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「ついたよー」
目の前には二つの扉があった。
隣接する扉にはそれぞれのサークルの特色を出す為か、ポスターのようなものが掲示されている。
何故かは知らないが、万城目さんはそれぞれの扉の隣接地点で佇んだ。
一つの扉は、隣人愛と大き目に書かれたポスター。
一つの扉は、AMTの系譜と円状に書かれたポスター。
「どちらも特徴的なポスターですね」
「まぁ、サークルなんて似た者同士が集まるからどうしたって特徴は出るよー」
それでも、と彼女は続けた。
「これは酷すぎる」
怒気を含んだ声だった。気の抜けたようないつもの雰囲気とは違い、少し驚く。
彼女は、徐に隣人愛と書かれたポスターを思いっきり剥した。
「万城目さん!?」
突然の奇行に、私は心底戦いた。なにしちゃってるんだこの人は。
小心者と名高い私は、キョロキョロと周囲に人がいないか探ってしまった。これではまるで共犯者だ。
「隣がこんなサークルなのはほんと腹立つよ」
この隣が万城目さんが所属するサークルのようだ。
サークルの界隈はどうやら、多少のいざこざがあるらしい。
サークルについて無知な私だが、深く突っ込みたくはなかった。突っ込みたくはないが、それでも癇癪を起したかのような行動を咎めなけれいけない気がした。
万城目さんは収まらず言葉を吐き出す。
「オーラン」
「はい?」
「なんでもするサークルの略称だよ。ここはそういうサークルってことになってる」
初めて聞いた言葉だった。
サークルは特定の目的があって集まるものだと思っていた私にとっては、そんなサークルがあること自体が目から鱗である。いや、この場合は、何でもする、それ自体が目的なのか。
ただ続いた言葉からすると、万城目さんの真意はそこにはないようだった。
「でも、本当はそんなサークルじゃないんだよ、ここは。宗教サークルなんだ」
「宗教?」
「そう、宗教サークルが他宗教の言葉を平然と使う無知さに反吐が出るよねー」
全く話が掴めない。
ただ、万城目さんが隣のサークルのことをひたすら毛嫌いしていることは伝わってきて居心地が悪かった。
大体、私も宗教の話なんてものは、6月の時点で関わりたくなくなってるのだ。嫌いな話題が思い出したかのように沸いて出てきた、そんな居心地の悪さだった。
「ゴメン、どうでもいい話だったねー」
「あ、いえ」
結局私はそんな言葉しか紡げず、破ったポスターを更にびりびりにしながら、もう一方の扉を開ける万城目さんについていくだけだった。
結構、破天荒な人である。
室内に入ると、少し籠った熱気が私の肌を刺激した。熱い訳ではなく、外気温との差がありすぎてまるで部屋が異空間のようで。
鼻に突き刺さる匂いは、酷く紙の匂いがした。透明なラベルを剥がした時に感じる、新品の本の匂い。
正面には窓があり、それをブラインドが覆っている。横から伸びる紐は日焼けで少し黄色い。
それほど広くはない部屋の真ん中には、丸形の緑絨毯が敷かれており、その上に鎮座するバランスボールが唯一の部屋の飾りとなっていた。後、部屋にあるものと言えば、壁にくっつけるように設置された机、付属の椅子。そして、膨大な数の本だった。
「ようこそ。とりあえず、ここがサークルの部屋って言えばいいのかなー」
「はぁ、どうも」
全く恭しくなく歓迎する万城目さんは、手慣れた様子で靴を脱いだ。下には組み合わせ式のマットがはりめぐらされており、どうやら土足厳禁らしい。
「座って座ってー。誰も居ないってのは結構ラッキーなことだし贅沢にいこー」
「すみません、わざわざ」
そう言いながら、背もたれ付きの椅子を四つ持ってくる。
二人しかいないのに四つの椅子とは確かに贅沢だ。贅沢すぎてどうすればいいか分からない。
私は無難に一つ受け取って、浅く腰掛けた。
それが彼女にとっては不満だったらしい。残った三つの椅子を芸術とも呼べる形に組み合わせ、その上に腰掛ける。凄い、どうやってるんだろう、後で教えてもらおう。
「さて、何から話っそかなー」
歪な形で向き合い、万城目さんは静かに言った。
本題の話だろう。私に理解してもらえるよう足を運んだ彼女は悩んでいた。
そして同時に、私も悩んだ。
実際、見た方がいいと彼女は言った。連れてこられたこの場所は、はっきり言うと、見て何かを感じ取れるようなものが一切ない。情熱を注ぎこむようなもの、この大学に入りたいと思えるもの。少なくとも私の目にそれらは映りこまなかった。
なら、この場所にまできて彼女は何を話そうというのか。
万城目さんはわざとらしく、ポンと掌を拳でならす。
「今思うとこの状況、若い男女が二人きりだねー」
にやにやと擬音がつきそうな表情を浮かべる万城目さん。
はぁ。
私は口に出さず心の中で溜息をつく。
大前提に戻るが、私は確かに人と関わるのが苦手だ。それは誤魔化しようのない事実だ。それに付随する事実、いやこれは、卵が先か鶏が先かみたいな話だが、女性と話すのも苦手だ。面白いことも、気のきいた話も出来ない。正直、今でさえ女性が可愛いと宣う深海生物を理解できないレベルだ。お金払って水族館いって、ダイオウグソクムシを見に行く人の気持ちが理解できない。気になって画像探して鳥肌が立ったものだ。
これは一例に過ぎないが、そんな感じで女性について理解が及ばないのだ。その程度の男であるから、女性と付き合った経験も、まして、甘酸っぱい青春の経験なんてものもなく、大学まで来てしまっている。
ただ、なぜだろう。
「あの、こう言っては失礼だとは分かってるんですが」
「なにー?」
「その、万城目さんと話していると、なんというか、女性と話していると思えないんですよね」
「酷いなー。これでもサークルでは姫って言われてるんだよー」
サークルには階級があるのだろうか。万城目さんはやんごとなき身分の人らしい。
ただその敬称は酷く、彼女には似合わない。
私が彼女に抱くイメージは、虎や、豹に近い。油断していると食われそうだし、それは自分が彼女より劣っていると心の中で着順がついてしまっていることの現れだ。
「万城目さん、話を逸らさないでいい加減教えて下さい。お願いします」
「あー、うん。ちょっと待ってねー。やっぱ出だしは重要だと思うんだよー」
これまたわざとらしく、人差し指を頭に当てながら彼女は呻く。
呻いて、呟いた。
「嘘つきくんさー、地球が自転する時間って実は24時間じゃないって話を知ってる?」
そんな出だしから始まった。