エピローグ
一年生最後の日になった。
僕は転校することになっていた。
◆
あの屋上の出来事以来、彼との接触はなかった。僕が意図してずっと避けてきたから。
転校する際にはどっかのドラマで見たように教卓に上がって、クラスのみんなに別れを言った。実際は、僕が転校することなんてなんとも思っちゃいないだろう奴らに、お決まりのようにありがとうございました、と言葉を宣う自分がどうしようもなく惨めで、酷く救いようがなくて。
学校の荷物を適当に片づけた後、僕は誰にも何も言うことなく、学校を後にした。立つ鳥跡を濁さず、なんて言葉があるが、僕には綺麗にする必要がある箇所はなかった。
この後は、もう電車に乗って此処を去るだけだった。
校門をくぐり、春休みに何処に行こうかと相談しながら下校する生徒を抜けて、僕は一人、商店街を歩く。
見慣れた風景のつもりだった。しかし、こうして何度もみることが無くなると思うとどうしようもない寂しさに襲われたのも事実だ。
シャッターがほぼ閉まったままの店。
こじんまりとしたスーパー。
来客があるのかすら分からない呉服屋。
年がら年中閉店セールの旗を掲げる時計屋。
入り組んだ迷路のようなこの商店街は、自分にとって帰り道だ。
いつも、彼と歩いていた帰り道だ。
高校時代、彼以外と歩いた覚えがない道だ。
気づけば、当たり前のように僕の隣にいた彼は、もういない。それは、僕がどうしても譲れぬ一線を、彼がただ漫然と踏み入ったから。それに僕が怒ったから。
一体、僕は何がしたかったのだろうか。
彼と対等でいたいというなら、あそこで怒ることこそ間違いだったのではないのか。僕を案じてくれた彼に、どうしてありがとうの言葉すら言うことが出来なかったんだ。
後悔がひたすら、身体を重くする。後悔するくらいなら、何故といったどうしようもない思いが其れに加重する。
歩くスピードはひたすらに遅い。それでも、行っておきたいところがあった。
別れを告げる人物はもういない。ただ、別れを告げたい場所があったんだ。
入り組んだ道を入りながら、目的の場所を目指す。狭い土地に無理やり作ったかのようで、逆にその狭い目的地の周りを商店街が囲ってしまったとも思える場所だった。
背丈ほどしかない小さな建物と、両手で抱えられそうな賽銭箱、掲示板のような絵馬を飾る場所。
弓弦神社。
その場所に一人の人物が立っていて、僕は思わず身構える。
依然の姿とは真逆に、酷く肩身を狭く、存在感を無くした彼がそこには立っていた。
僕はどうすればいいか分からず、その場に立ち尽くす。
そんな僕を見てかどうかは知らないが、彼が語り出す。
「すまなかった」
謝罪の言葉だった。
「俺があんなことをしたばっかりに!」
彼の声から後悔がにじみ出ていた。
なんてことはない話なのだ。
僕の実家は神社で、そこで不審火が出た噂が広まっていた。そこに尾ひれがついて、何時の間にやら、人の恨みを買っているどうしようもない神社という悪評が回った。
それだけだったら、どうにかなったのかもしれない。でも、結局はどうしようもなくなった。
退学した奴の周りにいた奴らが、あることないことでっち上げて、神社の評判を落として回ったのだ。
彼らからすれば、退学した奴の仇討ちのようなものだったのだろう。僕がどうにかして、彼らを退学に追い込んだと思われ、直接的には手を出さない形での報復をさせられた。
そうなると、どうしようもなかったのだ。
気づけば、うちの神社は呪われた神社なんて呼ばれ方になっていて。そこの子供たちが白い目で見られるのは、狭い田舎では当たり前と言えば当たり前で。
なんとかしようとしたうちの親が、僕を転校させた。
それだけの話なのだ。
「お前が何を背負っているのか! それを全く気付いてやれなくて!!」
彼は涙ながらに語った。
違うんだよ、と声に出すことは出来なかった。家を守る為とか、家族を守る為とか。そんな気持ちであんな屈辱的な日々に耐えていた訳じゃないんだ。
ただ、本当にただ、願いは一つだったんだ。
「こんなはずじゃなかった!! こんな、意味わかんねぇ結末になるわけが!! 人が嘘をただ漫然と真実と受け入れやがる!!違うんだ!! それじゃ嘘が真実になってやがる!!」
もはや、それは慟哭だった。多分、僕に向けた言い訳の類ではないのだろう。彼自身誰に対しての言葉なのか明確ではない気がした。
「こんなはずじゃなかった・・・。俺はただ、お前を救いたくて・・・」
「君には無理だよ」
彼自身、行き場を失っていた言葉を、僕は拾った。拾ってあげるのが、僕の役目だと思ったから。
「一般の人の、凡人の、平凡の考えを持たない君には無理だよ」
どうしようもなく、一般人とずれている彼が、結局、一般人である僕を、一般人から救い出すなんて、どう考えても無理なんだ。
僕の心を分からないから、彼は謝罪なんてしている。それがどうしようもない間違いだということに気づいていない。
その様子を見て、僕自身のことも理解した。自分自身の間違いを理解した。
結局、叶わない願いなんだ。一般人の僕が、彼と対等でいるなんてことは無理なんだ。
踵を返す。もう、僕たちはどうしようもなく終わっている。もう、話すこともない。
彼は追ってくるような事はしなかった。ただ、張り裂けんばかりに声を上げている。僕の名前を呼んでいる。
その声を聞くと、なんだか、どうしようもない涙が溢れてきて。結局、振り返って言葉を漏らしてしまった。
「ミヤ、君みたいな に出会わなきゃよかった」
それが凡人である僕がした後悔だった。
◆
「見つけましたよ、弓弦さん」