エピローグ
「失礼します」
翌日、私は再度、空教授のもとへと訪れていた。いやはや、なんとも恰好が悪い始末なのだが、分かっていたとばかりに座っている教授を見て、そんな考えは一瞬で吹っ飛んだ。
「待っていたぞ、青年よ」
「よく言いますね、ここに来るように仕向けたのは教授じゃないですか」
「ここに来ないと言う選択肢もあっただろうに。結局は、選んだ君の責任だ」
教授は居住まいを正し、私へと視線を向けた。
「して、どんな要件だ」
「謝罪です。昨日はすみませんでした、副学長」
私は背を伸ばしたまま、腰を深く折り曲げた。ゆっくりと、誠意を示す為に。
「私を調べてきたようだな、感心だ。ただ、何に対しての謝罪だ? 突然、頭を下げられても困るぞ」
「わざわざ講義と、私に言ってくださったのに、理解をしていませんでした」
「ふむ。続けてくれ」
「昨日、ある人からエポケーについて教えていただきました。曰く、正しくは“思考停止”と言う意味ではなく、“判断停止、判断留保”と言った考え方だと。間違えやすい意味でのとらわれ方が“思考停止”だそうで、詳しい話は聞いていてもよく分からなかったのですが、そもそも教授がエポケーを欠如、なんて言い方は絶対にしないと」
「なるほどな。で、青年はどう考えた?」
「だから、講義と言ったのだと思いました。私の思考停止を咎める講義だと」
出来の悪い生徒に対する、一種の補講だったのだ。
あの夏に教授と別れて以来、私は一つの考えをずっと置き去りにしていた。もっと早くにこの質問をすべきだったのに、嫌なことから逃げ続け、逃げるなと杭を打たれた。
だから、私はここに戻ってきたのだ。杭を打たれたと気づいたら、無視をすることなど出来なかった。教授は確信していた、すぐに気づくと。
「ふむ、合格だ。顔を上げるといい、青年よ。大人げないことをしたのは、私のほうだ」
教授は、肩を竦めて息を漏らした。
「青年、私に質問があるだろう?」
「はい、3つほど」
「驚いた。てっきり2つだとばかり」
これには本気で驚いたようで、こちらを凝視している。それに対して、私は一つの質問を置き去りにして、教授が求めていた二つ質問を行った。
「教授、どうして私を連れて弓弦神社に? あれでは私を探っているようなものではないですか」
教授は、私が鷹閃大学の生徒だと知っていて声を掛けた。なら、偶然あの場所へ用事があったとは考えられない。
「そうだ。私は青年の過去を探していたのだよ。もっとも、どうしてという疑問には答えることは出来かねる。ただ、その事実は青年が持っていて然るべきだと考えた。我ながら随分と回りくどいことをしたものだよ」
本当に回りくどい。そう思わずにはいられない。
「では、続いて二つ目になりますが、私の過去を何人に話しました?」
「ほう、予想していた質問とは少しばかり違うな。そこは、誰に、と聞くと思っていたが」
「答えていただけませんか?」
「いや、答えるとも。私が話したのは、二人だ」
「そうですか」
「怒るかね?」
「怒るのは筋違いだと思います。教授はそうするように言われただけだと思いますから」
「君は本当に素晴らしいな、青年」
クツクツとした嗤い声が響き渡る。私の考えが正しければ、その二人の人物も当てはつく。だから、誰に、とは聞かなかった。
「では、最後に聞いてもいいですか?」
「あぁ、いいとも」
「愛ってなんですか?」
笑われると、私はそう思っていた。実際、こんな青臭い言葉を言うつもりはなかったのだが、教授が私に言った言葉の中で、一番理解が出来ない言葉だったから、不意に尋ねてしまったと言ってもいい。
予想に反して、教授は笑わなかった。
「その質問を私にしてきたのは、君で二人目だ」
そうして、教授は言葉を紡ぐ。
「私の持論だが」
「構いません。ご教授願います」
「人間関係の行き着く先、終着点だよ。コミュニケーション能力という言葉を、青年と語ったが、それが行き着く先だと思っている」
「終着点、ですか」
「つまりは、無条件の信頼だ」
聞いてもよく分からない。これは、私がコミュニケーション能力が低い為だろうか。
そんな私の考えをいざ知らず、今度は教授が私に尋ねてくる。
「青年に再度質問をしよう。君は君を愛せるか?」
「―――分かりません。ただ、今は愛していないと思います」
根本的に私は、私の事が嫌いだから。
「ふむ、結構。なら、悩め青年。悩んで生きていくことだ。さて、質問は以上かな?」
「はい、ありがとうございました」
私はそこでまた、教授に対して深く一礼し、退出しようとする。
そんな私に教授は言葉を投げかける。
「青年、学部連合議会が開かれるのは、今から1か月後、覚えておくといい」
投げかけれた言葉を吟味もせず、生返事を返して退出する。
期限が迫っていた。