりの髪をツインテールにしている小学生。
誰よりも、誰かを想える小学生。
その大きな瞳に涙を蓄え、短いスカートを堪えるように握りしめる彼女は、そこに立っていた。
凛さんは、そこに立っていた。
「・・・もう、止めようよ。お兄ちゃん」
「・・・り、ん? お前・・・なんで」
御剣さんと凛さん。
兄妹は、お互いの姿を確認し合って立ちすくむ。
「・・・嘘は止めようよ、お兄ちゃん」
「う、そ? 何、いって」
「憎いなんて嘘だよ・・・」
「ちが、う。そんな」
「ほんとはただ巻き込みたくなかっただけのくせに!! 楽しそうだったよ!? あの誕生日パーティーをやってくれたお兄ちゃんは凄く楽しそうだった!!」
嗚咽まじりで話す凛さんは、そこで一旦、泣きだしてしまう。
しゃくりあげるような泣き声は、不思議なほど、力と清廉さに溢れていた。
「・・・御剣さん。凛さんをここに呼んだのは私です。メッセージでこの場所を送っておきました」
「意味、が」
「いや、もう貴方は分かっているはずです。凛さんがこの場にいるなんて、方法は一つしかない。それは、ずっと貴方を悩ませていたもの」
凛さんを救う。言うだけなら簡単だ。
そして、救う方法も本当に簡単なことだった。
「御剣財閥を脅しました。写真を使って」
6月の事件。偶然取ってしまった写真。御剣財閥当主にとっては、酷く痛手になるであろうそれを、私は使った。
「・・・平凡、何、やってんだよ? それ、じゃ、凛との約束、が」
「御剣さんだって、この方法しかないって分かっていたはずです。それこそ、6月の時からずっと」
「お前分かってんのか!? それをやったらお前は御終いなんだよ!! 御剣財閥を敵に回して生きていけると思ってんのか!?」
「分かってないのは御剣さんの方だ!! どれだけ私が貴方たちを大切に思っているかわかっちゃいない!!」
自分で勝手に雁字搦めになっておいて、助けを求めることも出来なくなって。
「頼ってください!! それで私がどれだけ厳しいことになっても!! どれだけ命が危なくなっても!!」
そんな馬鹿を見ていると、酷く胸が張り裂けそうだった。
「それでも貴方たちが悲しむよりは笑っていられる!!」
残ったのは静寂。その静寂の中を、ゆっくり進もうと、凛さんの涙声が帆を張った。
「ごめんね、お兄ちゃん。私がワガママ言って、お兄ちゃんの気持ち考えてあげられなかった」
「っ! そんなことはねぇ!! 俺は!! 俺はただお前の兄になりたかっただけなんだ!! お前の我儘だって聞いてやる!! あぁまだなんとかなるさ!! してみせる!! 待ってろ、今すぐそこの平凡騙して、お前に気づかれないように、お前を救ってやる!! あぁ、万事オッケーだ!!」
「辛かったよねっ・・・!! ごめんねっ・・・!!」
「クソ親父のことだって心配すんな!! 今すぐ殺してきてやるから!! そうすりゃもうお前は自由だ!!」
「もういいんだよ・・・」
凛さんはゆっくりと、御剣さんの手を取った。
「ほんとはお兄さんのことが大切だったんだよね」
「違う!!」
体格が一回り違うのに、まるで母と息子のようだと思えてしまう。
「巻き込みたくなかったんだよね」
「ちがう、ちがう。それを認めたら俺は!!」
でも、間違いなく家族がそこにいた。
「友だちを、巻き込みたくなかったんだよね」
「お前の兄じゃいられねぇ!! 家族と他人を同列で語っちまったら!! 天秤が迷うことがあったら!!」
きっと世界は優しくない。単純な話、凛さんが終わるか、私が終わるかの二択。
「やだなぁ、お兄ちゃん」
でもきっと、世界が優しくないから、人は優しくなれるんだと思う。
「お兄ちゃんはずっと私のお兄ちゃんだよ」
「っ!!」
あぁ、やっぱり私じゃ御剣さんの心までは届かなかったんだ。いや、凛さんじゃなきゃ、ダメだった。
啜り泣く声。そして、酷い涙声が聞こえてくる。
「・・・何やってんだ、俺は。バカかよ」
掌で顔を覆う御剣さんが、小さく呟く。
顔を見せないまま、彼はこちらを見つめてくる。
「なぁ、平凡。お前が憎かった。憎くて、でもどうしようもなく、お前のことを気に入っちまってた」
その言葉を聞いて、涙腺を伝うものがあった。
涙じゃないと思う。きっとこれは、涙なんて言葉で片づけていいものじゃないと思うから。
兄妹は手をつないで、私に向き合った。
この事件の解決方法は、凛さんが私を犠牲にしてでも助かりたいと思うこと。そして、私がそれに協力する。御剣さんは凛さんと一緒になって、私に話をしてくれれば、解決した、実に大きくて小さな事件。
凛さんは私を犠牲にしてまで助かりたいと思う人物ではない。だが、もう、私が勝手に犠牲になることを選択した。なら、もう協力するしかない。
「今更だ、あぁ、今更だ。無様なのは分かってる。みっともねぇのは分かってる。それでも言わせてくれ」
「はい、私も聞きたいです」
本来あるべき解決法を御剣さんは話そうとしていた。私はその言葉を、きっと最初に聞いてあげるべきだった。だから、今度はしっかり聞かないと。
「出来るだけ守る。守り抜く。クソ親父を倒すために何年かかるか分かんねぇ。下手すりゃ親父の痴漢を証言してもらうことになる。周りは敵だらけだ。お前を殺そうとする奴だっている。きっとまともな人生はもう送れねぇ」
人生。
それは、大学に入って度々聞いた言葉だ。人の一生。生きていく道。
堂島さんは、人生で勝ちたいと言っていた。
万城目さんは、人生で無駄な時間を過ごしたくないと言っていた。
二人の言い分は、恐らく、誰しもが心の中で持ち合わせている感情なのかもしれない。
私の今までの人生は、逃げだ。ずっと、回れ後ろをして、ひたすらに停滞していた。
きっと、逃げていた分、立ち向かう必要がある。
「俺ら兄妹のために、人生をくれ」
「お願いします」
相手は誰なのか、何物なのか。きっとそれは関係ない。どうでもいいこと。
何のために立ち向かうか、それが重要なんだ。
「人生くらい、いくらでもあげますよ」
だから、私は立ち向かうんだ。